前編
三浦秋人が【死】という概念を身近に感じたのは彼が小学五年生の頃だった。
隣のクラスの男子生徒が死んだ、朝学校に来て早々に同じクラスの友人がそう言って来て人生で初めて驚いて声が出なくなるという現象を体験した。
秋人はまさか自分がそんなに驚くとは思わなかったし、意外にもその時の秋人の頭の中は冷え切っていて冷静だった。原因は交通事故で学校から帰って来て遊びに行く途中でトラックに跳ねられたというものだ。
亡くなった男子生徒とは一度クラスが同じになり話をしたことはあったが二人で一緒に遊んだりするほど仲が良かったわけではなかった。
名前を言われて「あぁ〇〇君ね、知ってるよ」と返す程度の認識だったがそれでも彼の死は死角からスナイパーに頭を撃ち抜かれたような衝撃だった。
特に親しい間柄でもなかったその男の子の死は自分には予想以上に衝撃だったのだ。
その日は全校生徒が体育館に集まり、校長から男の子が事故で亡くなったことを伝えられ黙祷をする。
隣で女の子が泣いていた。秋人も悲しいとは思ったが泣くことは出来なかった。
『良い人間ほど早く死ぬ』とはよく言ったもので確かに思い返してみれば彼は頭が良くて運動もできて優しく友人も多い、沢山の人に愛されていたと思う。
秋人も彼に対して悪い感情は無かった。
しかし、逆に考えてみると『良い人間』の基準を彼が満たしているとなると人間が滅びるのは時間の問題だろう。
つまるところ彼はそれほど特別な人間ではなくどこにでもいる普通の小学生で彼が特別優れていた云々ではなく運が悪かったとか寿命が来たとかそんな適当な理由で死んでしまうのだ。
もっとこれから先の人生楽しいことも辛いことがあったかもしれないが彼の人生はそこで幕を閉じることになった、ほんの些細な理不尽とも取れる理由で。
この時からだと思う。
この出来事から三浦秋人が心に決めた人生においての目標は『いつ死んでも後悔しないように今を楽しんで生きよう』という一部の人間には当たり前のことだった。
しかし年月が経つことによりこの考えは形を変える。
人間らしく、非常に欲深いものに。
人生での目標は形を変えて絶対に叶うことのない夢になった。
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三浦秋人、大学二年生の春。
地球温暖化だと言っている割にまだ肌寒いがそんなことは大学構内にいる人間には関係ない。ラウンジでゲームをしながら秋人は今日の昼食について考える。
大学生といっても学生のほとんどは自分で作ったのか、或いは母親に作ってもらったであろう弁当を持参してくるが、高校卒業を機に上京して現在一人暮らしの秋人には弁当を作ってくれるような存在が身近にいるはずもなく、ましてや自分の為にわざわざ早起きしてお弁当を用意してくれるような彼女はいない。
普段はコンビニで買ったものや外食といった体にはあまり宜しくない食生活をしているが生憎今日は何も持ってきていないのである。
別に、一人暮らしで経済的に食事をとるような余裕もないという訳ではなく単純に買い忘れたのだ。しかし時間は丁度昼時でどこのコンビニも混んでいるだろうから出かけるのが億劫になってしまっていた。
自分にはもうこの後講義もないので急ぐ必要がない。もう少し人が少なくなってから食料調達に向かおう……と考えが纏まったところで
「お、秋人!」
名前を呼ばれて反射的にゲームの画面から視線を上げる。
「義明、一限出てなかっただろ」
「いやぁ、目覚まし時計見て絶対間にあわねーってなって結局二度寝しちゃった」
「あれ必修だぞ」
燻んだ金髪が特徴的な『松島義輝』は秋人の大学での数少ない友人である。
どちらかと言うと明るくコミュニケーション能力の高い義輝と地味目な秋人は正反対なようで何故かウマが合い、こうして自然と昼食を一緒にとる仲になった。
義輝は「うわマジか、ヤベェ」といった言動とは反対にあまり気にしていないようだった。
正直彼は意外と頭がいいのでなんとか単位を落とさないように計算して、最終的には上手いこと卒業してしまいそうではあった。
程良くサボりつつ必要な部分はしっかりと持っていく彼の生き方は一部の大学教師側からは疎ましく思われるかもしれないが秋人から見ればなんとも賢い生き方のお手本のような人物だ。
残念なことに自分にはそういったことはできない、講義を休むと言うのが何となくできない。
良心が痛むと言うかルールを破ることができない性格だった。
一度この話を義輝にした時笑いながら「お前もしかして皆勤賞とかもらったことある?」と聞かれたが全くその通り。
義輝が買ってきたパンの袋を破りながら「あれ、秋人もう飯食ったのか?」と訪ねてきたので今度は画面を見たまま短く「まだ」とだけ返事をした。
「えっ……何お前ダイエットでもしてんの?」
「そんな訳ないだろ」
「パンはやらねぇぞ」
「いらないよ」
そんな普段通りの軽口と共に時間が過ぎていく。
本来ならここでこのまま次の講義までの時間を過ごすのだが今日は違った。
義輝がパンの最後の一欠片を咀嚼し、飲み込んだところで何かを思い出したかのように「あ」と声を漏らすので視線を外らに向けると義輝は秋人の方を見てニヤリと悪巧みを思いついた子供というには些か邪悪な笑みをしていた。
何となくだがこういう悪い顔をしている人間の言うことにろくなことがない事は分かっているのだが、好奇心からどうしたのか尋ねる。
「面白い『噂』聞いたんだよ」
「噂?」
噂話なんて大学に限らずとも何らかの組織に属していればそりゃ一つや二つは聞くだろう。
しかし気まぐれに気になってしまった秋人はゲームを中断して義輝に先を促す。
座っていた椅子を少しずらしてこちらに近寄り秋人の肩に腕を回すと小声で話し始めた。
「なんかよ、最近この辺りに出るらしいぜ」
何だそんな事かと秋人は肩を竦める。
放課後の教室に幽霊が出るとかそう言う類のオカルト話なんて小学生の頃からあるじゃないか、正直少しだけ期待していた秋人は「バカバカしい」と鼻で笑って席を立とうとする秋人を義輝は「違う違う」と言って無理やり座り直させた。
早々にこの話が終わるまで離してもらえないことを悟った秋人は諦めて数十秒前の自分を呪うことにした。
義輝は話を続ける。
「幽霊じゃなくて……『お面』だよ」
「面? 面をつけた人がこの辺にいるってこと?」
「そうなんだよ! 可笑しくねぇ? この辺でお祭りなんてやってないのにだぜ」
目をキラキラと輝かせる義輝を秋人は対照的にごく冷めた目で見つめる。
面をつけた人……まぁ確かに可笑しいだろうがどうせコスプレかなんかの一種だろうと考えていた。
誰かの見間違いとか、自分たちが知らないだけで本当はお祭りがあったのかもしれないし、ここから遠く離れたところでやったお祭りの帰りだろう。はたまた中学二年生特有の痛い病気の人かもしれない。
秋人は考えついた理由の中から個人的にこれだろうと思ったコスプレ説を未だに目を輝かせる義輝に提示した。
落ち込むか拗ねるかするかと思ったが意外にも義輝は秋人の解答を聞いてもなお余裕の笑み。
「それだけじゃないんだよ」
なんで一々情報を勿体ぶるんだ。
小分けにして出さないで一気に話してほしいんですけど。
「なんとそのお面の奴らは……『特殊能力』が使えるらしい!」
どうしよう、オカルトでもまだ『トイレの花子さん』とか『こっくりさん』の方が信憑性があるんじゃないかってくらいアホらしい話だったよコレ。
勿体ぶるような内容でもないし、よくあるオカルト噂話だ。
「噂だろ、あるわけないよそんなの」と秋人が言うと義輝は未だ納得がいっていないようだったが反論も思いつかないようで「やっぱりか」机に突っ伏す。
そんな噂をどこで聞いたのかと尋ねると先程よりも沈んだ声でここに来る途中話していたのが聞こえてインターネットで独自に調べてきたらしい。
本当に根も葉も無い噂だ。幽霊とかの方が未だ噂としてよかったんじゃ無いだろうか。
しかしこれ以上何か言って義輝の気分を下げるのも気が引け流ので話題を帰ることにする。
これは自分なりに義輝に気を使った結果である。
「義輝さ、俺よりこの辺詳しいじゃん」
「……」
「俺次の講義取ってないし、この辺で美味しいお店とか知らない?」
「……」
「……こんなこと義輝にしか頼めないんだよなぁ」
「大学に来る途中の通りの裏側にあんまり人に知られてない美味い中華料理屋がある」
(……チョロイ)
なんだかんだ頼ったら助けてくれる辺りいい友人を持った。
あまりにチョロイので少し心配にもなったが、まぁ今の所問題はないし何より自分はそこまで義輝の交友関係を知っている訳でもないので今の所問題はないだろうと秋人は都合の良いように結論づけることにした。
周りを見ると人が引き始めている。時計を確認すると後五分で次の講義が始まる時間だ。
机に突っ伏していた義輝の肩を叩いて「後五分で次の講義始まるよ」と伝えると勢いよく顔を上げて「やっべ、サンキュー秋人!」と言ってリュックを手に取り走ってラウンジを出て行く。
さっきまでテンションだだ下がりだったくせに、くよくよせず切り替えが早いのが義輝の長所の一つだ。
義輝を見送った後今まで忘れかけていた空腹感が蘇り、秋人もリュックを背負い教えて貰った中華料理屋に向かうことにした。
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