リイナ覚醒
シアナたちは大変ながらも幸せを感じていた。一緒に連れてきたとはいえ、実際に産んだ子ではない。正直、二人の間には子供ができることがない。だがそれでも二人はサインのことを愛していた。
子育ては本当に大変だった。そう、たまたま二人が同時に外に出た時のこと。
「サイン、ただいまー。ごめんね。いい子にしてた?」
出るときに熟睡していたサインに、帰ってきたシアナは控えめに声をかけた。だがまた寝ているのだろうか。洞窟の奥からはサインの泣き声さえ聞こえない。
シアナは気にもしないでサインの寝ている布団に近づき、はっとして駆け寄る。
「サイン?!」
サインは布団から跡形もなく消えていた。サインはまだ歩けない。自分で洞窟を出ていくことは不可能。だとしたら――。
シアナは血相を変えて外に飛び出した。
「キリア! テニトカ! 誰かっ誰か!」
最初にシアナのもとに来たのは鳥だった。
「サインがいないの! お願い探して!」
シアナの必死さに鳥は慌てて空に羽ばたいた。それと同時にシアナも森へと駆け出した。
必死の捜索もむなしく、夜になっても手掛かり一つ掴めなかった。
シアナは泣き崩れ、一晩中なき、翌朝には放心状態になっていた。キリアが声をかけても反応しない。洞窟が昨日と打って変わって重い空気に包まれている中、洞窟に甲高い声が響いた。
「シアナ!」
その声の主はサリーだった。
サリーは昨日の夕方、何者かが籠を川に捨てるのを見たそうだ。何を捨てたのか気にもしなかったが、シアナの話を聞いてもしかしたらと思ったらしい。川に駆けていったところ、サオンが咥えていたおしゃぶりが落ちていたそうだ。
その話を正気に戻って聞いていたシアナは再び泣き出した。大声を出して泣き喚いた。
泣き疲れたシアナは沈むように眠りについた。そして深い夢に落ちていく。
シアナは目を覚ました。そこは冷たい洞窟の中。それもそうだ、シアナは今洞窟に住んでいるんだから。
ゆっくり起き上がると、目の前の光景に目を丸くした。白い狼の遺体が四体、赤く広がる血。続いて響いたたくさんの銃声音。シアナが手を伸ばしたと同時に、脇を走っていく白い影。狼かと思いきや、それは12歳くらいの少女だった。
その子は突然立ち止まり、こちらを恨めしそうな目で睨んだ。
ハッと気づくと景色が変わっていた。それは研究所だ。あの白くて薬品臭い空間にいた。からからと車輪の音がして、目の前を自分が担架に乗せられて運ばれていく。よく見ると髪が長い。自分の影が見えなくなると、目の前には幼い白虎と、幼い王鳥と呼ばれる鳥が檻に入れられていた。
「まさか一生に一回であろう検体が同時に現れるとはな。虎と王鳥のキメラと、狼に育てられた子供と王女のキメラ」
「虎に王鳥の翼を融合させるなんて、罰が当たらないかな」
「馬鹿言え。んな事信じてるのかよ。それなら王女で実験して罰せれるのが現実的だろうが」
「それは王が許可してるんだから」
研究員たちが話しているのを聞いて、シアナは自分のような存在が生まれた経緯を徐々にわかりはじめていた。その声は脳内に響く。
『動物のために命を落とした優しい王女。次期国王であるあなたを死なせるわけにはいかず、王は王女の再起を命令した。ばらばらになった脳の一部を回復させることは困難で、研究者はその一部の脳を入れ替えることにした。そこで目をつけたのは戸籍に登録されていない私だった。狼に育てられた私。一族を殺され、一人拘束された私は見事に王女の体に適合した。私は殺され、脳だけが王女の中に入れられた。私は王女の中でただ静かにこの腐れた世界を見てきた』
突然、目の前にはさっきの少女がいた。白い髪から除く赤い瞳。それがただ静かに憤怒を湛えてこちらを見ていた。
『許せない。私は殺す。人間を、すべて』
「だめよ! そんなことしても……」
『あなたはそこで見ていて。大事な親友として』
その言葉にシアナはえっ、とこぼしたが、彼女は姿を消していた。そしてシアナはあの地下牢に閉じ込められたままだった。
*
日が明ける前のこと。
キリアもテニトカも熟睡しているときにシアナは目を覚ました。そしてゆっくりと起き上がり、静かに洞窟を出た。
この時間起きているものは少ない。鳥も寝ていれば猿も寝ているし、鹿も寝ていれば魚も寝ている時間。森はひっそりとして、フクロウの声がただ響いている。それも気に留めず、シアナはただひたすらある場所を目指して歩いていく。
洞窟よりももう少し森の奥に行ったあたり、そこはサリーの洞窟。シアナは一度も行ったことがなかったが、一歩も迷うことなくたどり着いた。
洞窟の出入り口付近でここに来るはずのない足音がして、サリーはバッと顔を上げた。
相手が正しかったら警戒することはないのだが、時間が時間で不思議に思い、静かに立ち上がった。
「どうした、こんな時間に」
サリーがいつものように声をかけると、シアナはその険しい顔を崩して涙を流した。
「サリー……」
そしてきれいな毛並みに顔をうずめると、ああ、何年ぶりだろうか、とシアナがつぶやいた。
サリーは訳が分からずに、怪訝な顔をした。
「ああ、今は顔が違うんだったわ。久しぶりね、大きくなって。私、リイナよ」
そしてサリーは表情を変える。
「そんな、まさか。あのとき、死んだんじゃ……」
「死んだわよ。リイナとしてはね」
さらっとリイナがはいた言葉にサリーは状況を把握した。
「頭がいいわね。そうよ、私はメイリアと一緒にシアナになったの」
リイナは悲しげに、憤怒を抑えたように、今に至る経緯をサリーに話した。
この六年間、シアナの中で生きてきたリイナは憎悪に燃えていた。それが話し方から声から表情からサリーは痛いほど感じ取れた。
「だから、この世界を滅ぼすのよ。人間を滅ぼし、動物の世界のために!」
動物の世界のため。サリーは即座にうなずけなかったが、やや時間がかかり、ようやっとうなずいた。
メイリアもシアナもキリアも、人間に悪いものばかりではないということはわかっていた。だが悪い人間がいることをサリーは身にしみてわかっていたのだ。
あの時の憎しみが恨みが憤怒がこみ上げてくる。その優しく透き通った瞳が徐々に濁っていることを確認したリイナは口を釣り上げた。
動物の世界のため。聞こえはいいがその答えは、動物が中心の考え方だ。それが世界のためなど、本当にそうかとシアナはリイナに叫んだが、今のリイナにシアナの声は一言も聞こえないのだ。シアナはただリイナの檻の中でただ祈るしかなかった。
しかし、その祈りもむなしく、状況は悪い方向に進んでいく。
「さあ! やるわよ! この森にシアナに賛同したものも多いだろうが、人間に恨みを持つものはたくさんいる。一言でもたきつけてやれば同志はすぐに集まるだろう。問題はテニトカとキリアだな」
リイナの考えはこうだ。今から走れるだけ走って同志を集める。賛同したものから拡散していく。準備を整え次第、王宮正面の森に集合だ。やることはただひとつ王宮までの突進。すべての元凶までひたすら街中を走る。攻撃は最小限、邪魔してくるものだけだ。テニトカとキリアにはあくまで準備中に見つからないようにすること。始まってからは大混乱、たとえ二人でも止めることはできない。
二人は感動の再開だというのに数分でわかれた。
この静かな夜の森が徐々にざわめき始めていく。