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動物少女  作者: 愛姫
第一章 メイリア・ドリシナ・ティール
8/12

メイリア・ドリシナ・ティール

 ボフッと反発の少ないベットに背を預けるように飛び乗った。

 思わずため息が零れる。

 いろいろな人に聞き込みを行ったりしたものの、結局自分の過去を知ることは今の今まで知ることはできていない。育ての親の所へお忍びで連れて行ってもらったが、両親はもう隣の国へと引っ越してしまったらしい。

「また、明日……」

 明日は必ず来る。しかしこのままではいつまで経っても森へと帰ることも、世界を変えることも、できはしない。

 シアナは静かに息を吐き、そして目を閉じた。




 ――歌え我が子 眠れ我が子――

 暗闇の中、静かに歌声が響いてくる。

 シアナはふっと目を開ける。

 一面は草原だった。どこかで見たことのある、草原。サァッと風がシアナの髪を撫でていく。

 不思議な感覚から、これは夢かと理解した。

 するとひときわ強い風が吹き、シアナは思わず目を閉じる。

 瞬間、暗闇が景色を変えた。次には鼻に刺さるような血の臭い。それもだいぶ濃い臭いだ。

 暗闇に目が慣れてくると、そこが洞窟であることが理解できた。そして地面に転がる四体の死体にも。

 シアナはハッと息を飲んだ。

 四体の死体は二つが大きく、二つはまだ子供のようだ。それぞれ胸や頭、腹部から血が溢れだし、口から長く伸びる舌と見開かれた目からは生気を感じられない。そしてその死体は、

「サリー……?」

 サリーと同じ白い狼だった。

 そしてまた瞬間、景色が揺れる。

 何が起こったのかと周りを見るも、薄れていく景色の中で、

「――ッア!」

 誰かの叫び声と、管理局が見えた。




「シアナ!」

 キリアの声でシアナはカッと目を覚ました。

 目の前には複数の召使いたちと、王、王妃、キリア、そしてエミリアがいた。

「な、なによ……」

「大声で叫んでたんだ。大丈夫か?」

「お、大声?」

 一瞬頭痛がしてシアナは額に手を当てた。

 そう言えば何か夢を見ていたような気がしていたが、あまり覚えていない。

「夢、見てた気がするんだけど……忘れちゃった」

 皆一様に安堵の表情を浮かべる。そして王に続いて皆部屋を出て行った。キリアを残して。

「大丈夫か?」

「大丈夫よ。……けど」

「けど?」

 シアナは手を握りしめて、キリアに微笑みかけた。

「なんか、さっきから震えが止まんなくて。あと何か怖くて……」

 キリアはシアナの手を取る。震えがキリアの手の中でも止まることはなかった。

 何をそんなに脅えるのかと、キリアはシアナの顔を見るも、シアナの表情をみてフッと微笑んだ。

「わかった。今日は寝るまで傍に居てあげるよ」

 シアナはゆっくりと目を閉じた。


 目を閉じると意外にもシアナはすんなりと眠りについた。

 シアナが寝たことを確認すると、キリアは表情から微笑みを消した。

 シアナの手がとても冷たかったのだ。今の今まで暖かい布団に眠っていたにも関わらず、シアナの手は氷のように冷たかった。

「何があったんだよ。メイリア……」

 あの頃と変わらない顔。短いものの、あの頃と変わらない髪。

 少し悲しげな表情を浮かべ、ベットにうつぶせる。

「シアナが困ってるんだよ……」

 キリアはそう口にし、唇を噛んだ。

(くそ、違うだろうが……)

 俺が想っているのはシアナじゃない、メイリアなのだと、心の奥ではわかっていた。シアナを想う一方でいつかメイリアとして笑ってくれるのではないかと、期待をしてしまっているのだ。

 顔を上げシアナの顔を見るも、シアナは熟睡してしまっているようだ。無警戒の表情を見ていると罪悪感が広がる。視線をずらしてシアナの手を見る。

 シアナの綺麗で小さな手を、包み込んだ己の手を見ると、キリアはゆっくりと手を離し、立ち上がった。

 扉を締め切る寸前、キリアは暗い視線をシアナに向けた。


      *


 小さな鳥の泣き声にシアナはゆっくりと目を覚ます。

 グッと伸びをするとベットから出た。そのままカーテンを開け、窓の外をみる。

 窓の外はまだ暗い。しかし遠い山の上には薄い光がベールのようにかかっている。

(山……)

 シアナは上着を一枚寝間着の上に羽織ると静かに部屋をでた。


 やはり外は少々寒く、シアナは身震いを一つした。城を出て中庭を歩く。中庭には芝と砂利が入り混じり、石で作られた小道がある。その小道を囲う様に木が植えられていた。

 シアナはしばらく歩いて、一番太い木の根元に腰をおろした。

 白い息が口元から零れる。

 あの日局長に言われた言葉が脳裏にチラついた。

 ――時が来れば直、思い出しますよ。貴女が本当に王の器なのなら――

 時とはいつの事だろう。それは世界が、獣が滅びてしまう前なのだろうか。もしくはその後なのだろうか。それならば遅すぎる。テニトカや森の獣たちに誓ったことを成し遂げることができない。

「それでは意味がないわ……」

「何が意味がないんだい?」

 ハッとして顔を上げると、目の前にキリアが立っていた。

「気づかなかった」

 キリアはそっと隣に腰をおろす。寒くないかとシアナに尋ね、上着を貸そうとしたが、シアナは首を振った。

「私は森を獣たちを救うという誓いを立ててる。それなのに、こうやって自分の記憶が戻ることを待ってたら、いつ森が崩れてしまうのかわからないわ。局長は時が来ればと言ったけれど、記憶が戻って来ずに森が崩れてしまったらもともこうもないじゃない」

 シアナは膝に頬杖をついた。

 キリアは一度視線を下に向け、一呼吸おいて呟くように言った。

「明日、シアナを管理局に連れて行くように言われたよ」

 シアナは驚いてキリアを見た。

 どうしてと尋ねたシアナに、キリアは言いにくそうに視線を泳がせる。

「夢でうなされてただろう? それがシアナの脳内に異常が出たのかもしれないと王が心配されたんだ。今一度検査を受けさせよって」

 シアナはそう、と呟き視線を夜空へと向けた。

 月明かりが強く、幾多もの星は一つも見えはしなかった。




 翌朝になり、二人は管理局へと来ていた。

 シアナは暗い表情を浮かべていた。キリアはつないだ手をギュッと握りしめた。

「大丈夫さ。待ってるから」

「姫様。こちらへ」

 シアナは一度頷き、キリアを見て、案内の女性の後へとついていった。


 診察は一時間もかからずに終わってしまった。

 変わりのない姿を見て、キリアはシアナの頭を撫でた。

 それにシアナはわずかに微笑む。

「それでは姫様、いくつか質問をさせていただきまして、その後診察結果をお話しいたします。そちらにおかけください」

 局長からの言葉にキリアとシアナは真剣な面持ちでソファへと腰をおろした。

「では、質問をさせていただきます。あなたは誰ですか?」

 シアナは一度眉を寄せたが、正直に答える。

「シアナ・カルウよ」

「あなたはシアナとしての過去の記憶がありますか?」

「あるわ」

「別の人物の記憶はないですか? または別の人格があるような気がすることはないですか?」

 シアナは一瞬考え込むようにし、

「記憶はないわ。でも別の人格があるような気がしたことはある」

 局長はそれまで書類に向けていた目をシアナに向けた。

「それはいつですか?」

「森にいたときよ。初めて狩りをしたとき」

「狩り?」

「ウサギを食べるために殺したのよ」

 それに局長は驚いたような顔をしてシアナを見た。

「殺したんですか? 動物を?」

 シアナはうなずいた。

「であるのに、動物を助けると? 矛盾していませんか?」

 局長は眉をひそめてシアナを見る。

 シアナは一度姿勢を正し、短く息を吸った。

「本来、生あるものは他の命を食して生きてきました。それが生きるものの定めなのです」

 局長はシアナの真っ直ぐな瞳を見て三度瞬くと、咳ばらいをした。

「すみません、話がそれましたね」

 局長は視線を逸らし、手に持つ書類を広げた。

「それでは診察結果をお話しします。お気に召さないお話もいくつか申し上げます。ご覚悟はよろしいですか?」

 シアナとキリアはうなずく。

「まず、脳内に異常が見られました。主に記憶をつかさどる部位ですね。それと運動をつかさどる部位に少々」

 データを指さしながら局長は一つ一つ丁寧に説明をする。

「特に治療が必要と言うことではありません。むしろこれが生命力です。自分で治癒している、抑えているのにもかかわらず」

「抑えている?」

 シアナが少し怪訝そうに尋ねる。

「言いましたよね、お気に召さないお話があると」

 シアナとキリアは息を飲んだ。そして局長の次の言葉を待つ。

「まず、姫様の治癒能力、これは自然に生まれた神の力ではなく、我々研究員が開発した治療薬麻酔の作用です」

 シアナは目を見開いて自分の右腕を見た。

 自然に動かすことができる腕。しかしこの腕は一度キリアに斬られている。この驚異の治癒能力が神の力ではないと言われると、驚きはしたものの、なぜか納得できる。

「その麻酔薬によって姫様は回復なされました。まあこの麻酔薬で回復されたことが奇跡とも呼べるのですが」

「なぜ? 回復するのが治療薬というものでしょう?」

「この麻酔薬、副作用がひどく適応できるのはわずかな検体のみなのです。今まで多くの検体に試しましたが、適応したのは三体のみです」

「副作用とは?」

 キリアが真剣な表情で局長を睨む。

「細胞の破壊、内蔵破裂、血管の損傷です。どれも命に関わるような副作用です。実用化するには危険が高い」

「そんな危険なものをシアナに使ったのか?!」

 怒鳴るキリアをシアナが抑え、キリアはしぶしぶというように姿勢を正した。

「姫様の時は一時を争いました。他に手のうちようがなかった」

 局長は渋い表情を浮かべた。

 そんな表情をみたシアナは一つ咳ばらいをして話を戻す。

「その治癒能力で私の脳は回復し、記憶が戻っているというのですか?」

 シアナはただ静かに真実を求めた。余計なことを考えると正気を失いそうだったからだ。

「それもまた難しいところですが、今はそうだと言いましょう」

 局長ははっきりと認めはせず、シアナはすこし眉をよせた。

「それで、なぜ私の記憶を抑えるのですか」

「あなたの治癒能力は普通の人間の何倍と速く強力なはず。そんな速度で記憶が戻ったらどうなると思いますか?」

 シアナもキリアも答えがわかったようで、表情に暗い影が浮かんだ。

「脳はショートし、機能を停止する。つまりは植物状態に陥る。最悪の場合、死に至る。その状態を避けるため、我々は記憶を操作し、封鎖するようにした」

「それがシアナ・カルウという存在を生み出した」

 シアナの言葉に局長は頷いた。

 シアナはため息を吐くと共に両手で顔を覆った。

「つまり私は王家の人間で、メイリア・ドリシナ・ティールで間違いないのね」


 局長との会話を終え、二人が車に乗り込もうとしたとき、キリアが局長に呼ばれた。

「シアナのこと、メイリアと重なってお前悩んでいるだろう」

 自分の悩みを局長に問われ、キリアは驚いた。

「すまん。お前がシアナを待っている間に少し調べた。だがお前の悩みはそう悩むことじゃない」

「シアナはメイリアだから?」

 少し声を低くして、キリアが言うと、局長は少し笑う。

「ああ」

「違うね」

 キリアの言葉に局長は疑問を浮かべる。

「シアナとメイリアは違う。じゃなかったら悩みなんてしないさ」

 キリアはそう言うと局長に背を向けて歩き出した。


 二人の乗った車が見えなくなると、局長は管理局の壁を殴った。それにユウリはびくっと体を縮ませ、驚いて局長を見る。

「治癒能力が強すぎる。これじゃあ記憶を壊した意味がないじゃないか。キリアはもう気づいてる。記憶が戻れば俺は……」

 局長は壁から手を離すと、二人が消えた道の先をぼーっと見つめた。

「記憶がもどったら、シアナ、君は消えてしまうのだろうな」

 少し寂しそうな声で局長はそう零した。


      *


 シアナはいつものように、古めかしい本を窓際のソファに座って読んでいた。

 そのとき、焦ったように素早くノックがされ、シアナは本から視線を逸らした。

 シアナが入室を促す声をかけるや否や、勢いよく扉が開かれる。

 入ってきたのはキリアだった。その表情からは焦りと緊張がにじみ出ている。

「ど、どうしたの」

 立ち上がり、心配そうに近寄るシアナに、キリアは深呼吸をしてその眼をみた。

 落ち着いて聞いてほしいと聞かされた知らせは、シアナを一瞬にして緊張させたのだ。




「撃つな! 姫様の到着を待つんだ!」

 管理局前の一本道に局長の声が響いた。その局長を囲う様に、警備の者が銃を構え、何かを見据えている。

 その中にはユウリもいた。

 皆一様に表情には緊張を浮かべている。

 その固まった空気の中、車のブレーキ音が響いた。

「撃ってはいけません! しばし私に時間を頂戴!」

 その声の主は、桃色のドレスをまくり上げて駆け、銃の先に立ちはだかった。


 シアナは銃の先にいた者を見据えた。

「どうして来たの」

 尋ねられた者はあの日の獣だった。人を殺し、怪物と呼ばれたあの獣。彼は静かに口を開いた。

「お前が森に帰って来ないからだ。もしや、俺と同じように研究対象にされているのではと思ったからだ」

「同じように?」

「俺は六年前のあの日まで、研究所で研究対象にされていた」

 ハッとシアナは息を飲んだ。

 たしかに彼は普通の獣ではない。一目見ただけで人間に何かをされたのは明らかだ。様々な動物のパーツに人工物である管、荒々しい縫い跡。見るのもはばかれるような外見だった。

「研究ではたくさんの苦痛を味わった。初めて死にたいと思った。そして激しい怒りを覚えた。自分だけならまだ良かったさ。でも俺以外の動物たちは研究されるたびに姿を消した。俺にとってあそこはただの地獄だ」

「それで六年前、あなたは脱走し、研究所の人間を殺した」

「怒りで気が動転してしまっていた。自分をコントロールできなかった。やらなければ殺されると思った」

 獣は俯いてそう言った。

「テニトカに聞いた。シアナ、お前を助ける」

「いいえ、私はまだ森に帰りません。あなたは帰りなさい。ここにいては殺されるだけです」

 強い目でシアナは獣を見つめた。同様に獣もシアナを見つめる。

「私は大丈夫。森の皆にもそう伝えて」

 シアナの笑顔を見た獣は、しばらく瞬くとうなずいた。獣は静かに森へと足を進め始めた。

「すごい。獣が帰って行くわ」

 ユウリが信じられないという様に口からそう零した。

 少し歩いて獣は立ち止まる。

「人間を恨むのも殺すのも、もうやめようと思う」

 そう小さくシアナに言った獣の顔をシアナは驚いてみた。そしてその表情をみて笑顔を浮かべ感謝の意を示した。

「ありがとう」

 ――パンっ!

 小さな言葉をかき消した発砲音。

 獣の体から飛び出す血飛沫。

 痛みに、思わず威嚇した獣に、二度目の発砲音。

 腕を伸ばし駆けだしたシアナの胸を貫通し、背から血飛沫が飛び出した。そのままシアナは仰向けに倒れる。

「シアナっ!」

「いやあああああああああ!!」

 絶叫を耳に聞きながら、獣は地に広がる赤い液体を見ながら過去の記憶を思い出していた。




 それは、今日の今と同じ状況に陥った、六年前のあの日のこと。

 怒り狂った獣は研究所の人間を殺し、研究所を飛び出した。

 威嚇し合う獣と管理局の人間。

 緊張した空気の中で、一発の発砲音が聞こえた。

「やめてええええええ!」

 獣の前に手を広げ、割り込んできた、桃色の服を着た赤髪の人物。

 その人物は脳天から血をまき散らしその場に倒れた。

「メイリアアアアアアア!!」

 赤い長髪の隙間から見えた、生気の無くなった緑色の瞳を、獣は脳裏に焼き付けた。




 その光景が目の前に再び広がっている。あのときの光景と目の前の光景が重なって交互に見える。あのときと違うのは倒れた人。

(……違う?)

 構えられる拳銃の音に獣はその人間に目を向けた。

「お前が……」

 拳銃を構えていたのは黒髪の切れ長の目をした長身の女性。

「エミリア……」

 管理局の陰から姿を現したエミリアは、きらびやかなドレスに似合わない拳銃を真っ直ぐに構えていた。

 獣は唸った。これまでにここまで怒ったことはない。己を傷つけられた時よりもより深い怒りが沸き起こる。

 獣が身構えたそのとき、シアナの指がピクッと動いた。

「うっ……やめなさい」

 シアナはゆっくりと立ち上がった。

「あなたの決意をワタクシのために無くしてはいけません。ワタクシはこの程度の傷では死なないのですから」

 シアナは立ち上がり胸に手を当て、ある女性を見つめた。

「キリア、局長。私、すべてを思い出しました。メイリアの時の記憶。私はこの場所で、同じように、彼を庇って、撃たれて、死にました。あのときは頭だったわ」

 多くの人の中、一人感情を露わに、震え、謝っている一人の女性を、シアナは見つめた。

「ユウリ、あのとき撃ったのはあなただった」

 ユウリはヒッと恐れの声をもらし、頭を抱えて膝から崩れ落ちた。

「いやっ、ごめんなさいっごめんなさいっ!」

「ユウリ!」

 メイリアの声にユウリは正気を取り戻し、王女の顔を見た。

 そして驚きを隠せなかった。

「あなたを咎めることはありません。あれはあなたが民を護るために行った行為。ワタクシが死んだのは飛び込んだ自分の身勝手です。ごめんなさい。あなたにはこの六年間、ずっと苦しい思いをさせてしまいましたね」

 メイリアはただ微笑んで、そう言ったのだ。

 ユウリは恐れの表情を崩し、救われたような表情で涙を流した。

「お姉様もワタクシのために撃ったのでしょう?」

 エミリアはヒクッと眉をつり上げ、微笑んで拳銃をおろした。

「ええ、そうよ。あなたがその怪物に襲われるんじゃないかって焦ったの」

 シアナは眉をひそめた。

「怪物? いいえ、彼は獣です。彼を生み出したのは人間でしょう」

「そうだ。そいつは我々が作り上げた失敗作だ。だからこの場で廃棄処分させてもらう」

 そういった局長の合図に、管理局者が銃を構えた。

「何を――」

「撃て!」

 言葉と同時にシアナは体に強いショックを受け吹き飛んだ。獣が尾でシアナを振り払ったのだ。

 シアナは茂みに埋もれ、慌てて体制を立て直した。目の前にはいくつもの弾丸をくらう獣の姿があった。

「っやめなさい! やめるのです!」

 飛び出そうとしたシアナをキリアが抑えた。

「放してキリア!」

「姫を頼む」

 近くの護衛兵にそう言うと、キリアは獣の方へと駆けだした。

「キリア!」

「姫様、行ってはなりません!」

 護衛兵はシアナを抑え込む。

「何をしているの! 早く発砲を止めさせなさい!」

 短く返事をした護衛兵らは、シアナを抑える者を一人残して、管理局の方へと駆けだす。

 視線を戻すと、剣一本で銃弾を弾くキリアと、すでに倒れた獣の姿が目に映った。キリアもすべての弾丸は弾くことができない。弾丸が当たるごとに、キリアは火花を、獣は血を、散らしていた。

 激しい銃声の中、シアナの嘆きが叫び声がかすかに響いていた。




 しばらくして銃声が止まった。

 それと同時にシアナは解放され、茂みから二人のもとへと駆けだした。

「キリア!」

 シューと蒸気を発し、火花が散りながら、キリアは倒れた。

「キリア! しっかり! だ、誰かキリアを!」

 何人かの護衛兵がキリアを担ぐのを見届け、シアナは血だらけの獣に触れた。

「しっかり! すぐに治療してあげるからっ」

「いい」

 短く吐き出された言葉にシアナはハッとした。

「もう、いい。俺は、もう、いい。もう、苦しむことも、ないだろう。これが、報いだ。最後に、お前に、会えて、良かった……」

 若干微笑んだ獣の顔に、シアナは静かに涙を零した。

 静かに息を引き取った獣に、シアナは顔をうずめて泣き叫んだ。


      *


「入るわよ」

 獣が死んだあの日から数日が経っていた。シアナは悲しみと不甲斐なさに呆然とした日を過ごしていた。

 いつものようにシアナが窓辺のソファに座って、物思いにふけっていると、ノックの音がし、エミリアの声がした。

 シアナは応えはしなかったが、ドアは静かに開いた。

「あれから数日経つけど、まだ立ち直れないの?」

 シアナは答えなかった。そんなシアナにエミリアは微笑を浮かべ、ため息を零した。

「まあ、いいわ。それでメイリア。あなたに話が、というより知らせがあってきたの」

 その言葉にシアナは外からエミリアに視線を向けた。

「あなたの恋人、キリアだけど、完治したらしいわ。でも、彼、危険人物として幽閉中らしいわよ」

 シアナは驚いて立ち上がった。エミリアは赤い唇をつり上げて続ける。

「あら、思ったよりも反応したわね」

「キリアが幽閉って、本当ですか……?」

 シアナは静かにそう尋ねる。

「ええ」

「なぜ?! 彼は私のためにあの銃弾の中に飛び込み、負傷したんですよ?!」

 シアナは苛立ちを露わに、エミリアに叫んだ。

「そんなことまで私が知るわけないでしょう」

 シアナはエミリアから視線をそらした。

 エミリアは用は済んだとドアを開けた。そしてそのドアを閉める直前、少し顔を向けた。

「キリアは管理局の地下牢の中よ」

 そう呟くと、ドアを勢いよく閉めた。




 知らせを聞いた翌日。シアナは管理局へと足を運んだ。

「キリア・モーネスを解放することはできません」

 局長はティーカップを置きながらそう言った。

「キリア・モーネスはあのとき獣を助けました。あれは命令違反です」

「それだけで幽閉するというの? 私だって彼を助けようとしたのよ」

「あなたも知っているとおり、キリア・モーネスはアンドロイドです。脳内には命令に従う様にプログラムされていますが、命令に違反したということは脳内でそのプログラムに何かの異常が起こったことを示します。ですから今治療中なんです」

 シアナは目の前に局長を見て怪訝な表情を浮かべた。

「キリアの怪我は完治したんでしょう? 御姉様から聞きました」

 局長は吹き出すように笑った。

「怪我ではないのです。プログラムを構成しなおしているんです。これはさすがの私達にも時間がかかります」

「プログラムって、どういうこと?」

「命令違反を起こさないように、感情を少々」

 シアナは絶句した。

「本来の人間よりも機会に近くはなるでしょうね」

「今すぐやめなさい!」

「まだ、脳内の変換はしていませんがね」

 シアナはハッと何かに気付いて、その場を立ち去った。


 シアナは通気口の前に仁王立ちになった。リンを助けるために侵入したあの通気口だ。

 あのときは助けられなかったが、今回はまだ遅いわけではない。

 シアナは息を整えると、ピンク色のドレスを裾からひざ下まで破り捨て、あの日のように通気口へと侵入した。

 通気口はあの日のように湿っぽく埃っぽかった。シアナは汚れなど気にせずにひたすらに前へ前へと足を進めた。ふと目の前に下から差し込む光が見えた。

「きっと牢屋ね」

 シアナは早足で近づくと下を覗き込んだ。

 格子の前に紫色の髪の男が座り込んでいた。シアナが小さく、しかし聞こえる程度の声で名を呼ぶと、その男は驚いて空を見上げる。

「シアナ?! なんでそんなところにいるんだ!」

 シアナは慌てて静かにするようにジェスチャーをし、飛び降りた。

「助けに来たのよ。早く行きましょう」

 ドレスの切れ端で作った縄で二人は通気口へと登った。

 しばらく這っていたもののキリアが一言も話さないので、シアナは不安になって問いかける。

「どうしたの? 何かされた?」

「いや、男の俺が、守るべき俺が、守られるなんて……」

 正直女々しいキリアにシアナは呆れたが、可笑しくなって笑ってしまう。

「時にはいいでしょ」

 シアナの明るい笑顔を見てキリアは、まあいいかなんて考えてしまった。

「で、あとどのくらいで外に出れるんだ?」

 シアナは顔を引き攣らせたまま黙ってしまった。

「なるほど、迷ったな」

「お察しがはやくて助かります」

「こっちは助かってないよ」

「すみません」

 今度はキリアが笑った。

 ふと、シアナの耳に水の音が聞こえた。右の通路を覗き込むと、蛍光灯とはまた違う薄暗い光が下から差しこんでいた。

「なにかしら?」

「ちょっと、また迷うだろ」

 キリアの忠告を耳に貸さず、その部屋を覗き込んだ。

 薄暗い照明でいかにも怪しい雰囲気を放っている。部屋にはタンクがいくつもあり、その中には液体が満たされている。じっくりと見渡したが人影は見当たらなかった。

「降りましょう」

「え、出口?」

「わからないけど、人がいないわ」

 キリアが止めようとしてもシアナはさっさと降りてしまう。キリアもため息をついてシアナに続いた。

「助けられて言うのもなんだけど、ほいほい興味本位でいくから、すぐ迷子になるんだよ」

「窓があれば出れるでしょー」

「口もうまいんだから」

 タンクの中には何もなかった。ただ液体が時々泡を立てながら満たされているだけである。

「なんなのここ」

「実験室じゃないのか?」

 シアナは初めに入った実験室を思い出した。あそこは真っ白な壁で照明があり眩しいくらいだった。あるものはアルミのテーブルと薬品棚、器具の乗ったトレーだ。ここにはそれらは一切なく、暗く、液体が満たされたタンクのみ。

 窓を探しながら歩いていると、一つだけ大きな布で覆われたタンクがあった。

「キリア」

「そうやっていろいろするからトラブルが起きるんだよ」

「さっさと動く」

 キリアは二度返事をすると、シアナが持つ反対側の布を持った。

 シアナの掛け声で布をめくると、二人は中にあるモノを見て言葉を失った。

 中にあるモノとは、小さな赤子である。赤子が液の中心で浮遊しているのだ。

 二人が呆然としてそれを見ていると扉の方から声が聞こえた。

「シアナ! 早く出た方がよさそうだ」

「この子も連れて行かなきゃ」

「何言ってる!」

 シアナは泣きそうな顔をしてキリアを見た。

「このままじゃ、この子実験され続けるわ。死ぬまで」

 キリアは正直、実験されたという実感がない。だが、シアナは、メイリアはどうだろうか。それを考えるとキリアは何も言えなくなってしまう。

「……でも、どうやって」

 言うがはやいかシアナは拳でタンクを割った。液が出るのと同時に子供も流れ出す。シアナは優しく腕に抱いた。

 その光景を見てキリアは愕然としたものの、赤子の泣き声にハッとした。

「何で泣いてるの!」

「赤ちゃんは産まれたら泣くものでしょ」

「そんなこと言ったって。だって俺ら逃げてんだよ?!」

「おい! 何の音だ?! 声?」

 扉の前からだろう。すぐ近くから男の声が聞こえた。

 扉があけられると同時にシアナとキリアは飛び出した。廊下には何人もの男が居たが、シアナ達は構わず出口へと向かう。しかしシアナは正門ではない方に走った。

「なんで、出口は、右だろっ」

 キリアが喋るものの、正門の方をちらりと見るといつもとは違う鉄の扉が閉まっていた。

「裏口にテニトカを呼んでる。私たちの足じゃすぐ追いつかれるわ」

 シアナは一室に飛び込むと真正面の窓を体当たりで突き破った。

 すると本当に目の前にテニトカが茂みに隠れていた。

 シアナとキリアはテニトカに飛び乗り、テニトカは大きな翼を羽ばたかせて青空に舞った。


 画面に映る二人を男と女は見ていた。

「ふふ、すべて計画通りだわ。次の段階に進むわ」

 妖艶な赤い唇をつり上げ、女は笑った。

「エミリア、もう、やめてもいいんじゃないか?」

 男の言葉に女は表情を消した。

「嫌よ」

「彼女はこれで森に帰る。もう君の王座を脅かすこともないんじゃないのか?」

「まだよ」

 エミリアは局長の頭に拳銃を突き立てる。

「彼女はこのままじゃ絶対に帰ってくるわ。何年後になろうともね。私が王座に座るまで、もしくはあの子が死ぬまで、私はやるわよ」

 エミリアは局長の耳元に口をあてる。

「あなたにとっても悪いことじゃないんだから」


      *


 森に着いたシアナとキリアを動物たちは歓迎してくれた。

「その子、シアナの子?」

「そうよ」

 シアナは胸に抱いた子を見る。子はテニトカに乗っているうちに眠ってしまっていた。

「シアナの子じゃなくて管理局の子じゃないか」

「そんなことより早く、名前」

「は?」

「名前」

 キリアは天を見上げると、サインと呟いた。

「サイン、パパだよー」

 シアナが戸惑うキリアに子を預けた。

 キリアが抱いている間にシアナはテニトカに現状報告をする。王宮での暮らし、メイリアのこと、姉のこと、管理局のこと。

「王宮は森の破壊、動物虐殺にはあまり関わってないみたい。怪しいのは管理局だわ。私の経緯や動物実験のことを調べようとすると全てはじき返された」

 二人が今後について考えていると、遠くの茂みに何かの気配を感じた。

「サリー?」

 じっとこちらを見る白い姿。サリーはやがて背を向けて走り出した。

「待って!」

 シアナはテニトカをおいて走り出した。それを見たキリアが困惑して周りを取り囲む動物たちにシアナの行き先を聞くも皆首を傾げるだけだった。キリアの言葉はわからないのだ。


 なんとかサリーに追いついたシアナはサリーが座っている場所に見覚えがあった。

「懐かしい、もう道も覚えてなかったわ」

 自分しか知らないはずの崖の上に、見覚えがあると言ったシアナを振り返る。

「やっと見たわね」

 自分の隣に座るシアナだったが、サリーは気にしない様子で崖から見える街を見た。

「今の発言だが、まるでここに来たことがあるかのようだったが」

 シアナは顔を見たが、サリーは相変わらず前を見たままだった。

「そうね。だいぶ前の話ね。あなたも小さくて、私よりも小さかったわ」

 よくわからないサリーにシアナは悲しい表情を浮かべた。

「あの頃はあなた以外にも4頭いたわね」

 サリーは眼を見開いた。

「赤髪の、桜色の服……」

 柔らかに微笑むその笑みに、サリーは見覚えがあった。




 春風が木々を揺らし、開いたばかりの桜の花びらを運ぶ時。

 その桜に雑じるかのように、桃色のドレスが林の中から現れた。

「あはは、退屈だったからまた来ちゃったわ」

 楽しそうに笑うのはまだ十二歳のメイリアだ。その顔に飛びついたのはまだ生まれて間もないほどのサリーだ。

 この森に住む、世界的に見ても希少種の白い狼の家族は、メイリアの事が大好きだった。

 メイリアは王宮の事が嫌になったり、誰とも会いたくなくなったりしたときは、よく逃げだしてこの森に来ていた。そんな時に出会ったのがこの狼の一族だった。最初は互いに警戒したが、メイリアから歩み寄ると一族はあっという間に心を開き、今ではよく遊ぶ仲になっていた。特に気に入っていたのはメイリアの読み聞かせだ。もちろん言葉はわからない。しかし、メイリアが読む姿が面白くて、それを見るのが好きだったのだ。




「メイリア?」

「そうよ、サリー。久しぶり」

 二人は顔を寄せ合って互いを確かめ合った。

 その様子を後からついてきた皆が困惑したようにしていた。

「サリー、シアナ。どういうことだ?」

 テニトカが代表として出てくると、ぞくぞくと動物たちが集まってきた。

「サリーとはメイリアの時に何度も会っているのよ。サリーがまだ子供の時」

「私は家族を殺されて、楽しかった時の記憶を忘れてしまっていたようだ。ずっと独りぼっちだと」

「私は今、シアナだけれど、サリー、あなたはずっと一人なんかじゃないわ。森のみんながあなたの家族よ」

 シアナがそう言うと、サリーを取り囲む動物たちは賛同の声を上げた。

 サリーは長年の恨みさえ、過去の懐かしい顔ぶれに、昔よりも今を楽しもうかと考えた。


      *


 静かな森の中、サインの泣き声が響き渡る。

「シアナぁ、もう俺もう無理だぁ」

 洞窟の中でキリアはサインをあやすものの、サインは激しく泣き叫んだ。弱音を吐いたのもつかの間、森の見回りに行ってきたシアナとテニトカが帰ってきた。

「なによ、情けない声出さないの」

 慣れた手つきでサインを抱えると、オムツね、とすぐに換え始める。

 するともう一匹の獣が現れた。サリーだ。サリーはサインの泣き声がなかなか止まないからと、心配になり様子を見に来たようだ。

 それだけではなかった。森の幾多もの動物たちが洞窟の周りに集まっていたのだ。

「皆に迷惑かけてるわね」

「ごめん」

 二人が不甲斐ないと落ち込むと、森の動物たちは皆、首を横に振った。

「というか、皆、子供が可愛くて来てるんだろう。人間の子供というのは初めての者も多いんだ」

 テニトカがそう言うと、今度は皆一様に首を縦に振る。

 シアナが乳をやるや否や、サインは眠たそうに瞬きをした。

 サインが寝るときにシアナは必ずやることがある。子守歌を歌うことだ。古い昔から王家に伝えられたらしい子守歌。


 ――歌え我が子 眠れ我が子

   いい子にしなよ ゆっくりと

   眠りにつき 夢に溺れよ

   明日の光 満ちるまで――


 短い歌だがこの歌を聴くと赤子はすぐに寝てしまうらしい。シアナは寝床に寝かせるとこの幸せを感じながら、この子のためにも頑張らなければと、決意を硬くした。

 しかし、この幸せは長く続くものではなかった。

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