王族として
「うぐっ」
シアナは慣れない痛みに声を漏らした。コルセットとはこんなに苦しいものだったのか。軽いドレスを上から着せられる。
「今日はダンスの練習ですからね。高いヒールでも躓かないように注意しなくてはなりませんよ」
正直ヒールのせいでつま先は痛いし、コルセットのせいで先ほどから朝食が下へと流れて行かない。苦しい。
「ダンス、一週間やってるし……」
「もうじき晩餐会がありますから、その場で粗相のないようにしていただかないと」
そんなわけでこの場に連れて来られて一週間。晩餐だのと言うことで、シアナはマナー講座からダンス練習から、毎日が森に居た時よりも忙しい。
「ホラ、一二三、一二三……」
先生と称する講師から指示を受け、踊り続けて二時間。
「素晴らしいわ。メイリア様はやはり王の器ね」
「本当よね。記憶消失してしまったというのに、マナーもダンスも一週間で完璧に覚えてしまわれて」
シアナは使用人たちの話を聞きながら、早くこの講義が終わらないかと、考えないではなかった。
「素晴らしいわ。もう完璧ですね。講義はここまでです」
シアナは講師にお礼を言って、見送った。
使用人から汗拭きを受け取り、汗を拭う。
「メイリア様。とても見事でございました。お姉様のエミリア様とは大違いでございますね」
汗を拭く手を止め、驚いた表情を浮かべたシアナに気付いた一人の使用人が、慌てたように話を遮る。
「も、申し訳ございません。今のは言葉のあやと言いますか……」
顔を俯かせた使用人達は、シアナからの言葉を怖々と待つ。
しかし、発せられたのは予想外の言葉だった。
「えと、私、姉がいるの……?」
使用人たちは驚きの表情をつくり、しばらくして思い出したかのように頷いた。
「そうでございます」
そうなんだ、と呟きながらシアナは天を仰ぐ。あとでキリアに聞いておこうと、急に真剣な表情を浮かべる。
その様子を見ていた使用人たちはシアナの気に触ってしまったのかとオロオロし始めた。
「メイリア様。湯浴みの準備が整いました」
別の使用人が扉を開け、静かにそう言った。
「ええ、わかったわ」
シアナは二人の使用人に別れを告げると、湯浴みへと案内する使用人について行った。
扉が開かれ、シアナが寝室へと入ってきた。
「え、どうした?」
キリアは寝間着のシアナに怪訝な表情を浮かべる。
「私、お姉さんがいるの?」
唐突に切り出された言葉に、キリアは、あー、と思い当たる節があるかのような口調で、机に向き直る。
「いるよ、エミリアっていうんだ。第一王女」
「そこでよ、私が思ったのは、なぜ第一王女がいるのに、第二王女の私が、王位を継がなければならないわけ?」
少し拗ねているかのように言うシアナに、キリアは再び、あー、と呟いてペンを走らせる。
「この国の王位継承権を持つ人物の条件って知ってる?」
シアナは首を傾げたが、過去にサオンとテニトカが話していたことを思い出す。
「そう。この国の王である条件は『赤い髪』と『緑の瞳』を持つことだ。君はそれに当てはまる」
キリアは作業が終わったのか、ペンを置き、ベットに座るシアナの隣に座った。
「簡単に言うとエミリアはその容姿を一つも持っていないんだ」
「え……」
シアナは眼を見開いた。
「君の母親は一般人だ。と言っても貴族のね。でも容姿は黒髪に黒い瞳だ。姉のエミリアは母親の容姿で生まれたんだ」
そう言って、キリアは立ち上がり、本棚へと向かう。
「国民は恐れたよ。忌み子とも言われたし、悪魔の子だとも言われた。殺せとも叫ばれていた」
一つの本を取り出し、シアナに差し出す。
「『天の怒り、国の始まり』……?」
「それはこの国ができる前から、できるまで、できた後の過去の話だ。後で読んでおきなよ」
シアナは本の表紙に目を落とした。本は古びていて、何年も前に書かれたようなものだった。著名は『カイト・ドリシナ・ティール』と書かれていた。
「それは初代の王が書いたらしい。それで話を戻すけど」
シアナはハッとしてキリアを見る。
「過去の情報をすべて調べ上げたんだけど、王の子は必ず王としての容姿で生まれてくるし、一人しか生まれない」
「それって……」
「そう。本当にそれが事実か、否か。否とした場合、それは王以外の子は殺されるか、城の過去から消されていることになる」
苦い顔をしたシアナの肩をキリアは抱いた。
「正直、君がこの話を聞いてどう思うのかだいたい想像はつく。でも俺はエミリアを好きになることはできない」
「どうして?」
「エミリアは君に対してもの凄い恨みを抱いている。それで君に冷たかったんだ。使用人には理不尽に文句を言いつけるし、メイリアに対してはひたすら無視したり、転ばせたり、いたずらしたり、ひどいときには怪我をさせた」
キリアは頬を少し膨らませ、拗ねたように話した。
「それでも君は恨まないでって言うんだろう?」
そう言ってキリアは、呆れたような、それでもわかっているかのような複雑な笑みを浮かべた。
キリアに別れを告げた後、シアナは寝室で本を読んだ。内容ははっきり日記のようなものだった。
ある日突然に巨大地震が起こり、世界が崩壊し始めた。地震は数日間続き、人口の三分の二は滅んだとされる。しかし生き残った者たちも、これから生活していけるような力はなかった。
そこで立ち上がったのはシアナの祖先にあたるカイト本人だったのだ。
カイトは迷える人々に科学を発明を教え、見る見るうちに生活環境を整えた。やがて一つの国が成り立ち、カイトはこの国の王となった。
それから数年後にカイトは子を授かった。その子供も容姿は父親にそっくりだった。しかしその後子供は一人も生まれなかったのだ。
カイトの子はやがて王となり、子を授かった。そしてその子も容姿は父親にそっくりだった。さらに子供は二人以上産まれることはなかった。
カイトはそれを宿命であると捉え、その後の規定に王の条件は『赤髪と緑の瞳を持つ、天に選ばれし者』と定められたのだ。
まとめていうとそんな感じの事が書かれていた。
シアナは本を閉じると部屋の電気を消した。
コンコンコンっとノックがされ、艶やかな女性の声が部屋への入室を許可する。
恐る恐る使用人が耳打ちすると、女性は口を歪ませた。
そしてルージュをひいたような赤い口で微笑んだ。
*
「エミリア様、おかえりなさいませ」
使用人に出迎えられて、エミリアは高級車から足を降ろした。並んだ使用人には目をくれず、敷かれたレッドカーペットの上を気品良く歩く。
扉に入る寸前、エミリアはある人物の前で足を止めた。
「まずはおめでとう、キリア。愛する者に会えて、王の夫という座を取るつもりなのでしょう?」
ふふっと艶っぽく笑った彼女に、キリアは鼻で笑ってみせた。
「私がそんな思惑で彼女を連れ戻してきたと? そんな思惑、あなたぐらいしか思っていないでしょう。正直、私は後悔していますよ。自由の身からこんなくだらない政で彼女を縛ってしまったことにね」
キリアはチラッとエミリアの表情を窺うと、その身を少し強張らせた。
エミリアはギリッと歯を噛みしめ、眉間にしわを寄せて、もともと美しい顔はまさしく鬼のような形相へと変わっていた。
そして舌打ちを一つ零すと、再び歩き出した。
(シアナ……)
これから起こるであろう困難を思い、キリアは心で名を呼んだ。
コンコンコンっとノックの音で、シアナは読んでいた本から顔を上げた。
すぐに入って来ないということはキリアではないということだ。しかし、使用人たちであれば声を掛けてくるはずだった。
「どうぞ」
少し待ってみて声が聞こえなかったので、シアナは入室を促した。
開かれたドアからは、一人の見知らぬ美しい女性が入ってきた。銀色に輝くドレスが女性の長い黒髪を引き立たせている。
「あら? 髪を切ったのね」
艶やかな声で驚いたように呟いた女性に、シアナは困惑したような表情を浮かべた。
「どうしたの? 姉の顔を忘れたというの?」
「え、姉……」
確かに黒髪、黒い瞳。キリアの証言と同じだった。
はっきりと言えばシアナとは顔が全然似ていなかった。そのため自分の姉ということが思い浮かばなかったのだ。切れ長の目とスラリとした鼻立ち、薄く整った唇はどれもシアナとは違う。
「ごめんなさい。あの、お姉様の美しい顔に見惚れてしまいました」
照れたように笑うとエミリアは舌打ちをした。
「そう、何も変わってなかったわね。もっと変わってると思っていたのだけれど。あなたは私が嫌味を言おうが意地悪をしようが、そうやって軽く笑って飛ばしてしまうのよね……。本ッ当虫唾が走るわ」
あまりにも唐突に言われてシアナはパチクリとしてしまった。
その様子をみたエミリアは先ほどの顔から一転し、艶やかな笑顔を浮かべた。
「冗談よ。昔のことは水に流して、これからは仲良くしましょうね」
そういったエミリアはすぐにシアナの部屋から出て行った。
(何なのあの子。私のこと、『お姉様』って言ったわ)
エミリアは部屋へと帰りながら、先ほど会ったメイリアのことを思い出して唇を噛んだ。
(あの子は確かに死んだのよ。メイリアの意思が生きているはずがないのに)
エミリアは目の前に知った男が歩いてきているのを見て、笑った。
「エミリア様」
「キリア、あの子に私のことを話したの?」
廊下の脇に避けたキリアにエミリアは顔を向けないまま尋ねる。
「はい、容姿のことを少々」
「それだけ?」
「ええ。何か問題でも?」
キリアは特に不利になるようなことは絶対に言わない。しかし、不利になると考えること以外は正直に述べる。
つまり、エミリアのことをメイリアは『お姉様』と呼んでいたということは話していないということだ。
「別に、何でもないわ」
エミリアはすぐに踵を返して歩き出した。
「シアナ!」
「な、何よ……」
飛び込んできたキリアに驚いて、本を落としてしまったらしい。シアナは本を拾いながらキリアを見た。
「さっき、エミリアが来ただろう? 何もされなかったか?」
慌てたように傍に来たキリアに、シアナは俯きがちに呟いた。
「えっと、嫌味を言われたのか、な……?」
「だ、大丈夫?」
シアナはキョトンとしたようにキリアを見た。
「え、全然平気よ。サリーのほうがきつかった気がするもの」
シアナの平気さを見てキリアは驚いた。
昔はエミリアと話してすぐにキリアに泣きついてきたものだから、今回もそうかと考えていたのだ。
「シアナは、変わったね……」
ソファに座りなおしたシアナは言った。
「姉からは変わらないって言われたわよー?」
シアナはメイリアと重ね合わせると少し機嫌が悪くなる。それを感じたキリアは何気なく話題を変えた。
「そう。……そういえばサリーって?」
シアナは本を閉じて机の上に置き、ため息をついた。
「人間を恨んでる狼の事よ。今は唯一の生き残りらしいわ」
顔に手を当てたシアナは、何か深く考えているようだ。
「本当、こんなことしている場合じゃないわ。今、森はどうなっているのかしら。救うと約束したのに、森から離れたこんな場所にいる。きっと森の動物たちは怒っているでしょうね」
シアナは顔を上げて窓の外を見た。窓の先の森を見ていた。
「シアナ」
キリアの声にシアナは顔を向けた。
「森に、戻りたい?」
シアナは少し目を大きくしたが、また窓の方を見る。
「そうね。戻りたいわ」
零すように言ったその言葉に、キリアは決めていたことを言おうとした。
――戻っていい。王宮の事は俺が何とかするから。と。
しかしシアナの口からは思いがけない言葉が返ってきた。
「でも、戻らないわ。森に居ても同じだもの。今の幸せだけに目を向け、やるべきことから目を背けてる。ここに来て、わかったのよ」
微笑まれたシアナの顔には無邪気さはなく、大人びた雰囲気をまとっていた。
「ここに来ることで、私のことが少しわかった。でもまだまだ分からないことばかりだわ。私がなぜ死んだのか。私はなぜ幼いころの記憶を書き換えられていたのか。まだまだわからないのよ」
再び表情からは笑みが消え、憂いが残る。
「だから私はここですべてを知る。知って、森に帰って、これからやるべきことを考える」
そうして立ち上がったシアナはキリアに信頼の作法をして、頭を下げた。
「だからどうか、私に力を貸して」
そのシアナの前にキリアはかしずく。
「我は貴女と共に……」
*
しばらくして晩餐会の日がやってきた。
「うっ」
締め上げられるコルセットにシアナは呻きを上げる。きっとこの作業で呻きを上げないことはないと思う。
「メイリア様。これなどはいかがでしょう?!」
もう一人の使用人から声を掛けられ、その方を向く。
差し出されたのは、真っピンクのフリフリドレスだった。これでもかという程に布が巻かれており、とにかく凄い。一歩置けば苺のパフェに見える。
「それはちょっと目立ち過ぎ……」
そう言うと使用人はしゅんとして、ドレスを戻しに行った。
「シアナ、準備は順調か?」
訪ねてきたキリアが部屋に入ると、大慌てで使用人たちが外に追い出した。
「メイリア様、キリア様がドレスを持ってきてくださいましたよ」
パッと見ると、それはとても愛らしいものだった。空色のシンプルなドレスで、派手な装飾が無い。といってもあちらこちらにアクセントがあって、落ち着きながらに目を向けてしまうようなドレスだった。
扉を開けると、待っていたキリアと目が合った。
「ど、どうかな?」
「うん。シアナ、扉に隠れたままじゃ見えない」
ピクッとしてシアナはもじもじしながらも、キリアの前に姿を見せた。
キリアは驚いた顔をしたものの、やがて照れくさそうに笑う。
「うん。綺麗」
その言葉にシアナも照れくさそうに笑った。
「さ、行こうか」
差し出されたキリアの腕に、手を添えて歩き始めた。
驚いたことに会場にはたくさんの貴族たちがいた。王座の後ろでキリアとシアナはドキドキとしながら、最後の確認をしていた。
「貴族の名前は覚えた? 絶対に敬語を外してはいけないよ。あと、あと、……」
キリアの注意事項に頷きながらシアナは緊張を紛らわせた。
「じゃあ、貴族の挨拶が終わったら迎えに行くから」
そう言ってキリアはシアナに別れを告げて、貴族の中へと紛れ込んでいく。
シアナも一度深呼吸して幕の外へと足を出した。
「あら、メイリア。来たのね」
エミリアが振り向いてそう言った。
「ええ、参りました。もうじき貴族の方々との挨拶ですね」
「言われなくてもわかってるわ」
シアナは苦笑いを浮かべる。やはりこの人とは気が合わないと思いながら。
「おお麗しきエミリア王女、ご帰国お祝い申し上げます。……おおっ! これはこれはメイリア王女。神々の力で生き返られたという噂は本当だったのですね! 真に喜ばしいことです。私は王国を継ぐ真っ当な方がいらっしゃってとても嬉しい限りでございます」
とたんに横の空気が変わったのがわかる。
シアナは苦笑いで返すことしかできなかった。
「シアナ」
呼ばれた言葉に反射的に振り返る。瞬時に浮かんだ疑問は瞬時に消える。
「局長?! それにユウリ!!」
思わず出てしまったいつもの口調で驚いたように駆け寄る。
「あ、すまない。今はメイリア姫だったね。失礼を致しました」
局長とユウリはシアナを見て、薄く笑う。
「いいえ。ところでここには何をなさいに?」
「ユウリがどうしてもシアナの姿を見たいと……」
「局長!!」
局長の言葉を遮るかのように、ユウリは呼んだ。ささっと引きずって人混みへと消えて行った。
「え、何だったんだろう……」
「馬鹿ね、気にしてるのよあなたのこと、あの女が」
エミリアの方を見ると彼女はずっと先ほどの二人を見据えていた。
「あの女何なの?」
低く呟かれた言葉にシアナは背筋を凍らせた。
「えっと、管理局の秘書です。局長とは長い付き合いなのですけれど……」
「何なの? 付き合ってるの?」
さらにどすの聞いた声で呟き、眉間のしわが濃くなる。
「え、いや、彼女は既婚です」
「局長と?」
すでにシアナの背は凍り付いていた。
「……いえ、別の男性です」
「そう」
その一言でエミリアはいつもの表情に戻った。
「シアナ」
横から掛けられた言葉に硬直が解ける。シアナは声の方へと振り向いた。
「キリア」
「挨拶は終わったようですね。よろしければ席を外して……」
シアナはエミリアの方を見ると、エミリアは微笑んで行ってらっしゃいと告げた。
シアナは一度お辞儀をして、席を外した。
「どうだった?」
「うん、怖かった」
「あれ、意外と正直」
シアナとキリアはそれぞれ飲み物を手にベランダに出ていた。
「いやーだっていつも以上に表情凍ってたんだもん。しかも局長に会った時だけ」
「へー局長ねー」
キリアはワインを口に当て、一口飲むと、あっと零した。
「局長を恨んでるっていう線はあるよな」
シアナは視線をぶどうジュースからキリアに移す。
「実は君が蘇ったのは管理局でだ。脳の破壊だったから記憶はボロボロだったっていう情報元は管理局から出た線が高い。となると、君はもしかすると局長やら研究員にやらに蘇らされたということが出てくる。実際にそう言う噂があるもの事実だ。エミリアはその線があることを知ってて、局長を恨んでるのかも」
シアナは再び視線を戻して、一口飲んだ。
「結局私は嫌われているのね……」
シアナの横顔を見て、キリアは何も言わずにワインを飲み干した。
しばらく夜景を眺めながら他愛もない話をしていると、ベランダの扉が開く音がして二人は同時に振り返った。
「あら、お邪魔だった?」
ベランダに出てきたのは銀の細身のドレスを揺らすエミリアだった。
「いえいえ」
キリアが張り付けたような笑顔でシアナの前に立つ。
「うふふ、私の悪口でも言ってらした?」
笑顔でそう言うエミリアにシアナはギクッとした。
「まさか。実は先ほど私がメイリア様に求婚を致しまして」
その言葉にシアナは顔を赤らめビックゥッと肩を跳ね上げた。
「あら! それはお邪魔様。で、どうなったの?」
「返事を聞き損ねてしまいました」
「あらら」
エミリアは体を横に倒して、キリアの後ろのシアナを見る。
「お返事はきちんと考えてからなさいね」
シアナは小さく頷く。
「そうね、あなたも結婚するのね。でも、世継ぎはどうするの? キリア、聞いたわよ。あなたアンドロイドなんですってね」
予想外の言葉にキリアは停止した。シアナはキリアの背を握る。
「やめてよ。意地悪言ってるんじゃないのよ、私。結婚式の日にでもそのことを証明してあげるわ。大きなプレゼントを抱えてね」
捨て台詞のように吐き捨てるとエミリアは踵を返して帰っていく。
「あ、それとね。あまり外にいると体冷やすから、気をつけなさいね」
最後にそう言ってようやっと部屋に入っていく。
二人はハアーと深くため息をついてその場にしゃがみこんだ。
「緊張したー」
シアナはチラッと顔を上げてキリアを見た。
気づいたキリアはニコッとシアナに微笑みかけるだけだった。
シアナはフイッと顔を背ける。
(あれって、本気かしら……)
シアナに顔を背けられて少し戸惑った表情を見せるキリアを尻目に、シアナは月を見ながら火照りを冷ました。
*
トントントン、とノックがされ、シアナは入室を促した。
「どうだった?」
入室するなりシアナに問いかけられ、キリアは手を広げる。
「もう、全然ダメ。城の者の話ではあてにならない部分も多いし、確証的なところまで潜ると何かしらブロックされる」
シアナは開いていた資料を閉じた。
シアナとキリアはシアナの過去と蘇った原因について調べていた。
というのも度々被験体と呼ばれる獣の姿が王宮周辺で見かけられているという。今のところ被害は出ていないものの厳重警戒が敷かれている。
シアナは人間の心配よりも獣の心配をしていた。獣が人間を襲うことはまず無いのだと言い張り、人間は獣に恐怖して敵意の無い彼が殺されてしまう可能性があると。
キリアは彼も人殺しだと言ったが、シアナは首を振った。
「確かに彼は人を殺しているのかもしれない。でも、彼が殺した人数より、人間が殺した獣のほうが圧倒的に多い」
キリアはため息をついてシアナに付き合うことにしたのだ。
「もうさ、管理局局長に直接話を聞いた方が早い気がする」
「奇遇ね、私もよ」
二人は頷いて部屋を出た。
移り変わる景色の中でシアナはキリアの情報を聞いた。
メイリアは管理局で被験体によって殺害される。その後、キリアが暴走した馬に踏みつぶされて死亡。キリアは無事だった脳を機械にはめ込むことで、アンドロイドとして復活。その際にメイリアがシアナとして生活していることを知る。
「そのとき森の外れで生活しているのは、死んでしまった際に混雑し、ボロボロになった記憶で脳がショートしてしまうことを恐れたからだって聞いてた。脳が正常に働くことを確認するために、一般家庭で生活してるって」
シアナの復活を放送しなかったのは、もしもの場合を考えてだ。キリアの死亡事項は世間に公開されておらず、キリアは人間として今まで通り生活していた。
シアナの脳の異常をきっかけに、このままシアナを放置するわけにもいかなくなったため、王宮に連れ戻してきたのだ。
「でもそのとき特に検査とかしなかったわよね?」
「経過観察になったんだ」
キュイ―――ィと甲高い音を立てて車が停止した。シアナとキリアは同じように前の座席に額をぶつける。
「この車は相変わらずね」
「シアナが茫然として連れて来られた時も、こうなって、思わずしかめたよね」
二人が車を降りると、目の前には懐かしい管理局が悠然と立っていた。その扉の前には、一人の男が静かに立っている。
「ようこそ、動物管理局へ」
右手を左肩に乗せる最敬礼をするその男は、この管理局を六年前から指揮する、局長だ。
扉が開かれ、局長に続いて二人は管理局内に入った。
「それでお話があるとかないとか」
通された部屋は客室ではなく、局長室だった。秘書のユウリがティーを二人に出して足早に去って行く。
先に入れていたのか、局長はコーヒーをすする。
「ええ。まどろっこしいことはなしよ。単刀直入に言うけれど、私の過去の出来事、それからどうして息を吹き返したのか、教えて頂戴」
真っ直ぐに目を見て言うシアナに、局長は一息つく。
「で、それを知ってどうしますか? 正直、これからを生きていくために必要な情報でもないと思いますけど」
「知らないといけないことなのよ。これからのために」
「どのように、必要なのでしょう」
「知らないまま王座に着けと? 国民に不安を抱えたまま政を行うなんて、絶対にできなどしないわ」
「国民は特に不安があるようではないですけどね。正直、貴女が知りたいだけではありませんか?」
シアナはうぐっと口をつぐんだ。正直、自分が知りたいのは自分のためなのだと、心のどこかではハッキリとわかっているからだ。
「局長」
ここでキリアが口を挟む。
「どうしてそのようなことが情報を知ることに必要なのでしょうか? まさか、王の器に忌まわしい実験をしているなど……ありませんよね?」
キリアは半ば本気で怒っている。愛する者を傷つけられていたら許さないとでもいうかのように、局長を睨む。
局長は少し口角を上げ、
「ふは、ははは」
と小さく笑った。
二人は静かに局長を見つめる。
「良いでしょう。本当のことを話しましょう」
局長は居住いを正して、シアナを見つめた。
「貴女が知りたいこと、私は確かに知っていますが、それをお話しするには、まだ時期尚早かと思います」
シアナは懐疑的な表情を浮かべる。
「貴女がが自分で蓋をしておられる記憶を、私がそんな簡単にお話しすべきなのでしょうか?」
シアナはえっと目を丸くする。
「それなら、記憶が作られていたという件はどうお話になりますか」
キリアは、何も言えぬシアナの代わりに局長に問う。
「あれはシアナの記憶を隠すためです。自分で記憶喪失にするほど辛い記憶を、本当になかったものにするためのものです。しかしまあ、予想外に破られてしまったんですけどね」
局長は立ち上がって窓に近寄った。
「あなたはすでに何度か記憶が断片的に思い出している。ならば私が話す必要などないでしょう。時が来れば直、思い出しますよ。貴女が本当に王の器なのなら」
シアナが立ち上がり部屋を退出した。その行動に少し戸惑ったキリアも慌てて後を追った。
誰もいなくなった局長室。窓を見ながら局長は暗い表情を見せた。
「記憶が全て戻ったとき、貴女が消えてしまわないことを祈りますよ」
局長が恐れているのはシアナが記憶を取り戻すことではなかった。その先、シアナが記憶の断片に飲み込まれてしまうことを恐れていたのだ。
その姿を見ていたユウリは、シアナが歩いて帰ったであろう道を、暗い顔をして振り返った。