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動物少女  作者: 愛姫
第一章 メイリア・ドリシナ・ティール
6/12

アイ・哀・愛

 洞窟の中、シアナはうずくまって考え込んでいた。自分の戻ってしまった腕を強く握りしめて。

 一点を見つめたまま動かないシアナにテニトカは少し不信感を抱いて、尻尾で突いてみた。

「何?」

 ようやく視線を逸らし、こちらをみたシアナにテニトカはため息をついた。

「何、ではない。昨日からずっとその格好で無言ではないか。死んでしまったかと思うだろう」

「私が死なないって知ってるくせに」

 皮肉げにシアナがそう言うと、テニトカはハハッと呆れたように笑ってみせる。

「お前のことについて知っているかもしれない人間が現れた。でもそいつは簡単にシアナを斬って見せた。別にお前が行きたいというのなら止めはしないが、そう易々承認するのは無理だな」

 シアナは再び一点を見つめる。

「というか考えすぎても意味ないぞ」

 テニトカはそう言うと、森の見回りに行くといって出て行ってしまった。


 シアナはしばらく考え込んでいたが、テニトカが言っていたように、考えても浮かんでくることなど特になくて、立ち上がった。

「暑い……」

 真夏は森の中でもじめじめして暑かった。フラフラとシアナは洞窟を出て行く。


「キャハァ!」

 バシャバシャと水しぶきをまき散らしながら、シアナは川遊びにいそしむ。

 最近暑い日が続いていたので、ここの川を見つけてからは毎日のように遊びに来ていた。

 いつもはワンピースを脱ぐものの、今日は昨日付いた血を洗い流すことも兼ねて、ワンピースのまま川に飛び込んだ。

「やっぱ取れないかー」

 予想はしていたものの、やはり血は取れなかった。こびりついてしまっていて、擦ってみても全くと言っていい程取れない。

 しかしこのままでは他の動物たちが血に脅えてしまう。

 もう一度大きく息を吸い込んで潜ろうと構えた時だった。

「おや? これはまた呑気ですねぇ」

 昨日聞いた声が背後でした。シアナは驚いて後退しようとし、水コケに足を滑らせてそのまま水に沈む。

「ブハァッ! げほっゲッホっ!」

「アハハ、大丈夫?」

 彼は盛大に咳き込むシアナをみて微笑む。

「なっなんで?!」

 水を拭うシアナにまた彼は微笑んだままだ。

 不審に思ったシアナは今度は足元を確かめながら攻撃態勢に入る。ちらっと彼の腰を見たが昨日の剣は無かった。

「あれ? 今日は剣を持ってきてないんだけど……」

「剣が無くても、あなたはアンドロイドでしょう?」

 彼はアンドロイド。テニトカをあんなに軽々と吹っ飛ばすほどの脚力を持つ。例え武器を持っていなくても危険だ。

 いや、彼自体が武器のようなものである。なおさら油断などできるはずがない。

 彼は少し悲しげに微笑んで、

「あ、ですよねー……」

 と零した。

「あ、でも、今日はそんなことじゃなくて」

 そう言い直した彼は後ろに置いていたケースから布を取り出した。

「はい、これ服。昨日俺が破いてしまったから。その様子からだと血も落ちなかったんだろ?」

 シアナは呆然と彼を見る。

「あ、これだけじゃなくて他にも何着か持ってきたから、好きなの着て」

「いや、え? え?」

 シアナは困惑して首を左右に動かして服と彼とを交互に見比べる。

「あれ、要らなかった?」

「いや、服は正直嬉しいんだけど……なんで? ていうか、口調が昨日と違うんだけど……」

「あ、今日は俺だけお忍びで来たんだ。俺以外に人間はいないから安心して。あと、あの口調は建前だけだから」

 そう言うと彼は立ち上がって、ズボンに着いた泥を払った。

「じゃあ俺は仕事があるから帰るけど。ちゃんと体は拭いとけよ、風邪ひくから」

 空のケースを持ち上げ、背を向けた彼をシアナは呼び止める。

 彼は少し驚いたようにこちらを振り向く。

「あの、名前……。わ、私、シアナ・カルウ」

 彼は瞬きを数回繰り返すと満面の笑みを浮かべた。その顔にシアナは少しドキッとした。

「知ってる。俺はキリア・モーネス」

 彼はただそう告げてまた背を向けて歩き出した。


      *


「テニトカー、私の若葉色の服見てない?」

「知らん。……というよりシアナ」

「姫、これでしょ」

 テニトカはこの洞窟にいまだに見慣れない紫の髪の男と、その男から服を手渡してもらっているシアナを、遠い目で見やる。

「なんでこの男はこう毎日来るんだ」

 もちろんテニトカの事だ。一番初めにノコノコとやってきたときは追い返そうとした。

 が、シアナがそれを止め、それ以来、なぜか毎日のように顔を出してきていた。

「別に危害も加えないし、ちゃんと帰るんだからいいでしょー」

「いや、でも、馴れ馴れしすぎるだろう」

「別にいいじゃん」

「何? 虎がやきもちでも妬いてるの?」

「そうよー」

「おい、なんかよくわからないが、馬鹿にされたことはわかったぞ」

 シアナが笑うとキリアも笑う。その光景を見て、テニトカは仲間外れにされたような気持ちで黙り込む。

「おっと、そろそろ時間だ。帰るな」

 少しいびつな懐中時計を見て、キリアは立ち上がる。

「うん、気を付けて」

 シアナも立ち上がると彼を洞窟の出口まで見送る。

 そんな二人を見ながらテニトカはムスッとした表情を浮かべた。




「何よー。どうしたのよー」

 洞窟の中に戻ってくると、テニトカはムスッと居座っていた。そんなテニトカを見たことがなかったシアナは面白がってテニトカを指先で突く。

 テニトカはそんなシアナを一度見やると再びムスッとして顔をそむけた。

「テニトカ? 本当にどうしたの?」

 あまりにも不審なテニトカに、シアナもそろそろ本当に心配になってきて顔を覗き込んだ。

「お前さ」

 ようやく口を開いたテニトカにシアナは安心しながら言葉を待った。

「あいつに恋していないか?」

「ひぇ?!」

「図星か……」

 顔を赤くさせたシアナに、テニトカはため息をついた。

「まあ、別にいいけど……。あまり信用するなよ」

 シアナはパクパクさせていた口を閉じると、膝を抱え込んだ。

「わかってる。それに恋してるって言ったけど、そんなのわかんないよ。ただ彼はよくしてくれるし、お話も面白いし、笑顔が可愛いってだけよ」

「どうだかね」

「むぅ……」

 今度はシアナが頬を膨らませる。それにテニトカは優しく笑って顔をすり寄せた。

「俺は、絶対にお前を裏切らないからな」

 シアナは眼をパチクリさせる。そして後から嬉しさが湧き上がってきて、テニトカの首に勢いよく抱きついた。

「大好きよ、テニトカ」

 シアナとテニトカは暗く冷たい洞窟の中で笑い合った。


      *


「♪」

 歌が聞こえる。何と言うタイトルかも、その歌詞がどこの国のものかもわからない。優しい、子守歌のような歌だ。

 その歌は森の奥から響いてくる。いや、風がその歌声を運んでくる。

 キリアは歌のする方へと足を進めた。

 この歌はもうずいぶんと久しぶりになる懐かしい歌。よく彼女が風に乗せて歌っていた。


 森を進んだ先にある開けた空間。そこに彼女はいた。

「キリア!」

 弾んだ声。輝く太陽のように明るい笑顔。思わず昔の彼女が被って見える。

「あっ」

 歌が歌われていた間に集まったのであろう動物たちが、キリアの姿をみて一目散にシアナの周りから逃げ出した。

 少ししょんぼりとしたシアナにキリアは問う。

「あの虎は?」

 シアナは視線をこちらに戻す。

「テニトカなら誰かと話があるからって行ったきりよ」

 キリアは少しだけホッとした。何の安心感かはよくわからず、キリアは少し戸惑った。

 シアナはそれを別の意味に捕らえたらしい。手招きして自分の隣に座るように促した。キリアはそれに逆らうことなく従う。

 隣に座ったキリアの肩にシアナは頭を預ける。

「何?」

「んー、ちょっと寝ようかなーって」

 そう言って頬を少し赤くさせて照れるように微笑んだ彼女に、キリアはドキッとして顔を背けた。


 しばらく黙っているとやがてシアナの寝息が小さく聞こえてきた。

 キリアはその表情を見て、また過去のことを思い出す。




「なあ、なんでいつも肩に寄りかかるんだよ」

「えー、だって丁度良いんだもん」

 そう言った赤髪の長髪の少女はそう言って笑って目を閉じた。




 キリアはあの時と同じように、その赤い髪を撫でる。彼女はいつも撫でると微笑むのだ。

「ふふっ」

 キリアはハッとして手を止めた。シアナが彼女のように微笑んだのだ。もしかしたらもう笑わないかもしれないと思っていたため驚いてしまった。

 キリアは微笑んでもう一度撫でると自分もその瞳を閉じた。


 しばらく寝ていただろうか、木の葉を踏む音がしてキリアは目を覚まし顔を上げた。

「虎」

 目の前には黒白の翼を背に生やした虎が静かに立っていた。その毛は太陽の光でチラチラと光っている。

 虎はじっとキリアを見つめ、そしてその視線をシアナに向けた。やがて虎は後ろに回り込むと二人を包むようにして寝る体制をとる。

「あれ? なんでこんなに許してるの」

 そうテニトカに問いかけると、聞こえてか否か、いや、所詮はわかりはしないのだろうが、テニトカはチラッとキリアの顔を見てフイッと背ける。

「あ、別に許されているわけではないのか」

 シアナが望むなら受け入れるが、もし危害を加えようとすれば噛み殺す。キリアはそうとらえて再び前を向く。

 目の前には硬直した一匹のリスが佇んでいた。物珍しさに寄ってきたのだろうか。キリアはゆっくりと手を伸ばしてみたが、リスは慌てて逃げて行く。

 予想通りの行動にキリアは自嘲気味に笑った。

 しかしリスはただ逃げただけではなく木陰からこちらの様子を見ていた。

 そのリスにキリアは物悲しげに微笑んでみせる。

 するとリスはするすると走り寄ってくると、組んでいた手のひらに入り込んだ。

 驚いてそのリスを見るも、リスはくるりと丸まってこちらを見てはいなかった。

 そして辺り一帯のいくつもの気配に気づき、キリアは周りを見渡した。

 周りにはキリアたちを取り囲むようにたたずんでいた。そしてそれぞれ思い思いの場所に腰を下ろして行く。

 ありえない光景にキリアは困惑するしかなかった。

 突然、隣で寝息を立てていたシアナが噴き出した。

「あのね、私謝らないといけないと思ってたの」

 シアナの少し嬉しそうな声に、キリアも高揚を抑えて「何?」と囁く。

「前に、あなたにアンドロイドでしょうって言ってしまったでしょう? 本当にごめんなさい」

「なんでそんなこと」

「私、皆が寄って来てくれたことでわかったわ。あなたは確かにアンドロイドかもしれないけれど、あなたの心は確かに温かい」

 キリアは息を飲み込む。

 そんなことを言われたのはあの日以来だ。

 思わず涙が溢れて、頬を伝って落ちた。

「キリア? ごめん! そんなに気にしてたって思ってなくて!」

 そう言って涙を拭おうとしたシアナの手を、キリアは引いて、抱きしめた。手のひらのリスは足を滑るようにして転がり落ちる。

「ふぇ?!」

 シアナは顔を真っ赤にして口をパクパクする。

 キリアはただしっかりとシアナを抱きしめて涙を流し続けた。


「ありがとう」


 シアナはふふっと微笑んで彼を抱きしめ返した。


      *


「シアナ」

 いつものようにやってきたキリアにシアナは洞窟の中へ招き入れる。

 しかしキリアの様子がおかしい。いつもは悠々として笑っているのに、今日は挨拶したときから少し沈んでいる。

 シアナは向き合って座り、何かあったのかを尋ねた。

 するとキリアは、真剣な表情でシアナに向き直る。

「まず、これを聞いてくれ」

 キリアはそう言って小さな黒い機械を取り出した。それは形は歪だが確かなラジオだった。

 キリアは耳を澄ましながらダイヤルを回す。

 するとブブッとノイズが入り、やがて女性のような声がはっきりとしてくる。

『――ブブッ、今朝三時頃、シュルツワ地区の一軒家で女性の遺体が発見されました』

 驚いたシアナはバッとキリアを見たが、キリアは口に人差し指を立てて、ラジオに目を移す。シアナももう一度ラジオに気を集中させた。

『――と確認されました。遺体は右腕を肩から噛み千切られており、他にも腹部や足に大きな噛み跡があり、獣による被害であると推測されています。周辺の家庭からは大きな獣を見たという証言が上がっており、警察、軍はその獣を追っています。くれぐれも外出は控え、獣の襲来にご注意ください。証言には過去の王女殺害の獣と重なる部分が多数あり、軍は同一の獣であることを推測しています。過去の事件から六年。王女の命と引き換えに訪れた平和は、同じ獣によって壊されてしまうのでしょうか。……次のブツッ――』

 キリアは殺害のニュースが終わったことを確認してラジオの電源を落とした。

「こういうことで、俺たちは軍や警察を総動員してその獣を探しているんだ。だからこの森に人間が入ってくることだって考えられる。森の動物たちにはあまり外出しないように伝えておいて。そしてくれぐれも獣に気を付けて」

 キリアはそう言うと、シアナの質問する時間も与えずにそそくさと洞窟を出て行った。きっと捜索に出かけるのだ。もしかしたら皆の目を盗んで来てくれたのかもしれない。

 シアナは困惑しているテニトカに全てを説明した。

 テニトカはひどく驚いたが、やがて深く考え込むと、何かを決めたように立ち上がった。

「テニトカ、私に任せて」

 テニトカは驚いたようにシアナを見た。シアナは手でテニトカを制止させると、洞窟の外に少し顔を出す。口元に拳を持っていくと、息を吹き込みながら指を動かす。するとヒョロロロと甲高い鳥の鳴き声に似た音が出る。

 しばらくすると二羽の小鳥が滑空するようにシアナの目の前に止まる。

「どうしたの? シアナ」

 不思議そうな顔をした小鳥たちにシアナはひっそりとした声で用心深くさっきの事件のこと、森に人が入ってくること、獣に注意することを告げ、森中に伝えるようにと言った。

 二羽の小鳥は飛び立つと警告を叫びながら飛んでいった。

「よく、その技術を身に付けたな」

 テニトカは感心したようにシアナを見た。シアナはそれにただ笑って答える。


 しばらくすると小鳥たちが帰ってきた。

 しかし、何か慌てているようで、洞窟の入り口で騒いでいた。シアナが何事かと尋ねると小鳥たちは焦ったように話し、シアナは何を言っているのかわからなかった。とりあえず一羽が代表して話すように伝える。

「この森の一番端、研究所の付近であの獣を見たんだ! ひどい臭いだ。あの血の量はもう何人も人間を襲ってるよ。今のところ動物には被害は無いらしいけど、ほっとくと大変なことになる可能性だってあるよ」

 シアナはテニトカを見やる。テニトカは真剣な表情でシアナを見ていた。

「シアナ、お前が決めろ。ここで大人しくしているか、否か」

 シアナはうつむく。

 研究所というのはきっと動物管理局の方だろう。だとしたらここからはだいぶ遠い。ここにいればしばらくは大丈夫だろう。しばらくは。

 しかし、ここでしばらく身を潜めている間に、ことが大きくなったらどうする。これ以上犠牲者が増えれば、もしかしたら、森を焼き始める可能性だってある。もしかしたら動物をすべて殺そうとするかもしれない。

 そこまで考えれば答えは決まっていた。

「テニトカ、管理局まで」

 テニトカは頷くとシアナを背に乗せ、静まった森の中を駆けていった。


 管理局が近づくにつれ、血の臭いが濃くなっていくようだった。下を見ると草や泥に雑じって血がついている。

 管理局の一本道に出る寸前でテニトカは止まった。シアナはテニトカの背から降りると、茂みに身を潜めて獣を探した。獣を目の当たりにしてシアナは息を飲んだ。

 獣はすぐ目の前に居た。獣は獣というよりも怪物と言う方がしっくりくるような気がする。体は虎ほどの大きさだが、大きなたてがみがある。ライオンのようだが、皮は継ぎ接ぎで、所々、全く違う毛が生えている。体のあちこちには鉄製のような管がいくつも生えるようにしてあった。

 獣は眉間にしわを寄せて威嚇している。視線の先を見ると、軍と管理局の職員が対峙しているのが見てとれた。

 その人間たちの中に紫の髪の男、キリアがいるのが見えた。その前には大きな大砲のようなものがある。

(まさかあれで撃つつもり?!)

 やがて局長が手を上げる合図に職員、軍隊が銃を構えた。

 心臓がドクンと大きく打つ。手足が震える。

 局長が手を振り下ろすのがゆっくりに見える。

 シアナはフッと息を吸いこんで茂みから飛び出した。

「やめて!」

「シアナ!!」

 シアナは獣の前で手を広げる。テニトカの声が聞こえたがもう、答えることはできない。

 キリアの口がゆっくりと、シアナ、と零した。

「シアナ?! どこにっ……。それよりも、あなた! 早く逃げなさい! その怪物に食い殺されるわよ!!」

 驚いた表情のユウリが、必死の形相でそう叫んだ。

 シアナは断固として動こうとしなかった。

「人間……」

 その声にシアナはハッと振り返る。

 相も変わらず獣は威嚇をしていたが、正気を無くしているわけではないようだ。シアナは深呼吸して話しかける。

「私は、シアナ。シアナ・カルウ。私はあなたの言葉がわかるわ。あなたの名前は?」

 獣は少しだけ瞳を揺らす。

「名前な。名前は無い。生まれた時からずっとだ。でもお前たち人間は俺を『怪物』だと呼ぶのだろう?」

 獣が話してくれたことにホッとしたものの、その獣の問いかけにシアナは答えてはやれなかった。

「そう、名は無いのね」

「シアナ! 退きなさい!」

 ユウリの声が会話を裂いた。シアナは少し大人気もなくムッとして振り返る。

「どうして殺すの?! 彼が何をしたの?!」

「人を殺したわ! もう何人もね」

 そう言われてシアナは言葉が詰まる。真っ当な言い分で返す言葉がない。でも怒りはふつふつと溢れ出す。

「それでも、もとはと言えば人間のせいじゃない……!」

 声が届いたかはわからない。

 ユウリが何かを言おうとしたところで、キリアが肩に手を置いて何かをユウリに伝えた。

 ハッとしたのはキリアが動いたからだった。大砲の横に立つと、腕を上げる。

「キリア……?」

 シアナの声は聞こえないのか、キリアはそのまま腕を前に出す。

「打て」

「やめて、キリア!」

 シアナは叫んだが大砲の音でかき消された。

「逃げて!」

 シアナは後ろを振り返り、手を伸ばしたが、上から巨大なネットが降りかかる。

 シアナは機転を利かせてネットから抜け出そうとしたが、動くたびにネットが絡まるようになってやがて体が動かなくなる。

「テニトカ!」

 テニトカはすぐに飛び出してきた。

「彼を助けて。私がいれば撃たれることはないでしょう。はやく!」

 テニトカはシアナの言うとおりに、ネットを噛み千切り引き裂いた。あまり動かなかった獣はすんなりと抜け出し、一目散に森へと駆けていく。

 テニトカはシアナを出そうとし始めたが、シアナが慌てて止める。

「テニトカ、あなたは逃げなさい! もう人間が来るわ!」

「俺は、もう置いては……」

「行きなさい!」

 近づく人間たちを見て、テニトカはしばらく迷った末に振り切ったように森へと駆けだす。

 ホッとしたシアナは目の前に立った男を睨む。

「キリア、どうして……」

「私はね、あなたが手に入るなら何でもしますよ」

 彼の浮かべた微笑みにシアナは絶望の表情を隠せなかった。

「信じてたのに……」

 シアナは軍の人間に掴まれて、引きずられるように連れていかれた。




 獣は先ほどの身を挺して己を助けた少女を思い出す。赤髪の、緑色の瞳。

 以前に同じようなことがあった。あのときの少女も緑色の瞳を持った、長い赤髪だった。彼女も同じように身を挺して守りに入り、死んでしまったのだ。あのとき、赤い血飛沫を頭からまき散らし、目の前に倒れた。生気の無くなった緑色の瞳をよく覚えている。

 獣は過去から正気に戻ると、頭を振って、森の奥へと駆けていった。


      *


 移ろいで行く景色を車窓から眺めながら、シアナは生気を無くしてしまっていた。

(森が……)

 シアナは建物の隙間から見えた森に一瞬目を取られる。すると何もなかった、空っぽのようになってしまった心にフッと悲しみの水が湧きだしてきたようだった。

 しかし溢れて涙になるまでには至らなかった。


 しばらく車に揺られること数十分。ようやく王宮に着いたようで揺れが止まった。静かに扉が開かれる。先に降りたキリアに手を引かれるようにシアナは車を降りる。

 いつのまに身に付いてしまったのか、周りに見知らぬものが溢れるとつい警戒してしまうようで、あたりの確認をしてしまう。

 王宮と呼ばれた城は白塗りの壁で囲われていた。かなりの高さだ。逃げたとしても登れる気はしない。庭と呼ばれる所には申し訳程度に芝が生え、申し訳程度に木を植えられている。

「人……」

 零れた言葉のようにあたりには人がたくさん並んでいた。

「おかえりなさいませ。メイリア王女様、キリア大臣様」

 並んだ人々は口をそろえてそう言った。

 キリアは明後日の方向を見たようにして周りに殺気を放っているシアナに耳打ちする。

「あなたはメイリア様の生まれ変わり。そうなっています。まあ後で部屋で詳細を説明いたしますが、王と妃の前では私が対処いたします」

 シアナはキリアを横目で見やる。

「あなたは、本当はどっちなの?」

 キリアはその言葉に少しだけ笑っただけだった。


 大きな扉が開かれた先、王の席と王妃の席に二人が座っていた。

 王は赤い髪を束ね、緑色をした目を潤ませている。王妃は黒髪、黒色の瞳だが、王と同じように目に涙を浮かべている。

 キリアと共に歩いてその二人にかしずく。といってもキリアがそうしたのでシアナも真似しただけだ。

「王よ。姫君をようやっとお連れいたしました」

「うむ。メイリア、よくぞ無事で」

 シアナは怒りが込み上げてくる。

(何が無事だというのだ。何が)

 心は相当傷ついた。無事ではない。傷だらけだ。修復も不可能なほどに心には深い傷が刻まれている。

 しかしここで怒れるようなことをしてはいけないと何かが押し止める。

 あまりに黙ったシアナに、王は怪訝な表情を浮かべる。

「メイリア?」

「王よ。姫は長い間王宮の外で苦労して生活しておりました故、大変お疲れでございます。どうか、部屋へご案内させてくださいませ」

「そうか。それはすまなかったな、メイリア。つのる話はあるが、部屋でしっかり体を休めよ」

 キリアとシアナは王に一度深く礼儀をすると、王室を後にした。


 キリアに案内されるまま、シアナはある一室へと入った。

 部屋には美しくも子供らしい調度品が置かれており、何故か懐かしい気がした。

「うっ」

「シアナ!」

 突然の頭痛と目眩にシアナはその場に倒れこんだ。キリアはシアナを抱きかかえる。

「シアナ、頭痛か?」

 キリアの問いかけにまともに答えられない。いや、答える気さえなかった。

 この優しさも表面だけ、上辺だけ。そう思うととてつもなく何かが込み上げてきて、口を開けば零してしまいそうだった。

 所詮すべてが嘘なのだ。

 そんなことを考えている間に頭痛は治まり、シアナは立ち上がって窓辺へ歩く。

 窓からはシアナがいたのであろう山が見えた。

 窓際で立ち尽くすシアナの背中を見て、何も話すことができないと判断したのか、キリアは無言で部屋を出て行った。

 それを機に窓辺のソファに腰をかけ、しばらく外を見たのちに、窓枠に顔を預けて泣いた。


 キリアは自分の部屋に戻ると、椅子に腰かけ、机に膝をつき、ため息をついた。

 横を見ると全身の映る鏡に、ふてくされたかのような表情の自分がいた。

 その姿を見てもう一度ため息をつく。

「シアナ……メイリア……」

 シアナは今何を考えているのだろう。

 シアナは過去のメイリアである。

 キリアはメイリアを愛していた。おそらくメイリアもキリアには恋心を抱いていたはずだ。

 シアナがメイリアであれば愛することは当然だ。

 しかしキリアは引っかかっていた。

 シアナは本当にメイリアなのか?

 確かにメイリアと同じような言葉を発するし、似たような仕草をする。しかし一方ではメイリアらしからぬ言動があるのも事実だ。

 シアナを愛して、本当に良いのだろうか。

 ――ガンッ!

 突然、思考を遮るかのように壁が大きな音をたてた。その音は一回だけでなく、何度も連続して発せられる。部屋の外からは使用人たちの足音がバタバタと大きくなっていく。

 キリアは慌てて立ち上がり、椅子からズッコケた。間抜けな声を出しながらも、急いで部屋を飛び出した。


 目の前にあるのは何だと、脳内はグルグルと勢いよく回り、頭が真っ白になる。

 一度呼吸を整えたキリアは現状を理解し始める。

 血に濡れた窓と床。たくさんの使用人たちに囲まれて、兵士たちに取り押さえれているのは、真っ赤なシアナだった。

 ふっふっ、と荒い息を上げるシアナを見て、決心した。

 キリアは一つ息を吸い、足を進める。

 キリアが来ることに気づいた使用人たちは慌てて道を開ける。

「放せ」

「しかし、このまま暴れては……」

「放すんだ。これは命令だ」

 キリアの命令に、兵士たちは渋々と言った様子でシアナから手を離した。

 兵士たちの腕から解放されたシアナは、再び窓ガラスへと体当たりをしようとして、キリアに両腕を取られた。

「放してっ」

「姫様、体が壊れます」

 体などもう再生されていることは知っていたが、あえてそう言った。

「うるさいッ」

 なおも暴れ狂うシアナの耳にキリアは使用人たちには気づかれない程度の声で囁いた。

「頼む。やめてくれ、シアナ」

 弱々しく、しかしながら意思のこもった呟かれた言葉。

 シアナはしばらく震え、そして「ふぇあ……っ」と零すと堰を切ったように泣き出した。

 声を出して泣くシアナの髪を撫でながら、キリアは静かな声で、使用人たちに退室を促した。


 シアナは今までの分を出すかのように、大量の涙を流す。一度出てしまうと後から後から零れだして、なかなか止めることができない。

 キリアの服を鷲掴みにしながらシアナは泣き続ける。

 長い間泣きつづけていたが、その間キリアはずっとシアナの髪を撫でていた。

 涙が止まるとキリアはシアナをソファに座らせる。そしてキリアはポケットからハンカチを取り出して、シアナの血と涙でぐちゃぐちゃな顔を拭った。

「ほら、綺麗」

 そう言うとキリアはシアナの隣に腰を下ろした。

 しばらくの沈黙で居ずらくなったのか、シアナがキリアの方を見ると、キリアは微笑みを浮かべた。

 シアナは目が合ったことに驚いて前に視線を逸らす。

 そして気付く。自分はキリアに恋をしていることを。

「キリア」

 ずっとシアナが口を開くのを待っていたのだろうが、キリアは何気なく「ん?」と応える。

「私、何を信じればいいのか、わかんなくなって……」

 再び泣きそうになって、溢れそうになった涙を堪える。そのため語尾が小さく、震える。

「んーそれはさ、結局自分なんじゃない?」

 キリアはさらっと答える。が、シアナは首を傾げた。

「俺を信じろ、なんて格好良いこと言えない。君をこんなに傷つけた自分を今でも悔いてるし。君は俺を信じれる?」

 強気な口調で言われると、シアナは返答に困る。

「そう、確実に信じれるモノなんてないんだ。自分で言うのもなんだけど、俺は君をひどく傷つけた。許されないことだ。テニトカだって、助けなかった。過ごしてきた日々を否定され、過去が矛盾し、混乱しているのに、姫である自覚をしろなんて、できるわけない。信じれるはずがない。それでも生きなければいけない世界で、君は今まで誰に道を決定してもらってたの?」

 シアナはキリアの話に胸を打たれたかのようにしながら、次の言葉を待つ。

「結局はさ、自分が信じれるのは、自分の道を決めていくのは、自分なんだよ」

 キリアがそう言ってはにかんだ。

 柄にでもないことを言ったと思っているのだろうか。少し紅葉した笑顔が愛らしく思える。

「ありがとう」


 シアナのそう言ってはにかんだ顔に、キリアは大きく胸が高鳴る。

 そして同時に、シアナを一生守って行こうと決意した。

 不意に手を取られ、動揺した瞳がキリアを映す。

 キリアは少し微笑むと、取った左手の薬指に口をつける。

 シアナはかなり動揺したが、振り払うことはなかった。

 やがて放された薬指には、キスマーク。

「なっ、な……」

 顔を真っ赤にするシアナ。

「あ、最初は口が良かった?」

 キリアが冗談半分で口を近づけると、

「っ~~~~っ!!」

 声にならない悲鳴を上げ、キリアを突き飛ばすと、シアナは扉にダッシュした。

「ちょっ、シアナ?!」

「お風呂行ってくる!!」

 バタンッと慌ただしく扉が閉まる。

 直後、女性同士の悲鳴が聞こえた。おそらく突然飛び出してきた血だらけのシアナに驚いた使用人と使用人自体に驚いたシアナの声だろう。

 キリアは転げ落ちた床から立ち上がると、突き飛ばされた顎を抑える。

(半分本気だったけど……)

 バタンッ。とまた唐突に扉が開かれ、キリアはビクッとした。

「キリア、お、女の人が、倒れちゃった……」

 冷や汗を浮かべるシアナに、キリアは呆れた笑顔を浮かべた。

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