「私たちは生きていく」
暗い景色の中、徐々に金属のぶつかり合うような音が聞こえ始め、シアナは目を覚ました。
景色には色が付き、鮮血と火薬の臭いが鼻につく。
「シアナ?! 意識を取り戻したのか」
斬りかかる兵士を抑えながら、横目で起き上がるシアナを確認した。
「頭痛い……」
シアナは頭を抑えたり振ったりした。頭痛は止まない。これも副作用かもしれない。
キリアは汗をかきながら必死でシアナの方を見、手伝ってほしいことを目で訴えるものの、シアナは全く見なかった。
「はっ! テニトカっ」
それどころか、名前を言うが早いかキリアを一切見ることなく走り去る。
「えっ」
キリアはシアナの行動に驚き、急いで目の前の男を気絶させると、シアナに続いて走り出した。
気絶する前に男が、余裕じゃねーかと思ったのは言葉にするまでもないだろう。
しばらく行った先に戦闘の真ん中で倒れているテニトカを見つけた。その周りにはテニトカのものと思われる血だまりができている。
「テニトカ?!」
倒れている姿に、シアナは正直驚いた。リイナが昏倒し、シアナが起き上がるまで最低でも十分はかかっているはずだった。能力があるならとっくに治っていてもおかしくない。それにもかかわらず、いまだにテニトカはぐったりと倒れこんでいる。
「なぜ傷が塞がっていないの?」
駆け寄ったシアナの声が聞こえてか、テニトカはゆっくりと目を開けた。
「いや、傷は塞がっている。だが体力が徐々になくなっているんだ」
シアナはもちろんのことテニトカでさえもこの状態に陥ったことはない。これもまた副作用なのか。
兎にも角にも、動けないのであればここで休んでいる方がいい。
「じゃあ、ここで休んでて。私が――」
シアナが立ち上がろうとしたとき、テニトカは大きな翼で行く手を阻んだ。
「これでも森のリーダーだ。重要な時に役に立たずにどうする。乗れ。そのために今まで休んでいた」
少々ふらつきながらもテニトカは立ち上がり、シアナを促した。正直、気が引けたものの、テニトカの真剣なまなざしを見て、シアナは意を決し、背中に飛び乗った。
*
テニトカに飛べるほどの体力は残っていなかった。戦闘の中を駆けていくしかない。
キリアに援護を頼み、テニトカはただ足を動かした。
リイナを止めたサリー。最後に見せたあの顔には、リイナの心配はもちろんだったが、何かを覚悟したような表情をしていた。
シアナは嫌な予感が的中しないよう、王宮へ急いだ。
リイナはメイリアと一緒になって、メイリアの記憶を見た。メイリアが隠していた記憶を見ていた。自分がこうなった原因を彼女は知っていたのだ。だからリイナはそいつを恨んでいた。そいつだけには何とかして罰を与えたいと。
その話はサリーも聞いた。
すべてはメイリアの姉の仕業であることを。
メイリアがメイリアとして亡くなる数日前、たまたま局長と姉との会話を聞いてしまったのだ。二人が恋仲であることは知っていたが、殺す、というワードが気にかかり、つい聞き耳を立ててしまった。
「……に、あの化け物を放すのよ。で、あなたたちがそいつを殺すの。これであなたの位も上がるわ」
「そんなことしたら――」
「もちろんメイリアが飛んでくるでしょうね。だからそこで私が殺すわ。そうしたら私が女王になれる。あなたは国王よ。悪くないでしょ」
メイリアは驚いて耳を離した。そして、なんとか姉の企みを阻止せねばと、姉の行動に注意を払っていた。
それからあの事件が起こった。なんとか阻止するために飛び出したものの自分が殺されてしまった。
サリー、どうか、はやまらないで。
そう願いながらシアナは急いだ。
この惨劇を見ながら、局長は、自分が起こした罪の重さを実感していた。すべてを知るのはこの男だった。メイリアの姉、エミリアと国中を混乱させる事件を起こし続けた。何万という犠牲を出し、自分はこういう惨劇を起こしたかったのかと、反省していた。
欲に溺れた自分が、あのときに抵抗していればと、後悔しかない。
――もう、死ぬことでしか償えはしない。
局長は自らの剣を己に向けた。
一度深く息を吐き出し、一気に吸い込んだとき、手に持つ剣が弾き飛ばされた。
「早まるな! 局長!」
キリアが先行し、局長を押さえつけた。後に続いてテニトカに乗ったシアナが局長の前に立った。
途端に局長が子供のように泣き出す。
「シアナ、ごめん……。全部エミリアと俺のせいだ。君を事件に見せかけて殺し、続いてキリアまで殺した。殺したくせに生き返らせるし、そのためにまた犠牲を出した。君だってそうだ、虎君。俺が主導のもと実験して、キメラをたくさん作りだした。その過程でもたくさん殺した。今のこの惨劇も俺のせいなんだ」
もう死ぬしか償えないと思ったと弱弱しく呟いた。
シアナはテニトカから降りると、うつむいてただ泣く局長の肩をつかんだ。恐れながら局長が顔をあげると、そこにはあの堂々とした大人の品格などどこにもなかった。
「あなたは勘違いしている。あなただけが悪いわけじゃないわ。あなたが悪かったのはエミリアを止めなかったことよ。愛しているなら止めなさい。過ちを正すの」
「もう、遅いじゃないか」
「遅くはないわ。私がお姉様を止めてくる。あとはあなたに託すわ」
そう言い終えるなり、シアナはテニトカに飛び乗り、王宮へと向かった。
もう門を抜ければ目の前だ。
*
サリーは王宮の壁を岩のように飛んでいく。一番頂上に余裕な表情で腕を組む女性だけを見つめていた。
たった一撃でよかった。たった一撃をあの女にぶつけたかった。
もう目前だった。その女にとびかかったとき、女が余裕の表情のまま拳銃を構えた。
二人が脅威を交えるそのとき、国中が凍った。
エミリアの前には腹に赤いシミを作るシアナ、サリーの口元にはテニトカの腹があった。
あまりの衝撃にサリーは慌てて口を離す。途端に倒れるテニトカ。床には血が広がっていく。テニトカはたった数秒後に息を引き取った。
シアナもゆっくりと崩れ落ち、駆けてきたキリアに支えられた。そのキリアも満身創痍。今まで限界に近い速度で酷使した足は黒く焦げ、煙さえ出ていた。
「シアナ、シアナ!」
キリアの呼びかけにシアナはゆっくりと目を開ける。腹の傷は塞がっていない。
「迷惑ばかりかけて、ごめんね。でも、あと……」
シアナの口から溢れた血をぬぐうと、キリアはシアナを支えて歩き出す。
「いいさ」
王宮から見た景色は何とも悲惨で、シアナは胸が握りしめられるように痛んだ。
駆けるときには気づかなったこの戦いの広大さが、壮絶さが、目前に広がっていた。
今は戦いが止まり、動物が、人が、この国中が、シアナを注目していた。
シアナは今息を吸い込み、吐かねばならない言葉を叫んだ。
「もう、争い合うのはやめるのです! 我々は手を取り合いながら生きていかねばなりません!」
「手を取り合うですって?」
国中が静まり返る中で一人が口を開いた。
「キレイごとを抜かさないでくれる? 反吐が出るわ」
シアナはエミリアにしっかりと向き直った。その強い目を見て、エミリアはいつものように口を歪め、そして笑った。
「見なさいよ、この惨劇を! 人と動物は互いに殺し合っているじゃない! こんな状況でどうやって手を取り合うのよ!」
高らかに笑うエミリアに、シアナは瞳を動かすことなく見続けていた。
「わかっているわ。でもできないことはない。なぜなら元凶が私だからよ」
「そうよ! すべての元凶はあなたよ! だから死んで」
再びエミリアが銃を構えたが、速攻でキリアが弾き飛ばした。
「その元凶を作ったのは、誰なの。お姉様」
はぁ? としらをきるエミリアにシアナは意を決して口に出した。
「知ってるのよ。あなたが犯してきたこと」
エミリアは息をのんだ。
「私を恨んでいること、殺したこと、そのために多くの命を犠牲にしたこと」
国中が静まり返る。
「あなたがこの国の頂点に立ちたいことを知っている」
エミリアは鼓動が早くなるのを感じた。それは核心につくことを言われているからだろうか、それとも。
「でも、あなたがこの国の王になる資格があるの?」
国中の目が冷ややかに己を捉えているからか。シアナの声は大きい。物理的にではなく、世の中に広まるのが早いのだ。それは上に立つ者のカリスマ。才能。そして、シアナの声は種を超える。
今や、国中がエミリアの敵となったのだ。
「あなたは私を殺そうとした時から、王になる資格がないのよ」
「王になる資格がない? そんなことわかってるのよ。あんたが生まれた時からね」
エミリアは崩した足で再び立ち上がる。
「この国の王になる資格は人徳なんかじゃないわ。『赤い髪』『緑の瞳』それだけなのよ。何なの? 自分にはその資格があるって粋がってるのっ?」
エミリアは相当怒っていた。それに対してシアナは呆れたように悲しそうに呟いた。
「見た目にそこまでこだわっているのはあなただけよ。私は今ここに宣言する」
シアナはエミリアから目をそらし、こちらを静かに見つめる国民へと向き直った。
「私がこの国の王として、国を治めることはありません! 私はこの国を混乱させる原因を作り、なのにそれに気付いてなお、この混乱を避ける努力をしなかった。私は王にふさわしくない。その原因は、古くから伝わる王の資格。私はそれを取り消したいのです。これは私が王女として言うのではありません。国民の一人として訴えているのです。これから王になるものは国民に選ばれた者としたい。賛成する方はぜひ声をあげてほしい」
しばらく国民は静まり返る。そして静かにざわざわと声が広がっていく。
そして最初の一人が叫んだ。
「賛成! 賛成!」
最初の男が叫ぶと、その男のもとから広がっていくようにその声は国中に響いていく。
「これであなたが恨んでいた『資格』は消える。わかる? もう誰でも王になれるのよ」
エミリアはシアナの横から国を見渡した。だが、見られる視線は冷ややかなものだった。
「そんな目で私を見ないで。私を見るなあああああ!」
エミリアは叫び、頂上から飛び降りようとした。
だが、シアナがエミリアを押しのけ、自分がそのまま落下する。
「私たちは生きていく。命をっ繋いでっ」
その声がどれだけの人間に聞こえただろう。きっとその声が届くことはなかっただろう。皆、茫然と、圧巻とシアナが落ちる光景を見ることしかできなかったのだから。
*
数日経って、シアナの葬式が国中で行われるとともに、今までに死んでいった動物への冥福を祈った。国民、動物、国中が涙した。
管理局の職員達は今まで行ってきた実験内容、事件の全貌を明らかにした。そしてそれが王宮ぐるみであることを告発。実験で何万もの命を使ってきたうち、成功したのがメイリアとリイナからのシアナと王鳥と白虎からのテニトカ、多種な動物を拒絶反応を無視しながらつなげた怪物と呼ばれた獣。人体と機械を融合させたキリア。シアナの遺伝子とキリアの遺伝子を人工的に融合させ、人体化した子供。その子供はエミリアが川に流したこと。すべての事件は王宮と管理局が起こしたことだとすべてを国民に話した。
エミリアは殺人罪と殺人未遂で無期懲役。局長も罪に問われたが、深い反省を考慮し、十年の懲役。国王は王の座を降り、今ではキリアが国を指示していた。だが王の座に君臨することはなく、あくまで大臣として動くこととなった。
*
「おかあさん、このぞうってなにしたひと?」
一人の幼子が母と繋ぐ反対の手を使って石像を指さした。
それはおよそ六年前に作られた一つの像である。翼をもつ獣の背に跨り、空を指す女性の石像。
母は静かにしゃがんで幼子とともにその像を見上げた。
「これは六年前にね、――」
歴史に残る事件とそれに終止符を打った少女の話をおとぎ話のように語った。
「あなたもシアナのような強い女になるのよ」
幼子は意味は理解していないが、もう一度像を見た。
そのとき一匹の犬が幼子に飛びついた。
「リン! ちょっと、あははっ」
幼子と犬が仲睦まじく遊ぶ。母親はその光景を柔らかな笑みを浮かべて見ていた。
命はつながれていく。どんな形になろうとも、たとえ多くの人の記憶に残らずとも、その人の存在が誰かの命を繋いでいくのだ。