第一章・驚異! 幻の大阪人は夢の国の奥地に実在した!
その日、生ける大阪は無駄に猛っていた。
「右舷に被弾は乙女の浪漫やッ」
広大な草原地帯を舞台に、東京モンが持つ間違った大阪のイメージを具現化したような
悪趣味極まる阪神ファン仕様の虎縞模様大型車が、文字通りの火の車となって黒煙を吐き
ながら全力疾走していた。
不意打ちを受けて大破した右側。酷く歪んだ車体。煙を吐きながら炎上する後部座席。
特に熱で溶けた食い倒れ人形と蟹道楽模型のオプションが縁起悪くて痛々しい。
ぶっちゃけ、こうしてまともに走行しているのが不思議なくらいのスクラップ状態だ。
いきなりだが、麻生香月探検隊が誇る大型ジープ『道頓堀☆三号』は、被害甚大で故障
間際の大ピンチであった。
「これで『オレはこの車と運命を共にする』とか決め台詞いうて殉死すりゃあ最高なんや
ろうけど、さすがにそうはいかへんなぁ」
ハンドルをめいっぱいに回転させながら、麻生香月は不敵に笑みを浮かべた。
この命にもかかわりかねない危機的状況を存分に楽んでいる。そんな笑みだ。
操縦者は十代半ばそこそこの少女であった。
クセの強いざんぎり頭の両側を髪留めで小さいキャンディヘアに纏め、顔付きは美少女
ながら少年独特の蛮性が色濃い。明朗快活で元気溌剌を全体的に感じる彼女のオーラは、
どう見ても清楚可憐なヒロインの貫禄とは無縁な下町のガキ大将のものである。
彼女はコレでも、選ばれし者だけが訪れることを許される【夢の国】の旅人であった。
ここは夢と現の境にある深層心理の70階段を下り、深層心理の果てに到る700段の
階段をさらに下った先、深き眠りの門を越えた向こう側の異世界【夢の国】。
善き夢も悪しき夢も問わぬ無限にして夢幻の世界。誰もが見る夢の全ては、この【夢の
国】の片鱗であり、砕片であり、湖面に映る月の如き幻に過ぎない。
そんな彼の幻の異世界を【現実】として自由に行き来する術を心得ている彼女は、俗に
【夢見る人】と呼ばれていた。
夢見る人としての最初の覚醒から冒険に次ぐ冒険を繰り返し、覚醒世界と呼ばれる現実
では一介の女子高生にすきない彼女だが、こちらでは凶暴なモンスターを相手に悪戦苦闘
の日々を送る、汗臭くて熱血三昧の探検家。ちょっとした選ばれし勇者様である。
今日で【夢の国】を巡る探検家生活も一ヶ月目。
そろそろ新米の垢が抜けて一人前の【夢見る人】として扱われる時期にさしかかろうと
する日数だが、どうもいまいち貫禄に欠ける。
たぶん精神年齢が中学生とさして変わらないせいだろう。
心は何時でも15歳。これが彼女のモットーであり乙女の浪漫だ。
「背中が熱く燃えるで~っ これぞ青春の味ってもんやっ」
比喩でなく、本当に車両の後部座席付近は火の海と化しており、青春の味とやらは彼女
の背中を容赦無くチリチリ焼いていたりする。
虎縞車体のドアにポッカリと開いた風穴。後部座席にゴロリと転がる赤子の頭部ほども
ある赤熱した岩石。炎石から車体に引火した火事はじわじわと火の範囲を広げ、散らばる
瓦礫にも炎は食指を伸ばしつつある。
煙を吐く機材に座席シート。片輪をやられてバランスを失った車体はがったんごっとん
とタイヤが回転するたびに縦横に揺れ、エンジンからは怪しげな蒸気が漏れ、どことなく
音もおかしい。どうも冷却装置がエンジンの発熱においつかないらしい。
運転を誤れば何時クラッシュしてもおかしくなく、見事に瀕死の状態であった。
大ピンチにも程がある。
彼女らは付近一帯を縄張りに持つバケモノ様に追われていた。
今日は天気もいいし、たまには別の地域を冒険してみようかと気紛れを起こしたのが、
そもそもの大間違いであった。
下調べもせずに知らない地域に車を走らせたら、そこは気性の荒いモンスターが最近に
なって巣を設けた縄張りになっていた。
おかげでバケモノ様の怒りをかい、いきなり領域侵害とみなされて不意打ちで襲われ、
不埒な侵入者二名はただいま必死の逃走劇の真っ最中である。
捕まったらまず喰われる。
基本的に【夢の国】の理は人間に優しくない。
「冗談じゃないよッ 昨日やっと整備が済んだっていうのに、半日もたたないうちに修理
行き決定じゃないかぁッ」
影の薄い身体を子猫のように動かしながら、助手席にいるサングラスの青年が消火器を
片手に泣きそうな顔で叫んだ。
「気にするんやないッ カーチェイスは乙女の浪漫や」
いや、たぶんそれは違う。
「もう、だから下調べもしないで順路を変えるのはヤバイってあれほど……ッ どわッ
あぐッ うわわわわわわわッ」
消火作業しながら文句を言おうとしたら、急に車体が傾いて青年は舌を噛んだ。
焼け焦げる後部座席の方を見ていて気づかなかったが、どうやら走行中に前方にある木
にぶつかりかけて、相方の少女がドリフトまがいの急カーブをしたらしい。
うかつに気を抜くと振り落とされる。
いつもながらこの隊長の無茶な運転には頭を抱える。
ここが障害物の少ない広大な平原地帯で幸いだ。もし障害物の密集する街中で彼女の車
に同乗なんてしようものなら、寿命が軽く十年は縮む。
「さぁて、そろそろエンジンもヤバい金切り声を上げ始めたのう。いきなり右舷にドでか
いもんブチ込まれて御立腹や」
「これは船じゃなくて車だけどね」
的確なツッコミである。
「そこはそれ、雰囲気ってヤツや」
言いながら香月がエンジンへ向けて耳をすませる。
たしかにエンジンから女のヒステリーのような金属が擦れる音が聞こえる。
どうやら冷却装置のパイプが数カ所ばかり破裂し、動力の放熱能力を失ったらしい。
このまま動力部を酷使すれば、オーバーヒートを引き起こすのに時間はかからない。
「ファンタジーのセカイなんやから、もうちょっと気張ってくれてもええのになぁ」
いっそナイトライダーや007よろしく、とにかく無駄に無敵な仕様の車ならよかった
のにと思う彼女だが、愛車にそこまでの期待を求めるのは、さすがに酷だったようだ。
荒唐無稽な夢の世界の中であろうと、そこに『車とはこういうものだ』という固定観念
というものがある限り、ある程度の現実的な法則は歪められないものだ。
「相変わらずキレやすい車やなァ。ま、そんなじゃじゃ馬を愉しむのも乙女の浪漫かな」
いけしゃあしゃあと香月は言った。
「この非常事態を乙女の浪漫の一言で片付けないでってば」
「そういわんといてぇな」
冷たく抗議する隊員一号の視線を受け流し、香月は全速力のジープを急停止させた。
「車の宥めすかしは頼むわ。このままやと追いつかれて今度こそ黒コゲや。ちょうどいい
実地訓練やし、車の応急処置は任せたで」
「まったくもう」
ようやく炎上していた後部座席の消火を終え、青年は消火器を備え付け部分に戻して車
を降りる。消火作業の次は修理作業だ。うっかり気を抜くヒマもない。
「追って来てる?」
「たぶんな」
双眼鏡で地平線の彼方を眺めながら香月。
「まだまだこの辺りはやっこさんの縄張りやからな。境界を出るまでは追ってくるやろ。
予測七分で追いつくってところかな」
「なるべく早く応急処置するよ」
青年は急いでボンネットを開け、普段ではありえない妖しい色の煙を噴くエンジンに水
をかけ、破裂したパイプにテープを巻いて穴を塞いで補強する。
修繕不可能な箇所はコックを閉めて冷却水の無駄漏れを防ぐ。空になりかけの冷却装置
には備え付けのタンクから水を補充する。
素人工事ではあるが手際のよい作業だ。
「動力の状態は?」
「各動力部に大きな破損は無し。燃料タンクも無事。ただ冷却装置と放熱器が二割損傷。
ちと厄介かな」
青年は瞬時に動力部の診断をする。
「応急処置はなんとかなった?」
香月が計器の針を見ながら問いかけた。
先程まで大幅に触れていた針が小康状態に落ち着きつつある。
どうにか動力暴走の危機は回避したようだ。
新米とはいえ、腐っても彼女が手塩にかけて育成している隊員の一人だ。
こんな故障も問答無用でベホマしてしまう、街で待機中の副隊長には遠く及ばないが、
広大な夢の国を冒険するための大切な足である自動車を、適切に応急処置する訓練は十分
に受けている。
「まだ不慣れやろうけど、しっかり頼むで」
「まかせんしゃい」
新米はこういうときにこそ実戦経験を踏まねばならない。百の訓練よりも一つの実戦、
これが師である香月の基本方針であった。
熱血隊長というものは、えてして隊員には優しくありながらも非常に厳しいものだ。
青年はエンジンの修理を終えてボンネットを閉じ、一足飛びで助手席に飛び乗った。
「あとは隊長の仕事ですよ」
「宇宙怪獣モチロンや」
青年の言葉に香月はニヤリと歯を剥き出して微笑んだ。
なんと挑戦的な漢の笑顔か。とても乙女のものとは思えない。
新米の雑務は終わり、ここからは熟練者の大仕事だ。
「これからあたしがやることを、よく見て勉強しておいてえな」
「安全運転の反面教師として?」
「なんでやねんっ」
そういう伝え方もある。
「これ、街に帰ったらどっちにしたって、明石焼きさんにドヤされるよね」
黒焦げの後部座席をジト目で見ながら青年が言う。
探索中のアクシデントとはいえ、よくもまぁここまで壊したものだ。
帰還後の副隊長の怒髪天が目に浮かぶ。
車体をヘコます程度ならばまだしも、ここまで見事としか言いようの無い破壊劇を繰り
広げられると、もはや言い訳無用だろう。
部隊の備品はみんなの備品。
たとえ隊長であろうと、みんなの足を壊した罪は咎められてしかるべきだ。
そうでなくとも香月は備品車両破壊の常習犯だ。今回の件でスクラップ寸前になった車
を入れると、夢見る人に覚醒以来、二十台目の大台だ。
本来、【夢の国】は原則として産業革命以前レベルの持ち物しか持ち込めない。
このテの時代背景無視なトンデモ製品を持ち込みするのは簡単なことではないのだ。
「ハリセンで頭殴られるぐらいで済めばいいんだけどね」
「気にしない気にしない。気にしたら負けや。明日は明日の風が吹くってな」
乙女は細かいことは気にしないものだ。
「ん?」
そのとき青年の耳がピクンと跳ねた。
「追いついてきたね」
半径数キロにも及ぶ幼女レーダーを搭載する青年の鋭敏なオタ感覚が、風上から迫って
くる襲撃者の到来を察知する。最近になって秋葉原の職務質問と称したオタク狩りが横行
して、対策としてレーダー感覚に危険察知の機能を追加したのだが、思いがけず別の近い
道も見つかったらしい。
「来おったな」
香月が双眼鏡を下ろしたそのとき、強烈な風圧が車体を揺らした。
広大な平原の先から、巨大な塊が羽ばたきながら迫ってくるのが肉眼でも分かる。
じきにこちらに追いつく距離だ。二人は即座に臨戦態勢に入る。
「やっこさんもそろそろ堪忍袋の破裂寸前みたいやし、そろそろお礼参りといきますか」
香月は双眼鏡を投げ捨て、体勢を整えるためにエンジンをふかした。
アクセルをめいっぱい踏み込み、エンジンがフル稼働を開始する。煙気筒が踊り、無数
の歯車が高速で回転し、各動力機関が燃料という血液を熱く滾らせて猛り狂う。
そして足元の大型狙撃銃を何時でも構えられるように傍らに立てかける。
ふざけた逃走劇はここまで。ここから先は麻生香月の本気の勝負だ。
モンスターハンターGで、単独での攻略は不可能とまで言われた隠しボスの祖龍をソロ
で倒した気合と根性は伊達ではない。
「売られた喧嘩は買う。それが乙女の浪漫ってモンや。相手が怪物ならなおさらな」
青年が助手席に座ってシートベルトをつけるのを確認してから、香月は車を大きく右に
旋回させて反転し、自分の車に攻撃を仕掛けた不逞の輩と対峙する。
「逃がしてくれそうにないならしゃあないわ。お礼参りはきっちりさせて貰うで」
香月の真っ正面から、鱗を纏った怪鳥が迫ってきていた。
「来おったな。イャンクックもどきめ」
巨大な体躯を揺らしながら怒りの形相で爆走する姿は、まるで噴火した火山から飛んで
くる灼熱の火山弾そのものだ。
荒々しい息を漏らしながらこちらを睨む大自然の超野生。威嚇の唸り声の度に、大鮫の
ように尖った牙と牙の間から真っ赤な炎が噴き出してくる。
まさに怒り心頭というやつだ。
縄張りを横切る侵入者へ警告の一撃を見舞い、縄張りの境界線まで追いたて、後は相手
がどうでるか警戒していた怪鳥が、車両の方向転換を見て憤怒の咆哮を上げた。
香月たちが逃走ではなく敵対行為を選んだとみなしたらしい。
事実、このまま泣き寝入りで逃走を選ぶほど香月の大阪魂は腑抜けてはいない。
売られた喧嘩は安く買い取って、ネットで割高で転売してこそ真の大阪商人だ。
「追っ手の追加はないようやな」
ここまで走り続けたのは敵から逃げ切るためだけではない。敵の巣の付近でドンパチを
すれば、家族や仲間を呼ばれかねない。敵は基本的に群れで行動する生き物なのだ。
相手を巣から引き離し、かつ一対一の状態を作る。これは爪や牙を持たず腕力に乏しい
人間が、凶暴な猛獣を相手にするときの狩りの鉄則だ。
それが現実世界の野獣をも凌駕した伝説上の魔物の類ならば、なおさらのことだ。
野獣と人間の圧倒的不利な力の差は、知恵と度胸と大阪で補え。これが香月の持論だ。
全ては怪鳥と真っ当なタイマン勝負に持ち込むための香月の作戦であった。
まさに百戦錬磨。勇敢な戦士ほど忘れがちな慎重さを、この乙女は心得ている。
「やっぱ喧嘩はタイマンってな」
負け犬では終わらない。愛機を傷つけられた分はキッチリと返さねば乙女が廃る。
「やー、気紛れだったとはいえ、下調べもせんとヘンに知らない道を冒険するモンやない
なァ。往々にしてこういう未知との遭遇が待っとる」
冒険には常に危険がつきものだ。気軽な挑戦が命懸けのものに発展することも多い。
死んだら現実世界へ強制送還という、お手軽RPGのようなセーフティーがかかってる
とはいえ、やっぱり痛いものは痛いし、やられかたによっては発狂判定のペナルティーも
あるのだ。事前に回避可能な危険は極力避けるにこしたことはない。
そういう意味では、今回は明らかな失敗だ。
しかし香月は後悔も悲観もしない。むしろ訪れた危機的状況を愉しんでいる。
そんな突発的な冒険もまた、彼女の追い求める浪漫のひとつだからだ。
シャンタク鳥。
【夢の国】に棲息する異形の鳥で、馬の顔を持つ始祖鳥の変形のような生物である。
巨大な体躯。木々を凪ぐ尾。鋼の如き鱗。口から吐く炎の吐息。鉄をも撫で斬る爪。岩
も齧る牙。空をも震えさせる咆哮。その容姿は怪鳥と呼ぶに相応しい。
ナイアーラトテップをはじめとする【外なる神】に仕える奉仕種族であり、レン高原や
未知なるカダスを主な生息域とする。その神々の崇拝者であれば乗り物として行使をする
ことも可能だと言われているが、人類に理解のある知的なシャンタク鳥は稀であり、その
大半の遭遇ケースは獲物と捕食者のソレである。
自分の縄張りに土足で入り込んだ曲者を笑顔で迎えてやるほど、彼らは甘くはない。
人間と怪物の遭遇の結末は、殺戮か無関心で終わるのが世の常と思って間違いない。
今の香月たちの状況は確実に殺戮方面だ。
このテの生物は基本的に気性が荒いものが多く、縄張り意識が非常に強い。
本来はこのような辺境の草原地帯ではなく、主に山岳地帯やレン高原の深部に生息し、
洞穴などに巣を構えるのが普通なのだが、世の中は絶えず例外というものがあるようだ。
まぁ、生息域が普段と違おうが同じだろうが、彼らの支配地域に土足で踏み込んでくる
愚かな賊には、容赦のない血の洗礼が待っていることに変わりはない。
シャンタク鳥が灼熱色の吐息を吐いて身構えた。
タタキツブシテクレル。
咆哮に混ざる猛烈な殺意の波動が、二人の賊に向かって叩き付けられる。
怒気。覇気。殺気。熱気。獣気。猛気。さまざまな感情がミックスされた怒号。
気の弱いモノならば、たちまちにして恐慌をきたすであろう魔獣の咆哮だ。
背中の毛を総毛立たせ、耳を塞いで怯える青年とは対照的に、香月は唇を綻ばせた。
それの意味するところは歓喜。
子供が新しい玩具を手にしたときに見せる、好奇心と冒険心に満ちた挑戦的な笑みだ。
凶暴な怪鳥を相手に何という胆力だろうか。この場慣れは一度や二度の冒険で得られる
ものではない。この大阪人の覚醒以来の戦闘経験は計り知れないものがある。
「いくでえ」
香月がアクセルをいっぱいにふかした。
怒気と轟音の濁流を真っ向から受けながら、【道頓堀☆三号】が一直線に突撃した。
正面突破。
馬鹿な。
なんという無知。
なんという無謀。
なんという無法。
中型の大砲にも匹敵する飛び道具を持つシャンタク鳥を相手に、機動力重視車両である
【道頓堀☆三号】が取るべき策は、相手の攻撃が届かない遠隔距離を維持しつつ、狙撃銃
で頭部の急所を正確に狙うこと。
正面から火力勝負を挑んだところで勝ち目は無いはずだ。まして体当たりなど論外だ。
中距離勝負なら火炎弾で焼死する。近接の勝負なら両手の爪で撫で斬られて即死する。
何を考えている、麻生香月。
オロカモノメ。
シャンタク鳥が喉を鳴らした。
ウチオトシテクレル。
火炎竜が奥歯を鳴らして火炎弾を吐き出した。
まず一発。そして二発。立て続けに三発。
どれもが被弾すれば耐久力のあるジープだろうと容易く撃破される大きさだ。
発火性の分泌液を多分に含んだ火炎弾は、火山噴火の火山弾の如く真っ赤に燃え、赤熱
の鱗粉を散らしながら一直線に香月に迫る。
恐ろしくも美しい怒りの弾丸だ。
そのとき、ジープが僅かに右によれた。
「おっと」
ごりっ。
次に左方向。
ごりっ。
最後にまた右に。
ごりっ。
車体に火炎弾が掠める擦過音が三回。
あの連弾を走りながら回避した。
「ほい、御苦労サン」
香月が鼻を鳴らして不敵に笑った。
なんというドライビングテクニックか。あの連弾の中を紙一重の見切りで駆け抜けた。
それもほぼ一直線を維持したままでだ。一歩間違えば全弾直撃。それほどの際どさだ。
卓越した操縦技術と恐れを乗り越える底なしの度胸だけが成せる神業と言っていい。
一見して大暴走にしか見えない香月の運転にも、それなりの無骨で無粋で不器用な高等
技術が集約されているのだ。
「……ううっ……また舌噛んだ……」
でも、車体と同乗者には全く優しくない。
ヌゥッ。
シャンタク鳥が唸った。確実に撃破できると思っていた火炎弾をかわされたのだ。
おのれ。小賢しい人間風情が。
回避しながらの接近により、既にジープはシャンタク鳥の目前に迫っていた。
間合いを詰められた。もはや遠隔攻撃は使えない。
対空攻撃の接近戦で勝負するつもりか?
命知らずな。
しかしこれで正しい。
火力に乏しい彼女の現状の装備で、鉄のスケイルアーマーに等しい怪鳥の鱗を貫通して
肉体にダメージを与えるには、超至近距離から銃撃を打ち込むしかない。
だが、シャンタク鳥には鋼鉄も裂く爪がある。岩を噛み砕く牙もある。迂闊に間合いに
飛び込めば、否応なく完膚なきまでに叩き潰される。
異形と人間の戦いの歴史が始まって幾千年。
いったい何人の勇者が彼らの爪牙の餌食になったことか。
シャンタク鳥が間合いに入り込んだ【道頓堀・三号】へ爪を振り下ろした。
そのとき青年が齧りつくように必死で車にしがみ付いた。
ぷんっ。空気が爪の数だけ縦に裂けた。
鉤爪が宙を凪ぐ。
それだけだった。
ナンダト?
振り下ろした先に手応えが無い。空振りをした。そんな馬鹿な。なぜだ。
獲物が消えた。見失った。何処へ行った。
「大阪じゃ、『アホ』の上位語は『ドアホ』と言うんやけどな」
小馬鹿にする意志の波動が怪鳥の後頭部を叩いた。
背後だ。死角を経て脇を突破されていた。
だが、いつの間に。どうやって?
慌てて背後を向いた。
それがそもそもの間違い。
シャンタク鳥は振り返りざまに見た。
「アンタは、その上を行く『超☆ドアホ』やのう」
ジープを停止させ、対竜族用大型ライフルを構えてこちらを狙う狩猟者の姿を。
ゴーグルに遮光用レンズをかけた香月が、怪鳥へ向けて標準を正確に合わせていた。
『それ』は狙撃銃と例えるには、余りにも異質で巨大な鉄の塊であった。
大人の身の丈ほどもある銃身、腕力に自身のある大人でも持ち上げるのが困難な重量、
一切の装飾を廃した豪胆で無骨な形状、大阪の気質を引き立たせる虎縞の色合い。
人並み外れた怪力と巨躯を持たねば、まともに狙い撃つこともままならぬこの剛銃は、
もはや狙撃銃の範疇を越えて大砲と呼んでも差し支えない代物であった。
香月はこの狙撃銃を『タイガーバズーカー』と名付けていた。
……とりあえず彼女がマイナー系の格闘ゲームが好きであることだけは分かった。
その虎の銃口は既に怪鳥の顔面を正確に狙っている。標準の位置は眉間だ。
狙い撃ちだ。
しまった。
先手を取られた。
迎撃しなければ。
「ごぉぉぉぉぉぉぉぉっ……ついっっっっっ……」
獲物がタメに入った。
駄目だ。
「タイガー・バズーカーじゃあぁぁあぁっっっっ!!!」
鉄の虎が火を噴いた。
モウオソイ。
青年が慌てて耳と目を塞いで蹲る。
同時に、シャンタク鳥の視界が白く爆発した。
耳をつんざく衝撃と閃光と爆音。
不安定な状態にも関わらず、香月は正確に脳の揺れが激しく起こる箇所に弾を撃ち込ん
でいる。重量だの反動だの何だのという常識的な物理法則は【夢の国】では通用しない。
これでは怪鳥とてひとたまりもない。
ギャォオォォオオォォオォッッッッッ
爆音に勝るとも劣らないシャンタク鳥の断末魔。
やがて転倒の地響きと共に大絶叫は消え、完全に気絶した怪鳥が平原に横たわる。
こうなってしまっては神の奉仕種族も、タダの無力な爬虫類の親玉に過ぎない。
「右舷を壊されたカリは返したで。あんたの肉質なら殺傷力は皆無やから安心せぇ」
弾丸の衝撃を顔面にまともに喰らい、脳震盪を起こして昏倒する怪鳥を、香月は勝ち誇
った目で見据えた。
「これが人喰い鮫だったら、口にボンベでも詰め込まれて脳味噌爆破やったがの」
殺す気マンマンだった相手にも、縄張りに勝手に入り込んだこちらが根本的に悪いと己
の非を認め、迎撃はせど非殺を貫く慈悲の心意気。
「なにせあたしは清純派ヒロインやからな」
レアモンスターを倒せば名が挙がって経験値が貰えるとほざき、絶滅危惧種の罪も無い
メタルなスライムを好んで乱獲する、全世界の勇者様にでも教えてやりたい生き様だ。
麻生香月。
彼女は基本的に自然に優しい乙女であった。