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第五話 「ドラゴン観念」

 錆付き動けなくなる機械にでもなったかのような、身も心も凍える冷たさだ。氷点下に達するであろう程の川に落ちるという経験は記憶にあるかぎり初めてだった。水が荒れ狂う音だけが脳を駆け巡り、身体の彼方此方が衝撃に襲われる。上下左右などといった概念もなく、ドラゴンの巨躯は、それでも尚勝る濁流に翻弄されるだけだった。ああ、モードはどこだろうか。満身を込めて眼を見開いても、世界は延びた気泡に閉ざされる。急速に奪われる体温に、私は為す術もなく、そのうち思考もぼんやりと沈んでいったのであった。




 岩に叩きつけられたのとは又異なる衝撃に、私は肺の水を出さんと咳き込んで、漸く気を失っていたのだという自覚のもとに覚醒をした。どうやら滝から落ちて水面に叩きつけられた私は、あの雪景色からは暫し遠くの下流まで流されてしまったようだった。ドラゴンの鱗の堅牢さは凄まじく、これ程の苦行を味わった所で目立った傷ひとつなく、やはり体温を奪われたことが弱点であるようだった。そう揺れる思考を浮かべて、私は重要なものが欠けていると、モードがいないことに驚愕した。


 モードは、あの愛らしい快活なモードは何処へいったか。思い返せば大鷲に捕まっていたモードは同じく激流に呑まれたか、若しくは雪原へと墜落したに違いないだろう。あの高さだ。無事で済むはずもなく、運が良くても重症か、悪ければ言うまでもなく死を迎えている。恐れていたことが、私が同族に執着した余りにモードを…。なんと浅ましい。何度生を繰り返したところで私の本質は何一つ変わらないのか。


 それでも、私はドラゴンだ。雄々しい翼と、剣牙に勝る肉体を持つドラゴンだ。張り裂けんばかりに翼を広げ、水飛沫があたりに広がる。朝日を反射する飛沫の美しさは、まるで私を救済してくれるかのようで、何としてでもモードを探しだし助けてみせようと猛々しく飛び上がった。




 しかしながらモード探しは困難を極めた。私はまず川の上流を遡ったのだが、上流では深雪激しく、仮にモードの遺体があったとしても私にそれを判断することは不可能であった。何よりも上流にはモードを狙う動物も多く、一人で生き抜くことは絶望的としか考えられない。想像したくもない悍ましい話だが、それでもそれが事実だった。下流に関して言えば、私が目覚めた場所までに幾つもの支流に分かれており、懸命に痕跡を探したものの、全てを洗いざらい見終わる頃には二桁もの日の入りを見納めてからであった。


 しかしモードは見つからなかった。衣服や所持品、骨や血の匂い等痕跡が何一つ見つからなかったのだ。妙な話だ。生きているのならば何かしらの痕跡がある。同時に考えたくはないが死んだとしてもそれはある筈だ。解体されたかのような大鷲の遺体を見つけた時は、この付近にいるのではと勘ぐったものの、どうやら複数の人間が解体を行ったようで、その場にモードの気配など少しも感じることが出来ないでいた。舌足らずにマンナと呼ぶ彼の笑顔が脳裏に焼き付いたまま、当初のドラゴン探索など忘れて私は更にモードを探し続けた。




 最早私はなりふり構っていられなくなった。見つからない。どれほど探してもモードが見つからない。何度も体験した生が、もう忘れなさいと、このような経験は幾度もあるものだと囁く一方、記憶の中でモードは輝きを増していた。何が私をそこまで執着させるのか、私自身分からないことであったが、一向にモードを忘れられないことは紛れもない事実だった。


 モードが死んでいるならば、そろそろ目立った痕跡も見つからない程の時間が経った。ならばこそ、一縷の望みにかけようと、私は思ったのだ。この川の近くには人里がある。モードが生きていると仮定して、私に会いにこない理由が出来たとすれば、それは彼ののっぴきならない家庭事情にあるのではないだろうか。最初に彼と出会った時、モードは法衣のような、とてもではないが一般庶民とは異なるであろう服装をしていた。文化圏の違いもあるかもしれないが、それにしても繊細な素材で縫われていたものであったし、汚れ一つ無いような純白であった。


 つまりはモードが何処かの住民か狩人にでも見つけられたモードが実家に連れ戻された、又は私に会えない別の事情が…家庭の何かしらに縛られているのではないだろうか。モードがどんな理由で商売道具かのように扱われていたのかは不明だが、モードの両親が例えば貴族階級のような存在であれば、恐らくモードは軟禁状態であることは想像に難くない。とはいえそれはあくまでも私の想像であるし、如何せんこの世界の人間で出会ったのはモードだけというのも情報が少なすぎる。


 私は覚悟した。これまで極力人間から避け続け、人であろう気配がすれば見つからぬよう息を隠してきた。それが生き残る上で最善だということは疑う余地もなく、だからこそこの行動を変えることはなかった。しかしそれではモードを見つけることが出来ないのは…これまでの無駄な時間が証明しているだろう。故に、私は飛行進路を、これまで決して取らなかった方向へと向けた。私にとって、敢えて言うならば初めての人間との邂逅が差し迫っていた。




 小規模な村が見える。恐らくあの大鷲に襲われた場所から最も近場にある村だ。牧畜なのか、村の大きさに対して随分と羊がいるようだ。私は見晴らしのいい丘に降り立つと、ひたすらに誰かが村を離れるのを待ち続けた。できれば、私としても相手がひとりきりの状況であって欲しい。恐怖は伝染する。集団となった人間は、人間からすれば安心感を得るかもしれないが、私としては御免被りたいほど非常に厄介となるだろう。




 「そこな青年よ。」


 青年はふと聞こえた覚えのない声に、顔を上げ当たりを見渡した。背中に抱えた籠にはきのこ類が詰まり、彼が何をしに森に来たかが伺える。当たりを見渡した結果、誰もいないと思ったのか、彼は再び足元を探り始めた。鈍重な男だ。


 「青年よ。どうか驚かないで欲しい。私は上にいる。」


 青年は直ぐに真上を、大樹に捕まる私を見て、そして数秒固まったかと思うと、その場に倒れこみ、完全に動かなくなってしまった。


 「私にお前を食おうなどという意思はない。落ち着いてくれ。」


 なんとか青年の気を落ち着かせようと、出来る限りやんわりと語るも、やはり青年は動かない。一体どうしたことかとゆっくりと降り立ってみれば、なんとそのまま青年は気を失っているようだった。前途多難とは正にこのことだなと、籠のきのこを啄みながら私は思った。




 それから体感にして一時間ほどだろうか。青年は頭を揺らしながら覚束ない様子で目覚めた。まぁ初めて経験出会ったならば気絶したのは仕方がないことだと私も気にせず、怯えさせぬよう今度は頭を随分と低くさせて、且つそれでも青年が逃げられないよう大木を背にする形で配置すると、私はその対面でじっと待った。


 「驚かせて済まなかった。まずは非礼を謝罪しよう。」


 私の言葉に、漸く現実に戻った青年は、こちらを見ながらまたもかたまり続けた。ああこれは如何なぁと、何故モードの場合とこんなにも違うのかと頭をひねりながら近づくと、青年はこれまでとは打って変わって素早く腰の巾着から増えを取り出し、全力でそれを甲高く吹いた。


 うかつだった。このような寒村で自衛手段を用意するのは当然である。しかしどうする。ここでこの青年を放置してしまえばいずれ私の情報が、ドラゴンがいるということが近隣諸国に伝わるだろう。そうすれば討伐隊などが組まれ、モードを探しだすなど空論でしかなくなるだろう。


 「待て、私は敵ではないのだ。落ち着いてくれ。」


 焦る内心を塞ぎ込み、なんとか青年を安心させるようゆっくりやわらかに言葉を紡ぎだすも、青年は一向に笛を鳴らし続け、こちらを見ようとすらしない。


 「な、これはドラゴン!?まだ存在していたのか!?」

 

 驚くべき程優秀な警備兵がいる村のようだ。柄にもなく糞ったれとぼやきたい気分になる。数分と経たずに、もう私の周りには屈強な男二人と、弓を番えた女が一人囲むように陣を組んでいた。


 「待ってくれ。私は話をしに来ただけなのだ。決して村に害は与えないと誓おう!」

 「ドラゴンが喋っただと…!?」

 「アミーラ!婆に連絡を!急ぎラチューンにも伝えるのだ!」

 「糞、なんだって若い連中が駆り出されてるこの時期に!」


 彼らは恐怖そのものと対面しているかのように、凄まじい焦燥を肌で感じるほど混乱しているようだった。彼らはドラゴンをそれほどまでに恐れているのだ。既に絶滅したと言われるドラゴンにだ。ドラゴンが人間と戦争を繰り広げていたというのがいよいよ現実味を帯びてきた。


 両手に斧を携えた屈強な男が私に斬りかかる。わかってはいたが、人間に無条件で刃を向けられるというものは、肉体的損傷は無いに等しかったが、それでもやはり私にはとてつもない衝撃を与えるに十分なものだった。




 どうしたものだろうか。私は彼らの追撃を直ぐに振り切り、再び空を飛んでいた。もう私の存在は隠し通せないだろう。あの様子からすれば、人類はドラゴンを芯から憎んでいる。モードはやはり特別であったのだ。彼が子供だったからか、はたまた純粋な心を持っていたからか…。もう安らかに夜眠ることは出来ないだろう。恐怖に取り付かれた人間は恐ろしい。そして金に溺れた人間も醜悪なものだ。ハンティングは人間の原始的快楽を追及したどの世界にもある娯楽だ。賞金は直ぐにでもかけられるだろう。


 のろのろと飛び続ける。ドラゴンがいないというのは、やはり本当なのだろう。人間はもう敵になったも同然だ。モードはいない。死んでいるのか、生きているかもわからない。私がすべきことはなんだろうか。し太く生き延びて、来世への道を紡ぐことだけだろうか。これ程の知能を持ちながら、たった一人で、孤独に生きながらえるのだろうか。




 そんな思考の沼に陥っていた私は、数日もの間、無気力にあてど無くさまよい続け、遂にはあの湿地付近にまでやってきた。何故此処に来てしまったのだろうか。あの時モードを攫わなければ、出会っていなければ、今も彼は生きていただろうか。直ぐにでも開放していればこのような結末を迎えずに済んだのだろうか。


 撃鉄、叫喚、怒号が私を遮った。なんだと眼下を見下ろせば、この世界ではじめて見る程の大量の人間が、それこそ万に近い軍勢が湿地を堺に遠方で睨み合っていた。人が叫び、槍を投げ、弓を放ち、そして…あれはなんだろうか、まるでおとぎ話のような不可思議な力が両者の間を飛び交っていた。


 私が見たものは、確かにこれまで見たこともない光景であったが、紛れも無くどの世界でも一様に存在した人間同士の戦争であった。


 また期間が空いてしまいました。次話はすみやかに投稿したいと思います。

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