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第三話 「不在」

 弄るようなこそばゆさに目を覚ませば、太陽の代わりに月がまだ煌々と照りつける時頃であった。何事かと周囲を見渡せば、どうやら少年が意識を取り戻したようで、必死に私という檻から抜けだそうと藻掻いていた。


 そういえばしていなかったなと、私はなるだけ刺激をしないようそっと少年を縛る網と枷を爪で切り裂いた。ドラゴンというのは流石なもので、この程度の鉄であれば簡単にひしゃげることも可能なようだ。少年は想像以上に大人しく、というより怯えた様子で、特に滞り無く作業は終了した。


 「何か食いたいものはあるか?」


 そう日本語で、続いて英語で、知りうる全ての言語で同じ問を投げかける。少年はドラゴンが発話できることに驚いたのか…はたまた単純に吹きかけられる呼気に圧倒されたのか、暫くぼうとこちらを見とめると、何故か首を横に振り回し始めた。やはり相当に怯えているらしく、芳しくない反応に私は顔をしかめた。言語が違うのはまぁ当然なのだから仕方がないが、こうも怯えられていては困る。


 「私に、お前を襲う意思はない。」


 極力敵意を示さずにそう語りかけると、私は彼から少し距離を離し、正面からその顔を見つめた。言葉が通じているのかいないのか、少年は慌てふためくばかりであった。すると突然、少年は何かに気付いたようにハッとすると、周囲をキョロキョロと見渡し、上目でこちらを見つめ始めた。何か身体に異変でもあったのかと身を乗り出せば、突如少年は私の視界から逃げるように、しかし妙な歩き方で木陰へと駆け込んだ。私としては、この森で少年一人だけという状況はあまりにも危険過ぎたために、それを慌てて追いかけたわけだが、少年は顔と手を横に振り、なんとも可愛らしい拒絶をする一方であった。少年の意思を尊重して自由にさせるというのも吝かではないのだが、流石に安全を確保できなければと執拗に彼を追い回し続け、ドラゴンの優れた嗅覚に違和感を覚えた時、漸く私は彼の行動原理を理解したのであった。




 一連の騒ぎが収まる頃には、もうすでに雄大な月の姿はなく、我が物顔の太陽が姿を現し始めていた。有難いことに雨もなく、私は昨晩の野犬の肢体がある場所まで移動を始めた。それからの少年は特に逃げることもせず、今は衣服を失った寒さに苦しんでいるが、特段身体に異常もみられなかった。お目当ての死体までなんなくたどり着くと、鼻のやたら長いネズミ達が死体に群がっていた。死肉を食べる動物というのはどの世界でもいるものだなぁと鼻息を浴びせ丁寧に追い払うと、軽くなった死体を咥え、再び元の道へと戻りだした。


 目的地は既に何度も世話になったあの池だ。私はその池に骨を取り除かれ革だけになったそれを投げ入れ、洗うように前脚で揉みしだく。まさかドラゴンにもなって革のなめしという七回目の人生における経験が活きるとは露ほども思わなかったわけだが、少年が興味津々と言った様子で私の手先を眺めているのを見やるに、まぁこれはこれでと満更でもなかった。本来は革の硬い繊維を崩すために面倒な作業が多いなめしだが、ドラゴンとしての力を持ってすれば、それも特にこれといった手間は必要なかった。洗い終えると、適当な木の種子を握りつぶしたそれをなめし液代わりにすり入れ、最後に表面だけを軽く流すと、日の当たる手頃な巨木に叩きつけるように広げる。一先ずはこれで大丈夫だろう。まさかドラゴンになってから人間の家庭生活の真似事などとは愉快な話だ。


 「少年、お前の名を教えてはくれないか。」


 相も変わらず押し黙る少年に、意味もないとわかりながらも言葉を投げかける。私が数々の人生で言葉を習得できたのは幼少期をその言語体系の中で過ごしたということが重要だった。故にまだ一言も語らない少年の言語が分かる筈もなく、言葉を交わすというよりコミュニケーションを取ろうとする意思表示として、私は少年に話しかけ続けた。


 暫くすると、私に対する恐怖心も薄れてきたのか、段々と少年もこちらに語りかけてくるようになった。意味は依然として分からないが、それでもドラゴンの知能によって、文脈や単語の区切り、何を持って語句を分別しているかなど多少理解を深めることが出来なくもなかった。


 次第に少年は、しきりに同じワードを口ずさむかの如く、私に言い聞かせるように語り始めた。よく観察すれば、ぐぅと腹の音が時折交じる。成る程そういえば飯を用意していなかったと、私は直ぐに森に自生する木苺らしきものを見つけると差し出した。毒がある可能性も考慮されるが、私は一度この果実を啄む鳥を見たことがある。少なくとも即死するような毒性はなく、悪くても胃を下す程度だろう。そう思って差し出した木苺は、直ぐに口に放り込まれるようにはならず、少年は何故かその果物をじっと見つめると、これはなんだと言わんばかりにコロコロと手の中で転がし始めたのだ。


 薄っすらと、この少年の持つ背景が見え始めてきた。この反応は大地とともに生きる農村ではまずありえない。美しい髪にマメのない小奇麗な手、とてもではないが、まるで女子のそれだ。着ている装束もまるで法衣のようであるし、この世界に対して未だ無知ではあるが、経験則から言ってもかなりの生まれであるように思える。誘拐か、若しくは狡猾な計に謀られた名家か…。私がこの少年と出会わなければ、一体どうなっていただろうか。


 芳しいその香りで食い物だと理解したのか、少年は意を決してそれを放り込むと、幾らか苦かったらしく、ゲーとコミカルな嗚咽を見せ、私が地を震わせながら笑うと、つられてか少年も可愛らしい素朴な笑顔でへへと笑うのであった。




 私の生活はこの少年によって、随分と様変わりした。次第にその内包する好奇心を見せ始めた少年は、至る所に生える植物をすりつぶしてみたり、動物から捕れる角を加工してみたりと留まることを知らなかった。体力も素質はあったのかメキメキと上げ、少年に執拗に迫られた結果、許しを得て遂に私の身体に蔓をまわし、背に乗り空を駆け巡り始めた。私が少しずつ少年の言語を学び、少年は私が時折ぼやく日本語を理解する形で、言葉も少しであるが相互理解できるようになっていった。


 「マンナ、あっちだ。」

 「ああ、ありがとうモード。」


 マンナとは、どうやら私のことを示唆しているらしく、どういう意味かは分からないが特に名前も保持しない私にとっては関心の範囲外であったために、すんなりとその名を受け入れた。モードとは少年の名である。正式にはモードランというらしいが、理由はまだ理解できていないところではあるがどうもモードランと呼ばれることは苦手であるようだ。


 現在私とモードは低空を中速で飛んでいる。空から獲物を探しているのだ。モードは優れた視力を持っているのか、獲物を見つけるのが特別得意であった。膨張を続けるドラゴンの肉体はやはり相当のカロリーを要求するためにモードの助けは大変にありがたかった。狩りにはおいてはどうもここらの動物は空の天敵に悩まされたことがないのか、殆ど無警戒であることが多かったのだ。私はこのことに強い危機感を抱いた。まるでドラゴンと初めて対峙したこと如く空を蔑ろにしている。もしやドラゴンはここら近辺、いやそれ以上に広い地域にドラゴンが生息していないという可能性が高い。


 転生先における人間とドラゴンのどちらが行為であるかは判断に困るところだが、どちらも獣よりは高度だという前提ならば、私はまず同種の繁栄を促さねばならないし、他のドラゴンがどのような文化や社会を築いているかは非常に心惹かれる。しかしながら此処にドラゴンがいないのであればそういうわけにもいくまい。


 しかし先立つ課題としてはモードの今後である。モードはこれまでも私に対して両親への思慕や帰郷への希望を語ることもなく、あの日私が雑に作った毛皮を羽織り、悠々と森を駆けていた。私以上にメキメキと知識を増やし、特に味にうるさいらしく、どれそれは甘い苦いなどといったことを優先して語ることからも、やはり上流階級に位置していたのだろうか。


 「帰りたいとは、思わないか?」


 一度だけ、私はモードにそう聞いたことがある。モードは九才だそうで、この頃の子どもといえば外に繰り出せば喧嘩をし、泣かされれば親にすがり、泣かせれば親に叱られ、家族や友達との距離感を掴みながら成長するものだと私は考えている。しかしモードの現状には両親も兄弟も友達もいない。いるのはドラゴンという規格外の存在だけだ。勿論モードの身の上は案じた通りよくないものなのだろう。最悪、既に家族は他界している可能性もある。そもそも彼に友達というものがいたかもわからないほどの箱入りだった。それでも気にかかるというものだ。しかしモードはそれに対し、どこに?と問いただしてきたのだ。以降、彼の家族や故郷については私の中でタブーとなった。


 「見てマンナ!剣だよ!剣!」


 それでもモードは健やかに育っていった。今日はどうやら心血を注いでいた角製の剣が完成したらしく、意気揚々とそれを掲げると、これで僕も狩りを手伝えるぞと笑顔で語った。モードは狩りにおいて獲物を探し出すだけに飽きたらず、自分の力で獲物をとってみたいらしい。まるで自立する子供を育てる親の気分を生後半年も経たずして味わったわけだが、私もこの期間にかなりの成長を遂げた。身体の成長は留まることを知らず、飛行も自惚れではないが完璧だ。ここらの動物も心なしか近頃は減ってきたような気もするし、一度生まれたあの崖に行き、そして新たな住処を探しに行くべきかと私は考え始めた。




 「モード。他のドラゴンに出会ったことはあるか?」


 夕刻、狩りが終わった時頃に、私がモードに対してそう問いかけたことにはそのような経緯があった。新たな住処はできればドラゴンに会える場所がいい。勿論同種だからといって相容れるかどうかはわからないがために、場所はよくよく練らなければならない。加えてモードの安全も確保しなければならない。あの日の野犬のような存在がそこら中にいる場所ではおちおち寝ることも出来やしないだろう。私の言葉を理解しているのかしていないのか。モードは不思議そうな顔でこちらを見つめた。


 「いないよ。」

 「見たことがないという意味か?」

 

 要領を得ない回答に、正しく言葉が通じていないのか意味を問いただす。


 「違うよ。ドラゴンはいないんだ。本に書いてあったから間違いないよ。」


 モードは、言葉が誤って伝わらないよう、ゆっくりと吟味してそう答えた。


 またも文字数少なめになってしまいました。火曜までこの文字数が続くかもしれません。予約投稿ですのでなにかミスが有りましたら帰宅次第訂正したいと思います。

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