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第二話 「流れ行くドラゴン」

 子供だ。恐らくは十歳前後の幼い男であった。透き通るようなブロンズの髪が、何処か神々しさを持ち、突如私の目の前に現れたこともあってか、その子の姿は正しく光の速さで私の瞼に焼き付いた。どのような経緯があったのだろうか。私も長きにわたって生きてはいるが、人身売買という背徳的な業を背負ったこともなければ、そのようなものが表立って息づいている世界で生まれたことは幸運にもなかったのだ。この子供が人身売買によるものか、それとも単純な身代金要求なのか、この状況だけではさっぱりであった。可能性だけで語るのならば、この子供が例えば親殺しなどで罪に問われた線もある。兎も角今は想像の枠でしか語れぬことであるし、そこは重要なことではないだろう。優先すべきは、私がこの状況に対し、どのような行動を取るべきかである。


 気絶している船員は三人。男が二人に女が一人である。それぞれが腰に短刀らしきものを挿し、如何にも盗賊風といった小汚い風貌であった。とはいえ風貌で全て語ることは愚かしいことだ。文化どころか世界が異なっているこの場所で私の今までの常識というものは役立たちようがない。私としては、是非彼らと交流をはかり、この世界の情勢を早期に知りたいところであるが、今の私はドラゴンである。ファンタジーにおけるドラゴンは、基本的に人間と敵対しているものだ。古き記憶にはドラゴンを味方とする作品もそれなりにあったとは思うが、爬虫類の獰猛さと破壊の火を携えたドラゴンは恐怖として描かれることが多い。実際に、ドラゴンなんてものが実在するとすれば、人間はその存在を許さないだろう。人間である我々を簡単に殺すことのできる存在…なんてものがいれば無理を通してでも、非人道に走ってでも討ち滅ぼそうとするのが人間なのだ。加えて、私はまだこの世界の言語に触れていない。意思疎通はまず不可能。そのような状況で彼らを起こせば、必ずや敵対し、悔恨を残すことになるだろう。


 なればこそ私がすべき行動はここを速やかに離れることだ。飛行したことで浮かれてはいるが私が未熟者であることに変わりはない。仮に人間と敵対し討伐隊が組まれでもすれば死を免れることは出来ない。しかし、どうにもこの子供が後ろ髪を引いた。はて、直感を信じるべきか。なんとなしに、私はこの子供が私と人類とを結ぶ架け橋になると、妙な空想を思い浮かべたのである。如何ともし難い。この子供を連れて帰れば、少なくとも売られるようなことはなくなるが、命の危険は下手をすれば増すかもしれないのだ。自然界の恐ろしさは、文化生活を送る人類にとって飛躍した世界とも言える。動植物の毒、食料に含まれる寄生虫や細菌、土地特有の病、常に害敵にさらされる精神的ストレスと枚挙にいとまがない。加えて、私自身がその危険性を未だ把握できていないという体たらくだ。むしろ子供はこのままでも不自由なく暮らせるかもしれない。


 それでも、私は子供を放置できなかった。数日でもいい。手に負えないと感じたならば、責任をもって彼の故郷をすぐにでも探そう、という思いを胸に、気絶した大人たちを手頃な岸に運び、子供を口に加え、泥濘に足を取られながら元いた場所へと歩みだした。どれほど齢を重ねても、私はどうにもわがままで自己中なのだった。




 途中で鋭利な角を持つ巨大な魚に襲われつつも、森林が見える頃には再び飛行を始め、特にこれといった障害もなく無事に帰還することが出来た。適当に藁を集めて作った寝床に子を寝かせ、しばし様子を見る。目を覚ます様子はないが、体調が優れないようには見えない。さて、彼が目を覚ましたらどうしようか。ここはファンタジーな世界だ。言語を介さずに意思を疎通する方法ももしかしたら存在する可能性もある。勿論、それを私が持ち得ないがために、彼が有しているかという分の悪い賭けだ。やはり行動で示す他ないだろう。幸いにも私は人間に十年以上も飼われた経験がある。幾ら世界が変わっても人間に媚びうる方法は効果的な筈だ。プライドも何もかなぐり捨てれば、コミュニケーションは不可能ではあるまい。問題は食料だ。私にはここらの植生などまだわからない。人間にとって主食足りえるものが皆目わからない。一先ずは果実でも探そうか。子を起こさぬよう、ひっそりと私は動き、森林を歩みだした。


 夕刻、そろそろ潮時かなという頃合いに、ここらでは珍しい、低い野犬の声が森に響いた。ひどく興奮した声色だ。獲物を見つけたか、配偶者を探しているオスのものだろう。この森林の殆どは針葉樹で構成され、未だ果実は木苺のようなこぶりなものしか見つけていないが、悪寒に支配された私は急ぎ飛び上がると、全速力で森を抜けた。草原に出れば、私の視界に入ったのは巨大な野犬だった。たてがみが赤に染まった、なんとも不気味な野犬であった。ここら近隣に生息しているものではない。アレほどの巨体ならば、糞や足跡などの形跡が残らない筈もない。数も見当たる限り二頭と群れという単位でもない。野犬達は恐らく此処ではない他所からの流れ者だと見てまず間違いないだろう。


 と、そのうちの一頭、群れのリーダーと思われる一際大きな犬があの子供の寝床である藁へと頭をねじ込んだ。まずい。明らかに奴らの狙いはあの子供だ。つい先程責任を持つと考えたばかりというに、なんというまぬけか。私はあらん限りの力で咆哮を上げた。ドラゴンとしての声帯を一点に向けて放った咆哮に、びくりと反応した野犬の口には、やはりあの子供が咥えられていた。焦る私は安全などお構いなし、その野犬へと空から飛び込んだ。鳥類の、とりわけ梟や鷹の見様見真似、だがしかし私なりの技量すべてを注ぎ込み、野犬の喉元目掛けて両足を繰り出したのだ。


 野犬の行動は素早かった。口元から子供をこぼれ落とすと即座に転がるように左に動き、私の両足は見事に地を掴むこととなった。全身の重量を支えたために、両足に酷く痛みが走るがそれどころではない。突如現れた私に対し、野犬達は数秒の蝋梅を見せるも、先ほど私の攻撃を避けた一頭が一度吠えると、片割れの一匹も直ぐに攻撃態勢へと入った。只者ではない。ドラゴンと野犬という種族間の隔たりを考慮しなければ、余程彼らのほうが上手のハンターかもしれない。加えて、やはりと自棄になりつつ言いたくなるほど当然とばかりに、丁度私の背後となる位置からもう一等の野犬が現れたのだ。斥候の役目を果たしていた一頭なのだろう。姿は見えないが、その唸り声からも二頭と同格の力を持っているだろう。


 野犬は私を囲むように円を書いた。大型種に対する常套法である。かくいう私にとっても感慨深い陣形だ。運が良ければ、私のドラゴンとしての姿を見て退いてくれるやもと考えていたが、相手はそのような素振り一つ見せていない。彼らの体格に見合った巨大な顎であれば、私の鱗を貫くことも不可能ではないように思えるし、只でさえ相手は三頭と数の面でも圧倒されている。私の第一目標は生き延びることであるから、このような危険の付き纏う死合は勘弁したいものだ。尚更に、飛んで逃げようかという選択肢が燦然と輝いて見える。


 しかしながらそうもいかない。私の股下で、自らを糧にしようと襲いかりし野犬と突如舞い降りたドラゴンとの抗争に怯え、藻掻き泣く少年がいるのだ。野犬に襲われる前に意識を取り戻したのだろう少年は、無駄に動き回られても困ると枷をしたままなのだ。すでに錯乱状態に近く、しきりに足を動かしている。彼を運ぼうにも暴れられてはタイムラグが生じてしまう。さすれば当の野犬達がそれを見逃す道理もなく、私は呆気無く散ってしまうだろう。覚悟を決めなければならない。


 狩りにおいて、相手取るのが非常に難しい相手がいる。猪だ。一見知能も優れずこれといった武器も持たない猪だが、極めて危険な存在だ。かつて私はそのことを知らず、手痛い授業料を払う事となった。まず猪は見た目よりも非常に重量のある動物である。猪と対峙した時は、その体躯よりも二回りほど大きな相手だと想定しなければならない。そして単純な力だ。前に進む、そのために特化したその突進は小手先も策も何もかもを無視して相手を蹂躙し道を作る。私は幾度かこの猪と対峙した経験があった。


 対多数において、重要な事は相手の頭を取ることだ。あたま、ではなく、かしら。統率力の無くなった群れというのは恐ろしいほどまでにその力を失う。他の野犬を視界から外し、私はリーダーらしき目の前の一頭に集中した。じりじりと野犬達は距離を詰める。牽制に尾を振り回すが、意に介さず彼らは前進した。少なくとも未成熟な尾で怯むような相手ではないらしく、びくともしない。冷や汗が、爬虫類なのだから汗は出ていないと思われるが、それでも流れているかのような感覚が私を襲う。命のやりとり、とりわけ獣におけるそれはコンマでの戦いである。鼓動に気を取られかけるほどに、静かに、しかし確実にその時が差し迫っていた。


 背後の一頭へ向けたものと思われる野犬の視線の動きを捉えると同時に、私と背後にいた一頭が同時に動いた。やはり、指示を出すことで頭は対応に遅れたらしく、そこに私は何処に噛み付くか何処に爪を立てるかなど考えもせず、まさしく猪突猛進を駆けた。私の巨体と犬の身体がぶつかり合い、しかしそれでも重量で優れていた私が野犬を押し倒し、馬乗りの形になる。視界にやわらかな喉笛を視界に捉え、瞬間躊躇なく私はそれに噛み付き、食いちぎった。


 噴水のように野犬から血しぶきが噴き上げ、私の喉元を温める。辺り一面を濃厚な血の臭いが覆った。残る二頭は先程の闘士も消え失せたのか、血飛沫を見やるに直ぐ様白旗を掲げ、森のなかへと逃げ出していった。どっと力が抜ける。また危ない橋を渡ることとなってしまった。幸い群れのリーダーとの力比べに勝てたから良かったものの、失敗すれば地面に転がっていたのは間違いなく私であった。加えて、相手が獣であったことも不幸中の幸いというやつだったと、地に寝そべる少年を見つめた。もしも相手が人間であれば、少年を人質に捉えられていたかもしれない。いや、人間であれば戦う理由もないか…。




酷く疲れた。気づけば何時の間にか日は落ちていた。変温動物である爬虫類は陽光なしには活動することはできない。ドラゴンならば、それも一概には言えないだろうが、気だるさを感じるのはここ数日に体感した事実である。それにしても今日は様々なことがありすぎた。日頃決まったことしか行わなかった私にとって、今日だけでも十分に年をくった気がしてならない。何も考えずぐっすりと寝たい、というところが掛け値なしの本音である。とはいえ此処で暮らすことはもう叶わないだろう。彼ら野犬がはぐれものであれば、再び訪れることはないだろうが、群れの一部の、例えば狩り部隊の一派であったならば大部隊が訪ね来る可能性もある。野犬の柔らかな腹周りだけを手早くむさぼると、私は再び気を失った少年を咥え、血の臭いで充満したこの地を離れた。目的となるは最初に狩りを行った嘗ての水辺へと歩み、手頃な倒木の近くで少年を抱えるように丸くなったのであった。


 今回は少し文字数少なめです。ブックマーク10を突破しました。読者の皆様本当に有難うございます。志し高く、ブックマーク100を目指して今後も頑張りたいと思います。

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