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第一話 「ドラゴンの四苦八苦」

 ドラゴン。それを私が初めて知ったのは西洋のファンタジー映画であったと記憶している。屈強な身体に雄々しい翼を広げ、幻想の存在であるからして火を吐くなどという当時の物理現象から飛躍した事象を起こすことが出来る、そういう存在であった。私はドラゴンに対して別段強い憧憬を抱くことはなかったが、単純に彼らの社会に縛られず、個において強固な力を保持していることに強く惹かれたものだった。


 遠くから響く鳥の鳴き声によって、私は意識を取り戻した。ドラゴンに転生したことでつい忘れてしまったが、まずやらなければならないのは現状確認と安全確保である。転生直後は人でなければ危険と隣り合わせだ。ましてやドラゴンがいるというファンタジー世界ではどんな相手がいるかもわからない。周囲を見渡せば、どうも崖の一部がくり抜かれたような場所にいるらしい。ならばこれはドラゴンの巣であるのかと母の姿を探してみるもそのような姿はなく、そもそもドラゴンが子育てをするのかどうかも私は知らないわけだが、生まれたばかりであるからしてどうしようもない寂しさが私を襲った。両親とは偉大なもので、人でなくなっても親というものは子を愛してくれるものなのだと気付いたのは犬として生まれた時であった。八度目ではそれも忘れてしまったわけだが、やはり幾度も生を繰り返すと他人とのコミュニケーションを蔑ろにしてしまうのだと…つまらぬ言い訳を重ねようとする己を恥じた。


 強風が崖を掬い上げ、風切り音を奏でる。何処かで聞き覚えがあるなと記憶を探れば、確か歯を治療するドリルがそんな音であった。恐る恐る下を覗けば、余りの風にまともに目も開けることすら叶わず、すごすごと私は撤退した。快晴の中そびえ立つ絶壁は幻想的な光景ではあったが、どうにも生活の場としては相応しくないようである。特段周囲に植物もなければ同類もいない。どうしたものだろうか。流石にファンタジー世界の住人であるドラゴンも物を食わねば生きていけないだろう。何故に母上はこのような場所に私を産んだのかと疑問を持ち始めた時、崖の一部が煌めいていることに気がついた。慣れない身体を辿々しく動かしてみれば、先程までは陽光に照らされて反射しているだけのように思えたそれが、まるで自身から光を放ち輝いているように見えたのだ。どうやら何かの鉱物らしいそれは黒々と輝き、更には木が焼けるような独特な臭いを放っていた。予想外なことに私はその臭いに強烈な空腹を意識した。犬になった時の生肉、猫になった時の魚を目撃した時の反応に近い。つまりは本能をくすぐられたという話だ。恐らくはこれがドラゴンの幼児にとって必要な食料なのだろう。それならば母上がここに私を放置したのも頷ける。一先ずその鉱物らしきものを舐めてみると香ばしさが広がる独特な風味をしていた。これはやはり食べることが出来るようだと確信し、一口ほどの量をかじり取る。どうも思った以上に軽く、鉱物というよりは樹脂に近い感覚であった。思えばこの物体は私の鱗に酷似している。恐らく外皮の形勢に必要な成分をこれから補っているのだろう。一定の道筋を把握した後、私は黙々とそれを食べ始めたのであった。


 この場所は殆ど天候に左右されることもないらしく、朝方になれば雨が振り、それ以外は常に快晴であった。その後私は一週間近くを起きてはドラゴンとして何が出来るのかを模索し、腹が減ってはあの物体に齧りつくという呑気な日々を送っていた。先ずは肝心の飛行能力であるが、未だ幼体であるからか飛び立つまでには至っていない。羽ばたけば確かに揚力を感じないわけではないが、翼を動かすというのは初めての経験であったがために勝手がつかめていない状況である。非常に残念なことながら、火を吐くことに成功した試しもない。もしや私の種族はそもそもそのような芸当は不可能なのではと勘ぐったが、まぁ結論を出すには少しばかり早いだろうか。物理的な肉体成長に関しては目を瞠るものがあった。単純に体格は二回りほど巨大化し、鱗も随分と分厚く堅牢になったように思える。流石はドラゴンだと感心するほど早い成長だ。少なくとも強靭さにおいて獣に遅れを取ることはないだろう。


 一週間も経つと、私の飢えは苛烈な訴えを上げるようになった。ようはあの物体だけでは胃が満たされなくなったのだ。確かに腹は貯まるがどうしようもなく苛立つ。恐らくはタンパク質を欲しているのだろう。やはりこの世界でもドラゴンは巨体らしく、増え続ける自重に耐えうる筋肉を肉体が欲しているようだ。とはいえほぼ垂直にそびえるこの崖に鳥や山羊は見当たらない。どうやら私に巣立ちの時期が訪れているようだった。


 崖から下を覗く、吹き荒ぶ風に翻弄された一週間前と違い、此度はしっかりと眼下を確認することが出来た。その美しく生い茂る森林は、私に確固たる自信を与えたと共に、新たな世界への興奮を生み出した。一体この世界にどんな生き物がいるのだろうか。人間はいるのか。もしや人間以外にもドワーフ・エルフ・ゴブリンなど様々な知的生命体が生息しているのかもしれない。鳴り止まぬ鼓動に高鳴る胸。私は年甲斐もなく、もしくは歳相応に、崖から大きく雄叫びを上げ、その勢いのまま滑空するように生まれ故郷を旅だった。




 森林にぽっかりと空いた草原に私は無事降り立った。何故ここだけが草原なのかと周囲を探れば、どうも森林火災があった名残がある。ならば危機を探知することに長けている獣はこの場所に近寄らないだろうと察しをつけ、暫くはこの場所を寝床とすることに私は決めた。次は水源の確認である。狩りをするならば、水源を置いて他はない。それが例え小さな水たまりであっても逐一把握しなければ自然界では生きられない。お世辞にも知能が高く無いと思われる獣類も当然の如く理解していることだ。幸い滑空している間に池を一つ目にしている。記憶と嗅覚を頼りに水源を探しに歩み出す。辺りに見える植物は過去に過ごした世界のものと同種かと思えるものもあれば、まるで針山のような不可解な花を携えたものもあった。これは毒物にも注意しなければならない。陸生の動物で体内に毒を持つものは少ないが、決していないわけではない。犬であった時は幸いにも仲間から教えられることであったがドラゴンとなった今は孤独の身だ。さしものドラゴンであっても油断はできないだろう。早死だけはなんとしても避けたいことだ。


 ものの数分もすれば、目的の泉に到着することが出来た。周囲に川はなく、自然と雨水が集まってできた小さな池であった。周囲には鬱蒼と植物が茂り、コケのようなものが木々を覆っている。とはいえそれにしても小さい池であった。しかしその土壌は一時的な水たまりとは様相が違う。これはどうしたことかと不思議に思えば、此処で漸く私は周囲の植物の背丈が、これまた随分と低いことに気がついた。まさかなと鼻で笑いたくなる妄想が芽生える。もしやこれは私が異常に大きいのか。生後一週間ほどで四つん這いの私とそこらの樹木の背丈が殆ど変わらない。試しにちょんと適当な木を押してみれば、繊維が切れ折れかかる破砕音が響いた。植物であろうと無益に殺生をすることは憚れるために、私は直ぐに前脚を引っ込めると、やはりどうも私が大きいようだと納得した。湖面に移る私の姿を見つめ、改めて自身を見やるに、初めて肉眼で確認するドラゴンの姿に驚嘆した。全身を覆う鋭利な鱗に発達した体格はまるで動く鎧のようだ。八度目の人生で環境に胡座をかいたにも関わらず、思わず見惚れ、ドラゴンとしての力に慢心する寸前で、只でさえここは異世界であり、常識が役立たない世界であることを思い出した。今宵は直ぐに寝床へ戻り、周囲警戒に努めようか。




 崖とは違い、鳥や虫の鳴き声、そして時折交じる獣の雄叫びが心地よい。水辺に向かった時はあまり生物を目撃しなかったが、相応の数が生息しているらしく、食料確保自体は問題なさそうである。さて、そろそろこれからの方針を決めなくてはならないだろう。まず優先すべきことはより長く生きることだ。どれだけ生を重ねようにも、自我を失う恐怖は筆舌にし難く、昆虫以下に転生することは何としても避けたい。そのためには安定した食料と安全が必要不可欠である。今はこの森林を住処にしているが、もし飛翔出来るようになれば生まれた崖のような限りなく脅威の少ない場所が適切だろう。そして第二に同種を見つける。両親すらお目にかかっていない状況ではあるが、まさか私以外にいないというわけもあるまい。ドラゴンの生態は分からないが谷や似たような崖を探せば何かしらの手がかりはつかめるだろう。そしてこれは好奇心であるが、人間かそれに類するものを見つけてみたいものだ。彼らがどのような文化を持ち、どれほどの技術と教養を持ち得ているかどうかは是非伺いたいものだ。何にしても飛べるようになることが不可欠だ。明日からは手早く狩りを行い、飛行練習に励むとしよう…。




 翌日、瞼に滴る朝露の感触で目が覚める。成る程崖の上だけでなくこの地域一帯は朝方になると微かに霞がかり、雨も降るようだ。これがここらの自然を育んでいるのだろう。早速私は昨日の水辺へと極力忍び足で向かった。飛翔できるようにもなれば空中から草食動物を狙う等狩りにも自由度が増すだろう。しかしながら今は地べたを這いずる巨大なトカゲに過ぎない。流石に生後八日の若輩者に遅れをとるものを早々いないだろう。故に私はこの霧を利用することにした。ドラゴンの巨躯を隠すのにこれほど有効な手立てもあるまい。


目を細め、水辺へと向かえば、やはり鹿のような動物が数体いた。どうも子連れらしく、体毛の色合いがどことなく異なる小さな個体が池に入り、大きな水音を立てはしゃいでいるようだ。恐らくこれが原因でこちらに気づいていないのだろう。犬として生きた経験が生きる。先ずは風だ。今は殆ど無風であるし、何より霧で鼻が利きにくい。そして狩りでは必ず目標を見定め無くてはならない。闇雲な突進は益を生まないものだ。しかし、これは私にとって初めてとなるドラゴンでの狩りであるし、何より鹿という大きな動物相手は初めてに等しい。慎重にならざるを得ない。


 巨大な右前足を不器用に開閉し、手頃な石を掴む。そして全員の目線がこちらを離れた時、私はそれを私に対して対岸に位置する場所へと投げた。石が地面に当たり、その音に鹿はぎょっと振り向き、固まる。その瞬間、私は全速力で駆け出した。地面を掴むように前脚で身体を引き、後脚で前へと押し出す。狩りは、時間にして三秒といったところだった。


 私が得たものは、小さなあの幼子であった。首を顎でへし折られ、だらんと力なく垂れ下がっている。これが初めての狩りではないが、しかし子供を捉えることに罪悪感を忘れた日は一度もないと、そう思いたい。形ある生命を奪う行為は虚しいものだ。やはり大人たちはこのような事態に慣れていたようで、私の気配を感じると振り向きもせずに散り散りとなった。よめ子供を標的としていた私はそれに振り回されること無く、容易く子供を狩ることに成功したのだ。済まない、そう口にしながらも私は子を狙った。何より、それが確実であったからだ。何時の時代も変わらぬ弱肉強食である。この法則はどの世界でも変わりようのない事実であるように思える。それは文明社会であっても変わらず、只我々が普段口にしているものが不明瞭となっているだけである。子鹿を食らいながら、私はいつかそれを変えられる日が来るのだろうかと、どの口が言うか、全く以て似つかわしくないことを考えたのである。難度も生を体感しながら、所詮凡才たる私が理解できたことは、それが自然の摂理だということだけだった。しかしながら心象の暗雲に対し、肉体は遂に手に入れたタンパク質に対し歡喜した。やはり、旨い。数分で食べ終えると、池で血を洗い、私は別の狩場を探し、霧が晴れると飛行練習をして一日を過ごしたのであった。


 時は流れ、生後二十日と言った具合か。肉体もまだ成長を続け、一回りほど巨大化したくらいだろう。これまでに何度か動物を見掛け、また射止めたが今まで経験した生物たちとそこまで変わりがないようである。しかしながら妙なものもいるもので、川に浮かぶ巨大な白い物体であったり、夜になると鳴き出す蟹がいたりと興味は尽きない。だがそれにもまして偉大なる進歩があった。私は遂に羽ばたき浮き上がる事に成功したのだ。未だ崖の上までは体力の問題もあって不可能だが、これによって移動域は飛躍的に上昇したといえるだろう。まだ本格的な捜索は行っていないが失敗率の高い朝方の狩りよりも安定した食料確保も出来るだろう。何よりも此処数日は動物がここらを避けているようで、あまり見かけなくなってきているのだ。


 私は興奮を抑えきれず、不安定なバランスのまま飛び立った。なんという清々しさだろうか。風を、空気を自らの身体で引き裂き前へ進む。人間に比べて、ドラゴンというのも悪くないものだなと、私は初めて思った。滑空して降りた時は目に入らなかった森林の詳細が手に取るようにわかる。便宜上太陽が出る方向を東とするが、どうも東に進めば進むほど湿地帯となっているようだ。恐らくは淡水の湿地、それも低層湿原だろう。ここで食料は望み薄といったところだ。もしかすれば巨大な鳥類などがいるかもしれないが、湿地帯には面倒な生き物も多い。どちらかと言えば草原などが優位な狩場だろう。わざわざ湿地帯には足を踏み入れたいとは考えもしないし、利害を考慮してもない選択であった。


 だがここで、急激な疲労が私を襲った。やはり慣れない飛行で遠征など果たそうとしたのが間違っていたらしく、元々さっぱりだったバランスが此処に来てガクンと急激に悪くなったのだ。このままでは水面に叩きつけられると危機感を感じるほど、突然の事だった。なんとか無事着陸しようと滑空を続け、恐らく随分と間抜けな姿だったろうが、私は後脚を左に右にと振り、バランスを保とうと躍起になった。


 凄まじい轟音と共に、私は転がりつつも無事湿地帯に着陸した。危うく命を落とすところだった。ああ、もうこんなことは懲り懲りだ。首を回して顔の水を払いのけ、着地した時に体重を支えた右前脚を確認する。どうやら湿地の泥底のおかげか、目立った傷は負っていないようである。ひと安心すると、さてどうしようかと周囲を流し見た時、とんでもないものが目に入った。


 簡潔に言えば、木片。だがしかし、それはあくまでも現状であって、本来の姿ではなかった。恐らく浅瀬を移動するためと思われる小舟、その小舟だった残骸がぷかぷかと浮いていたのである。なんというめぐり合わせか、私がバランスを崩し不時着した場所に小舟が浮かんでいたらしい。私は慌てて小舟に近寄ると、やはり人間が数人横たわっていた。人間が存在していることに感極まる余裕は私にはなく、存命かどうかを手早く確認すると、どうやら全員気を失っているだけらしい。無駄に命を散らさずに済んだことに安堵を浮かべると、麻袋に近い妙な袋が目に入った。何故か、その麻袋が微かに蠢いているように見えたのだ。まさかなと思いつつも、恐る恐るその麻袋を慎重に切り裂いてみれば、恐れていたことが、両手足を縛られ口枷をされた幼い子供が私の眼前に現れたのであった。


 無事二話投稿出来ました。このペースをできれば維持したいところです。

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