表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

プロローグ

 一人称で語るとき、男ならば俺・僕、女ならば私・アタシ等それぞれ該当するものがあるが、それらは自分に上手く当てはまらないように思える。というのも、今現在の自分には確固たる性別が無いためだ。取り敢えずは、男女共用で使われていた私で此度は表すとする。


 話せば長い。出来る限り端的に言うならば、私は記憶にある限り九つの生を謳歌した。記憶にある限りであるから、もしかすれば自我が目覚める前に既に何度かの命を踏襲しているのかもしれない。ようは転生を重ねてきた存在なのだ。どのような理由で転生を果たしているのかは分からない。それに気付いたのは初めて転生を果たして数年が経った時だった。その時自分はまだ呂律の回らぬ赤子であったが、頭にはいずれのものと分からない一人の歩んできた人生という記憶がこびりついていたのだ。自分にとってそれは摩訶不思議な体験であったことは間違いないが、赤子の覚束ない脳回路ではその記憶をまともに保持することも叶わず、時とともに薄れ、真っ当な自我が目覚めた時には断片しか思い返せないぼんやりとしたものとなっていた。故に、恐らく二度目であろうその生では地球という惑星にある小さな島国「日本」で前世などという蒙昧を忘れ一般的な国民として全うしたのだった。


 事情が変わったのはその次であった。驚くべきことに、私は再び転生というものを果たしたらしい。転生した先は随分と前世とは風貌の異なる荒れた大地、そして酷く戦乱に荒れた時代だった。私は男として生まれた。前世とは技術発展も幾分遅れたその時代、戦争を行うのは男であった。何故転生を果たすのか、いつになれば私は消えるのかという疑問を抱きつつも、私も十五になる頃には兵として戦争に参加した。思えばこれが明確に同族である人間を殺した初めての体験だった。酷い戦争だった。剣と槍と弓が縦横に交差する中、誰しもが自らの命を守ることが精一杯なのだ。陣形を組もうとすれば、横にいる筈の仲間が躯となって横たわっているなどしょっちゅうだ。しかし、誰もそれを悼もうなどとは思わない。直ぐにでも空きを埋めなければとその身体を踏み前へ進む。平穏に染まりきっていた私は、それでも一年も経てばそこに何物も感じなくなっていた。人の生とは、そんな高尚な考えは槍で相手の顔面を突き刺した時、余りにも生々しい手の感触と引き換えに、炉端に捨て置いてきてしまったようである。当然、そんな世で長く生きていられる筈もなく、それから二年後に、猛吹雪に見舞われた私の部隊は敵陣にて孤立し、最後には飢えと寒さによって惨たらしく三度目の人生を終えたのであった。


 勿論三度目の人生は私に深い衝撃を与えたのだが、重要なのはそれから辿る四度目の人生であった。私が私であることを思い出したのは強烈な苦味を感じた時であった。青臭い香りに顔をしかめると、どうやら口に何かが入っている。急いでそれを吐き出してみれば、それは雑草であるらしかった。一体何故と疑問を浮かべつつ、状況を確認してみれば、なんと私は兎であった。これには心底驚くと共に、人としてではなく畜生として生きねばならないことに絶望した。兎として生きるということは、文化的生活の何れも送れず只怠惰に過ごし子を孕むということであるからして、元々三度人として生きた私が悲嘆に暮れるには十分すぎるほどだった。故に私はその日の夜に兎の群れからこっそりと離れると、夜空に浮かぶ大小様々な島々の幻想に頓着すらせず、自ら命を絶つため川に飛び込んだのであった。


 次に話すのは五度目となるのだが、正直に言えば話すことすら憚れる。私が何になったかは自分自身よくわからないが、ミミズのような下等なものであったことは間違いないだろう。脳が発達していないためか、思考などできようもなく、只々本能に従って生きていた。思えば私が保持する記憶の大半をここで失ったのではないかと思われるが、しかしながら何処に蓄えられているかは分からないが経験というものは侮れないもので、本能以上に私は他の同族よりも生きることに長けていた。そうして私はひたすらに力を蓄え、時に群れを狙う敵と闘い、子を十分に成し果てたのであった。後に私はこの五度目と六度目の生から、私に起こるこの転生に関わる要因を一部ではあるが理解した。


 六度目は犬であった。犬は畜生としては随分と知能の高い生き物であったために、私は久方ぶりに思考を得ることができた。しかしながら何故四度目と五度目は生物として下等なものに転生し、今回は相当上層まで上り詰めたのか。できれば人間に戻りたい身としてはやはり気になることであった。


まず私はこれまでの生の要点をまとめた。勿論それは容易な事ではなく、転生などという超常現象に対してどの側面から調べてよいかわからなかった私は、以前聞いたことのある転生概念に着眼した。そもそも、輪廻転生というものは魂の浄化や栄達を目的としたものである、そういう理論を私は聞いた覚えがある。私はこの五度目の生でそれを確かめようと思った。魂の浄化栄達が目的ならば、少なくとも早死してはならないだろう。兎となった四度目は早期に自殺することで五度目には非常に下等な生物へと転生を果たしている。人間時代を鑑みてもそれは同じように思えた。また、三度目の生における戦争活動内の殺戮が私の転生に影響を及ぼした可能性は高いだろう。


 勿論これは可能性であるからして、実際には何の関わりあいのないものかもしれないが、殺さぬほうが良いというのならばそれに越したことはない。そして一つ前の生から犬まで大躍進を遂げたわけだが、これにはその種を反映させた言わばご褒美であるようにも感じ取れる。そこで私はこの犬生でひたすらに仲間を守り、種を反映させることに迅速した。とはいえ相手は妙に巨大な猫だったり珍妙なトカゲだったりと苦労はしなかった。なにせ奴らには知恵がない。予め砂を山盛り一杯にした場所へと誘導し、目つぶしと砂をかければ首を噛み切るのは容易だったのだ。かくして私は六度目の犬生を順風満帆に終えたのだ。


 さて七度目である。私は人間となった。やはり六度目の推察は何かしらの的を得たようで、悲願と言える人間への転生を成し遂げたのであった。しかしながら、全てが上手くいく筈もなく、私は幾つか枷を負って七度目の人生を歩むこととなった。しっかりと意識ある人間であったのは間違いようのない事実であるが、随分とひ弱な子であったのだ。主たる生活が狩りである文化圏であったために、私は種の繁栄どころか自分の命すら危ぶまれる極めて脆弱な状況に生まれ落ちた。


これは非常に困った。これでは次の生で再び畜生へと成り下がってしまう。一度人としての贅肉を付けた私にとってそれは耐え難く、意地でもこの体の弱さをどうにかしようと躍起になった。やはり最初はトレーニングである。ところが腕立ての一回どころか少しの距離を歩くことすらも出来もしなかった。齢二桁になる頃には立ち上がることすら困難となった。


 この時点で私には悲壮感が立ち籠めていた。家族や仲間たちからも厄介者として扱われ始め、大移動が行われる時期になると最早これまでかと諦めたものだが、ここで異国の者達が航海をして訪れた。彼らは言わば開拓紀の北欧諸国であった。新たな土地と植民地を探しに大航海を続けていたのである。この時代にも近代的な文化があることに驚いた私は、無碍に殺されてもまぁいいかと手製の杖で身体を支え、彼らとの接触を試みた。やはりというべきか、彼らは進んだ知見を持ちあわせており、しかしながら過去の人生においてそれ以上のものを体感した私からすれば幾分拙く見えるものだった。故に私は逐一彼らの見解に対して茶々を入れ、その度に論争になったものだが、何度かそのようなことを重ねる内に彼らも私が単なる憶測と出任せで語っているわけではないと気付いたらしく、結局のところ私は彼らと共にその本国へと渡ることになったのであった。


 彼の国は正に文化の坩堝と言った様子で、至る所に異国情緒を感じる風情に溢れていた。その中で私が衝撃を受けたものが、医学であった。どうにもその医学というものが、重力とは異なる何かしらの力を使っているらしかった。その概念を私は持っていなかったために、ここではそれを魂力と呼ぶことにする。彼の国でも、いかようにしてその力が存在しているのかどうかは定かではなかったが、兎に角それが医学において重要な位置をしていたのは疑いようのない話であった。そして私はその魂力に希望を見出した。結果的に言えば、その魂力を学ぶことによって私は変えることのできないと思われていた肉体の脆弱性を打破することができたのである。そしてこれを身力欠乏症と名付け、世界を股にかけて医療に貢献したのだった。享年六十四年であった。


 さてそろそろ終盤である。八度目の生を語るとしよう。八度目もやはり人間であった。これで少なくとも六十は超え、同族繁栄に何らかの貢献をすれば高等な生物に生まれ変われるということが言えなくもないことが判明した。生まれは海沿いの随分と大きな屋敷であった。健全な肉体に極めて大きな社会的地位、正しく選ばれし存在へとなれたのである。こともあろうに、私はこの環境に浮かれた。単純に有り余る金と女に溺れたのだ。社会貢献などは金があれば資金提供という形で幾らでも出来るし、数度の人生をたどった私は他の人々よりも金の流れに少し心得があったようだ。故に私はある程度のボランティア活動に投じた後は、専ら欲を吐き散らかすように生きた。全くもって嘆かわしい話だが、事実である。上辺だけを取り繕い、心内では醜く生き続けた。周囲は金がある私に取り繕い、それを私は人生の肯定だと感じてしまっていたのだ。


 ここまでくれば、自ずともわかるかもしれないが、九度目となる生は人でなく、猫であった。つまりは下級転生を果たしてしまったのである。どうやらこれは魂の浄土栄達であるからして、あのような腐敗に満ちた人生を送ればこうなるのは当然であったのかもしれない。これには私も目が覚めた。しかしながら、私が転生したのは随分と高度な文明を持つ人間社会の中でペットとして生まれた猫だった。これでは猫族のために繁栄を促すなど到底不可能のように思えたし、脱走も不可能且つ実際私を購入した家主は一頭買いしかし無かったために、子も残せずしんみりと庇護のもと暮らしていくしかないようだった。


 ならば最悪長生きだけではしてやろうと大人しく過ごしていた様相が変わったのは、主人が私を動画で撮り始めてからであった。所謂ネットストリーミングサイトへの投稿を始めたのである。このようなものが文明の中に流行ったのは私の記憶の中でもあったがために、それに暇であったことも付随して、私は通常の猫では絶対にしない奇妙な動きや行動を面白半分で取った。するとこれが脚光を浴びた。動画再生数は伸びに伸びると最後にはTV局の取材まで押し寄せるようになってしまったのである。そして、その押し寄せてきた番組の中に、保育所の猫を救い出そう、野良猫を助け出そうなどとという保護団体がいた。なんという運命のいたずらだろうかと私は非常に驚いた。まさかこんな展開になるとは露ほども思っていなかったし、ましてや猫である私に予見することは不可能であった。


 その後没年まで私を撮影した不可解な保護団体支援動画は続き、幾度かコマーシャルにまで起用され、全く知らないところで私は猫を救い続けていたらしかったのである。九度目において私がどれだけの猫を救ったのかという実感はあくまで壁向こうの話であったし、まるで実感はなかった。しかしながら私なりにも一所懸命芸をこなしたところもあった故に人間には成れるのではないかという淡い期待があった。それに猫を殺すどころか鼠一匹殺していない。勿論食料となる餌には多大な生命が用いられているわけだが、これまでの経験としても最低限の食事に係る命は転生とは関連がないように思われた。死の間際、私は胸を高鳴らせた。猫の生としては考えられないほど繁栄に貢献したのではないだろうか。再び人間として命を与えられたのなら、八度目のような瑣末な人生を送ることはやめよう…。


 そうして私が目覚めた時に感じたものは何かしらの楕円状の壁に囲まれ、全く目が見えないという状況だった。まさかまた五度目のような生き物になってしまったのかと当初は恐れおののいたが、あの時とは違い随分と思考が流暢である。澄み切っているとも言えるこの滑らかさは今までのそれ以上に思えた。それを踏まえて、どうやら今回も無事人間に、それも相当に優れた能力を持つ者に転生できたようであると確信した。しかし目が見えないというのは如何ともしがたい。まさか本当に盲目ではと危惧しながら、周囲を囲む壁を破壊しようと躍起になった。少なくともこの壁は壊さねばならないだろう。と、ここでどうやら様子がおかしいことに私は気がついた。体のバランスが人間のものと比べ大きく異なっていたのだ。まず腕が妙に不自由だし、頭の形状も不可解だ。嗚咽を感じるほどの悍ましい想像が巡る。いや、まさかそんなことはあるまいと感じつつも、振り払えない恐怖に私はひたすらに四肢を振り回し、壁を…いや恐らくは卵の殻であろうそれを壊したのであった。私は降り注ぐ陽光の美しさには目もくれず、自らの腕を凝視した。


 飛び込んできたものは、うっすらと光を反射する鋭利な鱗だった。それを視界に収めてから、現実時間としては数秒だったかもしれないが、非常に長い時間何もせずに硬直していたのではないだろうか。諦め、後悔、憤怒、筆舌に尽くし難い感情を混ぜ込み、4足歩行であるからして立っているという感覚ではないが、私は呆然と立ち尽くした。やはり動画投稿という結果の見えない他人頼りな方法がまずかったのだろうか。それともあの保護団体を自称していた者達は単なる金儲けの手段としてしか私と主人を利用していなかったのだろうか。


 八度目にて再三苦い思いをしたにも関わらず既に転生システムを理解した気になっていた私はどうやら相当天狗になっていたらしく、今になって思えばこの時なんらかの魔獣に襲われず今も生き抜いていることは幸運だったというしかないだろう。暫くして、爬虫類…恐らくトカゲの類になってしまったのはもう仕方がないと諦めた時、私はそれならば何故こんなにも思考出来る能力を有しているのだろうかという当然の疑問に帰結した。今までの生を鑑みれば、思考能力も何もかもが基本的に人間ならば人間らしい、獣ならば獣らしく計算といった高度な思考は出来なかった。しかしながら今は生まれたばかりというのに随分と淀みがない。ただのトカゲではない。私は今一度全身を細部にわたって確認した。


 強靭な筋肉に包まれた脚、スラリと伸びる尾、触れるだけで只ではすまないであろう鋭い鱗、そして両腕から伸びる翼膜…。なんということだろうか。驚くべきことだ。確かに、私が経験した生の中には、異なる法則によって支配された別世界とも呼べる存在を知覚したことはある。中にもこの世のものとは思えない珍妙な生物も目撃した。しかしながら転生によって得た肉体はどれも既存の存在だったのだ。だからこそ盲点であった。私が十度目の生において、満を持して得た肉体は私が知るかぎり、「ドラゴン」と呼ばれる架空の存在だったのである。


 細々と書いていきます。宜しくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ