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あっちむいてよboy!(2)

父が執務室に不在とは珍しい。開け放たれた部屋の窓を飾る薄いカーテンが、変わることのない晴天を透かす。

執務机に回り、その上にのる硬い装丁の本をのぞき込んだ。これが開いていることも稀なことだ。というより見る機会がない。

1枚の頁に、地面にうずくまる人間が見えた。1人の少女だ。ただ、何をしているのだろう、とだけ思っただけだった、はずなのに。

震える指で土に汚れ草を摘み取った。ただそれだけのことに、何故自分は涙を流し、胸が潰れるほどの罪悪を感じるのだろう。

ふと、そのとき視界に男の素足が入り込んだ。ゆっくりと視線を上げる。

銀髪の輝く、完璧な麗しさの美貌の持ち主。彫像でもありそうな長身。そんな彼が自分を見つめている。それを認識したとき、どんっと心臓が跳ね上がった。

「とっ、トイレー!!」

「待て、お前は」

遁走し遠くなっていく少女を見届ける前に、確信した心がすでに虚空を振り仰いでいた。

執務室に戻ってきた父が、頁を挟み、息子と対峙する。ふと思い出したように腕を組み、父は呟いた。

「ふむ、風が吹いたか」

天界などに風は存在しない。時が告げられた、という意味である。

「王子っ、どうか足をお止めください!」

数人の臣下達が取り乱しおいすがってくる。銀の長髪を揺らし、その大きな手に若い娘の手を握り、それらを無視して先へとどんどん進む。向かうは王座のある広間である。

「我が意に背くというのか」

立ち止まり、畏敬の眼差しが彼らを射抜く。誰もがそれにすくみ上がる。

「その娘は神化を遂げてはおりません「

「この者に神化などいらぬ。お前達にはわからぬ」

双方に挟まれ、黒髪の娘は黙ってきょときょとと視線をさまよわせている。幼き齢でありながら、己ねの過分を知っているのだ。

逞しい背中をそびやかし、男神は再び広間へと歩き始めた。やがて巨大な両扉が現れる、

両側に遣える、炎の衛兵が扉を開けにかかる。ゆったりと開かれる扉から父の神気が漏れ、溢れ出た。

「もう来たか」

「父よ、どうかこの娘と私を」

広間に入るなり、王子は声高に頼もうとした。だが。

次の瞬きの瞬間、己は再び地上へと足を踏み、天空の父の姿を仰いでいた。その隣には、それまで手をつないでいたはずの娘が隠れるように寄り添っている。小さく舌を出しているのも見えた。

「だから、言ったでしょう。これはGAMEだと。覚えてらっしゃらなかったのですか?」

頭があるならかっと血が上った。あの女、大人しい振りをして私をたばかったな。初めての激情に拳を握る。

「見つけたと思ったら逃げられる。これが鬼ごっこだそうだ。人界には面白い遊びがあるものよ」

父は悠然と肩で笑っている。若い娘と2人して、あっかんべえをすると、天空の映像はかき消えた。

「この畜生!」

生まれかつてない感情と敗北感を味わった瞬間だった。

中学に入り、ある時1枚のメモをもらった。「よかったら、自分と付き合ってくれないか?」という内容だった。何もかも平凡でそれにいじめられている私のどこに何の魅力があるのだろう。すぐに相手の面目も考えながら断った。

「水谷さん、何見てるの?」

下校時、後ろ向きにゆっくり歩いていた私に、同じ吹奏楽部の脇田君が話しかけてきた。私は正直に答える。

「夕日が綺麗だから」

「ああ、本当だ」

眼下に見える街の向こうに焼き付けるような夕日が沈もうとしている。胸を締め付ける黄金の夕映え。私も脇田君も2人で目を細めて同じものを見ている。けれどきっと気持ちの感覚は違うんだ。その不可思議さを私は面白いと思った。だって、私にはこの一瞬が、もう二度と見れない光景なのだと教えられてちかから。

「ちっ、またか」

隣でGAMEに熱中している「神様」が顔に似合わず舌打ちをする。どこの文化がこんなささくれた態度を教えたのだろう。小春はココアを飲みながら、同じ液晶を見た。

「声が聞こえてきたら、もう近くにいるんだよ」

ライフルを構えるキャラクターがガソリン入りのドラム缶を爆破する音が聞こえる。どうやら大量にやっつけたらしい。すると、神様はコントロ、ラーを投げ出して、小春の持つカップを取り上げた。

「甘いな」

しっかり小春が口をつけていたところをくわえて飲む。小春にはそれが見えないのできょとんとするばかりだ。

「もうしないの?」

「ああ、あらかた布石は置いて、後は自滅させてやった」

どうも、いつも神様の言うことは小春の考えとは食い違う。それが文化の齟齬というのだろうか。わからない。けれど彼はいつもニートの自分と一緒にいてくれて、「そのままでいいんだ」と励ましてくれる。服用する薬も少なくなるまでの我慢だと。

自分が社会人を辞めてからどれくらいたつだろう。失恋も仕事もいやがらせも一瞬に押し寄せて、許容できなかった。自分がついに壊れてしまったあの日。膨大な幻に惑わされて、口走ることもおかしくなって他人には理解できない行動すらとるようになってしまった。けれど、家族の愛があったから、私はここまで病状を治すことができた。あの時もし入院していたら、きっとここまで人の心を取り戻すことはできなかっただろう。

病気も落ち着いて、久々に会った友人とショッピングモールに出かけたあの日。突然2人組の外国人に話しかけられた。友人は社交的な性格だから、1人の青年とすぐに意気投合して4人でコーヒーショップに入ることにした。2人の会話で何とか場は和んだけれど、後に「神様」と呼ばれるこの人は一言も話さずに、ひたすらコーヒーを飲むばかり。それで、私達はそこでお開きになるはずだった。

けれど、去り際、白杖を持った私の手を引き、無口な彼は強引にブランドショップに連れて行った。そこで何着か服を淡々と揃え、私を無理に試着室へと押し込んだ。何が何だかわからないまま私は仕方なく恐怖心から着替え、彼に試着した姿を見せた。ピンクのグラデーションワンピースにラベンダーの柔らかいカーディガン。細いネックレスにメタルラインのパンプス。彼は一度見ただけで満足し、唐突に流暢な日本語で「君の家に挨拶に行こう」と、そう私に申しつけたのだ。その時の衝撃といったら。

「俺は家を無くしました。だからここでコハルを守らせてください」

「働いて養わせてください」というわけでもなく、ましてや「娘さんを私にください」というわけでもなく、彼はこう父に言ってのけた。水谷家一肝の小さい父は、拍子抜けどころか、神様の容姿もあいまって馬鹿受けし前代未聞の外国人の居候を承諾してしまったのである。

最も怒ったのは長男の洋三だった。どこで稼いでいるのか、定期的にお金を母に渡すことも知り、なお神様がこの家で居候する意味を強く問いただした。私も初めはそう考えていたけれど、どうしても心は動いてしまう。病気ならなおのこと、いつも頼りになる辛抱強い人が傍にあるというのはとても頼もしい。神様は誰よりも男らしくて、決して邪な素振りは見せない。優しくて、仁慈を知っている人だ。私はそんな彼が今では好きになった。尊敬する人として。

「水谷さん、まだ練習?」

オーボエを吹いていた私の背後に脇田君が立ったのがわかった。いつも不意打ちで彼は私に話しかけてくる。

「わからない所、一杯あるから…」

「熱心だね。可愛いな」

冗談めかして首を絞めてからかう振りをする。そうやって何となくいつもどこかに触れてくる。

「水谷さんを家に持って帰りたい」

「…3食とおやつ付きならいいよ」

それが私の最大限のはぐらかしだった。今では甘酸っぱい思い出。

高校に通うようになって、あまり美男ではない人と付き合うことになった。理性的で優しい所が好きだった。いつも私の悩みを真剣に聞いてくれ、励ましてくれた。別れは私の病気が原因だった。彼にはそんな私を支える勇気が無かったのだ。彼も仕事に悩んでいたから。

仕事の合間に出会い、私は彼の心意を知っていたから、「岩瀬さんは格好いいよ」と断言した。けれど、彼は自分の見かけに騙されて、正直に「格好良くないよ」と私の盲目を哀れに言うように答えた。それが私の心の杭。

執務室でパソコンを眺めながら、王が難しい顔をしている。そこへ妻がやってきて、お茶のソーサーを丁寧に置いた。

「お困りですか?」

「ああ。馬鹿息子が何度もあの娘をなぞるものだからな…。やっとその危険性をわかってきたようだ」

「あら、私のときも思い出しますわね」

「俺は奴とは違ってまだ頭は働いていた」

声も立てず、美しい妻が笑う。

「だが…。あの娘は特別だ。あらゆる世界が覗き始めている。彼女は独りでそれを守ろうとしているのだ。奴はそれにやっと気づいたか」

「時に任せることですわ。決まりには誰も逆らえませんもの」

「私が誰を守りたいと思うてもか?」

王の腕が妻の腰を引き寄せる。妻は微笑みながらしなだれかかった。

「コハルはどんな男が好みだ」

ベッドに寝転がって2人でまったりしていると、不意に神様が聞いてきた。私は「うーん」と返事して、

「大泉洋さんかなあ。いじられキャラなのに、二枚目なところがいいの。大人っぽく笑うとことか」

「………」

翌日朝のワイドショーで、大泉洋が出ていると思ったら、なんと結婚していて、可愛らしい子供もいるらしかった。私は何となくがっかりして、それでも「お幸せに」と心で祈った。隣でちらちらと神様が私の様子を見ているとも知らずに。

私の心はあの日から止まったまま。心から愛することを教えてもらったのは岩瀬さん。それよりももっと深い愛で包んでいてくれたのは家族。今、私が手に持っているのは「愛」だけ。役立たずでも、全てを愛することは自由だから。

私が中学の時にいじめられて登校拒否していた頃、父が橋の上で「一緒に死のうか」と呟いた。私は咄嗟にこの人を殺してはいけないと思って、首を強く振った。それから、私は自殺を選べなくなった。思えば、病気が加速したのもそれが原因であるかもしれない。

私が狂いに狂って最後に残った記憶。暗いどこかの一室で、たった独りの存在が、「いいか、これはGAMEだ」と声なき声で語りかけてきた。私はそれに念で何かを負けじと言い返したはずなのだけど覚えてはいない。別にこのことに拘っているのではない。ただ、この世の中に、誰からも、どんな事象からも突き放されて、独りでいる存在があるなら、その孤独の存在に付き添っていたいと思うだけ。

太陽が破滅して消えたとしても、いつまでもその人と一緒に悲しんで慰め合っていたいと。それだけを思う。思うだけなら自由だろう。

神様が創ってくれた地球の命を守れなかった悲しみを、いつまでもいつまでも慰めてあげたい。

父親の庶務室にあるパソコンを利用させてもらって、思いつく限りのことを記す。それが今の私の病気の処方箋の1つだ。書き終わり、ロックして電源を切る。眠い目をこすって私は退室した。 それと入れ違いに、書棚のある壁からすうと体を透かして現れた神様が真っ直ぐにパソコンの前に立つ。電源も入れていないパソコンにそれまで小春が書いていたテキストが現れた。それに当然のごとく目を通す。ゆっくりと顎に手をやり、沈思する。

「全てのSINEを記憶しているのか…」

神妙な声が低く呟いた。

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