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ひっそり書いた赤巻たると短編集

街路樹だって反逆することもある

作者: 赤巻たると

 この世には輪廻転生という考え方がある。

 要するに、アレだ。

 一回死んでも、霊魂が何かに宿って再び生を受けるって思想だ。

 といっても、無神主義の俺は、そんなことを全然信じていなかったのだけれど。

 しかしまあ、ここに至ってしまっては認めるしか無いだろう。



 ――俺は、街路樹に転生しました。



 まず思ったね。おかしいだろうと。

 マンガや小説とかだったら、奴らは華麗に勇者や貴族とかに転生して、ウハウハの人生をエンジョイしてるわけじゃん。

 可愛い女の子を侍らしてだな、けしからんことをいっぱいしてるわけだよ。

 それに引きかえ、俺の扱いはなに? 街路樹? 喧嘩売ってるの?


 いい加減怒るからね、俺。別に短気ってわけじゃないけどさ。

 言っとくけど俺が一度怒り狂ったら、誰も止められないからね。

 ピザの配達のバイトで鍛えた円盤投擲術は伊達じゃないから。

 軽く砲丸投げの選手より飛ばせるよ。ピザ限定だけど。


 それにしても、街路樹ねぇ。

 ……そんなもんに転生するなんて聞いたことねえよ。

 せめてこんな素晴らしい体験をするんだったら、銀髪オッドアイのスタイリッシュな青年に生まれたかったよ。

 魔法や超能力を手足のように扱って、皆からチヤホヤされたかった。

 でも、眼の前に広がる現実は残酷だった。

 まず暑い。クソ暑い。死ぬほど暑い。


 地球がバーニング状態で温度が上がっているのは理解できるが、限度ってものがあるだろって話だ。

 せっかく今朝に降った小雨で潤ったと思ったら、イフリートクラスの日照りが襲いかかってきたわけだからね。

 その上、セミがうるさすぎてノイローゼ状態に突入しそうなのだ。

 まあセミが耳元で鳴くことが、ここまでうるさいとは思わなかったよ。


 俺の身体の上で、クマゼミとアブラゼミが睨み合いながら、求愛の歌を口ずさんでやがる。

 てめえら一体誰に許可取って俺の上で宣伝行為を行ってるの?

 日本産のセミなら侘び寂びくらい理解しててナンボだろうが。

 それともまさかアレか。

 お前らは、人を足蹴にして結婚の申し込みを行ってこいって親に教育されたのか?


 言っとくけど、お前らの鳴き声相当うるさいからね。

 今の状況を部活動で例えたらアレだよ。

 剣道部の奇声と吹奏楽部の大コーラスに挟まれながら、書道部が活動してるようなものだから。

 顧問が「好きな文字書けよー」とか言っても、気が散って何も書けないからね。

 『爆ぜろサックス』とか『竹刀が折れて突き刺され』とか呪詛の言葉くらいしか思い浮かばない状況だから。


 しかもこいつら、ちょっと樹を揺らしてみても全然離れようとしないし。

 その上そこにツクツクホーシ先輩が乱入してくるんだから最悪だよ。

 俺の真上で、メスを賭けての合唱勝負だからね。

 三つ巴だよ三つ巴。俺が前世で見てたアニメは三鼎だからね。どうでもいいけど。

 こいつらは死のトライアングルを、よりによって人の領地で形成しやがってるわけだから。


 腹から声出してるからかは知らないけど、やたらうるさいだけだし。

 火の7日間とはよく言ったものだよ。

 そんなに業火が好きなら、誰かに火炎放射器で焼かれちまえばいいのに。

 まあ、もしそうなると、もれなく俺も火達磨になることうけ合いなのでやめて欲しいけどさ。

 しかも、しかもだよ。

 セミがいるっていうことは、他の問題を引き起こす原因になるわけだからね。


 まあアレだよ。

 俺も前世ではさんざんお世話になった遊びだけどさ。

 『セミ取り』っていうんだっけ。

 近所の無駄に活きがいいガキ共が、網を片手に狂喜乱舞して迫ってくるんだ。

 まさに獲物を見つけた肉食獣だよ。

 どうせ食いもしないのに何でそこまで必死になるかね。


 しかも網がペシンペシンあたって痛いから。

 抵抗できない俺に対して、よくもそんな外道な仕打ちができるもんだ。

 しかも人を網で殴打するだけにとどまらず、直接樹に登ってセミを追いかけようとしやがるからね。

 俺の枝が何本も、ミシミシ音を立てて折れていくのよ。

 もう痛いどころじゃないよ。


 隣の街路樹の星野さん、この前林業の業者にチェーンソーで枝を刈られて絶叫してたけど、この痛みは絶対それを超えてるからね。

 人間の腕もそうだよ。

 一思いにスパーンと切るんならまだ痛みも少ないけど。

 俺の場合はねじって引いてちぎられてるわけだからね。

 お前らはセミという幸せを追いかけるあまり、俺に不幸をもたらしてるわけだから。

 いい加減自覚しような。


 次やったら枝をしならせて頭叩きまくるから。

 俺が抵抗できないと思ったら大間違いだよ。

 俺が一度樹を揺らせば、お前らの頭上に大量の毛虫が降り注ぐわけだから。

 ついでに蜂の巣も付けてやろうか。

 俺の体に巣作って住んでるスズメバチ先輩、尋常じゃないからね。

 昨日も隣の魅津馬地組を血祭りにあげてきたらしいからね。

 強いよあの人達。俺の予想以上。


 ――まあそんなわけで、異常なまでに辛い転生先なわけだが、一つだけいいことがあったかな。


 近所に住んでるのかは知らないけど、可愛い女の子がちょくちょくやってくるんだ。

 そうだな、制服を着てる姿も見たことあるから、多分高校生かな。

 いいねー、花の女子高生は。

 こっちは花も咲かせられない街路樹だからね。

 その自由度は羨ましくなる。


 で、その女の子なんだけど。

 こんな暑い夏だから、日陰が欲しくなるわけじゃん。

 だからかな、その女の子はよく、俺の根のあたりに来て涼んでるんだ。

 たまに本を広げて、夕方までじっと読書をしてる。

 長い髪に白い肌、あんまり健康的とはいえない体つきだけど、その女の子にはどこか儚い魅力があった。


 まあアレですよ。ないはずの心臓がバックンバックン拍動しちゃって、夜も眠れないのよ。

 これがアレかな、ポピュラーな死因における心不全?

 いやだなー、街路樹にも病気ってあるんだな。

 こんな胸の高鳴りなんて経験したことなかったから、よく分からねえや。


 それで、よくその女の子が俺の真下で本を読んでるんだけどさ、ちょっとおかしいことに気づいたんだ。

 綺麗な制服や私服を着てるのに、いっつもどこかが汚れていたり、泥が付いていたんだ。

 やんちゃな娘には見えないから、少し気になってたわけ。

 それでも、俺はただの街路樹なわけで、何の手も差し伸べられない。

 だから日陰の場所を貸してあげるだけだったんだよね。


 でもある時、その均衡が崩れた。

 いつものように女の子が読書をしてると、ガラの悪い男たちがぞろぞろ近寄ってきたんだ。

 俗にいうチンピラさん。

 制服着てたから、多分女の子と同じ学校のやつなんだと思う。

 そいつらの姿を見た瞬間、女の子が震えちゃってたんだ。

 寒いのかなと最初は思ったんだけど、今は夏真っ盛りなわけだからね。

 だからすぐに分かった。この女の子は、こいつらに対して怯えてるんだってな。


『よぉー、ここにいたのか。こんな天気のいい日に、日陰に引きこもって何してんだよ』


 頭の中が愉快そうな男が、少女にヘラヘラした顔で近寄ってくる。

 俺の小枝センサーが、こいつを不快と認定した。

 女の子はといえば、男の顔を見てオドオドしている。

 その姿を見て、不快な男は半ギレの顔で語りかけた。


『今日は徴税の日だろ? 

 廃ビルにいつになっても来ねーと思って探してみりゃあ、

 こんなところで読書してやがるしよ。どうした?

 もう俺たちにお金はくれねーのかい?』


 なるほど、こいつらは女の子からお金をタカってたのか。

 なんつうヒモ野郎どもだ。

 俺が高校生の時は、ピザ配達に新聞配達、ピンクチラシの貼り付けにキャバクラの呼び込みと、多種多様なバイトで金を稼いできたってのに。

 何の苦労もせずして、警察からも目をつけられずして、金を得ようとするなんて言語道断。

 女の子もちょっとは言い返せよな。


 その気の弱さじゃできないと思うけど。

 しかし、この女の子は中々キモが座っているようで。

 消え入りそうな声だったが、男たちに向かってつぶやきを返した。


『……あげられるお金は、ないんです』


『あぁんッ!? 今何つったテメェ!』


『……ひっ!?』


『ふざけんなよ。今からオケカラに行こうと思ってたのによ。

 テメエが金をよこさなきゃ遊べねえだろーが』


 むぅ、なんという理不尽にして強欲な理由だ。

 しかも何だオケカラって。

 なぜ文字を入れ替える。

 そうやって下らん流行りに乗ろうとするからコミマスが調子に乗るんだ。

 よし、俺の感性はまだ大丈夫だ。流行りに取り残されてない。


『で、でも……お母さんが入院するから……お金が必要になって』


『テメエの都合なんざ知るかよ! 勝手に殺しとくか闇医者にでも任せとけや!』


『お、お母さんをほっとくなんてこと、できません!』


 噛みそうになりながらも、女の子は断定系で男たちに抵抗した。

 すると、連中は全員が全員不愉快そうに顔を歪め、女の子を囲み始めた。

 そして、数人が道への壁を作ると、不快な男がいきなり少女に蹴りを放った。

 持っていた本が吹き飛び、俺の身体に当たる。

 ハードカバーが直撃して、悶絶しそうになった。


『――っ痛。……な、なにをするんですか』


『あのよぉ、俺たちは何もお金をくれって頼み込んでるわけじゃねーんだ。

 『よこせ』って命令してるんだってこと、分かる?』


『……嫌です、お母さんの手術代のために、お金は一円も無駄にしちゃダメなんです』


『アァッ!? テメエ俺たちに金をよこすのが無駄だって言いてえのか!?』


 激高した男が、再び少女に蹴りを見舞った。

 抵抗できない女の子の柔らかいお腹に、男の汚い蹴りがめり込む。

 すると、少女は苦しそうに呻きながら、道路に倒れこんでしまった。


『十秒待ってやるよ。十秒待って金を出さねえなら、

 この場で骨へし折って廃ビルに連れ込んでやらぁ。

 どういう未来が待ってるか分かるよなぁ?』


『そ、それでも……ダメなんです。私は、絶対にお金を渡しません!』


『テメェ……。まあ良い、カウントダウンはもう始まってる』


 男が『じゅー』『きゅー』と下卑た声で数字を刻んでいく。

 女の子は蹴られた苦しみと追い詰められている現状に、涙と涎を流している。

 しかし、その眼には不屈の光が灯っていた。

 おそらくこの少女は、どんなに虐げられてもお金を渡さないだろう。


 たとえ、それで自分が不幸になったとしても。

 ……健気だな。それに、芯がしっかりしてる。

 確か俺の嫁も、こんな感じの性格だったかな。

 懐かしいなあ、やっぱり俺、前世に未練があるのかな。

 俺が瞑想にふけっていても、男は変わらずカウントダウンを続ける。


『ごー、よーん、さーん。ほら、早く出さねえと地獄見るぞー』


 やはり少女は動かない。

 その場で口を一文字に引き絞り、眼を瞑って痛みに耐えている。

 仕方がない、どうやらこの女の子を救える人間は、どこにもいないようだ。

 かわいそうに。


『にー、いーち……――死ねよクズ』


 ――ボキィッ


 まさしく人間が壊れる音が、街路にこだました。

 しかし、壁になっている男たちのせいで、今の惨状は漏れていない。

 だから、ここで人外が暴れても、多少なら大丈夫だということだ。

 例えば、枝で人間の腕を絡めとって、その構造を破壊することがあっても。


『いってぇぇぇぇええええええええッ!?

 何だ、何なんだッ!? 俺の腕がぁあああああ』


 いきなり苦しみだした男の腕は、見事に逆方向にねじれていた。

 それはまさに、男がその女の子に対してしようとしていた行為。

 しかし男は、それが自分の身に起きるとは思わなかったようだ。


『腕が……俺の腕が。こんの、糞野郎がぁあああ!』


 激高した男は、錯乱して何の関係もない女の子を標的に定めた。

 その流れを見て、他の男達も女の子を攻撃しようとする。

 だが、その瞬間、男たちの足元にあるアスファルトが割れ、何本もの枝が突き出してきた。

 そして、男たちの身体を絡めとると、隣の街路樹にたたきつけた。

 ――ごめんな隣の星野さん。

 女の子を守るためと思って見逃してくれ。


『……ぎ、ぐぅ……』


 すると、男たちは苦しそうに背中から落下し、深刻なダメージを受けた。

 意識が朦朧としているようで、苦しさで咳き込んでいる。

 あまりの非現実的な光景に、壁となっていた男たちが一目散に逃げ出した。

 そして、何とか立ち上がった男たちが、腕の折れている不快な男を担いで逃走を始めた。


『やっぱりあいつに構ったらダメだったんだ!』


『殺されるッ! もう二度としないから許してくれぇえええええ!』


 阿鼻叫喚状態で、男たちは角を曲がって姿を消した。

 あそこまで痛めつければ、もう二度と女の子に近寄らないだろう。

 一件落着、めでたしめでたし。

 何がなんだか分からなくて、困惑していた女の子が、俺の方を向いてきた。

 そして、自分の足元にある無数の穴を見て、俺が少女に助けを差し伸べたことを悟ったようである。

 そして彼女は、相変わらずおどおどしながらも、訝しんでこう言った。


『……助けてくれたの?』


 まあ、俺は喋る器官を持っていないので、『はい』なんて言えない。

 だから、一本の枝をこっそり少女の下に下ろして、うなずくジェスチャーをしてみた。

 さすがに不気味がるかなと思ったのだが、少女は晴れやかな笑顔になった。

 そして、今までで一番の明るい声で、お礼を言ってきた。


『ありがとう、街路樹さん!』


 ここでまた出た断定口調。

 こういう時に使ってもらえるとジーンとするな。

 少女は財布がしっかりあることを確認してホッと一息つくと、俺の枝を握りしめた。


『……私、いっつもここに来てたよね』


 枝に若干力を入れて、返事をする。

 すると、彼女はまたもや嬉しそうに笑顔を向けてくれた。

 この笑顔のためなら、何だってできそうな気がする。

 今の心持ちなら、サハラ砂漠に植樹されても生きていけそうだな。


『その時からね、なんだかここは落ちつけたんだ。

 誰かに見守ってもらえてるような、そんな気がして。

 でも――気のせいじゃなかったんだね』


 この少女がここで読書をはじめて、もう数ヶ月になるか。

 その間、女の子はずっと俺の視線を感じていたのかもしれない。

 女の子は視線に敏感だって言うしな。

 前世で俺は何度も少女に熱い視線を向け、クビキリジェスチャーを返されてきた男だ。

 それだから、普通の奴よりは分かる。自慢にならんけど。


『ほんとうに嬉しかったんだよ。

 実は今日限りで転校することになってるから、もう会えないかもしれないけど。

 でも、いつかまたここに来るからね!』


 そう言って、少女は手を振りながら去っていく。

 しかし、それはどうしても強調したい事項のようで、立ち止まって再び約束を確認してきた。


『絶対だからね! その時もまた、陰を作って私を涼ませてね!』


 その勢いに、俺は思わず枝を使って手を振り返していた。

 それを確認すると、少女は楽しげに走って去っていった。

 それにしても、去り際まで、俺の嫁に似ていたな。

 だからこそ、助けようとしたのかもしれない。

 まあ、苦しい言い訳だな。

 一人で苦笑していると、先程不良をぶつけたショックで目覚めた隣の星野さんが、声をかけてきた。

 しかし、その声はとても残念といった感じで、俺の心を冷却していく。


『あーあ、ついにやっちまったな。お前、切られるぞ』


『……ああ、やっぱり?』


『当然、いきなり暴れだす街路樹を、生かしておくわけないだろ』


『死ぬってこと?』


『死ぬってこと』


 そうか、そりゃそうだよな。

 だって、休日の真昼間から、いきなり樹が暴れだすんだもん。

 俺だってもし行政の人間だったら、気味が悪くて確実に伐採してるもんな。

 そこに魂が宿ってるってことを、知らないから。


『……お前、後悔してないのか?』


『可愛い女の子を助けられたんだぜ?

 男として最高のことをしたと思ってる。

 その代償として来たもんは、しょうがねえよ』


『死ぬのが、怖くないのか?』


『怖いな、怖くてたまらない。

 でも、あの場面で女の子を見捨てるよりは、絶対この選択の方が良かったよ』


『単純な奴め』


『はは、そう思うだろ。でも――』


 胸の中に、少しのざわめきが走る。

 何で、俺は少女のあんな約束を許してしまったのだろう。

 いつかまたここに来る。

 その時、ここに俺はいないというのに。

 少女はその時、どう思うんだろうか。


 怒るかな、怒るよな、当然だ。

 勝手に助けておいて、勝手に死んでるんだから。

 でも、ここで優先されるのは俺の気持ちだ。

 俺がこれからどうしたいのか。

 それを考えると、考えると――


『……ああ、星野さん』


『なんだ?』


『俺やっぱ、死にたくないんだ』


『言うと思った。その原因は、あの女の子だろう?』


『はは、鋭いな。あの娘も俺が居ないと知ったら怒るだろうなぁ。

 でも、それ以上に――』


『それ以上に?』


『俺、もう一回あの少女に、日陰を作ってやりたかったよ』


『……それは、叶わない。叶わないよ、残念ながら』


『俺だってわかってる。でも……それだけが悔しくてさ。心残りでさ。

 あの娘にもう二度と逢えないって考えると、胸のあたりが苦しくなるんだ』


 これはきっと、最初にあの女の子にあった時とは、まったく違う胸の現象。

 あの時はこれから春がやってくるかのようにウキウキとした心持ちだった。

 でも、今の場合は、違う。

 二度とあの女の子に会えないことが、嫌だった。

 涙なんて無いのに、どこからかこぼれ落ちてしまいそうだった。


『卑怯だよな、死って』


『そうだな。しかし、それは考えても仕方ないだろう。

 全てのものはパンダ・レイ。万物流転なのだから――』


 そう、仕方がない。

 込み上げてくる何かを、必死にその言葉で押し殺しながら、俺は今日という日を過ごした――






 あの女の子は、今日で転校すると言っていた。

 もうそろそろ、新しく過ごすセカイに到着してるかな。

 青春を存分に楽しんで欲しいぜ。

 先がある少年少女はやっぱり、そうでないとな。

 朝日が登ると共に、俺は耳を澄ましてみた。


『……おい、この樹か?』


『間違いない。化物が再び暴れ出さない内に、さっさと斬り倒すぞ』


 俺があいつの幸せを願っていると、二人の青年が現れた。

 片方は役所の人間っぽくて、もう片方はそれよりも若い林業者っぽい青年。

 どちらも、これから無限の可能性のある若者だった。

 対して俺は、これからの可能性は『死』しかない、ただの街路樹だ。


 隣の星野さんは、目をつけられないようにひっそりと街路樹のまま立っていた。

 そう、彼もそのままでいい。

 この街路樹に産まれて以降、ずっと退屈な時を無駄話で打ち消してきた間柄だ。

 いいやつだったな、星野さん。


『根から真っ二つにするぞ。いいかな?』


『よし、人払いも完了。やっちゃってくれ』


 ――パンダ・レイ。それすなわち万物流転。

 こうして俺は当たり前のように生きてきて、当たり前のように死ぬ。

 そこに個人の感情は存在しない。

 感情なんて、死ぬときに持ってても苦しいだけだ。辛いだけだ。


 でも、俺は最後まで、この未練を捨てきれなかった。

 どこからも流れ出ない涙で顔を濡らしながら、俺はつぶやいた。


『……最期に、会いたかったなぁ』


 その言葉さえ、激しい機械音にかき消される。チェーンソーだっけ。

 星野さんの時は枝を斬られるだけで済んだけど、俺は体幹だからな。痛いんだろうなあ。

 同時に、身体に何かが侵入してくるのを感じた。

 徐々に侵食されていく俺の身体。

 あの女の子のことを考えていると、不思議と痛みを感じなかった。

 幹肉が次々と削れ、上体が揺らいでいく。

 

 すると、俺が泣きじゃくるのを魂で訴えかけるように、切断面から樹液が染みだしてきた。

 そして、最後の部位を切り取り、チェーンソーの刃が空気があるところまで貫通した。

 その瞬間、なんだか急に眠くなってきた。すごく眠い。

 意識が、徐々に遠のいていく。


 ――思い出すのは、初めてここに来て困惑していた俺に、優しく説明をしてくれた星野さん。

 糞暑いにも関わらず、セミ取りを希望に満ち溢れた顔で続ける子供たち。

 俺の枝を整えようといつも良いタイミングでやってきてた枝の刈り込み師。

 そして、俺の下に来て本を読んでいた少女。

 それらが、みんな良い想い出として、全身から溢れてくる。


『――いや、だなぁ』


 ものすごく、眠たくなってきた。

 もう、この人生は終わってしまうのか。

 まだまだ、したいこともたくさんあった。

 何かにつけ世話を焼いてくれた星野さんに、恩を返したかった。

 そして、あの少女の約束を守りたかった。

 あの女の子に、また会いたかった――


『――いやだよ。死にたく、ねぇよ』


 涙で濡れながら、俺は地面に倒れ込んだ。そして、すべてが終わる。

 鬱陶しくなるほど暑い夏の日、一本の街路樹がこの世から消えた。

 誰にも気付かれない、静かで虚しい死。

 その最期は、嘘みたいに安らかだった。













 数年後、均されて空き地となった場所に、美しい女性がやって来ていた。

 キョロキョロとあたりを見渡し、暑い夏の陽射しに負けじと汗を拭う。

 しかし、そこに彼女の探しているものが見当たらないようである。

 『冗談キツイなぁ』、そうつぶやいて、彼女は幼き日の場所を確認するように地図を見る。


 そして、あの存在がいてくれた場所が、ここで間違いないのだということを知ると、女性は地図を取り落とした。

 何となく、そんな気はしていた。

 それでも、ここに来るまでは、そこにいてくれていると思っていた。

 その場にへたり込み、彼女は人目もはばからず涙を流す。

 時の流れとともに、全てが変わってしまう。

 それを初めて実感した彼女は、どこまでも誰よりも何よりも悲しんだ。


 彼女の足元に日陰が作られることは、もう二度となかった――







 

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