プロローグ
あれは中学三年の夏。バスケの中体連を目前に控えていた頃だった。
あの頃は、明日の自分がどんな状態になっているのか何て考えもしなかった。
三年に上がってバスケ部の部長になった俺に、こんな悲劇が迫っていたなんて…。
「おーい、桑原! 帰ろうぜ!」
部員の仲間といつもの様に下校した時だった。
夕日が沈んで空は夜に変わっていた。爽やかな風が吹いていた。
風に吹かれる度に、体から流れ出ていた汗が止まるのが分かる。
時刻は午後の七時半。練習に熱が入っていつもより長引いてしまった。
「…なぁ、桑原は高校どこにした?」
「俺? 俺は『西高』か『下田』のどっちかだな…」
「どっちもバスケの推薦で行ける奴だよなぁ? 羨ましいなぁ~!」
俺を入れて三人で歩いたタイルの歩道。今となっては不幸の元凶でしかない。
当時の俺は学校の進路に悩む必要はなかった。早くも高校から推薦を貰っていた。
春の新人大会を優勝した俺は、地元で注目される名プレイヤーの一人だった。
「『下田』の練習はキツイとか言ってたけど大丈夫か、桑原?」
「あぁ…一回だけ『下田』の練習に参加したけど、言う程でも無かったぜ?」
「やっぱり強い奴は言う事が違うな…俺にその才能を分けろよ!」
一年の頃からレギュラーとして試合に参加していた俺は高い実力を発揮していた。
長距離からのシュート。得意のスティール。素早いリバウンド。繊細なパス回し。
『勝利のガードセンター』。誰かが俺にそんな通り名を付けた。恥ずかしかった。
「やだよ。これやったら俺には何も残んないから…―――」
「ごめんよ! 何だよ…暗くなるなって!」
俺にはバスケだけだった。バスケだけが俺の全てだった。
特に何かが出来る訳でも出来ない訳でもない。そんな自分に嫌気が刺す時もあった。
今は「自分はバスケが得意です!」って胸を張って言える事に誇りを持っている。
だから…バスケは失いたくなかった。バスケだけは…――――
「じゃーな、桑原! また明日!」
「ああ、また明日!」
交差点で二人と分かれて俺は一人で家に向かった。
その途中で俺は、向こう側の歩道に渡る為に信号を待っていた。
赤い光が点滅して、緑の光へと変わった。
それを知らせる合図として横断歩道に音楽が流れた。
俺は何の躊躇いも無く、いつもの様にその歩道を渡った。
白い線を踏み越えて、俺は歩道を渡りきった。
――――…その瞬間だった。
突然、目の前が真っ暗になってしまった。
自分も道も見えない暗闇の中を俺は一人で歩いていた。
俺は不安と恐怖を感じた。自分の中から何かが抜けて行く様な感覚を…。
必死になっても抜けてしまう。どうしても失ってしまう。
俺の中から何かが消える…――――
「―――ハッ…!?」
目が覚めた。すると見慣れない天井が目に映った。
見慣れないベッドに見慣れない服。ここは県立の病院だった。
俺が歩道を渡り終える直前にトラックが突っ込んできたらしい。
飲酒運転で乱暴な走りだったと言う。俺は、そのトラックに轢かれてしまった。
退院する前に俺は母親からこんな言葉を聞かされた。
「…もう、バスケは出来ない」
右肩を骨折した俺は、その言葉を飲み込むのに時間がかかった。
部長を止めてバスケ部を抜けた。それでも信じられなかった。
自分の誇っていたものが消えた。失いたくなかったものを失った。
そこで俺は初めて考えた。明日の自分がどうなってしまうのかを。
今の俺には何が残っているのかを…――――
そうして『勝利のガードセンター』は、バスケットボールから姿を消した…―――