幼馴染ばかり優先していたクズな婚約者は、婚約破棄前にすでに処分が決まっていました
「君ならわかってくれるよね? フローラは病弱で可哀そうなんだ」
それがミレイユの婚約者ローディスの口癖。
婚約して二年。彼の中で一番大切なのは、家よりもミレイユよりも幼馴染のフローラだった。
何かあれば、フローラが熱を出した。
フローラが咳をした。
フローラが寂しそうにしていた。
そのたびに、ミレイユとの約束は後回しにされる。ある意味、ぶれない男である。
もちろん彼は甘いマスクに申し訳なさそうな陰りを作って、「この埋め合わせは後日」と言う。でも、その後日が来る前に次のフローラがやってくる。
積み重なるフローラへの気遣いと、ミレイユとの埋め合わせの約束。もう両手の指では数えきれないほど。
「……お嬢様、今日のお茶会はどうなさいますか?」
「もちろん行くわよ。侯爵家からお茶会の招待状は貰っているんですもの」
ミレイユの家も侯爵家であるが、婚約者が気に入らないからと言って無作法をするのは違う。招待状が届いているのなら、よほどのことがない限り欠席は許されない。だからこそ、ローディスも顔だけは出すのだ。お茶会には参加したという事実を作るために。その後、早々に切り上げてフローラのところに走っても表向きは問題にならない。
(いや、問題だらけよ……なんであんな人と婚約しなくちゃいけなかったのかしら?)
ミレイユは鏡の中の自分を見た。そこには、不愉快そうに眉を寄せる自分がいる。
「でも、そうね……もし、またフローラ現象が起きたら婚約破棄するわ」
ミレイユはきっぱりと言った。
「そんなことできるのですか?」
侍女に気遣われながら、ローディスとのお茶会に行く準備をする。
「できるわよ。不義理はローディス様ですもの。いくら可愛がっている長男だとしても、私を蔑ろにしすぎだわ」
「一度、はっきり伝えてみては?」
「言っているわよ。ちゃんと。でも、わかっていないのよね、彼」
最初は遠回りに、それが効果がないとわかったら、かなり直接的に注意した。それでも彼は変わることなく、困った様子で申し訳なさそうな顔をする。
(顔だけはいいのよ。でも今は見るだけでもイラつくけど)
「では、途中で切り上げるようなら婚約破棄を伝えるのですか?」
「そうね。フローラの名前を口にした瞬間に、一発殴るのが正解だわ。うふふ、楽しみ」
そのぐらいは許されるはず、とミレイユは婚約指輪の嵌った手でこぶしを作って見せた。
時間通りに侯爵家に到着すると、すぐにサロンへと案内された。ミレイユは侍女を連れてゆっくりと歩く。
(なんだか変な空気ね……もしかして、フローラが来ているのかしら?)
普段とは違う雰囲気を肌で感じて、ミレイユは眉をひそめた。案内する家令を見ても、特に何も言わない。いつもと同じようにサロンへと向かっている。
「少々お待ち下さい」
サロンへ通されると、座るように勧められる。腰を下ろせば、すぐにお茶が運ばれてきた。ミレイユの好きなお茶だ。
(やっぱりローディス様はまだいない。ホストとしてどうなの)
内心文句を言いつつも、お茶を堪能する。しばらくすると、誰かが入ってきた音がした。カップを置き、立ち上がってそちらを見れば――。
「……誰よ、あなた。ローディス様の代わりに殴られに来たの?」
見知らぬ男がここにいるということは、ローディスがとうとう直接言い訳することすらやめたということだ。
そのことに腹が立って、ミレイユはぐっとこぶしを握った。
「随分と気の強いご令嬢だ。ローディスはここにはいない」
やっぱりローディスは気遣いもしないことにしたのだ。ミレイユはにこりと笑うと、さらにこぶしに力を入れた。
「歯を食いしばってくださいな。多分、痛いですわ」
「まあ、落ち着け。彼は遠洋漁船の中だ」
聞きなれない単語に、呆気にとられた。いぶかしげに男を見る。
「遠洋漁船? どうして?」
「彼に侯爵家当主は荷が重すぎると判断した。その代わりに、新規航路の発見という名誉ある任務に就かせることにした」
大量の情報がつまっていた。
(名誉ある? あら……遠洋漁船って、確か、五日後に出発する航路開拓漁船があったわね)
社交界では新たな市場開拓の話題でにぎわっているのを思い出した。そして、それがローディスが放り込まれる漁船であることが結びつく。
「もし万が一、一緒に行きたいのなら手配する。最初の任務は怪魚の餌だ。生存率八割らしい。正直、あまりお勧めしない」
「行かないわよ。でも、そうね。ローディスが大好きなフローラ嬢を乗せたらいいわ。きっと励みになるでしょうよ」
つんとした顔で突き放せば、男は笑った。
「いいね。その気の強さ。どうだ、俺と婚約しないか?」
「はあ? なんで見も知らぬ男と婚約しなくちゃいけないのよ」
「まだ自己紹介をしていなかったな。ギルバートだ。ギルバート・ベルフォート」
「ギルバート? え? 王弟の?」
名前を告げられて、しげしげと彼を見つめた。確かに、王族にしか出ないと言われている藍色の瞳をしている。
(興奮しすぎて無礼をしてしまったわ。それにしても、藍色ってよく見ないと、黒じゃない。失敗した……)
内心舌打ちしつつ、愛想笑いをした。
「ローディスの行動は知っている。君の態度を不敬というつもりはない。こっちも迷惑しているんだ。優雅に隠居生活をしていたら、侯爵家がやらかしてな。母の実家だからお前が侯爵家を継げと放り込まれたわけだ」
そう言って、彼は肩をすくめた。きっと、ミレイユの気持ちをほぐそうとしているのだろう。
「まあ、ご寛大なお心遣い、感謝します。それでは私はこれで」
気が変わらないうちに、とミレイユはさっさと引き上げた。
(新しい婚約とか言っていたけど冗談じゃない。もう二度と、この侯爵家とは関わらないわ)
そんな決意のもと、急いで自宅へと向かった。父親をせっついて婚約破棄をするために。
それから三日後。
ミレイユが侍女を連れて、王都でも有名な庭園を散策していた。この時期にだけ咲く薔薇が満開だと聞いて足を運んだのだ。
婚約がなくなってしまったが、ひどくさっぱりした気分だ。何を見ても、色鮮やかで素晴らしい。
「いい香りね。今年は見に来られてよかったわ」
「去年はすっぽかされて来られませんでしたから」
侍女と顔を見合わせ、笑いあう。侍女と二人、日傘をさしながら歩いていると名前を呼ばれた。
「ミレイユ!」
聞き覚えのある声に、ミレイユはゆっくりと顔を上げた。
「……あら」
泥だらけの男が、息を切らせながらこちらへ走ってくる。緩くカールしていたはずの髪は乱れ、目は血走っている。必死さがその顔に現れていた。
ローディスだった。
「ミレイユ、頼む。話を聞いてくれ!」
「お断りします」
スンとした表情できっぱりと拒否した。縋り寄っていたローディスは目を見開き、愕然とした顔になる。
「何故だ!? まだ何も言っていない!」
「そもそも、あなたのお話を聞く必要があります? すでに他人ですわ」
ローディスは絶句した。だがすぐに、拳を震わせ、必死の形相で訴える。
「遠洋漁船に乗せられそうなんだ! あんな、新規航路の発見の仕事などしたくない! 怪魚の餌になんてなりたくないんだ! 土下座でも靴にキスでもなんでもする! だから君から殿下に撤回するように話してくれないか。わかってくれるだろう? 婚約者である君なら――」
「婚約者ではありませんわ。いやだわ、まだそのつもりでいらしたの? 既に婚約破棄されておりますわ」
ローディスの顔から血の気が引いて、真っ白になっていく。
「待ってくれ。あれは誤解だ。フローラは本当に病弱で――」
「その話、まだするのですか? フローラが熱を出した。咳をした。寂しそうだった。だから私との約束を破った。何度も、何度も」
ミレイユはため息をついて、日傘をくるりと回した。
「それにその遠洋漁船、航路の英雄の船ですわ。無事に五年後戻ってこられたあなたは英雄の優秀な部下。その肩書でフローラさんと結婚でもなさればよろしいのよ」
ローディスは言葉を失った。助けてもらえると思ったのだろうか。あれほどないがしろにしてきたのに、どこまでも身勝手な男だ。
「お話は以上ですか? では、お戻りくださいな。お迎えが来ていますわ」
そういって、視線を庭園の入り口に向ける。ローディスはこちらに向かってくるいかつい男たちを見て、ひっと悲鳴を上げた。ミレイユは冷めた目で彼をもう一度見てから、優雅にドレスの裾を少し持ち上げた。
「ごきげんよう。無事に英雄の優秀な片腕になって戻ってくることをお祈りしますわ」
「待ってくれ! ミレイユ、ミレイユっ!」
背後から何度も名前を呼ばれた。けれどミレイユは、振り返らなかった。
「……お嬢様、よかったのですか? もっと罵っても許されると思いますよ」
侍女がそっと囁く。ミレイユははっとして足を止めた。
「そうだわ、フローラさんも同じ漁船に乗ることになったとお伝えするのを忘れていたわ」
「――船に乗ればわかるので、伝えなくてもよろしいのでは? きっと再会したときに感動で世界の中心になった気分になると思います」
侍女の言葉に、ミレイユも頷いた。
「それもそうね。なんて美しい愛の形なのかしら。でも、私には無理ね。できれば……そうね、お互いに尊重しあえる常識的な政略結婚がいいわ」
ふふ、っと笑うと、ミレイユは再び庭園の花々を楽しむために歩き始めた。
Fin.




