私との婚約を破棄するそうなので、王家への支援も打ち切ります
ほぼ毎日恋愛、特に婚約破棄ものの短編を投稿しています。
ぜひ過去作もご覧ください。
「リディア・フォン・アルヴェイン。君との婚約を破棄する!」
王立学院の卒業記念舞踏会。
大勢の貴族が見守る中央で、第二王子エドガーは声高らかにそう宣言した。
隣には、彼が最近寵愛している男爵令嬢のミアがいる。
会場のあちこちから、ざわめきが起こった。
私は手にしていたグラスを静かに置く。
「……理由を、お聞きしても?」
「君が僕の婚約者として相応しくないからだ!」
「まあ」
思わず笑いそうになった。
相応しくない。
その言葉を聞くのは、これで三度目だった。
一度目は三年前。
二度目は半年前。
そして三度目が、今日。
「具体的には?」
「君は僕に対して冷たすぎる! 婚約者なら、もっと僕を支えるべきだった!」
「そうでしたか」
「それに、僕が何度も呼び出したのに、仕事があると言って断っただろう!」
「はい」
「僕より仕事を選ぶような女性と、王妃として生きていくことなどできない!」
エドガーは胸を張った。
その隣で、ミアが小さく微笑んでいる。
なるほど。
どうやら今日は、本当に婚約を破棄するつもりらしい。
思っていたことを全てぶち撒けた上に、大勢の人間が居るこの場で堂々と宣言した。
これはもう破棄されたものと考えていいだろう。
「分かりました」
「……え?」
私が即答すると、エドガーの顔が固まった。
「婚約破棄、お受けいたします」
会場が静まり返る。
「待て。君は……もっと取り乱すと思っていた」
「なぜです?」
「なぜって……」
エドガーは困ったように眉を寄せた。
私は少しだけ首を傾げる。
「婚約破棄を望んでいらしたのは殿下でしょう?」
「それは……そうだが」
「でしたら、これ以上お引き止めする理由はございません」
エドガーが言葉を失う。
ミアも笑顔を消していた。
私はドレスの裾を軽く持ち上げ、礼をする。
「三年間、ありがとうございました。正式な文書は私の実家までお送り頂けると幸いです」
そして顔を上げた。
「では、これで王家への協力も終了とさせていただきます」
「……協力?」
エドガーが怪訝そうに聞き返した。
「はい」
私は微笑んだ。
「婚約者として私が担当していた仕事のことです」
会場の空気が変わった。
◇
私の実家、アルヴェイン侯爵家は代々、王国の財務を管理してきた。
正確には、王国の税収、鉱山収益、穀物備蓄、商会への融資。
王都の経済を支える数字のほとんどが、我が家を通っている。
そして私は十六歳の頃から、その補佐をしていた。
理由は簡単だった。
父が言ったのだ。
『王太子殿下の婚約者候補になるなら、王家の金の流れくらい把握しておけ』
私はその言葉に従った。
毎日、帳簿を読み。
毎晩、各地から届く報告書に目を通した。
そして三年間。
私は一つの問題に気づいていた。
王家の財政が、異常な速度で悪化している。
原因は徴税の悪化ではない。
戦争でもない。
もっと単純だった。
エドガー王子が、勝手に予算を動かしていたのだ。
学院の改修費。
王都の新しい劇場。
王子専用の馬車。
外国から取り寄せた宝石。
そして、ミアへの贈り物。
それらはすべて「王族交際費」や「外交費」として処理されていた。
もちろん、数字だけ見れば分からない。
けれど、私は三年間ずっと帳簿を見てきた。
不自然な支出は、すべて記録してある。
それだけではない。
私はエドガーの婚約者だった。
だから王宮の財務会議にも同席できた。
そこで知った。
王家が今まで財政を維持できていたのは、アルヴェイン家が裏から資金を融通していたからだ。
つまり。
私が婚約者だったからこそ、我が家は王家を支えていた。
だから私は今日まで黙っていた。
婚約者である以上、王家の未来を守る責任があると思っていたから。
それに主原因たるエドガーにはなんども注意した。
王家の、この国の予算がどんどん悪化している、だから余り無駄遣いしないように、と。
だが彼はそれを無視した。
あろうことか私に「うるさい、無駄遣いなどしていない、黙っていろ」などと暴言を吐き、1人で出ていった。
それでも私は彼の婚約者である以上、実家に融資をお願いし続けた。
それと同時にエドガーの浪費癖の是正教育も行なっていた。
全てはこの国と婚約者のために。
けれど。
その婚約を、彼自身が破棄した。
ならば話は簡単だった。
「リディア!」
背後からエドガーの声がした。
私は振り返る。
「どういう意味だ!」
「どの意味でしょう?」
「王家への協力を終了するという話だ!」
「そのままの意味です」
「君の家が僕たちを支えてきたことは知っている。だが、それと婚約は別だろう!」
「ええ。私もそう思います」
私は頷いた。
「なので協力、まあ具体的には融資ですけれど、...しないことにするのは貴方に関してだけです」
「お前は一体何を言っているのだ!」
エドガーが更に声を荒げてくる。
私はそれに動じず、言葉を続ける。
「だから婚約がなくなった以上、貴方に協力する理由もなくなりました、と申しているではありませんか」
「待て!」
エドガーが一歩近づく。
「そんなことをしたら王家が困るぞ!」
「はい」
「分かっているのか!?」
「もちろんです」
私は微笑んだ。
王家、というより貴方は困るでしょうね。
少なくとも市政には今まで通り融資や予算管理を行うので彼らは何も困らないでしょうから。
「だから、今日までは続けていたのです」
エドガーの顔から血の気が引いた。
◇
翌朝。
王宮から緊急の使者が来た。
父の執務室に通された私は、届けられた書状を見て小さくため息をついた。
『至急、王宮へ出頭せよ』
差出人は国王陛下。
私は書状を父に返した。
「お父様。お断りしてください」
「そうするつもりだ」
父は笑っていた。
「本当に全部記録していたのか?」
「もちろんです」
私は自分の部屋から、一冊の分厚い帳簿を持ってきた。
表紙には何も書いていない。
中には三年間の記録がある。
支出。
指示書。
会議内容。
王子の署名。
財務官の証言。
そして、私自身の所見。
「これだけあれば十分でしょう」
「十分どころか、王子の立場が危うい。……それに私が記録しているものも提出するしな」
「それはもう完全に廃嫡になるでしょうね」
私は淡々と答えた。
すると父が少し意外そうな顔をした。
「怒っていないのか?」
「怒っていますよ」
「そうは見えん」
「怒っているからこそ、感情で動かないようにしているんです」
私は帳簿を閉じた。
「私が欲しいのは復讐ではありません」
「では何だ?」
「自分の人生です」
父はしばらく黙っていた。
やがて笑った。
「そうか」
◇
その日の午後。
王宮では緊急の財務会議が開かれた。
私は父と共に出席した。
国王陛下。
王太子殿下。
宰相。
財務大臣。
そしてエドガー。
全員が険しい顔をしていた。
「リディア嬢」
国王陛下が口を開いた。
「昨日の件だが……」
「婚約破棄についてでしたら、すでに受理しております」
「そうではない」
国王は疲れたように息を吐いた。
「アルヴェイン家が王家への融資を停止するという話だ」
「はい」
「王都の公共事業が止まる」
「いいえ、そちらは継続します。……今後は我々主導になりますが」
「……地方への食糧輸送にも影響が出る」
「そちらも継続します。当然私たちの名前で」
王の言葉に父は淡々と答える。
「……分かっているのか?」
「もちろんです」
父は静かに答えた。
「だからこそ、三年間、王家に融資し続けていたのですから」
娘と王家のために。
その言葉は静かになったこの場に響き渡る。
誰も言葉を発しなかった。
「王家の財政が破綻しないように。地方が混乱しないように。国庫の数字が帳尻だけのものにならないように」
父が私に目線をやる。
ここからは私の出番だ。
私はエドガーを見る。
「ですが、私はもう王子殿下の婚約者ではありません」
「それが何だ!」
エドガーが叫んだ。
「王家の財政問題と僕たちの婚約は関係ないだろう!」
「ええ」
私は頷いた。
「ですから、王家と我が家の契約を見直すだけです」
「契約?」
「はい」
私は一枚の書類を取り出した。
「我が家と王家の間には、王族の婚姻を前提とした財務協力契約があります」
エドガーが固まった。
「婚姻が破棄された場合、契約は翌月末をもって終了する」
宰相が書類を覗き込む。
「……確かに」
「昨日、殿下ご自身が婚約を破棄されました」
既に書類も届いている。
私は頭を下げた。
「ですから、契約に従っているだけです」
エドガーは何も言えなかった。
その時。
王太子殿下が静かに口を開いた。
「エドガー」
「兄上……」
「お前は知らなかったのか?」
「何を……」
「リディア嬢が、この三年間、どれだけ王家の財政を支えていたのかを」
「……」
「彼女がいなければ、昨年の冬には国庫が底をついていた」
エドガーの顔が青ざめる。
「嘘だ……」
「嘘ではない」
王太子は一冊の報告書を机に置いた。
「お前が知らなかっただけだ」
私は何も言わなかった。
エドガーがこちらを見る。
「リディア……」
「はい」
「……婚約破棄を、なかったことにはできないか?」
私は少しだけ考えた。
「できません」
「なぜだ!」
「昨日、殿下ご自身が仰ったではありませんか」
私は微笑む。
「私より、もっと相応しい女性がいるのでしょう?」
隣にいたミアの姿は、今日の会議にはなかった。
エドガーが俯く。
「僕は……」
「殿下」
私は静かに遮った。
「もう、私の人生を決めるのはやめてください」
それだけ言って、私達は席を立った。
◇
王宮を出た私は、久しぶりに空を見上げた。
これから王都、というより王家は大変なことになるだろう。
今まで進めていた大きな事業が全て、我が家主導に変わる。
もちろん理由も含めて説明することになる。
これで王家の威光は格段に下がる。
これを覆すには相当な変革が必要になる。
確実に主原因たるエドガーは廃嫡の上、平民以下に落とされるだろう。
……まあ私にはもう関係のないことだが。
婚約者だった頃は、いつも次の予定を考えていた。
王宮の会議。
財務報告。
外交資料。
エドガーへの手紙。
王族妃教育。
王家の行事。
自分が何をしたいかなど、考える暇もなかった。
「お嬢様」
馬車の前で侍女が尋ねる。
「これから、どちらへ?」
「そうね」
私は少し考えた。
「学院の近くにある、新しい図書館へ行きましょう」
「図書館、ですか?」
「ええ」
昔から気になっていた場所だった。
けれど王家の予定が優先されて、一度も行けなかった。
「その後は?」
「決めていません」
私は笑った。
「今日は、予定を決めないことにするわ」
馬車が動き出す。
窓の外を眺めながら、私は新しい手帳を開いた。
婚約者としての予定を書いていた古い手帳は、もう必要ない。
新しいページの一行目に、私はこう書いた。
『今日から、自分のための予定を作る』
そして少しだけ考えて、二行目を書き足す。
『まずは、読みたかった本を読む』
馬車の窓から差し込む夕陽が、紙の上を照らした。
私は手帳を閉じる。
婚約は終わった。
王家との契約も終わる。
けれど。
私の人生は、ここから始まる。
「……悪くないわね」
誰にも聞こえない声で呟いて、私は笑った。




