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ホラー作品

鞄の底

作者: 春凪とおる
掲載日:2026/10/02

僕の鞄から、死んだ生徒の手帳が出てきた。


それだけなら、まだよかった。

問題は、その生徒が死んだのが二十八年前だということだ。


そして今朝。

七冊目の手帳に貼られていたのは、僕の写真だった。


* * *


《二年三組 柏木 澪》


一冊目の手帳に書かれていた名前だ。

見つけたのは、一週間前の月曜日だった。

教科書を出そうとして鞄に手を入れたら、底に見覚えのない生徒手帳があった。


古いものだった。

表紙は擦れて、角が丸くなっている。


顔写真は女子生徒。

黒髪で、前髪が少し長い。


彼女は笑っていなかった。

落とし物だと思った。


でも、生徒手帳のデザインが少し違う。

気になって裏を見ると、小さく発行年度が書いてあった。


二十八年前。

気味が悪くなって、僕はその手帳を机の引き出しに放り込んだ。


翌朝。

鞄の底に、二冊目があった。


三冊目。

四冊目。

……毎朝、一冊ずつ増えた。


名前も、顔も違う。

卒業年度も違う。


ただ、共通していることが二つあった。

全員、この学校の生徒だったこと。


そして。

誰一人、卒業していなかったこと。


* * * 


昨日、六冊目を見つけたあと、僕は図書室へ行った。


古い卒業アルバムを調べた。

一冊目の柏木澪は、二年生の集合写真にいた。


三列目の端。

生徒手帳と同じ顔だった。


けれど、三年生のアルバムにはいなかった。

二冊目も。

三冊目も。


全員そうだった。

みんな、途中で消えている。


転校した? 退学したのかもしれない。

そう思おうとした。


でも、六冊目だけは覚えていた。

去年、この学校にいた生徒だったからだ。


彼の名前を見た瞬間、胸の奥がざわついた。

廊下ですれ違ったことがある。

体育祭にもいた。


なのに、どうしても顔が思い出せなかった。


* * *


そして今朝、七冊目が入っていた。

まだ新しい手帳だった。

表紙に傷ひとつない。


嫌な予感がした。

開きたくなかった。


それでも開いた。

顔写真を見た。

僕だった。


名前も僕。二年三組。

住所も、生年月日も見た。

一字一句、間違いなかった。


全部、僕のものだった。


ただ一つだけ違った。

写真の中の僕は、泣いていた。


こんな写真を撮った覚えはない。


ページをめくった。

最後のページに、鉛筆で文字が書いてあった。


《今日、鞄の底を見せてはいけない》


その下に、もう一行。


《見せたら、戻れない》


チャイムが鳴った。

同時に教室の前のドアが開き、担任が入ってきた。


「おはよう。先に連絡な」


教卓に名簿を置く。


「今日の昼休み、持ち物検査するから」


誰かが「マジかよ」と言った。

教室に笑いが起きる。

僕だけ笑えなかった。


「机とロッカー、それから鞄。全部見るぞ」


担任は続けた。


「鞄は、中身を全部出して」


一拍置いて。


「底まで確認するからな」


* * *


一時間目。

出席確認が始まった。

担任が順番に名前を呼ぶ。


僕は七冊目の手帳を机の下で握っていた。


捨てよう。

そう思った。


窓から投げてもいい。

燃やしてもいい。

とにかく、鞄から離せばいい。


「佐川」

「はい」


次だ。

僕の名字は佐川の次だった。


担任の指が名簿を一行下へ動く。


「鈴木」


僕は顔を上げた。

飛ばされた。


「先生」


返事はない。


「先生、僕、まだ呼ばれてません」


担任が顔を上げた。

僕ではなく、教室全体を見回した。


「……今、誰か喋ったか?」


笑いが起きた。

冗談だと思った。


「先生。僕です」


立ち上がった。

誰も見ない。

前の席の陽太の肩を掴んだ。


「なあ」


陽太が振り返った。


目が合った。

よかった、見えている。

そう思った。


陽太は僕の顔を数秒見つめた。

そして眉を寄せた。


「……誰?」


* * *


二時間目。

僕の机から、名前が消えた。


三時間目。

下駄箱から靴がなくなった。


四時間目。

クラスのグループチャットから、僕のアカウントが消えた。

――僕のスマホには、ちゃんと残っている。


母さんに電話した。

呼び出し音が数回。


繋がった!


「もしもし。母さん」


沈黙。


「……どちらさまですか?」


切った。

もう一度かけた。


出なかった。

昼休みまで、あと十五分。


* * *


僕は七冊の手帳を抱えて職員室へ走った。


先生に見せればいい。

誰でもいい。

僕がいると証明してもらう。


廊下を走っても、誰も注意しなかった。

職員室のドアを開けた。


「先生!」


誰も顔を上げない。

机を叩いた。


音はした。

何人かがこちらを見た。


でも、僕を見ているんじゃない。

勝手に鳴った机を見ている。


そのとき。

抱えていた手帳が、一冊落ちた。


柏木澪。

床に落ちた手帳が、ひとりでに開いた。


最後のページ。

そこには、今までなかった文字が書かれていた。


《鞄へ戻って》


文字が増えた。


《もう時間がない》


また増える。


《見つかる》


背後でチャイムが鳴った。

午後一時。

持ち物検査が始まった。


* * *


教室へ戻ると、僕の席はなかった。


正確には、机はある。

でも、誰もそこを僕の席だと思っていない。


僕の鞄だけが、机の横に掛かっていた。

担任がそれを見つけた。


「これ、誰のだ?」


誰も答えない。


「名前、書いてないのか」


担任が鞄を持ち上げる。


やめろ。


「先生!」


ファスナーに手がかかった。


「それ、開けないで!」


僕は鞄へ飛びついた。


その瞬間。

甘い匂いがした。蜂蜜の匂いだった。


なぜか、少し安心した。

そのせいで、逃げるのが一瞬遅れた。


鞄の底から、白い手が伸びた。


一本。

二本。

三本。


何本も、小さな手が僕の腕を掴んだ。


「いやだ!」


引っ張られた。

腕が、肩が沈む。


鞄は普通の大きさなのに。

底だけがない。


暗い。

深い。

落ちながら、六人分の声が聞こえた。


『大丈夫』

『すぐ終わるよ』

『怖くないよ』


優しい声だった。

また、蜂蜜の匂いがした。


最後に、柏木澪の声がした。


『こっちは、あったかいよ』


* * *


「空っぽだな」


担任の声がした。

僕は暗闇の中で叫んだ。


ここにいる。


先生。

ここにいる!


外から光が差した。

鞄の口が、はるか上に見える。

担任の顔が覗き込んでいた。


「何もない」


違う。

いる。

七人いる。


「落とし物か。職員室に持っていくか」


ファスナーが閉まった。

光が細くなる。


待って。

やめて。


最後の一本が消え、真っ暗になった。

その暗闇の中で、誰かが僕の肩に触れた。


振り返った。

六人いた。

全員、生徒手帳の写真と同じ顔だった。


柏木澪が笑った。

初めて見る笑顔だった。


「大丈夫」


そう言って、僕の手に何かを握らせた。

生徒手帳だった。


僕のものじゃない。

顔写真を見る。


知っている。

前の席。

毎朝、振り返って話しかけてくる。


僕の友達。

名前は――。


名前は。

もう思い出せなかった。


「次は、その子?」


澪が聞いた。

僕は手帳を見つめた。


写真の中で。

友達が、泣いていた。


* * *


翌朝。

陽太は教室で鞄を開けた。


教科書を出そうとして、手を止めた。

底に、生徒手帳が一冊あった。


知らない男子の顔写真。

二年三組。同じクラスらしい。

なのに、名前を見ても何も思い出せない。


「なんだ、これ」


陽太は首をかしげた。

鞄の底から、かすかに甘い匂いがした。

蜂蜜みたいな、優しい匂いだった。


そのとき。

写真の中の男子が、一度だけ瞬きをした。

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