9話 邪魔者
詠二の存在は、戦場にいた全ての味方兵士が勢いづかせ、逆に敵方の兵士の戦意を奪い取った。結果、陥落寸前にまで追い込まれていたヴァドルの軍勢は、劣勢の状況をあっという間に覆し、相手を撤退に追い込んだ。
更にそれだけではなく、自国へと敗走しようとしていた敵兵士の大半を味方に取り込んでしまったらしい。
それまで敵として戦っていた国にあっさりと寝返らせるほどの効果。詠二の反則的な強さもあっただろうが、それ以上に、この世界においてあの『天剣』の存在は大きいものだということか。
儀式の時に詠二が口にした言葉通り、敵対する相手を跪かせてしまったわけだ。まあ、敵国まで逃げ帰った奴もいるわけだし。絶対の力を持っている、というわけではないみたいだけど。
これで終戦、というわけにはいかないだろうが、少なくともしばらくの間はディーンがヴァドルに攻め込んでくることはなくなっただろう。
「さて、と。これで、俺達をこの世界に連れて来た目的を果たしたわけだよな?」
奇跡的な戦勝に浮かれるヴァドルの兵士達を見下ろしながら、俺達(俺と詠二とエリス)は砦の中で行われている、ささやかな戦勝会に出席していた。
その席で、俺はエリスに向かって切り出した。
「そろそろ教えてくれねえ? 俺達が元の世界に行く方法って奴を」
「すみません。私は、あなた達を元の世界に戻す方法は知らないんです」
まるで、そういう質問をされることを始めから予想していたかのように、あっさりと即答してみせるエリス。
「……そうなんですか」
エリスの言葉に、あからさまに落胆している詠二。
戦争が終わり、冷静になったことで思い出したのだろう。自分の存在意義……なんて言うと大袈裟に聞こえるが、ようするに愛する人(葉霧)がこの世界にはいないってことに気付いただけだ。
こっちの世界に来る際、豪快に見捨てられたというのに、その想いが消えることはなかったようだ。まあ、あの程度で嫌いになるくらいなら、始めからあんなとんでもない女に惚れたりしないか。
「ま、エージの力があれば、この世界でもなんとかなりそうだし。旅でもしながら情報を――」
「それにしても、まさか『天剣』を召喚するなんて……エイジ様は私の見込んだ通りの方でした!」
俺の言葉を遮るように声を発しながら、詠二に擦り寄って行くエリス。どうやら、今回の活躍を見て、ますます詠二のことが気に入ったようだ。アプローチがかなり積極的になっている。
それにしても、だ。まるで自分があっちの世界で厳選した結果、詠二を連れて来たような言い方をしたエリス。全て自分の手柄だと言わんばかりだ。顔が気に入ったって理由だけで適当に連れて来たくせに、よく言う。
「え、えっと、あの……そうだ! 聞こうと思ってたんですけど、漂流者っていうのは僕達の他にもいるんですか?」
必要以上にエリスに接近された詠二は、しどろもどろになりながらも、なんとか誤魔化そうとしている。別に助けてもよかったのだが、その質問が適当に思いついたものだとしても、かなり興味深いものだったので、エリスが答えるまでは黙って成り行きを見守ることにした。
「ええ。聞いた話だと、現在はジェイラスとアイレイネの軍に一人ずつ。他にも諸国を旅して周っているのが三人ほどいると聞いています。たぶん、私が知らない人もいると思いますので、正確な数は分かりませんけど……おそらく全部で十人いるかいないか、と言ったところでしょう」
たぶん、ジェイラスとアイレイネというのは国の名前なんだろう。この世界に来たばかりの俺達としては、できればその辺りも説明して欲しいとこだったのだが、興奮したエリスはそのことに気付いていない様子だ。
まるで、話したんだから褒めて、と言わんばかりにますます詠二に体を密着させている。
「へ、へぇ。……意外と結構いるんですね」
相槌を打ちながら、俺に助けを求めるような視線を送ってくる詠二。当然、俺はその視線に気付かない振りだ。
「ええ。まあ。数はそれなりにいるみたいです。けど、エイジ様ほどの力を持っている漂流者なんて他には存在しません!」
やけに自信たっぷりの様子で宣言した。
「そ、そうなんですか?」
「はい! 覚えていますか? 『召喚の儀』を行った時のことを。あの時、私が敵に対処する方法を指示しろと言いましたよね? 普通の人はあのような曖昧な言い方をされたとしても、実際に自分がどんな行動を取るかを想像し、具体的に指示してしまうものなんです。ですが、それでは大した力は得られないのです」
心底陶酔している、といった感じに詠二の行いを語るエリス。詠二もほとほと困り果てた様子だ。
そろそろ助け舟を出してやることにするか。
「エイジ様はあの時、ただこう言いました。相手を跪かせろ、と。これは――」
「エージが潜在的にSであることが証明されたってことだな」
「なっ!? ツバキ! いくらなんでもそれは――」
「否定できんのか? 跪かせろ、だぞ? 相手に自分の前に跪け、なんて台詞、お嬢様か女王様以外に言ってる奴、見た事ねえよ」
……まあ、俺の幼馴染ならそのくらいのことを言うかもしれないけど。
「それもただのSじゃねえ。強気な女を力ずくで自分の物にしたいっつう真性のドSだ。一歩間違えたら犯罪レベルだな。くれぐれも道は踏み外すなよ?」
「ち、違うよ! っていうか、仮に僕がSだったとしても、何で僕が強気の女の子のことを好き、みたいになってるんだよ!」
「なんだ? お前。葉霧が実はおしとやかな淑女だった、とかいう幻想でも見てたのか?」
「あ……う……そ、それは……」
葉霧の名前を出すと、とたんに真っ赤な顔をして黙り込んでしまう。いくら盲目的だと言っても、あの女が淑女に見えるほど視力は悪くないようだ。
詠二が何も反論できなくなったことを確認した俺は、詠二には好きな人がいる、という遠まわしな忠告を込めてエリスの方にも視線を向けてみた。これでエリスも少しは詠二へのアプローチを弱めるんじゃないかと思っての行動だ。が――
「黙りなさい!」
突然、鋭く、射抜くような一喝がその場に響き渡る。
周りで騒いでいた兵士達が、何事かと、全員こっちに注目してしまっている。
「え……エリスさん?」
いつものように軽口を叩き合っていたつもりが、いきなりマジ切れしたエリスに戸惑いを隠せない詠二。
「あんだよ」
自然と不機嫌な声が零れる。
色々あってぎりぎりのラインで何とか持ち直してはいるが、今の俺はあれからまだ一睡もしていないため、ほぼ四日間徹夜状態なのだ。いきなり目の前で喚き声をあげられれば、機嫌も悪くなるというものだ。
「口の利き方に気をつけろと言っているのです! エイジ様は、今はこの国の英雄。あなた如き俗物が対等な存在でいられるとでも思っているのですか!」
ここぞと言わんばかりに責め立ててくるエリス。
エイジが自分の求めている人材だと分かった今、俺になんて気を使う必要なんてなくなったってことか。気持ちの良いくらいの豹変っぷりだった。
「けど、そんなの偶然で……。それにツバキだって、僕と同じことをすれば、僕以上の力を得ることがあるかもしれないし……」
急に強気になったエリスを前に、逆に恐ろしく弱気な姿勢を見せる詠二。まったくもって頼りにならない奴だった。
「そんなことはあり得ません。エイジ様は『召喚の儀』を行った際、本来なら具体的にどう動くかを指示するところだというのに、迷わずあの言葉を口にしました。あれと類似するような言葉を……少なくとも、この男が口にすることができるとは思えません」
エリスの言葉から察するに、詠二が強力な力を手に入れたのは、たぶん、跪かせろ、という固有の単語が重要だったわけじゃないことが分かった。重要なのは、敵の攻撃を避けろ、とか、手に持った武器で敵を攻撃しろ、と言った具体的な命令じゃなかったこと。つまり、『召喚の儀』とやらは、曖昧な言葉を口にした方が強い力を得ることができるってことか。
詠二は何の予備知識のない状態であるにも関わらず、目の前に敵がいる状況で、自分に向かって、その相手を跪かせろ、なんて命令をした。ひどく曖昧な命令だ。だが、だからこそ、『天剣』なんていう伝説級の武器が召喚できたわけだ。
「それに、この男はもう資格がありません。『召喚の儀』は、何の予備知識のない状態で、自然と自分の中に生まれた言葉を口にするからこそ、大いなる力を得る事ができる、といったものです。既にエイジ様の儀式を見て、答えを知ってしまったこの男では、もし力を得ることができたとしても、それは微々たるもの。『天剣』ほどの巨大な力を得ることは不可能です」
答えを知っている人間は、たとえ正解を口にしたところで、力を得ることはできない、か。なるほど。最もな話だ。
それが分かっていながら、俺のいるところで詠二に説明をしたってことは……始めから俺には期待していなかったってことか。何となく、好かれていないとは思っていたけど、ここまでとはね。
「それに、エイジ様が『天剣』の使い手だと分かった今、その男の力が何であろうと不用。むしろ、エイジ様の力に嫉妬し、私達の前に敵として現れる前に、いっそ――」
言葉を途中で止め、傍に控えていた兵士達に意味あり気な視線を送るエリス。すると、見られた兵士達俺を見る目が……この場の空気が変化する。
「へぇ」
これは……なかなか、久しぶりの感覚だ。
ほどほどに心地よく、蕩けるように、べた付くように俺に纏わりつくその気配。
「面白ぇ。ヤる気か」
自然と口元がゆるむ。元の世界じゃ、滅多に感じることのできなかったその甘美な感覚に、意識よりも先に体が反応する。
ゆっくりと立ち上がり、兵士達を正面に構えた。
大分質は低く、密度も足りていないが、眠気覚ましには調度良い。
体に呼応するように意識も少しずつ覚醒していく。
「ちょっ!? ちょっと待った! 駄目だ! それだけは絶対に駄目!」
が、これから面白くなりそうだというところで、詠二が俺と兵士達の間に割り込んできた。
「エイジ様?」
何故止められたのか分からないような顔で、詠二を見つめるエリス。
「エリス! いい加減にしないか! ツバキは僕の大切な友達なんだ。それをなんだ? 使えないから不用? 僕達の前に敵として現れる前に消す? 馬鹿なことを言うんじゃない!」
「あ……う……」
詠二に怒鳴りつけられたことがよほどショックだったのか、一言も言い返さず、しゅんとして俯くエリス。
エリスは収まったが、周りの兵士達の方はそうはいかなかった。動揺しているが、俺への殺気は一向に消える気配がなかった。
そのことに気付いた詠二は、更にもう一つ、決定的な行動を取る。
「もしも、君達がツバキの敵になるというのなら、僕はツバキに味方する!」
そう宣言した後、天剣を呼び出し、兵士達に向かって構える詠二。普段はへたれで頼りがいの全くない詠二にしては珍しく強気で、友達がいのある行動だったのだが……。
……人がやる気を出した時に限ってそういう行動起こすのな。
俺は詠二の後ろに立ち、振り上げた拳を持て余しながら成り行きを見守っていた。