6話 戦争
こんな話を知っているだろうか。
ある人はクラシックのみがこの世で唯一の音楽であり、他の音楽と呼ばれているもの……特にロックなんてものは騒音にしか聞こえない、と言った。別のある人は、クラシックなど、単なる金持ちの道楽であり、そこに意味なんてまるでない。ロックこそが最高の音楽だ、と口にした。これがそれぞれ、クラシックとロックで名を馳せた有名な人物だというのだから面白い。要するに、前者はロックを不快な音と感じ、後者はクラシックを不快な音と感じたわけだ。まあ要するに、良いか悪いかなんて、突き詰めれば、その人間次第ということだ。人によっては車のエンジン音なんかでも癒されるらしいし。
で、結局のところ俺が何を言いたいのかというと……
「るっせえな……」
今の俺にとって、大勢の人間があげる雄たけび以上に、煩わしい音はないってことだ。
人が三日ぶりに睡眠を取ろうとしていたというのに、なんで邪魔されなきゃならねえんだよ。くそっ。
その騒音の元に苦情の一つでも言ってやろうと思い立ち、仕方なく起き上がり目を開いた。が……直前まで考えていた苦情の言葉は、目を開いた瞬間、頭の中から全て消し飛んでしまっていた。
「……んだよ、これ」
変わりにでてきた言葉は、本当に俺が口にしたのか疑いたくなるほどチープなものだった。だが、それも仕方ないものだったのかもしれない。誰でも起きた直後、目の前にこんな光景が広がっていたら、似たような感想しか口にできないんじゃないだろうか。
気づいたら、俺は平原の上で寝ていた。たぶん、誰もいなければ地平線まで見えるような見晴らしの良い平原。が、今その平原には、地平線を覆いつくすほどの大量の人間で溢れかっていた。
数千、数万、下手をすれば数十万の人間。しかも、その数十万もの人間が全員、剣を手に鉄の鎧を着込み、二つの陣営に別れて殺し合いをしていたのだ。見晴らしが良いなんて話じゃない。見るも無残な光景しか広がっていなかった。
「……急な増税に国民の怒りが爆発して、暴動でも起きたのか?」
「なんでこの光景を見て、そんな呑気な感想が抱けるんだよ!」
全く覚えのない光景に圧倒されていると、後ろから聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえてきた。思わず、その声のした方を振り返る。
「おお。エージ。いたのか」
そこには、俺の数少ない友人である来栖詠二が切羽詰った顔をして、俺を見下ろしていた。
見覚えのない光景の中、唯一、知った顔を見つけると、こんなにも安心するものなのか。改めて、友人というものの大切さを認識する。
「だから、なんで君はそんなに呑気なんだよ!」
俺は友情の再確認をしていたというのに、詠二の方は俺を見てもそれほどうれしそうにしていなかった。それどころか、説教すらしてきたし。
最近は、寝ている友人の枕元に立ち、起き上がった瞬間、怒鳴りつけるのが流行りなのだろうか。なんか、葉霧もこんな感じだったし。
「どうせ、農家の方々が国に食料自給率を今より20%上げろとか、無茶な要求されたことに反発して、一揆でも起こしたんだろ。そんなに気にしなくてもすぐに沈静されるよ。なんだかんだ言っても、日本の警察や自衛隊などの武装組織は世界でもトップクラスの能力を誇っていたりするからな。あんな時代遅れの格好をした連中なんて、一掃するのに大して時間はかからないだろ」
寝不足でテンションの全く上がらなかった俺は、真面目に相手にせず、適当にあしらうことにした。
「ああ! もう! 突っ込みどころが多すぎて、どれを突っ込んでいいか分からないよ!」
なぜか頭を掻き毟っている詠二。……変な薬にでも手を出したのだろうか。
「あのねえ! ――っと、うわっ!?」
再度俺を怒鳴りつけようとしていた詠二が、突然、何かから避けるように、その場から飛び退いた。その一瞬後、詠二が立っていた場所に、細長い棒状の物体が突き刺さった。
「……なにそれ?」
その穂先には何やら生臭い匂いのする赤い液体が付着している。
地面から引き抜き、先端部分に触ってみると、そこには法律で個人が所持することを制限されていなくちゃおかしいレベルの鋭い刃物がついていた。
「流石にこれはちょっと洒落にならなくねえ?」
それは本物の……それも、確実に使用した形跡のある鉄製の槍だった。
「だからさっきから言ってるだろ!」
……いや。お前、何も言ってないよ?
「お二人共、こちらへ! 早く!」
現状を把握できず、慌てふためいていた俺達(主に詠二)に向けて、鋭い声が投げかけられた。
見るとそこには、どこかで見た覚えのある金髪で修道服を着込んだ少女が立っていた。
「あ、そういや、俺達、あの女の作り出した黒い物体に飲み込まれたんだったか」
ここでようやく、なぜ俺がこんな場所にいる前、自分がどこにいたのか。何をやっていたのかを思い出していた。
「あれは何なんですか! 僕達をどこに連れて来たんですか!」
少女に連れられて、近くにあった建物の中に入った直後、開口一番で叫び声をあげる詠二だった。まあ、いきなり槍が目の前に飛んできたのだから無理もないか。
「少し落ち着いてください」
「そうそう。経験がないからって、そんなガツガツしてたら、いくら顔が良くたって、相手には引かれるだけだぞ」
「……」
あなたの方は、もう少し焦ってくれ、とでも言わんばかりの視線を俺に送ってくる美少女だった。
「けど! けど、僕はついさっきまで普通に通学路にいて! ほんとは今は学校にいる時間なのに!」
完全にパニックに陥っている詠二。流石に少し見ていられない。
「もう少し冷静になれって。ハギリも言ってたぞ。土壇場になってから慌てふためく男は見苦しいって」
どういう状況のことを言っていたのかは、黙っておくことにする。
「う、あ……うん」
はっとしたような顔をして俺を見ると、そのままその場で大きく深呼吸をし、強引に落ち着こうとしている詠二。どうやら、こんなとんでもない状況においても、葉霧という単語は効果的に作用するようだ。こいつの葉霧への想いは筋金入りということか。まあ、それが証明されたところで本人に届く可能性は限りなく低いけど。
「落ち着きましたか? ツバキ様」
そんな詠二の様子を見ながら、なぜか俺の名前を口にしている少女。
「俺はずっと落ち着いてるつもりだけど?」
顔は詠二を向いていたが、呼んでいる名前は俺のものだったので、一応答えてみた。すると少女は、なぜあなたが答えるの? みたいな顔を向けてきた。
「え? えっと……キザキツバキ様?」
詠二の顔を見ながら、確認を取るように首をかしげている少女。
「だから、それ、俺の名前」
「え? あれ? えっと……」
なぜだか分からないが、少女は詠二のことを希崎椿という名前で認識しているらしい。
……。
……あ。
そういや、この女があまりに胡散臭かったから、詠二の名前を椿ってことにして反応を試してみたんだったっけ。
「すみません。ツバキが悪ふざけで、あなたに別の名前を教えたんですよ」
悪ふざけとはなんだよ。
俺より僅かに早く、詠二がそんなことを教えてしまったおかげで、少女からはもれなく、あまり友好的ではない視線を向けられることになってしまった。……最初に騙そうとしたのは、そっちだというのに。
「僕の名前は来栖詠二と言います。それで、こっちが希崎椿」
改めてそう自己紹介をする詠二。
「それで、エリシエルさんでしたっけ?」
「エリスとお呼びください」
間髪入れず、自分を愛称で呼ぶように訂正するその美少女。
そのことに、俺は何となく嫌な予感を覚えていた。
今、俺達のいる建物はどうやら戦時中に使われている重要な拠点。おそらく、砦として使われている場所だろう。
本来なら、すぐ目の前で敵との戦をしている今の状況で、その門を開けるなんて愚行を犯す馬鹿なんていないはず。もし門を開けた瞬間、敵が入り込んでしまったら、一瞬にしてこの砦が落ちてしまう危険性があるからだ。が、エリスが目の前に現れた瞬間、この砦にいた連中は当然のように門を開け放った。
そこにどんな意味があるのかは分からないが、エリスがこの砦内において、かなりの権力を持っているであろうことはなんとなく予想がつく。そんな彼女が、妙に謙った態度で、出会ったばかりの俺達(主に詠二)に向かって、いきなり自分のことは愛称で呼べ、なんて口にしたのだ。……まあ、単なる彼女の性格って可能性もあるから、今はまだ何も言わないけど。
「あ、うん。……じゃあ、エリスさん。なんで僕達はここにいるんですか?」
能天気な詠二は、エリスの態度を全く気にしていない様子だった。
詠二の質問に、待っていましたとばかりに、真剣な表情で俺達に向き直るエリス。
「それをお話するには、まず、この国の現状を知ってもらう必要があります」
といった前口上から、エリスのこの国にまつわる講義の時間が始まってしまった。
まず、この国が国家としてその形を作るまでに有した苦労や、その時に活躍した人物の名前を挙げることから始まり、その子孫が今は何をしているだとか、現在の特産品はミルクだ、なんていうどうでも良いことまで話はじめやがった。
俺は、エリスが饒舌に口にするそれらの話を、その大半は聞き流し、重要な要点だけを頭の中で纏める作業に勤しんでいた。
その結果分かったことは、大体こんな感じだ。
この国(ヴァドルという名前らしい)は、ほんの数日前まで小国ながらも賢い王を中心に、それなりに繁栄した国家を形成していたらしい。だが、先日、その王が病により亡くなってしまったことにより、状況が一変した。今までは王が抑止力となり、他国からの侵略を押し留めていたが、そのバランスが崩れたというわけだ。
政治や経済だけでなく、戦争の力さえも王の才覚に頼りきっていたヴァドルは、その王の死という衝撃的な現実を前に、国のほとんどの昨日が一時停止してしまった。その際、うっかり、国境線の守備まで疎かになってしてしまい、その隙をつかれて、隣国のディーンという国に一気に攻め込まれてしまった、という馬鹿げた事態に陥ったらしい。
で、今俺達がいるこの場所、この砦は、王都から僅か五キロほどしか離れていない、この国の最終防衛ラインだとのことだ。ここまで話が進んだところで、そろそろ俺達の我慢の最終防衛ラインが突破されそうだった。
「あのさ」
「はい?」
「別に歴史とか、現状とかどうでもいいから、できれば俺達をこの場に連れて来た理由だけ言ってくれねえ?」
正直な話、現状なんてものを知る必要性があるとは思えなかった。
俺達が聞きたいのはただ一つ。そんな絶望的な状況であるこの国に、なぜ俺達は呼ばれたのか。その理由だけだった。
どこの世界の人間でも、ある程度偉くなってしまったら形式から入ろうとする悪癖は変わらないということか。
「できれば分かり易く、単語三つくらいで答えてくれ」
「なんでわざわざ単語三つにしなくちゃいけないんですか!」
「……お願いします」
珍しく、詠二も俺に乗っかってきた。どうやらこいつも、延々と続くこの国の歴史とやらを聞くのに耐えられなくなっていたようだ。というか、この女は、今はそんな説明をしている暇も惜しまなくちゃならないほどの非常時だということを本当に分かっているのだろうか。……言っちゃ悪いが、この国は滅びて当然なんじゃないだろうか。
詠二に頼まれたことでしぶしぶ言われたとおりにしようとするエリス。そして、しばらく顎に手を置いて考え込んだ後、こんな答えを導き出した。
「勇者。必要。連れて来た」
なるほど。分かりやすい。
「よし。エージ。痛い子が誘拐事件を起こしたって警察に連絡しろ」
「ちょっと待ちなさい!」
促されるままに携帯電話で警察に電話をしようとしていた詠二は、その言葉ではっとして正気に戻った。
「あなたが単語三文字で言えって言ったんでしょ!」
「そうなんだけどさ……」
実際に聞いてみたら、あまりにも真っ黒だったもので、つい自衛しようとする本能が働いてしまったようだ。
昔、葉霧がうちに五歳くらいの男の子を連れてきたことがあった。その時に、あいつが口にした台詞が、「可愛い。欲しい。連れて来た」 という不吉な三つの単語だった。なんとなく、あの時の光景がフラッシュバックしたのだ。
「まあ、要するに、ここは俺達のいた世界とは別の世界。で、この土地はヴァドルって国の領内。更に、そのヴァドルはお隣のディーンって国と戦争中。その上、そのディーンとの戦争は、ほとんど負けが決まっているような段階まで進んでいて、もう異世界の勇者、なんていう曖昧な存在に頼らなくちゃいけねえほど危機的な状況に陥っていたってわけだろ」
現状を説明すると、大体こんな感じだろう。
「……その通りです」
なんでそこで悔しそうな顔をするんだよ。俺がまともなことを言っちゃいけねえのかよ。
「それで? 何で俺達を連れて来たんだ? 正直、俺らみたいなガキを呼び出したところで、ここまで決定的な戦況を覆すなんてできるわけないと思うけど?」
普通に考えて、死体が二つ増えるだけだ。
「……ツバキなら、意外となんとかできるんじゃないの」
人が久しぶり真面目に話をしているというのに、余計な口を挟んでこようとする詠二。とりあえず、睨みつけて黙らせておく。
「それは……あなた達が――」
「特別な存在だとか言うのは止めろよ。今更だ。別に俺やエイジを個人として特定して連れて来たわけじゃない。始めから、俺達くらいの年齢の男を捜してたってことくらい、もう分かってんだからな」
ばつが悪そうな顔で俯くエリス。この反応を見る限り、年齢うんぬんに関しては、ただのはったりだったのだが、どうやらそれも事実だったようだ。
「詳しい説明、してくれるよな?」
俺は改めて、目の前にいる金髪の美少女を問い詰めた。
いい加減、プロットなし、話のストックなしの状態で毎日投稿するのにも限界が来たので、そろそろペースダウンします……