5話 異世界へ
「危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
「まあ、気にすんな。困った時はお互い様だろ?」
「……」
笑顔で応対したというにの、微妙に睨まれた。実際、助けたのは俺だというのに、恩知らずなことだ。それほど、さきほどのハバネロドリンクの威力が大きかったということか。
結局、少女が行き倒れていた原因は、ただの空腹だったそうだ。なんともベタな話だ。比較的金回りが良かった俺が金を出資し、近くのコンビニから水と食料を買って、それをくれてやったわけだ。
で、今は落ち着いた美少女と共に、俺達三人はコンビニ前の駐車場に腰を落ち着けていたりする。
もうそろそろ学校の方では、一限目の授業が終わってしまうくらいの時間になっていたのだが、俺と葉霧は既に遅刻は確定しているので、今更どれだけ遅くなろうと気にしないし、詠二は困っている人を方っておけないという偽善者的な理由から、それらは一時的に頭の中から消し去っていた。
「それで? あなたは何でこんな場所に倒れていたんですか?」
「それはですね。実は私――」
詠二が話しかけると、待っていましたと言わんばかりに笑顔で応対する美少女。俺の時とは大違いの好反応だ。
「……って、あああああ!?」
美少女は何かを思い出すように空を見ながら語り始めたのだが、いきなり叫び声をあげ、その後、俺達に背を向けるように蹲り、頭を抱えながら何やら独り言を呟き始めた。その後ろ姿からは、どうしよう、とか。もう時間が、といったわりとネガティブな感じの声が耳に届いてくる。
「(おい。どうする? あたし、あんまり関わりたくねえんだけど。今のうちに後ろから殴りつけて、気絶したところを川に流して何も見なかったことにしねえ?)」
そんな様子を見て、不吉なことを耳打ちしてくる幼馴染だった。
「(止めろって。まあ、こういう手合いを見ると放っておけないって奴がいるから、そいつが勝手に動くのを待って、後は全部押し付けちまえばいいんだよ)」
「(……分かったよ)」
あまり納得してないような顔をしていたが、一応頷いてくれた。案外、今の物騒な台詞は、本気で実行するつもりで言っていたのかもしれないかもしれない。……まあ、行動を起こす前に俺に一言聞いてきただけ、成長したと思うことにするか。
「あ、あの。大丈夫ですか?」
そうこうしているうちに、俺の思惑通り、目の前で困り果てている人間を見捨てることができない、といった性質を持つ偽善者が動き出した。
「何か僕で力になれることなら、相談に乗りますけど?」
相手を安心させるように笑顔を作りながら、少女に優しい声をかける詠二。
その余所行き用の甘い声に誘われるように、少女は声を発した人物のほうへゆっくりと振り返る。そして、見詰め合った姿勢のまま、しばらく静止する二人。
「…………素敵」
あ。何か、口走りやがった。
「え? なんですか?」
「い、いえ! なんでもありません!」
真っ赤な顔をして誤魔化そうとする美少女。どうやら、また一人、あの朴念仁の外面に騙された可哀想な少女が誕生してしまったようだ。あの来栖詠二とかいう男は、善人のような顔をしておきながら、その実態は顔と性格で数多くの女子を騙し、道を踏み外させる天然ジゴロだったりするのだ。
その後、少女はしばらく詠二の顔を正面から見つめていたかと思うと、何かを決心したように頷いて見せる。そして――
「あの! 実は私! あなた様に私の国を救ってもらうために、この世界まで来たのです!」
両手で詠二の右手を握りしめ、顔を正面から真っ直ぐに見つめながらとんでもないことを切り出していた。
「うええ?」
いきなり国を救ってくれ、なんて言われて、当然のように戸惑っている詠二。俺の隣では、だから関わらなければよかったのに、とでも言わんばかりの呆れた顔で、詠二を見つめている葉霧がいた。
まあ、そんな二人の反応はこの際置いておくとして、だ。俺は、その美少女の反応の方が少し気になっていた。彼女の口ぶりでは、始めから詠二を頼りにしてここまで来た、というように聞こえたが、俺には――
「今、その女、時間がないから、この際あなたでいいや、みたいな顔してなかったか?」
というようにしか見えなかった。
「……。そんなことありませんよ?」
あからさまに俺から視線を逸らしながら、囁くような声で否定していた。この反応で、俺と葉霧の彼女に対する心の距離が大きく広がることとなった。
「えっと、この世界まで来た、というのはどういう意味ですか? ええっと……」
が、詠二はその場に踏みとどまり、美少女に再度質問をしている。相変わらずの盲目っぷりだ。
「申し送れました。私の名前はエリシエル・ヴァレンタインと申します。詳しい説明は省きますが、私は私の国を救うため、選ばれた勇者を……つまり、あなたを探して、別の世界からこの世界に来たのです!」
来たのです! とか、力強く言われても……。
葉霧は今の話の所為で完全に引いてちゃってるし、流石の詠二もそんな話をされては……あ、いや。詠二はなんか、真剣な表情で話を聞いてやがった。
「それで、ですね。その……あなた様のお名前は?」
「そいつは、希崎椿って言うんだ」
きらきらした顔で詠二に向かって名前を尋ねている美少女に対して、詠二が自分から名乗るより早く横から口を挟んでみた。
「うえっ!?」
「ツバキ様!? やっぱり! あなたがツバキ様なのですね! ずっとお探ししておりました! やはり、聞いていた通りの素晴らしいお方なんですね!」
あっさりと安い餌に食いついてくる美少女。必要以上にハイテンションな演技で、詠二に向かってツバキ様、ツバキ様と呼びかけている。時間がなくてテンパっているのか。それとも、ただの可哀想な子なのか。
相対する男の顔を覘き見てみると……流石の盲目男も、正面にいる美少女を見るその目に不信感が宿っていた。
「なんだか分からんけど。とりあえず、がんばれ。ツバキ様」
「おお。お前ならなんとかなるから、自信を持って行け。ツバキ様」
俺は葉霧と共に、完全に傍観者に徹することを決め込んでいた。
「ちょっ!? 二人共、何を!?」
「では、時間もありませんし。すぐに参りましょう。ツバキ様」
慌てている詠二を尻目に、エリシエルと名乗った美少女は、まだ名前を聞いただけだというのに、もう付いていくことを了承したような感じで、話を進めている。……中々愉快な子だった。
「待って! まだ、僕、行くなんて一言も……」
勝手に話が進んでいたことにいい加減、危機感を感じたのか。ようやく、詠二が少女を嗜めようと口を挟んだ。だが、その行動を取るには既に遅すぎた。
少女はその場にしゃがみ込み、祈るように両手を合わせながら、何やら呪文のようなものを口走る。次の瞬間――
「うわっ!?」
空間が歪み、俺達の目の前に、人一人が軽く隠れてしまえるほどの大きさの漆黒の物体が現れた。
「「お~」」
いきなり目の前に現れた、とても人工物には見えない不思議な物体を目にして、俺と葉霧は同時に感嘆の声をあげていた。認識を改める。どうやらこの美少女は、ただの痛い子ではなく、本物の異世界から来た住人なのかもしれない。
まあ、どっちだろうと、俺達には関係ないけど。
「しっかりと付いて来てくださいね」
「う、え!? ちょ、待って――」
金髪美少女に半ば強引に手を引かれ、その黒い物体へと向かっていく詠二。そして――
「達者でな~」
「留年する前に帰って来いよ~」
それを手を振りながら見送る俺と葉霧だった。
「うわあああああああああ!!!」
絶叫と共に亜空間へと姿を消していく詠二。
「……」「……」
数秒後、この場には俺と葉霧。そして黒い物体(?)だけが残った。
「さて。学校に行くか」
「そうだな」
何事もなかったかのように日常に戻る俺達だった。
「エージのこと、学校には何て言う?」
「ん~……。知らねぇ女に付いてどっかに行った、とでも言っとけばいいんじゃねえの」
……。まあ、間違ってはいないか。
「んじゃ、そういうことにしとくか」
「おう」
これからの方針も決まったところで、俺達はそのまま学校へ向かって歩き出した。が――
「うおっ!?」
まだ残っていた黒い物体の横を通り抜けようとした瞬間、突然、中から伸びてきた手が俺の腕を掴んでいた。
「ツバキ!? 助けて! 助けてよ!」
更に中からは、数秒前に吸い込まれて消えたはずの詠二の顔が出てきやがった。
まるで地獄から逃げ出そうとしている亡者のように、右腕と頭だけ黒い物体から這い出し、助けを求めながら必死に俺を掴んできた。
「馬鹿野郎! なんでまだいるんだよ! ってか、とっとと手を放せ!」
「やだよ! っていうか、彼女はツバキの名前を呼んでただろ! なら、ツバキが行くべきだよ!」
「ふざけんな!? あんなの間違いなくあの女が適当に思いついたデマカセだろうが! あいつはお前を見てて、俺には見向きもしなかっただろうが! お前一人で勝手に地獄に落ちろよ!」
「地獄に落ちろってどういうことだよ! 死ぬの!? 僕、死んじゃうの!? やだよ! そんなの絶対やだ! どうせ死ぬなら、ツバキも道連れにする!」
すぐさま引き剥がそうと、出てきた詠二の腕や頭に蹴りを叩き込むが、こんな時に限って無駄に発揮している詠二の馬鹿力の所為で、引き剥がすことができなかった。
やがて、詠二の体の半分以上を飲み込んでいる黒い物体が、いい加減痺れを切らせたかのように、今までの倍以上の大きさに膨れ上がりやがった。
「うわああああああ!!!」「うおおおおおおおおお!?」
とっさのことで何の反応もできず、成すすべなく俺は、詠二と共にこの黒い物体へと飲み込まれていくことになってしまった。