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CRY I  作者: やひろ
42/42

42話 新たな地へ

 ツバキ視点


 突如として現れ、人々に災いと混乱をもたらせた魔族は、その場にいた天剣を持つ勇者に滅ぼされた。ヴァドルだけでなく、ジェパルドまで救ってみせた英雄王。その噂話で町中持ち切りだった。

 結局、途中アクシデントに見舞われた闘技大会は再開されることなく終わってしまったのだが、それでも街の住民達はその出来事を、熱に浮かされたように嬉々として語り合っている。

 ちなみに、街の住民を助けるように動き回っていた白い狼は詠二の使い魔。いつの間にか西の荒れ地にできていた巨大なクレーターは魔族のたくらみによるものだが、それもなんやかんやで、詠二によって解決した、という話になっていた。

 その件に関して、やたらとフェンリルが不満そうにしていたのだが、飯を奢ってやる代わりに黙っていろと言ったら、あっさりと了承した。将来が心配になるくらい、安い奴だった。

 あれから数日が経過していた。

 あの件で、このジェパルドからはけが人は大量に出たが、奇跡的に死者は一人もいなかったんだそうだ。

 危ない人間は何人もいたのだが、なんでも、偶然この街を訪れていた流れの医者が、これまた偶然、高額な薬を大量に持っていたらしく、それを怪我人に惜しみなく使ったことで、死者が出ずに済んだ、という話だ。ちなみにその医者は、見目麗しい絶世の美女だ、なんていう噂もあったりする。

 まあ、その絶世の美女が、本当に偶然、高額の薬を持ってこの街にいたのかどうかは分からないし、調べてみようとも思わないけど。

 そんな、街中が慌ただしくも、明るい空気に包まれている中、俺はとある街道で一人の少女と顔を合わせていた。

 約束したわけではなく、嫌がらせのために待ち伏せをしたわけでもない。本当にただの偶然だった。

「随分良い男になったじゃない」

 流石に試合直後よりはマシになっているが、それでも、そこら中に痣のできた顔を見て、そんな感想を口にするエリス。頭のあまりよろしくない彼女にしては、中々気の利いた皮肉だった。

「だろ? これを機に、エージから俺に乗り換えないか?」

「調子に乗らないで」

 一蹴されてしまった。

 これが顔を赤らめて、照れ隠しでもするように言った台詞なら、このまま強気に迫るところなのだが……エリスはそのままの表情で、「馬鹿じゃないの」とか言ってもおかしくないような顔をしている。

 そんなあまりにも脈のない反応をされてしまっては、もう苦笑するしかなかった。

 俺は適当にひらひらと手を振りながら、少女の横を通り抜けた。

「ちょっと待ちなさい」

「ん?」

 まさか呼び止められるとは思っていなかったので、ちょっとばかし驚く。

 振り返ってエリスの顔を見ると、いつもの敵意を含んだ顔をしていなかったことで更に驚いた。

「あなた……あんな無茶な戦い方をしたのは、もしかして、次の戦いでエイジ様に負けるためにわざと?」

「どうかな」

 エリスにしては確信を付いた中々鋭いご指摘だったが、詠二に伝わっても困るので、適当にはぐらかした。

 つまらない嫉妬から、一瞬で計画をぶち壊そうとしてしまったり、結局そんな試み自体、魔族が出てきた所為で無駄に終わってしまった、などという事実を知られたくない、というのもあるけど。

「ちゃんと答えなさい!」

 レメディやサリューネなら、察してこのままスルーしてくれるところなのだが、どうやら、お子様でお嬢様なエリスには、曖昧な返答で濁されるのが納得できないようだ。

 軽く肩をすくめ、仕方なくエリスと正面から向かい合った。

「あのな、エリス」

「何?」

「もしここで俺が、お前の言った通りだ、って答えたら、ちゃんと信用してくれるのか?」

「え!? えっと……それは……」

 口ごもってしまった。

 指摘されるまで気付かなかったのだろうか。相変わらず、可哀想な頭をしている。

「理由までちゃんと言ってもらえれば……それがちゃんと納得行く理由なら、私だって信用するわよ」

「理由、ね」

 一応、詠二のためって理由も前に言ってあるんだけど。どうやらそのことはすっかりお忘れなご様子。

 俺がここで納得行く説明をしたとしても、それさえも嘘だったらどうするつもりなんだろうか。……そこまで考えてないんだろうな。なんか、騙すことさえ可哀想になってきた。

 仕方ない。ちょっとばかり、エリスへの対応を変えるか。

「そうだな……。強いて言うなら、あれはある人間の気を惹きたいと思っての行動ってとこかな」

「どうせまた女でしょ。あの亜人の侍女の」

 軽蔑したような顔で、すかさずそんなことを聞き返してくるエリス。

 亜人の侍女、というのはレメディのことだろう。その不快そうな顔を見る限り、予想通り二人はあまりうまくいっていない……というか、エリスが一方的にレメディのことを嫌っているらしい。

 まあ、そんな人間関係のいざこざは本人同士に任せるとして、だ。

「半分正解」

「え?」

「女という意味じゃ正解。けど、それがレメディのためっていうのは不正解。俺が本当に気を惹きたい女は別にいるってことだよ」

「他に?」

「ああ」

 戸惑うように視線を泳がせるエリス。

 心当たりを探しているのだろう。

 すぐさま相手に答えを聞かず、自分で考えようとする辺りには好感が持てるのだが……いかんせん。本人の頭がついていっていないのが残念なところだった。

 ちょっとヒントをやるか。

「俺がエージのために働いて、一番得をするのは誰だと思う? 誰が一番、俺の評価を上げると思う?」

「え? それは……えっと……」

 できるだけ分かりやすいヒントをあげたつもりだったのだが、それでもさっきより深く考え込んでしまったエリス。まあ、それだけ彼女には思いも寄らない人物だってことか。

 俺としては自分で思いついて欲しかったのだが……仕方ない。変に遠まわしな言葉を使うのはやめて、ストレートに言おう。

「俺さ。実はお前に惚れているんだよ」

「うぇ!?」

 珍妙な呻き声をあげているエリスに向けて、可能な限り邪気のない笑顔を作る。

「向こうの世界でさ。お前を一目見たとき、完全にやられちまったんだよ」

「何を馬鹿なことを――」

「そういえば、初めて会った時のこと、まだ謝ってなかったな。ごめんな。エリスがあまりにも好みのタイプだったんで、つい意地悪しちまったんだよ」

 素直に頭を下げながら、謝罪の言葉を口にする。

「あの……う、あ、えっと……」

「俺が取った行動は、全部エリス。お前のためなんだよ。信じてくれないか?」

「その、ううう……」

 予想外の人間がいきなり自分のことを好きだと告白されたことで、どんな態度を取っていいのか分からなくなったのだろう。真っ赤な顔をして完全にパニック状態に陥っているエリスだった。

 想像以上に面白い反応だ。

 このままもう少し、戸惑う彼女を見ていたい気もしたが、それをやってしまうと、せっかくの真面目な言動が全て無駄になってしまうので、ここは抑えておくことにする。

「じゃあ、これ以上エリスの近くにいると、気持ちが抑えきれなくなりそうだからな。俺はそろそろ行くわ」

「え? あ! ちょっと!」

「またな。エージによろしく伝えておいてくれよ」

 言うだけ言って、返事も待たず、パニックを起こしているエリスをその場に残して、早々に退散した。

「惚れてるとか好きとかいった単語を要所要所で使った上で、相手に返答をさせずに会話を打ち切る。それを積み重ねることで、相手の意識を自分に向けさせる。女たらしの常套手段ですね」

 エリスの姿が完全に見えない場所まできたところで、建物の影からひょっこりと白髪の小僧が現れ、呆れたような顔でそんなことを言ってきた。

「城の中ではレメディさんや他の侍女さん達に散々手を出して、旅に出てからはサリューネさんに言い寄って、結局はエリスさん狙いですか。どんな変化球ですか」

「別に変化球なんか使ってねえっての。レメディ達と遊んでたのも、サリューネに言い寄ってたのも、本当に彼女達が好きだから取った行動だっての。ただ、エリスも狙ってるってだけ」

 俺はいつだって直球勝負なのだ。ただ、同時に複数の球を投げることがあるだけで。

「……エリスさんも、厄介な人に目を付けられちゃいましたね」

 本人を前にそんな感想を口にするフェンリル。

 こいつは主人である俺よりもエリスの味方らしい。再教育してやらなくては。まあ、今はまだやることがあるので、また今度にするが。

「俺はもうちょい用事があるから、しばらく適当に暇つぶししてろよ」

「了解です」

 それだけ言って、また別行動する俺達。

「さて、と」

 最後にもう一つ。やりかけの仕事を終わらせてくるか。

「これも惚れた弱みってやつかね」

 エリスの顔を思い浮かべながら、そんなことを言ってみる。

 たとえ冗談でも、口にしてみたら本気でエリスのことが可愛く思えてきてしまった。そんな自分の単純さについ笑ってしまう。



 ジェパルドにある、とある商人の館の一室にて。

 今や時の人である詠二は、このジェパルドという街の顔役の一人であるマルコと向き合っていた。

 つい先日、一触即発の険悪な状態で別れた二人だったが、そんな過去なんてまるでなかったかのように、マルコの態度が豹変していた。

「今後とも、よろしくお願いします」

「え、ええ。僕はいいんですけど……なぜ、急にこんなことを?」

「私、たった一人で魔族に立ち向かうエイジ様の活躍を見て、心を入れ替えたのでございます」

 詠二の問いに、すかさずそう答えてから、深々と頭を下げているマルコ。

 そんなマルコの急変した様子に、喜びではなく、困惑したようは顔をしている詠二だった。

 今、ヴァドルとジェパルドの間で行われる貿易に関しての話は纏まったところなのだが、その内容も、詠二を戸惑わせる要因になっていた。

 流石に詠二が口にした二倍、とまではいかなかったが、確実に前国王の時以上の取引をしてくれることをマルコは約束した。それはマルコにほとんど儲けなどないんじゃないか、と思えるほどの額だ。

 元々、二倍の価格で引き取ってもらう、というのは単なる脅しであって、大会に勝利してもそれを押し通すつもりはなかった。が、詠二は優勝していないのにも関わらず、それに近い条件をマルコは示してきたのだ。

 あまりにも破格すぎる条件に、何度も見直しを要求する詠二だったが、最後はマルコに押し切られるような形で、条件を呑むことになった。

 マルコのあまりの態度の変化に、最後まで困惑したような顔をしたまま、部屋を立ち去っていく詠二だった。

「……これでいいのか?」

 詠二が立ち去った後、すぐに隣の部屋に向かい、その場にいた人物に向かって、苦々しい口調でそう尋ねるマルコ。

「ええ。上出来です」

 メイド服に身を包み、犬の耳と尻尾を生やした女性は、笑顔で肯定した。

 今のマルコの顔は、詠二に向けていた、とりつくろった笑顔など完全に消え失せ、ただ人生に絶望し、くたびれた中年のように落ち込んだ雰囲気を漂わせていた。

 本来奴隷でしかないはずの亜人と同等の立場で会話をし、しかも、その言うことを聞かなければならない。それはマルコからすれば屈辱でしかないことなのだろう。

 だが、どんなに屈辱を受けても、感情を抑え、諦めることしか今のマルコにはできなかった。

 つい先日、一国の王である詠二に対して、完全に見下した態度を取っていた者とは、とても同一人物に見えない態度だ。

 それも、マルコを取り巻く状況がここ数日で劇的に変化してしまったことによる影響だった。

 マルコはここ数日の間に、それまで自分が個人的に行っていた商売に失敗し、莫大な負債を抱えることになっていた。その額はマルコの持つ全資材を投げ打った程度では返済することができないほどのものだった。

 このままでは家族共々売られてしまう。一気にどん底に突き落とされ、絶望していたマルコ。そんな時に持ちかけられたのがこの取引だった。

 突然目の前に現れた、この亜人の女性がマルコに対して、いくつかの要求を呑むことを条件に彼を救済するような取引を持ちかけた。

 内容は大きく分けて二つ。

 今後、ヴァドル、ジェパルド間の取引専門の商人になり、その他の取引は一切行わないこと。

 必要以上の利益が確認できた場合、その利益は全てヴァドルに回すこと。

 その他にも細かい条件がいくつもあったが、どれもこの契約の抜け道を潰すようなものばかりだった。

 この契約をすれば、マルコは商人として、もう上を目指すことはできなくなる。『強欲』の二つ名が付けられるほど、欲に汚いマルコからすれば、断固として拒否するべき内容だ。だが、マルコに断ることはできなかった。断れば商人としてではなく、人としての人生が終わってしまう。

 それは取引という形こそ取っていたが、ほとんど恐喝のようなものだった。

 だが、この取り引きはマルコの方にも利益はあった。条件さえ呑めば、借金が消えることはないが、ヴァドルという国がある限り、生活に困ることはなくなるということだ。

 それに、ヴァドルという国と直接取引している、という肩書があれば、借金取り達も、うかつに手を出すことができなくなる。

 歴戦の商人であるマルコは、何度も内容を見返し、なんとか抜け道を探ろうとしたが、いくら考えてもそんなもの存在しなかった。分かったのは、この条件を作った人間が、自分よりも数段頭が切れるということだけだった。

 断れば、その人物に自分がどんな目に遭わされるか。まるで想像ができなかった。

 こうしてマルコは、完全に飼われる道を選んだ。

「では。私はこれにて。今後も、良き関係が続きますよう」

 女は終始笑顔を貼り付けたまま、静かな動作で立ち上がった。

「……今回の件。貴様が全てを仕組んだのではないだろうな」

 部屋を出て行こうとする女に声をかけるマルコ。

 その声色に負の感情は一切なく、完全に憔悴しきったものだった。

「まさか。私はただ貴方様に助言をするよう頼まれただけ。私如き一介の亜人が、あなたのような大商人様をはめるなんてこと、できるとお思いですか?」

 亜人の女は笑顔のまま、再度礼儀正しく頭を垂れると、マルコの返答を待たずに部屋を後にした。



「ご苦労さん」

 一仕事終えて戻ってきたレメディに、すぐさまねぎらいの言葉をかける。

「ツバキ……いたの?」

「ああ。当たり前だろ。愛しのレメディに何かあったらまずいからな。すぐ飛び出せるよう、ずっと見守ってたぞ?」

「愛しいなら、そんなストーカーみたいな真似してないで、傍で守ってくれればよかったじゃないの」

「いや。だって、あの体型を近くで見てると、ボール代わりに蹴りたくなる衝動に駆られちまうし」

 適当にはぐらかした。自分でも苦しいと思うようないいわけだったのだが、妙に納得した様子を見せるレメディ。もしかして、本気だと思われたのだろうか? ……俺、どんな奴だと思われているんだろうか。

「それよりも。いいの? ヴァドルとの取引に、あのままあんな男を使い続けて」

 わりと真剣な表情でそんなことを聞いてくるレメディ。

 まあ、亜人を奴隷として取り扱おうとしていた男だ。取引相手として関わって行くのは気分が良くないのだろう。

 それを本人の前では全く顔に出さなかったところが、彼女が優秀な証拠であり、今回の件で俺がレメディを選んだ理由でもあった。

「いいんだよ。見た目と性格さえ目を瞑れば、あれはあれで優秀な男だし」

「見た目と性格が悪いんじゃ、男として最悪じゃないの」

「だからなおさらいいんじゃねえか。あんまり良い男をレメディに近寄らせたくないからな」

 これ見よがしにため息をつかれてしまった。ちょっとばかり、安っぽい台詞すぎたか。

「交渉役は、本当に私でよかったの?」

「ああ。亜人のレメディだからこそ良かったんだよ。レメディの上には、キミに指示をした誰かが他にいる。そう思わせることができるからな」

「実際にあなたがいるしね」

 その言葉を否定も肯定もせず、ただ笑顔を作って誤魔化した。

「それで? どんな手段を使ったの?」

「ん? 何が?」

「だから、あの醜い男を嵌めるのに、どんな手段を使ったのかって聞いてるの」

 醜い、の部分をやたらと強調している。どうやら、顔には出していないが、本気で嫌だったらしい。

 俺が今回、何をしたのか。これについては、本当は誰にも話すつもりはなかったのだが……まあ、巻き込んでしまったこともあるし、レメディにだけは話しておくか。

「別に大したことじゃないんだけどな。ブルーストーンって知ってるか?」

「ええ。常に青い光を放つ石のことよね。特に効果もないくせに値段だけはやたらと高い。なのに、なんでか知らないけど、この街でちょっとしたブームになってる、あれよね?」

「なってるんじゃない。なってた、だよ」

「うん? どういうこと?」

「今はもう、あんなもん、ブームなんてとっくに過ぎてるし、買おうと思えば二束三文で買えるよ」

 ブルーストーンというのは、レメディが言ったようにこの街でやたらと売れていた鉱石のことだ。

 暗闇でも青い光を放ち、その光が何とも言えない神秘的な輝きをしている。この石が、持っているだけで富や名声が勝手に転がり込んでくる、という触れ込みで富裕層の間で取引されるようになっていた。

 更に、この石を持っていた人達が、カジノで連日連夜勝ち続けた、なんて噂が広まったおかげで、闘技大会を見に集まっていた人たちの間で飛ぶように売れ始めたのだ。

 が、実際のところブルーストーンなんてものは、ただの石に軽いエンチャントを施して光るようにしただけの、他に何の効果もないただの石だ。そのことが買い手にもばれてしまい、今では恐ろしく安価な物へと変わってしまっている。

 このブルーストーンが、マルコを破滅に追いやった元凶だった。

 これが爆発的に売れているという情報を流れていた頃、マルコの元に一人の商人が現れた。

 商人はマルコの商店に大量のブルーストーンを注文した。この注文に、マルコは『強欲』の二つ名に相応しい喰らいつきを見せた。

 個人資産を可能な限りつぎ込んで、商人から注文された以上のブルーストーンをかき集めたマルコ。

 ここで問題が発生する。ブルーストーンは、マルコがかき集めた時点で、その出荷を待たずして、価値が急激に落ちてしまったのだ。

 ブルーストーンを使った商売は明らかに失敗だった。

 それでも本来なら、依頼した商人にブルーストーンを買い取らせることで、マルコ自身には何の被害も出ないはずだった。だが、ここで更に追い討ちをかけるように、取り引きを持ちかけてきた商人が破産した、という凶報がマルコの元に届いた。

 破産した商人にブルーストーンを買い取るような余裕なんてなかった。それどころか、本人は夜逃げしてしまい、今はどこにいるのか分からない状態に陥ってしまった。

 他に売り手を探そうにも、値段が暴落してしまった石ころに、今更買い手なんてつくわけもない。

 騙して売ろうにも、ブルーストーンの名前は少し有名になりすぎていた。

 マルコがブルーストーンを仕入れるために使った費用は、当然、一銭も戻って来るわけもない。

「結果、マルコには莫大な赤字と、ほとんど無価値となったブルーストーンのみが手元に残ったわけだ。めでたしめでたし」

「そう聞くと、不幸が重なったように思えるけど……。実際は全部、あなたが関わってるんでしょ?」

「まあ、多少は」

 適当に誤魔化してみたが、事実は多少どころではなかったりする。

 きっかけは、偶然入ったカジノで、同じテーブルに座った男との出会いだった。

 まるで、親の敵でも見るかのような必死な形相をした男が、俺の隣に座っていた。

 話を聞いてみると、なんでもその男は、とある商売に盛大にしっぱいしてしまい、このままでは、自分が首を括るだけでは足りず、妻や娘を売りに出さなければならないの状況だという。

 楽しむための席だというのに、随分とヘビーな事情を抱えている男に関わってしまったわけだ。

 で、その男の命を賭けた勝負の結果はというと、あっけなく男の惨敗に終わった。

 勝利の女神は、たとえその人の命を賭けたからといって、簡単に振り向いてくれるほど、尻軽ではないということだ。むしろ、女神の立場からいえば、この男が負けたのは当然のことかもしれない。俺は命を賭けているんだから、大人しく股を開け、なんて迫られ方をしたら、落とせる女も落とせないというものだ。

 だが、その男にはまだ最後のツキが残っていた。

 破滅をかけた勝負をしている時に、偶然俺が傍にいたことと、売ろうとしている娘や妻が、かなりの美人だった、ということだ。まあ、娘や妻がこの後どうなったかは、ここでは伏せておこう。一応、俺なりに相手を満足させるよう全力でがんばり、相手の方もまんざらではない様子だった、とだけ言っておく。

 ともかくだ。男に興味を惹かれた俺は、詳しい事情を聞き、その男が借金を抱えるきっかけとなったのが、ブルーストーンだということを知った。

 なんでも男は、悪徳商人に騙され、ほとんど価値なんてないブルーストーンという石を高額で大量に買わされたのだという。

 俺はその話を聞いて、ある方法を思いつき、その方法を男に打ち明け、半ば強制的に手伝わせることにした。

「追い被せ(おいかぶせ)つってな。商品を大量に発注し、それを相手が集めた段階で仕入先が倒産した、といった理由をつけて買い取りを拒否する。結果、相手の手元には大量の商品の在庫と莫大な負債が残るって寸法だ」

 大量の商品とは、当然、ブルーストーンのこと。

 ちなみに、マルコに取引を持ちかけ、その後に買取を拒否した商人とは、そのブルーストーンを騙されて大量に買うことになったあの男だったりする。

 ついでに、できるだけ多くのカジノを出入りし、そこで知り合った貴族達の好奇心や虚栄心を揺さぶってブルーストーンをできるだけ多く買わせ、値段を釣り上げるように仕向けたりもした。

 それらの工作が面白いくらいにうまくいき、結果として、マルコが破産するまでに至った、というわけだ。

「はあ……。なんというか。よくもまあ、そんな悪どい方法を思いつくものね」

「俺が思いついたんじゃねえっての。俺達のいた世界じゃ結構メジャーな手法なんだよ」

 追い被せとは、元の世界では、特定の会社を潰すのにわりとよく使われる手法なのだ。まあ、裏の社会では、だけど。

 詠二より、数日早くこの町に辿り着いていた俺は、カジノで金を稼ぐ傍ら、そんな感じで色々と裏で動きまわっていた。

 当初の予定なら、破産したところにつけこみ、残ったマルコの私財を一切かっさらい、全て自分の利益にしてしまおうと考えていたのだが……。ちょうど仕上げを行おうかと思っていた時期に、詠二達がここに来るという情報が入ってきたため、計画を変更。

 詠二がヴァドルのために貿易を再開しようとしていることを知った俺は、その支援に周ることにしたのだ。

 おかげで、俺が手に入れるはずだった稼ぎはほとんど消えてしまっていた。まあ、この街に来るときに壊した祠の修繕費くらいは、ぎりぎりで残したけど。

「表では二回戦でわざとらしくないようにエイジ様に負けるためにゴーレム族と正面から殴り合って、裏では自分が手にするはずだった利益をあげちゃって、結局手元には何もなし? 損な役回りね」

 呆れたような、それでいてどこか楽しそうな声色でそんなことを口にするレメディ。

 本当はそこに、重症を負いながらも魔族の本体と戦った、という戦功が加わるのだが、それは言わないでおこう。

「だろ? そんな可哀想なツバキ君を慰めてくれないか?」

 代わりに、レメディの華奢な肩に手を回した。

 が、伸ばした手は、彼女の体に触れるか触れないかのところで、するりとかわされてしまう。

「慰めて欲しいなら、美人で性格も良い彼女さんに慰めてもらえばいいでしょ」

 可愛らしく舌を出しながら、俺から距離を取るレメディ。

「あ~……」

 どうやら、俺がサリューネと一緒にいたことは、あの場にいなかった彼女の耳にも、しっかりと入っているらしい。まあ、大会中、公衆の面前で大声で叫んでたので知ってて当然か。

 彼女が本気で怒っていないところを見ると、俺とサリューネがそこまで深い関係になっていないことは分かっているみたいだが、全く気にしていないというわけでもないらしい。

 仕方なく、伸ばした手を引っ込めた。

 こう見えてもレメディは俺とは違って忙しい身だ。そんな彼女に無理を言って、この役割をやらせた手前、これ以上は拘束するのも悪いか。

「じゃあ、またな」

 気を使わせないように、俺から別れを切り出し、出口へと向かった。が――

「ツバキ」

「ん? ん――」

 名前を呼ばれて振り向いたところで、いきなり抱きつかれ、口を塞がれる。

 亜人特有の少しざらざらした舌が口内に侵入してくる。

 とっさのことで、俺は何の反応もできずに固まってしまい、成すがままになっていた。

 そして、俺が正気を取り戻し、反撃に出ようとしたとたん、レメディの顔が離れて行ってしまった。

「ご褒美よ。時間もないし、今はこのくらい。続きは今度、ね」

 離れ際に笑顔でそう言うと、固まっている俺にもう一度ベーっと舌を出してから、軽い足取りで立ち去ってしまった。

 必死に働いた結果、ご褒美がキス一つ。ディープだったとはいえ、ちょっとばかり安すぎじゃねえか?

「……こんなんじゃ全然足りないんですけど」

 機嫌良さそうに尻尾を振りながら歩くレメディの後ろ姿に向けて、そんなことを口にしていた。



「まさか、この私がヒューマンとの戦いに負けた上に、命も助けられるとはな」

「戦いじゃねえよ。ただの喧嘩だっての」

 傍にあった木製の椅子に逆向きに座り、背もたれに腕を乗せながら、軽く訂正を入れておく。

 可愛らしい亜人の女性から一転して、今、俺の目の前にはいかつい中年のおっさんがいる。

 つい先日、闘技場で派手に喧嘩をしていたゴーレム族の男、グレゴールンだ。

 俺は今、街にあるわりと大きめな病院に、ちょっとばかり、敗者をいたぶりにきていたのだ。

「まさか、この年になってまで、喧嘩をすることになるとはな」

 顔中を包帯でぐるぐる巻きにされ、その上ベッドから起き上がることができないほどのダメージを受けているグレゴールンのおっさんは、笑いながらそう言い直した。

「男が喧嘩をするのに、年は関係ないっての」

 再度訂正してやると、なるほど。違いない。などと言いながら口元を緩めている。

「そういや、ちょっと気になってたことがあるんだけどさ。おっさんはどうやって大会に出場できたんだ?」

「どういう意味だ?」

「いや。基本的に亜人はこの大会に出場することができないって聞いたからさ」

 別に規約にそう書いているわけではなく、ただ単に推薦者がいないという事情から、そうなっているらしい。ジェパルドで行われる闘技大会は、それなりに格式が高い。

 なにしろ、出場するには王族や貴族の推薦が必要になるくらいだ。

 そのため、彼らからすれば奴隷の身分でしかない亜人は、今まで一度も出場したことがない。そんなものを推薦してしまえば、品位が問われてしまうからだ。

 にも関わらず、亜人であるこのおっさんは、ちゃんとした推薦を受け、闘技大会に出場していた。

 そこには何か理由があったはずだ。まさか、推薦者が知らなかった、なんてことはないだろうし。

「雇われたのだよ。この街の商人から。天剣を持つ英雄を叩きのめして欲しい、と」

 言いにくいことなら別に答えてもらわなくても構わなかったのだが、あっさりと答えてくれた。

「ああ。なるほどな」

 おっさんの話で、俺は街で小耳に挟んだ、とある噂話を思い出した。

 詠二を挑発して闘技大会に出場させ、その場所で完膚なきまでに叩きのめしてみせる。そうすることでヴァドルの国力を弱めようとしている人間がいる、といった話だ。

 時間がなかったので計画の出所がどこかまでは辿れなかったが、おそらく詠二がいることで勢いを増してきたヴァドルに危機感を覚えた、隣国4つのうちのどれかのお偉いさんだろう。

 まあ、そんな計画も魔族が現れたおかげで失敗。それどころか、詠二の風評がますます上がる結果になった、というわけだが。

 大方、あっちのヘクターとかいう魔族の方も、誰かしらに雇われたんだろう。もちろんそっちは、魔族とは知らずに、だろうけど。

「私としても、天剣を持つ者がどれほどの実力かに興味はあった。それに、私の腕を見込んでの頼み、ということだったのでな。わざわざここまで来たのだが……実際に会った段階で、依頼人は金に目の眩んだ俗物だと分かった。故に、そんなもの引き受けるつもりはなかった。だが、そんな時にタイミング良く、さる人物から別の件で頼み事をされたのだ」

「その、さる人物からの頼み事ってのは、どんな内容だったんだ?」

 それが誰かは追及しなかった。そっちの方は何となく予想はつくし。

「とある魔族が不穏な動きをしているので、それを探り、できるなら企みを阻止して欲しい、といったものだ。私はその魔族が闘技大会に出場しているという話を聞き、商人の依頼を請けるふりをして大会に出場することにしたのだ」

 その話が本当だとすると、その人物は今回の件を初めから予想していたってわけか。

 魔族の実力も大体把握し、その上でそれに対抗するだけの戦力としてグレゴールンを選んだ。

 直接やりあったから知っていたが、その選択は間違いではないのだろう。

 そいつがまず最初に俺を頼らなかったのが不満と言えば不満だが、過ぎたことを言っても仕方がないか。

「けど、その魔族とやりあうって目的も、俺の所為で駄目になったってわけか。そりゃ、悪いことをしたな」

「いや。結果がよければ別に構わんさ。それに、後であの場での出来事を話に聞いたのだが、たぶん、私ではどうすることもできなかっただろう。むしろ、気絶していたからこそ、今こうして命があるのかもしれん」

「それは流石に謙遜し過ぎだろ」

 いくらハンデ付きとはいえ、俺をあそこまでボコボコにしたほどの実力の持ち主だ。

 影の魔物如きじゃ相手にならないだろうし、兄の方の魔族にも、十分対抗できたはず。召喚魔法には太刀打ちできなかったかもしれないが、それを使わせる前に決着をつけていた可能性も、十分にある。俺もやろうと思えばできたし。まあ、今となっては、相手がもういないので、分からないけど。

「ふっ」

 軽く鼻で笑われた。お世辞だとでも思ったのだろうか。

「まあ、何にせよ。今回の件で、私はお前に莫大な借りができてしまったらしい」

 そう言うと、改まって俺に向かい、深々と頭を下げるおっさん。

「戦士クラウド。この恩はいずれ必ず返すと誓おう。ゴーレム族は受けた恩を決して忘れない」

 何やらこのおっさんは、闘技場で岩石に閉じ込められた際、気絶して動けなかった自分を助けてくれた俺に対して、かなりの恩を感じているらしかった。

 実はあの時、気絶したおっさんを落下してきた岩の支えにしたことで助かっていたため、恩を感じる必要もないのだが……その件は俺の心のうちにしまっておくことにしよう。

「ああ。違う違う。クラウドってのはこの世界で使い始めた偽名。本名は、キザキツバキって言うんだよ」

 おっさんが必要以上に真剣な表情を作っていたので、勘違いされたままだとまずいと思い、本名を教えてやることにした。

 名乗ると、おっさんは目を大きく見開いた。

「その名前……まさか漂流者か?」

「まあな」

 なんてことのないように肯定してみせる。

 そもそも俺は、闘技大会に出場するのにこの世界で使える名前が必要だったから偽名を名乗っていただけだ。必要な時はそっちを使うが、それさえなければ、始めから隠すつもりなんてないのだ。

 まあ、前に貴族と決闘した時には偽名を使った気もしたが……あれは単なる、その場のノリだ。

「なるほど。勝てぬわけだ」

「ちょっと待て。俺が漂流者だから勝った、みたいに言われんのは納得できねえぞ」

 納得したように頷いているおっさんに、すかさず突っ込みを入れる。

「なんなら、おっさんを俺の世界に連れて行って、もう一度、ガチで勝負してやろうか? 何のハンデもない状況でそれでも俺の方が強いってことを思い知らせてやるよ」

「ははは。遠慮しておこう」

 やんわりとした口調で申し出は断られる。

「互いの拳のみを使った正面からの殴り合い。それは下手に剣を使った勝負よりもゴーレム族である私の方が圧倒的に有利な条件だったはず。その上で私は全力を出し切った。だというのに、勝つことはおろか、お前に全力を出させることさえできなかったのだからな」

「いや。一応、全力は出したけどな」

 俺は一切手なんて抜いていない。本気で拳を握り、殴りつけていた。

 その結果、僅差で俺が打ち勝ったに過ぎない。実力は、ほとんど五分だったと言えるだろう。

 ただまあ、余力がなかったのかと言われたら、そうでもないと答えるかもしれない。フェンリルを使ってないことだけでなく、純粋に素手同士の勝負だとしても、もうちょっと別の戦い方をやろうと思えばできたことは確かだ。

「まあいいや。どうしても礼がしたいって言うなら、存分にされてやろう。おっさんの持つ資産の価値が一番上がったときにでも取立てに行くから、それまでせいぜい蓄えておけよ?」

「いや……。誰も、財産を譲るとは言っていないのだが……」

 グレゴールンのおっさんは、俺が本気で言っているのか、冗談で言っているのかの区別がつかないらしく、いかつい顔を微妙にひきつらせていた。



 グレゴールンとの談笑を終え、病室の外に出ると、ドアの外では青髪の美女が俺が出てくるのを待っていたかのように立ちつくしていた。

 どうやら外で話が終わるのを待っていたらしい。

「よう」

「こ、こんにちは……」

 少しだけ緊張した面持ちで、俺を見ているサリューネ。

 なんだかんだでお互い忙しく、魔族が襲撃してきた日以来、彼女と会うのはこれが初めてだった。

「あのさ。おっさんは俺みたいに魔法で早く治すってのはできないのか?」

「無茶言わないでください。彼は普通の人間なら一撃で死んでしまうような打撃を数十発も浴びているんです。外傷だけ見たらあなたと同じくらいかもしれませんけど、実際のダメージは彼の方が数倍上。……そう簡単に治るはずがありませんよ」

「そっか。それじゃあ、しょうがないな」

 なんかおっさんの方が人間扱いされている気がしたが、そこは突っ込まないでおくことにした。

 そんなことよりも、サリューネの俺に対する態度が、どこかおかしいのことの方が気になっていた。

 別に嫌われているとか、予期せず俺に会ってしまって驚いているというわけではなさそうだ。

 何というか、会いたい気持ちと会いたくない気持ちが頭の中でせめぎ合い、それが顔と態度に出てしまっているような……要するに、ぎこちないのだ。

 影の魔物が街を覆い尽くしたあの日。路地裏で彼女がどの立場にいるのかを問い詰めた俺は、彼女が街の人間を守ろうとしている側にいると知った。

 そして、それを聞いた直後、俺は詳しい説明を聞かず、魔族を倒しに動いていた。時間が惜しかった、というわけじゃない。ただ単に、それさえ分かれば、それ以上は別にどうでも良かったからだ。

 今の彼女はたぶん、そのことに関して、追求されるのを嫌がっている。それが、俺に対する態度のぎこちなさに繋がっているのだろう。

「じゃあ、そろそろ俺たちは街を出るとするわ。色々、世話になったな」

 本気で嫌がっていることを無理強いする気はなかったため、話を切り上げることにした。まあ、聞かなくても、事情はなんとなく分かるし。

「え!? もう、行っちゃうんですか?」

「ああ。この街でやろうと思ってたことはほとんど終わったからな。そろそろ別の場所に行こうと思う」

 旅立つための資金はカジノで貯めたし、裏活動も無事に終わった。その上、闘技大会も終わってしまったため、もう旅立たない理由がなくなっていた。それどころか、これ以上ここにいると、詠二が兵を引き連れて俺を捕獲しに来る危険性もある。

 そうなる前に、とっとと姿をくらます必要があるのだ。

 まだ見ぬ美女――ではなく、土地や国を求めて旅をするために。

「あの!」

「ん?」

「今回の件、本当にありがとうございました! おかげで……その……本当に助かりました」

 いきなり俺に対して深々と頭を下げているサリューネ。

 お礼を言っているというのに、何か申し訳なさそうにしている。

 本当はもっと何か言いたいのだろうが、事情があるため口にはできないのだろう。俺としては別に気にしていないのだが、彼女がそのことを後ろめたく思っているということは、なんとなく察した。

 このままさらっと別れてしまっては、次に会った時に彼女は俺に負い目を感じることになってしまう。

 それではつまらない。サリューネは、五分の状況でからかうのが一番面白いのだから。

 というわけで、俺は彼女の負い目を少しでも軽減するための行動を取ることにした。

「まあ、俺としても、サリューネがいなかったら、エージの奴を見殺しにしちまうところだったからな」

 言いながら少しずつサリューネに歩み寄り……その体を抱き寄せた。

「それも考えて――」

「――んっ!?」

 そしてそのまま、慌てふためくサリューネの顔に向かって一気に距離をつめ、その柔らかい口を塞いだ。

「報酬は差し引きで、このくらいでいいだろ?」

 数秒後、ゆっくりと唇を離し、至近距離で微笑んでみせる。

「……事後承諾じゃ、断れないじゃないですか。ずるいですよ」

 真っ赤な顔で上目遣いにそう訴えてくるサリューネ。

「これでも足りないっていうなら、それはまた今度、会った時にでも、な」

「ぅぅぅ」

 更に顔を赤くして、頭から湯気を大量発生させながらうつむいていてしまった。

 まんざらでもないその反応。

 俺はクールを装いながらも、内心では今すぐにでも、襲い掛かりたくなる衝動を必死に抑え込む。

「じゃ、またどこかで、な」

 まだ言いたいことはたくさんあったが、それらを飲み込み、別れの言葉を口にする。

「ええ。きっと、また」

 短く再会の約束を交わし、俺は青髪の美女と笑顔で別れた。



「主様」

 街を出て、ジェパルトから東に伸びる街道を歩いている最中、人型のままとてとてと付いてくるフェンリルが、街の方を気にしながら名残惜しそうに話しかけてきた。

「ん?」

「あのゴーレムのおじさんの治療を待って、サリューネさんと一緒に旅をしちゃ駄目だったんですか?」

 直接的な不満を口にはしないが、あきらかにサリューネと一緒にいたがっていた。

 こいつが人の姿になれたのには、俺とサリューネが大きく関わっている。つまり、この姿のフェンリルの父親は俺だとすれば、サリューネは母親だということになる。実際、それくらい、こいつは彼女には懐いていたため、当然といえば当然の反応だ。

 俺が一人で行動していた際も、フェンリルとサリューネはちょくちょく会っていたらしいし。

 別れを惜しむのも無理はない。

「まあ、それはそのうち、だな。今は俺達はちょっと傍にいない方がいいみたいだし」

「……サリューネさんに手を出したゴーレムのおじさんに、落とし前を付けないでもいいんですか?」

「……」

 どうやらフェンリルは、俺がサリューネを連れて行かないのは、グレゴールンに取られたからだと思っているらしい。

「お前、勘違いしてるぞ」

「はい?」

「あのおっさん、既婚者だ。もちろん、相手はサリューネじゃない」

 本人からそれとなく聞いた事実を教えてやる。

「ええ!? じゃあ、不倫ですか!? サリューネさんもあっちのおじさんも人の良さそうな顔をしながら、裏ではやることやってるんですか!?」

「……前から聞こうと思ってたんだけどな、お前、そういう言葉、どこで覚えてくるんだ?」

「この街で仲良くなった友達からです」

 きっぱりと答えるフェンリル。

 なんでもこの街の子供達は、父親がまた別の女のところに行っただの、母親が若い男を家に連れて来た、といったことを笑いながら友人達と話し合っているらしい。俺のいた世界だとトラウマになりかねないことだというのに。

 ……この街のガキ共は逞しいな。

「あのな、フェンリル。あの二人の関係は、たんなる仕事の依頼主と請負人なんだとよ」

「そうなんですか?」

「ああ」

 こいつには隠す必要もなかったので、仕方なく、事実を教えてやることにした。

 おっさんに魔族を倒して欲しいと依頼したのは、まず間違いなくサリューネだ。あのおっさんなら、魔族を相手にしても倒すことができる、と判断してのことだろう。

「ま、サリューネとおっさんの関係はどうでもいいとしても、だ。あいつの方から何か言ってこない限り、俺とはあんまり一緒にいない方がいいんだよ。俺がエージと仲が良いって知っちゃったからな」

「エージさんと主様が仲が良いと、サリューネさんは何か困るんですか?」

「まあな」

 俺は困らないが、あっちの方はそうはいかないだろう。

「だってあいつ、魔族だし」

「えっ!? そうなんですか?」

「たぶんな」

 本人に直接確認したわけではないが、俺が彼女に対して感じた疑問を挙げていくと、そう考えるのが妥当だった。

 知り合った住民に軽く確認を取ったことだが、魔族に関する情報というものは、この世界の人間はほとんど知らないとのことだ。

 実際に、魔族とは今はどこでどんな暮らしているのか。どんな思想を持っているのか。どんな戦い方をするのか。誰も詳しく答えられなかった。それどころか、外見に関する情報すら皆無だった。魔族はただ人間に害を成す存在。分かった情報なんてものはその程度のものだった。

 だが、サリューネは知っていた。それも必要以上に詳しく。

 今回現れた魔族も、その姿を見ただけで種族まで言い当ててしまったほどに。

 これだけなら彼女が魔族だという理由にはならないが、他にも気になったところはいくつかある。

 フェンリルが魔族かもしれない、という話になった時もそうだ。

 俺が魔族と一緒にいるのを許容すると言ったとき、ほっとしたような顔をしていたこと。

 なぜ、存在自体忌み嫌われている魔族と一緒にいても、何も言わないのか。

 彼女もこの世界の人間なら、フェンリルのことを避けるようになってもおかしくはない。いや。常識的にそうならなければおかしいはずだった。

 他にも、あれだけの外見を持ちながら、男に対してほとんど免疫がなかったことも気になったところだ。

 実際にあいつの美貌は、少し街中を歩いていただけだというのに、貴族のお坊ちゃんに目が止まったほどだ。にも関わらず、情報だけなら通信でやりとりできるこの世界において、各地を放浪している美人女医がいる、なんて話は噂ですらあがっていなかった。

 それらのことから、サリューネはこの世界にいる誰よりも魔族に詳しく、魔族に偏見を抱かず、差別もせず、それでいて人間の目の付かないような場所で生まれ育ったという結論に至る。

 そんなもの、魔族の暮らす場所以外に存在しない。つまり、彼女自身が魔族だと考えるのが、一番妥当だということだ。

「ってなことは、実は全部後付けの理由なんだけどな。一番最初に疑問に思った出来事は、お前についているそれだ」

「これ、ですか?」

 サリューネからもらったネックレスを手に取りながら首を傾げている。

「消臭剤って、知ってるか? あれを自分に使うのはどんな意味があるからだ?」

「自分の匂いを隠したいから、ですか?」

「そうだ。それと同じことだ。魔力を隠す石を持っているのにはどんな意味があるからだ?」

「……魔力を隠したいから」

 魔力を体内に宿すのは、魔獣や魔物。それと魔族だけ。

 そして魔族とは、魔力を体内に宿したのこと人間だ。

 魔族は過度の魔力で外見が変質してしまうのが普通らしいが、中には普通の人間と全く変わらない外見の魔族がいてもおかしくはない。

「けど、ただ単に偶然手に入れただけって可能性も――」

「わざわざ鞄に入れずに、肌身離さず持っていたのにか?」

「あ」

 出会った当初、彼女の手荷物は俺が全て潰してしまっている。もしそれが彼女にとって価値のないものなら、あの時に壊れてしまっているはずだ。にも関わらず、彼女はあれだけは持っていた。

 ちょっと調べてみたところ、魔力を抑える鉱石となんてものは、使う人間がいないため全く流通に出回っておらず、価値などほとんどないようなものだった。それもそのはず。魔力を抑えるなんて言っても、別に魔法を防げるわけでも、魔物や魔獣から身を守れるわけでもない。人間には実用性が全くないものなのだ。需要も供給もほとんどないものを、わざわざ流通させようなんて人間はいなくて当然だ。

 ちなみに、肌身離さず持っていたのは、あのネックレスが大切な品だった、という可能性もない。大事な物だというなら、なぜそれを出会ったばかりの俺達にあげることができるのか、という話になるからだ。

「まあ、そういうことだ」

 この世界を魔族から開放した勇者が持っていたと言われている天剣。それを持つ詠二と、魔族のサリューネ。まだ、直接会わせたことはないが、あまり相性は良くないんじゃないかと思う。

 そうでなければ、サリューネは今回の件を解決するために、グレゴールンのおっさんではなく、まず最初に詠二を頼っていただろうし。

「というわけで、詠二と親しい友人である俺がそばにいるのも、何かと問題があるんじゃないかと思ったわけだ」

「じゃあ、サリューネさんは悪い人だったんですか?」

「ん? なんでだ?」

「だって、この世界だと、魔族は悪者なんですよね?」

「さあ……。それはどうかな」

 個人的には違うと思う。あいつの動きを見る限り、今回の騒動を止めるようとしていた。それは、俺が魔族とやり合う前、問い詰めた時に聞いた答えから分かっている。

 あのゴーレムのおっさんを雇い、魔族を倒すように以来したのがサリューネなら、あいつは悪い人というのには当てはまらないだろう。

 おっさんにしても、魔族と繋がっていることになるが、悪人には見えなかった。

 ゴーレム族が珍しいとされているのは、住む場所が魔族の領地に近いからだ。

 そんな場所に住んでいるのは、彼らが魔族に対抗できるだけの強さをもつ部族だからとされているが、普通に魔族とも交友があるからだ、という可能性も考えられる。そして、ゴーレム族を従えるのではなく、話し合いによる交友を図るような連中が、ただの悪とは思えなかった。

「けど、魔族はこの世界では悪なんですよね?」

 そこが問題だった。

 この世界で魔族という存在は、完全な悪と言われている。それはヴァドルやジェパルドに限った話ではなく、どこに行っても似たような話を聞く。

 存在そのものが悪。

 そうなると、サリューネも悪で、今回の行動にも、何かとんでもない裏がなければならないのだが……。

 俺は知っていた。魔族の全部が全部、悪であるわけがない。中には良い奴がいる可能性もあることに。なぜなら、少なくとも一人。確実にそうではない存在がすぐ近くにいたのだから。

「それを言うと、お前も悪人ってことになるな」

「――あ」

「いや、悪犬か」

「狼です!」

 少なくとも、この子犬が悪人じゃないことだけは自信を持って言えるのだ。まあ、正確にはフェンリルは魔族ではなく、魔神なんだけど。

 俺達が倒した魔族は、明らかにフェンリルの言う『悪い人』に当てはまっただろう。だが、サリューネがその魔族だとしても、『悪い人』には当てはまるかどうかは、微妙なところだった。

 あいつは一緒にいて、一度も俺に敵意を向けてこなかった。その気になれば、俺を殺す機会なんていくらでもあったはずだし、わざとそういった隙を作ってもみた。が、サリューネは俺にそういった感情を一切向けてこなかった。

 何か魂胆があった? それとも、あいつが特別なだけ?

 そんな疑問も、考えたところで、本人がいない今、答えなんて出るわけもなかった。

「ま、今度会った時にでも、直接聞いてみたらいいだろ?」

 そう言い聞かせると、しばらく考え込むように俯いていたが……

「そうですね」

 すぐに笑顔を返してくるフェンリルだった。



 さて。

 ジェパルドでの一件が完全に終結し、怪我も癒えた俺は、これからまた前のように気の向くままに旅をしようかなぁ、なんて思っていたところだったのだが……最後に一つ。完全に予想外の事態に直面することになった。

 それに気付いたのは、ジェパルドから三日ほど西に移動したとある小さな村の宿屋だった。

 目を覚ました俺は、ベッドの中に自分以外の存在を感じ取った。

 布団の中にすっぽりと納まっているその大きさから、たぶんフェンリルだろうことは予測できた。

 土地柄か、それともそういう季節になったからなのか。詳しいことは分からなかったが、肌寒くなってきたこのごろ。フェンリルは俺のベッドに勝手に入り込んでくることが多くなっていた。俺としても暖かいに越したことはなかったので、何も言わずにいたのだが。

「ん?」

 意識を覚醒させた俺は、布団の中で、俺の体になんかやわらかい物体が押し付けられていることに気付いた。

 やわらかく、ほのかに温もりを感じるその物体。

 寝起きでぼんやりとしていた俺は、なんとなくそれを揉みしだいてみた。

「やん!」

 手の動きに反応し、布団の中から甲高い呻き声が聞こえてきた。

 その声は、俺の知っているフェンリルのものとは微妙に違っていた。

「誰だ!?」

 すぐに布団を引っぺがして、中にいる人物の顔を確認する。

「ん~……何ですか? 朝から」

 寝ぼけ眼で、白髪に寝癖を立たせたまま、ゆっくりと起き上がるその人物。

 それは、フェンリルであることは間違いなかった。が、昨日までのフェンリルとは外見が違っていた。明らかに成長している。それまでは五歳くらいだったのが、今は明らかに十代前半くらいになっていた。

 ……まあ、それはいい。こいつが普通の犬じゃないことは分かっていた。たとえ一日で年齢が五歳くらい成長したとしても、そのくらいのことで驚いてなんかいられない。

 問題はその外見だ。

 腰まで伸びた長い髪。成長し、丸みを帯びた可愛らしい顔立ち。そして……胸にある二つのふくらみ。

「お前!? 女だったのか!」

「……前々から言おうと思ってたのですけど、主様は少し……いえ。多大にデリカシーというものが欠けています」

 犬畜生にデリカシーがないとか言われてしまった。それも、人の寝床に勝手に入り込んでくるような犬女に。

 かなりショックな出来事だった。

 これはあれだ。以前、幼馴染である葉霧に、お前の感性はおかしい、と言われた時以来の衝撃だった。

「前も私のことを犬扱いしましたし」

「……いや、犬と狼の違いと、男と女の違いは全然別物だろ」

 種族の違いは性別の違いよりも重いものなのか? 普通、そういうもんなのか? ……いや、違うだろ。

 少なくとも、俺が種族を犬に間違われたら、間違ったそいつのことを殴る。

「どうりで単なるプレイにしては、愛のない暴力が奮われるものだと思いました」

 殴られてもあまり文句を言わないと思っていたら、あれはプレイの一環だと思っていたらしい。

 ガキの分際で、プレイの幅が広すぎだろ。

「まあ、いいです。では。私を女だと認識してもらえたことですし、改めまして」

 ベッドの上で正座をしながら、俺に向かって丁寧に頭を下げている。

「不束者ですが、これからも末永くよろしくお願いしますね。主さま」

「……なんか、お前。外見だけじゃなく、性格も変わってねえか?」

というわけで、このお話は一応、ここで一区切りとなります。

一応、次からは新しい冒険が始まるわけなのですが……頭の中に構想があるだけで、全然書いてなかったりします。

いいわけになりますが、なにせ、完全にデータを無くしてしまったと思っていたもので。

そんなわけで、この「CRY I」という物語は、ここまでで一つのお話として楽しんでいただき、続きはあまり期待せずに待って頂ければ幸いですw


ここまで読んでくださった読者の皆様。本当にありがとうございました。




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