40話 椿再始動
ツバキ視点
混乱する闘技場の中、エイジと別れた俺は、襲ってくる魔物を軽くあしらいながら、サリューネと合流していた。
「ツバキさん! 無事だったのですね」
「ああ。まあな。サリューネの方も、元気そうでなによりだ」
ずきずきと痛む顔を無理矢理動かして、なんとか笑顔を作る。
「街の住民連中は?」
「エイジ様とフェンリルちゃんががんばってくれたおかげで、今のところは被害を最小限に食い止めています」
見ると、巨大化したフェンリルが猛スピードで街を駆け回っている姿が目に映った。
ほかにも、混乱から立ち直った兵士達が、武器を持って必死に影の魔物と戦っている姿も見える。
どうやら、エリスが兵士を引き連れて街に向かい、魔物への対処法を伝えまわっているのも、それなりに助けにはなっているようだ。
「ですが、このままでは……」
サリューネの顔は暗い。その理由は簡単だ。明らかに手が足りていなかった。
戦える人間の数に対して、戦えない民衆と、影の魔物の数が多すぎる。
詠二の天剣の光が当たる範囲からは魔物が消えているが、それはあくまで街のほんの一部だ。
詠二やフェンリルはともかく、戦っている兵士達の体力にはいずれ限界がくるだろう。
今はまだ、これといった被害は出ていないが、このままではジリ貧になることは目に見えていた。
とはいっても……
「エイジを敵の術者のとこに向かわせたから。この騒ぎもすぐに落ち着くだろ」
詰めの一手はもう打った。後はもう待っているだけでことは終わるだろう。
「いいえ。無理です」
「あ?」
が、俺の言葉は、すかさず否定された。
「エイジじゃ力不足ってことか?」
「いえ。エイジ様だけじゃなく、誰がやろうとしても結果は同じです」
「どういうことだ?」
「ヘクターと名乗るあの男。彼は幻影族といって、魔族の中でも極めて特殊な種族なんです」
「幻影族?」
「はい。必ず双子で生まれてくる一族で、片方の命がもう片方の体内に隠されているという特別な体質をしているんです」
「幻の弟と実体の兄ってわけか」
それで幻影族ね。
そこまで聞いたところで、ある考えが思い浮かんでしまった。
「もしかして、兄を倒さなくちゃ弟は死ぬことがないとか?」
「その通りです」
予想していたとはいえ、あまり聞きたくない答えが返ってきた。また厄介な話だ。
「つまり、あいつが兄の方じゃなかったとしたら、あいつを相手にするのは時間の無駄でしかないってことか」
言いながらも、詠二が相手にしているあれが兄である可能性は恐ろしく低いものだということは分かっていた。というか、まず間違いなくあいつは弟の方だろう。でなければ、わざわざ危険を犯してまでこんな人の多い場所に姿を現したりしない。
口には出していなかったが、サリューネもそのことを理解しているということは、その悲痛な表情から分かる。
今更意味のないことだが、ようやくヘクターが詠二じゃなくて先に俺を狙った理由が分かった。
目的は戦力の分散だ。
俺と詠二が共闘していたことは、予選の試合を見て知った。そして、この状況になったとき、二人がかりで戦われてしまったら、その剣は間違いなく自分の体に届く。そうなれば、自分が本体でないことがばれる危険性がある。そう考えた。だが、一対一の状況で、決して攻めずに逃げ回るなら、詠二が相手でも時間を稼ぐことができると踏んだのだろう。
俺を閉じ込めたのは、単に俺の方が弱っていたからか、詠二なら天剣を使えば苦もなく脱出できたということを理解していたからのどちらかだろう。
天剣の勇者を一対一で手玉に取ることができれば周囲の連中の戦意を削ぐ効果もある。どこまで狙っていたのかは分からないが、なかなか効果的な方法だった。
それにしても……
「詳しいな。サリューネ」
「ええ。長く一人で旅をしていたものですから。魔族の情報も多少、人より詳しく持っています」
「……なるほど」
色々と追求したいことがあったが、とりあえず今のところは納得しておく。
「幻影族の弟は、不死身の体を得る代わりに、兄から離れて行動することができないという制約があります。つまり、兄の方も近くにいるはずなんです。ツバキさんはエイジ様と知り合いなんですよね? でしたら早く、事実を伝えて兄のいる場所に――」
「それは無理だな」
サリューネの案は言い切る前に却下した。
「今はあいつの天剣で被害を留めているような状況だ。今、あいつがこの場から消えちまったら、魔族を倒すまでの間に多数の犠牲者が出る。あいつは納得しないんだよ。それは」
大を生かすために目の前にいる小を見捨てる。あいつは、見えないところで起こる出来事ならそういった決断もできるかもしれないが、目の前で起きているこの状況でそれができるほど器用な男じゃない。
「そんな……」
案を却下され、絶望的な顔をするサリューネ。俺はそんな彼女を救うべく、別の案を出してみることにした。
「人手が足りねえな。仕方ない。最終手段を使うか」
「何か方法があるんですか!?」
「ああ。これだけはやりたくなかったが、状況が状況だ」
深刻な表情を作りながら言葉を続ける。
「俺の分身を作り出そうと思う」
「そんなことができるんですか!?」
「まあな。サリューネ。手伝ってくれるか?」
「はい!」
非常時ということだけあって、俺の言葉を素直についてくるサリューネ。
そんな彼女を物影まで引っ張ったところで、その体を押し倒し、着ている服に手をかけた。
「きゃああああ!」
「ぐはっ」
が、行為に及ぼうとする前に、殴り飛ばされてしまった。
「……ぐーで殴ることなくね?」
殴られた頬を押さえながら訴える。
こっちは既に重症人だってのに、なんてことをするんだ。
「何考えてるんですか! あなたは!」
「だから、分身を作るんだって。子供と言う名の分身を」
「この非常時にふざけないでください!」
「分かってないな。人間ってのは、危機的状況に陥った時ほど燃え上がるんだぜ? これは命の危険に晒された時、種族を途絶えさせないようにしようとする生存本能が――」
「分かってないのはどっちですか! 少しは状況ってものを考えてください!」
とりつくしまもなかった。
仕方ない。諦めるか。
物陰から出ると、街の上を跳ねるようにして動き周る、二つの影が視界に映った。
屋根の上で飛びながら戦っている詠二と魔族のヘクターだ。
俺達が物陰でそんなやり取りをしている最中も、働いている人間は、しっかりと働いていたらしい。
ヘクターは逃げるように戦っているものの、完全に逃げる気はない。あくまで距離を保ったまま時間を稼いでいるように見えた。
そんなヘクターを、詠二は必死に形相で追いかけ続けている。
こうして客観的に見ると、確かに違和感がある構図だった。
この魔法。物影に隠れてしまえば通用しない、と対処方法も分かりやす過ぎている。さらに、詠二が天剣を使っている今の状況では、その効果は、かなり殺がれているのは分かっているはず。だというのに、魔族はそれを防ごうとする素振りを一切見せず、逃げる一辺倒だ。
もし、あの魔族の目的が、ただの牽制ではなく、本気でこの町を壊滅させようとしているだとしたら、たぶんもう一手ある。
住民を強制的に物影に押し込み、身動きをできなくしたところで、止めを刺す最後の一押しが。
オーバーペースで戦っている詠二がそれに対処するのは、かなり難しいだろう。
なら……
ちらりとフェンリルに視線を送る。
「まだちょっとばかり余力は残してることだし。俺が行ってやるよ」
「……」
否定はされなかった。サリューネも、今この事態をどうにかできるのは俺しかいないということを分かっているのだろう。
「今、回復しますから――」
「いいって。建物の影とはいえ、ここは屋外だ。誰かが見ている可能性もあるだろ」
サリューネが魔法を人前で使いたがらないのは、一緒に旅をしていた時から知っていた。それも、ただ隠すのではなく、異常なほど神経質に、だ。
「……そんな場所で私を押し倒そうとした人の発言とは思えないんですけど」
「あれはただ緊張を解そうとしただけ」
ということにしておいた。
「ま、このくらいの怪我なら、問題ないだろ」
余裕を見せるために、いつものノリで楽観的な発言をしてみた。
「ツバキさんは分かっていません!」
が、どうやら逆効果だったらしい。
そのまま説教モードに突入してしまうサリューネ。怒っててもやっぱり美人だ。
「幻影族は兄を倒せば弟も消滅しますが、兄の実力は弟よりもはるかに上なんです! 普段のあなたならともかく、そんな状態じゃ相手になるわけがありません!」
確かに今の俺の状態は、先日味わった二日酔いなんか比べ物にならないほど悪い。はっきりいって最悪だ。
こんな状態でもう一戦するなんて、自殺行為なのかもしれない。だが……
「やるしかないだろ。他に戦える奴なんていないみたいだし」
不死身とはいえ、予選において、結局誰からも攻撃を喰らうことのなかったのほどの体術を身に着けていた弟。兄は弟より実力があるのなら、最低でもヘクターって野郎よりも実力がある奴じゃなくては意味がない。
予選で負けた連中は問題外。影の魔物に手間取っている程度の連中も無理。可能性があるのはあいつと同じく、大会の予選を勝ち抜いた人間だ。が、前半に戦っていた連中は明かに力不足。となると、残るのは三人。詠二かグレゴールンのおっさん。それか俺だ。
詠二は今、手が放せない状態だし、おっさんはしこたま殴られて気絶中。となると、消去法で、もう俺しかいないわけだ。
「ならせめて、私も連れて行ってください。人目につかない場所まで行けば、魔法で怪我を治すこともできます」
「なんだ? そんなに俺と離れたくないのか? それならそうと、素直に言ってくれよな」
言いながら、先ほど押し倒した時のように、サリューネに詰め寄った。
「あなたは、また――」
反射的に拳を振りかぶり、殴りかかってきた。
今度はしっかりとその攻撃に反応する。
「――え?」
突き出された拳を受け止め、壁に押し付けた。その際にもう片方の手もしっかりと拘束する。
「ツバキ……さん?」
困惑するサリューネを拘束したまま、触れそうなほど至近距離で囁く。
「いつもならサリューネくらいの美人が何を知っていて、何を企んでいようと、放置していいんだけどな。今はエージの野郎が絡んじまってる。ちょっとばかり、俺もマジなんだわ」
本来ならたとえそれが凶悪な犯罪者であろうと、美人に暴力を奮うことはしない主義なのだが、今は俺自身が万全な状態ではないということもあり今だけ特別だ。
「先に言っておく。俺がフェンリルを召喚するにあたって、ちょっとした特殊能力が身に付いてる。それはな、相手が嘘をついていてもそれが分かるってものだ」
サリューネが目を大きく見開きながら、息を呑んでいる。
「こんな状況だ。細かいことを聞く気なんてない。知りたいことはただ一つ」
実際はそんな能力は持ち合わせていないし、冷静に考えれば簡単に嘘だとばれることだが、とりあえず、僅かな時間……質問一つ分の時間、騙せればそれで十分だ。
「お前はこの状況を改善しようとしているのか? それとも悪化させようとしているのか?」