4話 行き倒れの美少女
数十分ほど歩いた頃だろうか。今のペースであと五分も歩き続ければ、校門まで辿り着ける、という位置に来たころだった。
俺達はその場に立ち止まり、前方を凝視していた。正確には前方にある物体を、だ。
「あれ、何だと思う?」
十秒ほど立ち止まっていたところで、詠二がぼそりと呟いた。
「……人?」
「たぶんな」
どうやら、あの物体が人間であるということに関しては三人とも認識が一致しているようだ。
後五分もあれば目的地にまで辿り着ける、という距離にいた俺達の前には、おそらく人間と思われる物体が横たわっていたのだ。
性別。たぶん女性。それは、腰まであるであろう長い髪。そして、着ている服が黒を基調とした女物の修道服であることから分かる。加えて、整髪料で染めるのでは絶対に出せないであろう、見事な金色の髪をしていることから、外国人であることもほぼ確定的だ。
立っていたなら、さぞかし目を引くであろう外見なのだろうが、地面にうつぶせで突っ伏してしまっている今の状況では、あの場所に不気味な花が咲いているようにしか見えなかった。
「何やってると思う?」
またしても詠二が呟くように聞いてくる。
「何か宗教的な行為の最中なんじゃねえの。そんな服装してるし」
「歩いている途中、とてつもない眠気に襲われて、道端で寝てんのかもしれねえぞ。実際、俺も気を抜くとやりそうだし」
「あるいは、水不足を解消するために地下に流れる水脈の音を聞いてるのかも」
「倒れているフリして、近づいた瞬間、噛み付いてくるってのも有り得るぞ。生物界には、死体のふりをして獲物が近づいてくるのを待っている奴もいるくらいだし」
「……なんで普通に行き倒れてるって案が出てこないのかな」
さも呆れたような口調で、口を挟んでくる詠二。
まあ、俺も葉霧もそれがもっともありえそうな答えだということは気付いていたのだが。もし、本当にそうだとしたら――
「「関わりたくねえ」」
という理由があったため、あえて口にしなかったのだ。
そんな俺達の反応に、ため息をついて、諦めたかのようにその行き倒れたシスター(?)に近寄っていく詠二。
「ゾンビ映画の最初って、大体こんな感じの光景から始まったりするんだよな」
その後姿に、ぼそりとつぶやいてみた。その瞬間、ぴたりと足を止め、こちらを振り返ってくる詠二。そしてそのまま、微妙に青い顔をして俺と倒れている女を交互に見比べている。中々のチキンっぷりだ。
「う、ううん……」
そうこうしているうちに、行き倒れ少女は呻き声を放ちながら寝返りをうち、顔がこちらに向いた。
「お。結構、美人だ」
思わずそう呟いてしまった。
年は俺達と同じか、少し下といったところか。あどけない顔立ちに、シミ一つ無い透き通るような綺麗な肌。目を瞑り、微妙に苦しそうに眉をゆがめているその表情さえどこか可愛く見える。美女というよりも美少女という形容詞がしっくりくる少女だった。
彼女の顔を見た瞬間、それまで不動だった足が、恩を売っておくのも悪くないかな~、なんて下心を原動力に勝手に動き出そうとしていた。が……俺よりも早く、少女に向かって動き出す人物がいた所為で、結局動くことはなかった。
そいつは素早く、最短距離で少女の前まで移動すると……徐にその金色の髪の毛を鷲掴みにしやがった。
そのあまりにも迅速過ぎる行動のおかげで、俺も詠二もそいつの行動を止める暇なんてなかった。
「おい、こら。てめえ、ちょっとツラが良いからって、道端に倒れてりゃ誰かが助けてくれるとでも思ってんのか? 世の中舐めるのもいい加減にしろよ! こらぁ!」
髪の毛を掴みながら、強引に顔を持ち上げ、怒鳴りつけている葉霧。
「……相変わらずなのな」
同姓の……それも、年下の美人を見ると、とことん攻撃的になる葉霧の性格。それは、夏休みなんていうほんの一ヶ月ちょっとしかない期間内ではまるで変わっていないようだった。
幼馴染としてかなり長い付き合いのある俺は、大分慣れていたつもりだったのだが……久しぶりに見たものなので、軽く引いてしまう。
年下の少年好きで、それ以外の男は興味なし。そして同姓には鬼のようにきつい性格。……なるほど。よく考えてみたら、友達ができなくて当然か。
「ハギリちゃん……。困っている人がいたら、真っ先に救いの手を差し出すなんて……素敵だ」
「……お前、いくらなんでもハギリを美化し過ぎだろ」
都合の悪い現実からは目を背けようとする詠二の性格も相変わらずのようだ。
喚き続ける葉霧を止め、使い物にならない詠二を押しのけ、行き倒れていた少女に接近することになんとか成功した俺。ダウンしていた三半規管も、そこにいるのが美人だと分かってか、一時的に正常な機能を取り戻したようだ。
「み、水を……」
遠めで見ただけでも美少女だと分かったその容姿は、至近距離で見るとなお美しい。
さっそく俺はやさしく肩を抱きかかえ、彼女を起こした。
ちょうど都合の良いことに、鞄の中にはまだ手のつけていないペットボトルに入った飲み物がある。
「ほら。飲み物だ。飲めるか?」
蓋を外し、飲み口を口元に近づけながら訊ねてみた。少女は答えはしなかったが、それでもしっかりとペットボトルを受け取り、口をつけ、ゆっくりと中の液体を喉に流し込んだ。
「がはっ!?」
が、中身を口に含んだ瞬間、吐き出しやがった。
「あ~。もったいね~」
「げほっ!? げほっ!? うう……うああ……」
まるで神にでも助けを求めるように、喉を押さえながら傍で見ていた詠二に向かって必死に手を伸ばしている美少女。
それは、明らかにただむせているだけの反応じゃなかった。……まあ、当然か。
「大丈夫ですか!? ツバキ! 何を飲ませたんだよ!」
縋り付いて来た美少女を抱きかかえながら、俺を怒鳴りつけてくる詠二。
「すげーだろ? それ、一見するとただの清涼飲料水にしか見えないけど、中味は辛味の王様、ハバネロ味のドリンクなんだぜ?」
言いながら、無色透明の液体が入ったペットボトルを得意気な顔で掲げて見せた。
「確かに凄いけど、なんでこの状況でそんなものを出すんだよ!」
「なんか、無性に美少女が悶え苦しむ様を見たくなったんだ」
で、ちょうど手元にそんな光景を作り出すことができそうな飲み物を持っていた。それだけの話だ。
「そんな理由で、初対面の人にそんな毒物を飲ませようとするんじゃない!」
「毒物は酷くねえ?」
それを購入した俺は犯罪者ってことになっちゃうじゃん。
「ああ。分かる分かる。あたしもたまに、美少年の苦しむ様を見たくなる時ってあるし」
「……ですよね~」
ひきつった笑顔で葉霧に同意している優柔不断男。
こいつ、絶対に付き合った女を駄目にするタイプだ。