37話 闘技大会本戦
なくなったと思っていたデータが奇跡的に見つかったので、これからまた続きを投稿していこうと思います。
楽しんでいただければ幸いです。
闘技大会の決勝は、予選で行われた四回のバトルロイヤルで勝ち残った八人で行われるトーナメント戦だ。
選手用の控え室前の廊下に張り出されていた、そのトーナメント戦の対戦表を眺めていた。
俺の出番は一回戦の第三試合。対戦相手は、グレゴールンという名の男だった。
確か、下馬評では一番人気。優勝候補ナンバーワンの奴だ。まあ、それはいいとして。
重要なのは、すぐ隣には詠二の名前があることだった。
俺の試合は一回戦第三試合。で、詠二の試合は一回戦第四試合。順調に行けば、二回戦で早くも衝突してしまう。いきなりぶつけられるよりはマシだが、小細工をするなら一回戦のうちしかないということになる。
「(……意外と、最初にグレゴールンとかいうおっさんと当たるのは悪くない、か)」
「ツ、ツバキ」
腕を組みながら軽く考えていると、背後から俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ん? なんだ。エージか」
見るとすぐ後ろに詠二の奴が立っていた。
俺を見て微妙に青い顔をしたところが気になったが、あえて追求しないでおく。どうせ俺と対戦することにびびっている、といったところだろう。
「あ。そのネックレス」
その態度よりも、詠二が手にしていた、青い光を放つネックレスが目にとまった。
「これ? 外の露天で買ったんだけど……ツバキも知ってるの?」
「ああ。まあ、ちょっとな」
本当は結構知っている品物なのだが、今はあまり詳しい説明はしないでおく。
「そんなことよりも、このグレゴールンって男は、どんなもんなんだ?」
話題を逸らすように、対戦表に書かれた名前を指さしながら聞いてみる。
「え? あ、うん。……強いよ。剣の腕はそこまででもなかったけど、並外れた腕力を持ってて。あと凄かったのはその耐久力かな。予選を見てたんだけど、この人、何度か攻撃を受けてたはずなんだけど、全く効いた様子を見せてなかった。……たぶん、僕達を除いたらこの大会で一番強い」
「ふ~ん」
俺とどっちが? とは聞かない。詠二は俺のことを過大評価しているだろうから、聞いても無駄だろうし。それに、どちらが強いかなんてものは、どれだけ外野が予想したところで、本当のところは実際本人同士でやりあってみなきゃ分からないことだ。
「お前の相手は?」
と、聞いたところで、ちょうど一人の人間が俺と詠二の間を無言で通り過ぎた。
その男(?)の纏った雰囲気の所為か、なんとなく会話が中断される。
フードのついたマントを目深に被っている所為で顔が全く見えない、といった怪しげな風体の男だ。
「……」
すれ違った瞬間、フードの奥にある瞳が、なぜか俺に向けてある種の意思をもった視線を送ってきた……気がする。
「あの人だよ。確か、ヘクターって名前だったと思う」
声が聞こえなくなるくらいその人物が遠ざかってから、その後ろ姿を軽く指しながら詠二が先の質問に答えた。
言われて、トーナメント表で確認してみる。
ヘクターってのは確か、下馬評では二番人気だった奴だ。
「実力は?」
「強いは強いと思うんだけど……。よく分からないんだ。なんというか、得体の知れない強さを持ってるって感じの人だったよ」
詳しい話を聞いてみると、なんでも、積極的に他人と戦闘をすることはせず、リング上を漂うようにふらふらと動き続け、気が付けば残っていたのだそうだ。
軽く聞いた感じだと、偶然と取れないこともない戦いっぷりだったようだが……そういうわけではなさそうだ。
素顔は見えなかったが、なんとも面白そうな気配を発してやがった。あれで単なる運が良いだけの無能な人間、なんてことはないだろう。
まあ、それでも詠二ならなんとかするだろう。
先の予選で共闘したことで再確認したことだが、なんだかんだ言っても、詠二は一般人とは比べ物にならないほど戦闘技術に優れているのだ。
「んじゃ、ま。お互い、がんばるとしようか」
軽く言って、その場を退散することにした。
「ツバキ」
「ん?」
「こんなに人目のある場所だしさ。できれば、その……」
「なんだよ」
「……相手は殺さないようにしてよ?」
「……」
少しは俺の身の心配をしろよ。
周囲を囲む観客の数は、予選に引き続き超満員。
そのほとんど全てが、闘技場の上に立つ俺と、向かい側にいる相手に注目している。そこまではいい。目立つことや争いごとが嫌いじゃない俺としては、なかなか良い状況だと言えるかもしれない。だが……。
「ふ~ん……」
口から洩れた声は、意図せず不満そうなものになっていた。
本戦は今のところ滞りなく進み、現在は一回戦第三試合がこれから行われるところ。つまり、俺の出番だ。
そして、俺と対戦相手は、既にリング上で対峙していた。
相手が只者じゃないことは顔を見るだけでも伝わってくる。少なくとも、予選で蹴散らした連中とはランクが二つほど違うだろう。また、強さだけじゃなく、この大会にかける覚悟が他の連中とは明らかに違っていた。鬼気迫る、と表現できるくらい張りつめた雰囲気を纏っている。
……が、そんなもの、今ではどうでも良かった。
強さだとか、覚悟なんてものよりも、もっと気になることがあった。
真剣な顔をして俺の目の前に立つその男の顔に見覚えがあることだ。
「……」
何度も確認したが、間違いない。確かに見覚えある。
直接会話をしたわけじゃなく、一方的に遠目から見ただけだが、見間違いなんかじゃない。そう断言できる。なぜならこいつを見たのは、とてつもなく衝撃的な場所だったからだ。
年は三十台前半といったところ。2メートル近い高長身に、がっしりとした体格。短髪で色黒の肌。顔は中々渋い。良い男、と言っていいレベル。そんな感じの男だ。
俺は見ていた。
この男が、つい先ほど、女連れで歩いていたところを!
ちらりと観客席の方を見ると、さっきの試合までは、俺の応援をしてくれていたはずのサリューネが、今はあきらかに俺には勝って欲しくなさそうな顔をしていた。
それで確信できてしまった。
この男は、さっき彼女と一緒にいた奴だ。
「……ふ~ん」
剣を持つ手に自然と力が篭もる。
基本的に所有欲が弱く、気になった女が他の男と一緒にいても大して気にしない性格の俺だが、嫉妬という感情が全くないわけじゃない。
幸いなことに、ここは闘技場で今は試合中。相手は俺の対戦相手だ。どれだけボコろうと、全ては合法!
嫉妬に狂った醜い男だと思われる心配もない!
「闘技大会本戦第三試合! 開始ぃいいいい!!!」
試合開始の声が上がるのと同時に、俺は一気に距離を詰めた。
――先手必勝!
「てめえは、ちっとばかり病院で寝てろや!」
そのまま、怒りのこもった大剣を胴に向かって振りぬいた。
一般人なら軽く場外まで吹き飛ばすくらいの力を込めた一撃が、完璧に男の胴体を捕える。
「がっ!?」
打ちつけた大剣から、まるで厚さ1000ミリ以上の鋼鉄でもぶっ叩いたかのような鈍い衝撃が伝わってきた。
予測していたものとは全く違う手応え。
「――ちぃっ!」
落としそうになった剣をとっさに左手に持ち替え、素早く距離を取り、相手の追撃に備えた。
が、相手は追ってこないどころか、剣すら構えず、その場に立ち尽くしていた。
「棄権したまえ」
困惑した顔を向けると、男は静かな声でそんなことを言ってきた。
「あ?」
「貴様では私に勝つことはできない」
そのあまりにもふざけた台詞は、どうやら聞き違いじゃなかったらしい。
「あ゛?」
同じ台詞が、不機嫌さのこもった口調で口からこぼれた。
男は俺の反応など、まるで気にせず、今大剣で打たれた腕を見せ付けるように掲げた。その場所は、あれだけの衝撃を与えたにも関わらず、痣ができているだけだった。
これだけの重量の剣で、しかも俺が切りつけたってのに、その程度の怪我。あきらかに普通じゃない。
「たとえ貴様が真剣を持とうと、ゴーレム族である私の体に傷をつけることは敵わない。その剣が通じず、攻め手がない以上、試合を続けるのは無意味だと言っているのだ」
男がゴーレム族、という名前を口にした瞬間、会話を聞いていた観客の中にどよめきが走った。
どうやら実は亜人だった、ということ以上に、その種族の方が重要だったらしい。
ゴーレム族というのは、外見こそ普通の人間と変わらないが、数多くの種族が存在する亜人の中でも、龍族と双璧をなす最強の種族だ。
連中の最大の特徴は、驚異的な体の硬さにある。生まれた瞬間は普通の人間と大して変わらないが、年を取るにつれ皮膚や筋肉といった組織が硬質化していき、成人になる頃にはどんな刃物も通さない、鋼鉄の体になるんだそうだ。
種族の中でも個人差はあるが、成人になる頃にはエンチャントされていない生身の武器では、どんな名匠の作った物でも、傷つけることさえ難しいほどのものになる。
それは、魔法を使えない状況でゴーレム族と敵対するということは、ほぼ百パーセントの確率で負けを意味する。つまり、魔法の禁止されているこの大会において、勝てる人間など存在しないということだ。
……といった解説を司会者が丁寧に観客に説明していたのを、俺の耳はとらえていた。
本来ゴーレム族は、他の亜人達とも馴れ合うことはせず、山奥に篭って滅多に人前に出てこない種族だって話だけど……なんかトリックを使ってるわけでもなさそうだし。どうやら本物のようだ。
「あんたが予想以上に強いのは分かった。戦闘面だけで考えれば、種族として人間より上位にいるということもな。けど、まだ勝ち名乗りを上げるのは、ちょっとばかり速すぎるんじゃねえのか? 勝ちてえなら、俺をぼこって屈服させればいいだろ」
俺としては、元々この世界にいるって時点で異世界人……つまり、俺とは違う種類の存在であるわけで、今更、その相手がちょっとばかり特殊な存在だったからといっても、やることが変わるわけでもない。
ぶっ飛ばして、女を掻っ攫う……ではなく、闘技大会を勝ち抜くという目的が変わるわけじゃないのだ。
こちとらゴーレム族以上にレアな種族。漂流者だっての。……まあ、それは種族じゃないかもしれないけど。
「これ以上、無意味な戦いをする必要はないと言っているんだ。私の目的はお前ではなく、別にいるのでな」
「無意味、ね」
どうやらこのおっさんは、俺なんか眼中にないらしい。
「まともにやりあったら、あんたが勝つことは確定してるから、無駄なことは止めてとっとと消えろってか」
「……」
俺の言葉に何の反応も見せない男。どうやら、肯定という意味らしい。
「なるほど」
納得した声をあげながら、唯一の武器である大剣を床に放り投げる。
重い荷物を手放し、空になった右手。まだ痺れの残るその右手を渾身の力を込めて握りしめ、強引に痺れを打ち消した。そして――
「調子に乗ってんじゃねえぞ!」
一気に距離を詰め、俺が降参すると思って油断していた相手の顔面に、全力で拳を叩き込んだ。
「がっ!?」
右手から先ほどと同じ、鋼鉄をぶん殴ったような衝撃が伝わってくる。だが、今度は途中で止めることはせず、そのまま拳を振りぬいた。
グレゴールンの体は、数メートル先まで吹っ飛び、地面に叩きつけられている。
「なん……だと?」
すぐに起き上がったところを見ると、それほどのダメージは負っていないようだ。が、少なくとも、精神的ダメージは相当なもののようだ。
地面に手をつきながら、信じられないものを見るかのような目で俺を見つめている。
「どうしたよ、おい。傷をつけることはできないんじゃなかったのか? その口から流れてるもんはなんなんだ?」
口の端から流れ出る血を指差しながら指摘してやる。
驚愕の表情を張り付かせたまま、自分の口から流れ出る赤い液体を手で拭い、それを見つめていた。
「あの剣が通じないから勝負は決まってるだ? なめてんのか?」
自然と声が怒気を含んだものに変わっていた。
ふざけてやがる。いや、先にふざけていたのは俺の方だが、だとしても、たかがあんな剣が通じない程度で敗北勧告してくるなんてこと、冗談にしてもまるで笑えなかった。
「あの馬鹿みたいにでけぇ剣はな、相手を殺さねえようにわざと使ってやってたんだよ!」
ギャンブル都市ジェパルド。ここで行われる闘技大会では莫大な金が動く。
飛び入りで乱入した俺が優勝するなんてことになっては、大勢の人間が損をすることになってしまう。それをさせないために、俺には主催者からきっちりとハンデが負わされていた。
それがあの大剣だ。あの剣にはわざと衝撃が緩和されるような仕掛けがしてあったのだ。
主催者のうちの誰か……たぶん、俺に勝たれては困る連中が細工をしていたんだろう。俺はそれを承知の上で使っていたのだ。それだけじゃない。ただでさえハンデのある武器に加えて、今までの俺は、馬鹿みたいに重い剣をただ持ち上げて振っていただけに過ぎない。その威力が最も現れる斬撃……上から下に向かって振り下ろす、という行為を一切行っていない。これは避けられると危険だからという理由じゃない。それをやれば、相手が死んでしまうからだ。つまり、俺は全力をまるで出していなかったいうことだ。
「立てよ。んでもってかかって来い! 手加減してやってたのはどっちかってことを教えてやる。今度は不意打ちなんかじゃねえ。正面からぼこって、またその姿勢に戻してやっからよ!」
地面に落ちていたおっさんの剣を手に取り、力を込めて握りつぶした。
「これで素手同士だ。もう、ハンデなんて存在しねえ。存分に殴り合おうじゃねえか」
「待て」
「あ?」
折角こっちがやる気を出したというのに、またしても水を差された。
「自分の右手を見てみろ」
言われて視線を自分の拳に落とす。
「分かるか? その拳。たった一度殴りつけただけだというにも関わらず、血に塗れ、下手をすれば骨に異常だろう。そんな状態で拳を使って戦い続ければどうなるか、貴様が一番分かるのではないか?」
確かに俺の右手は言われた通りの有様だった。だが、別にそれは言われて初めて気付いたわけじゃない。そんなものとっくに――相手を殴りつける前から分かりきっていたことだった。
「馬鹿だろ。あんた」
敵のはずの俺に対しての丁寧なご忠告。あまりにもくだらな過ぎて涙が出てきそうだ。
「なんだと?」
「相手を殴れば拳を痛めるだ? んなこと、当たり前だろうが! 骨に異常が出るかもしれねえだ? 何をぬるいことほざいてやがるんだ? たとえ拳がぶっ壊れようと、足がへし折れようと、目の前にいる相手は必ずぶっ倒す! それが喧嘩ってもんだろうが!」
自分の拳の状態なんてもの、自分が一番良く分かっている。分かっていて、殴り合おうって言ってるのだ。
「喧嘩……だと?」
「その通りだ! おっさんは俺を挑発した。俺はその挑発に乗っておっさんを殴り付けた。どこからどう見ても、男同士の喧嘩だろうが!」
怒鳴りつけるようにそう言ってやると、おっさんは一瞬、呆気に取られたような顔をして固まる。
「……なるほど。言われてみれば、確かにその通りか」
僅かな間、考え込むような仕草をしていたが、すぐに納得するように頷いていた。
「喧嘩、か。……まさかこんな大事な場で、お前のような人間と当たってしまうとはな。私も運が悪い」
その言葉を発すると同時に、おっさんの纏っていた雰囲気が変わる。
張り詰めていたものが消え、穏やかなものに。それからすぐにまた張り詰めていたものへと変化する。
その空気は、見た目は同じでも、最初のものとは明らかに質が違っていた。
たとえるなら、今までは戦場にいる兵士のような鬼気迫る雰囲気だったが、今は宿敵を目の前にして猛る気持ちを抑えきれずに高揚している雄、といった感じか。
どうやら、ようやくやる気になったようだ。
「おいおい。自分の運の悪さを嘆くのはまだ早いっての。んなもん、この後、控え室に帰ってから、いくらでもすることになるんだからな」
そんな様子を見て、軽く笑いながら拳を構える。グレゴールンの方も俺と同じように空となった手を構えた。
俺は他人から殺意を向けられるのが好きだ。つまり、殺し合いこそ、俺の好物といっても過言じゃない。だが、純粋な喧嘩というのも案外嫌いじゃないのだ。
「ぬかすな若造が! 戯言を口にする暇があるのならとっととかかって来い! 年季の違いというものを教えてやる!」
「なめるな中年が! 年のわりにちょっとばかり硬度があるからって調子に乗ってんじゃねえぞ! 俺の方が持久力も、テクニックも、回復力も格段にあることを思い知らせてやるよ!」
罵声を浴びせ終えた後、互いの距離を一気に詰め、敵対する相手の顔面に向けて同時に拳を繰り出した。
「……君は何の勝負をするつもりなんだ?」
拳が交差する間際、どこからともなく、詠二の呆れるような声が聞こえてきた気がした。
「うおらあああああああ!」「おおおおおおおおおおお!」
俺も相手も、相対する男に拳を繰り出し続けていた。
技もなにもない。
避けることもしない。
ただ、足を止めて目の前にいる相手を拳で殴り続ける原始的な殴り合いだ。
「がああああああああ!」
一発一発が一々体の芯にくる。
意識が細かく断続的に飛び続ける。
それでも、避ける暇があれば一撃でも多くの拳を繰り出した。
「おおおおおおおおお!」
グレゴールンが雄たけびと共に、強烈なボディブロウを繰り出してきた。
直撃した箇所から、アバラがへし折れる音がはっきりと聞こえてきた。
「っの野郎がああああああ!」
痛みなどとっくに感じなくなっていた俺は、構わず拳を顔面に叩き込んだ。
拳の感触なんてとっくに失っている上に、堅い拳で散々顔を殴られたため、瞼が腫れ上がり、相手の顔がほとんど見えていない。それが効いているかどうかなんて分からなくなっている。だが、見えてるかどうかなんて、今更関係なかった。今はただ、目の前に立っている物体がなくなるまで、この拳を叩きつけ続けるまでだ。
「らああああああああああ!」
渾身の力を込め、相手の腹部に右拳を叩きつける。
「がはっ!」
相手の口から吐き出されたと思われる血が顔にかかる。視界が完全に奪われた。が、いちいち気にしていられない。
「あああああああああああ!」
間髪を入れず、左手を相手の顔面のある場所へ叩き込む。
「――なっ」
それまで、鋼鉄を殴り付けるような感触を絶えず伝えて来た拳が、突然、何にも阻まれることなく、振りぬけてしまった。
――避けられた!?
おもいきりの空振り。体が流れ、体勢を大きく崩してしう。
言うことを聞かなくなっていた足でなんとか踏みとどまろうとする。が、踏ん張ろうとしたところで、地面にあった何かに躓き、そのまま倒れてしまう。
「っつぅ……」
体が痛みを訴え、のた打ち回りたい衝動に駆られたが、すぐに正気に戻って立ち上がり、相手がいると思われる方向に拳を向けた。
「?」
いつまでたっても追撃は来なかった。
リング上にあるのは、俺が躓いたと思われる物体のみ。
目元に付着していた血を拭い、それが何なのかを確認する。
そこにあったのは、気絶し、地面に倒れ伏していたグレゴールンの姿だった。
ぴくりとも動かなくなったグレゴールンの姿を確認したとたん、体が思い出したかのように疲れを訴え始めた。荒い呼吸が意思とは無関係に繰り返される。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
周りを確認すると、大勢の人間が一言もしゃべらず、俺に注目していた。
その観客達の姿を確認した瞬間、自分が今、どこで何をしていたのかを思い出した。
「すぅ……はあ……」
深呼吸し、無理矢理呼吸を整える。そして――
「どうだこの野郎がああああ!」
右腕を空に向けて突き上げながら、勝利の雄たけびをあげる。
直後。観客からあがった巨大な歓声に包まれた。