35話 苦悩
それは、試合が開始されてから一秒にも満たない僅かな時間に起きた出来事だった。
試合が始まった瞬間、周囲にいた三人が示し合わせたかのように一斉に一人の男に襲い掛かった。
互いの隙を完全に消し去った統率の取れた動きで、一気に距離を詰める三人。それを見るだけで、この三人がかなりの実力を持っていることは伺い知ることができる。が、狙った相手があまりにも悪すぎた。
「はっ――」
鼻で笑うかのような掛け声と共に、剣を持つ右腕が男達のいる方向に向けられる。
――一閃。
持ち上げることすら困難と思われていた大剣が、目にもとまらぬスピードで振りぬかれる。襲ってきた三人は、気が付けば紙屑のように蹴散らされていた。三人はそのまま、ありえない滞空時間で宙を漂い、地面に叩きつけられた後、ピクリとも動かなくなる。
「……」
あまりにも非現実的な出来事に、観客も含め、その場にいた全員の時間が止まる。
「おいおい。なんか俺達だけ妙に狙い撃ちされてねえ? もしかして、またお前に女を寝取られた連中の恨みがこっちに向いてんのか?」
「またってなんだよ! 人聞きの悪いこと言わないでくれ!」
なんてことのないように軽口を叩き合う二人。
そんな二人の場違いなやり取りを見て、呆けていた人間は全員正気に戻った。そしてそのまま椿と詠二の二人に敵意を向けている。
「まあ、いいか。どんな理由であれ、ガン無視されるよりは大分マシだな」
リングのど真ん中。周りには敵しかいないという状況だというのにも関わらず、嗜虐的な笑みを浮かべる椿。
「わりぃけど。俺は雑魚を相手にネチネチといたぶって尺を伸ばすような格闘漫画のアニメバージョンみたいなことをする気はないんでな。一気にけりをつけてやるよ!」
「……こんなところに来てまで、アニメの批判とかするの、止めようよ」
掛け声と共に、剣を構えている集団に向かって、自分から突っ込んで行く椿と、呆れた声で突っ込みを入れながらも、その後に続く詠二だった。
試合が始まる前まで、せめて詠二の邪魔だけはしないでくれ、と思いながら観客席から見ていたエリスだったが、今は言葉すら出ないほどの衝撃を受けていた。
今ならエイジの評価があながち間違いではなかったことが分かる。
「……強すぎる」
という言葉が意図せず口から零れていた。
エリスの周囲にいる人達も似たようなことを感じているのは、その唖然とした表情から嫌というほを良く分かった。
こんな大会に出場するからには、リング上にいる選手は全員、それなりに実力があるはず。にも関わらず、まるで動くことのない木偶人形でも相手にしているかのように、縦横無尽に暴れ回る椿。その姿から目を離すことができなかった。
詠二のような洗練された剣とは違い、素人としか思えないような雑な動き。だが、一つ一つの速度が常人とは桁が違う。
あれだけの重量の剣となると、持ち上げるだけでも並ではないはず。だというのに、その剣速が尋常じゃないほど速い。まるで短剣でも振っているかのような速度なのだ。
そして、その戦法もまた驚異的なものだった。
角度は違うものの基本的には左右に振り回すことしかしていない。だが、あれだけの大剣による一撃を剣で受けることはまず不可能。そんなことをすれば間違いなく自分の持つ剣がへし折れるだろう。したがって避けるしかないのだが……後ろに下がっても、異常なほど体勢の立て直しが早いため、隙をつくことはできない。となると、反撃するためには、上か下。飛ぶか伏せるかしかないのだが、それをすると……
「ぬるすぎるんだよ!」
実際に姿勢を低くした相手が、直後に繰り出された強烈な蹴りによって場外まで吹き飛ばされていた。飛び上がった相手も、似たような境遇が待ち受けている。
あまりにも単純で原始的な戦い方だが、それを驚異的な力と反射神経で行うものだから、誰も対処することができずにいる。唯一、攻め手があるとすれば、それは背後からのみなのだが。
「はぁ!」
それを実践しようと、背後から椿に襲いかかろうとしていた男が、一合と交えることもできず、詠二に叩き伏せられた。
元々詠二は、この世界に来てすぐの時、天剣を持たない状態で戦争に参加し、十人近い人間を斬り捨てたほどの実力者だ。天剣を使っていないからといっても、一対一で詠二に勝てる人間なんてそうはいない。
中には狙いを詠二に集中させ、そこを複数で襲い掛かろうとする連中もいたが、そういう時に限って、何の合図もせず、目配りすらしていないというのに、示し合わせたかのように前後の敵をスイッチする二人。
リング上にいる大勢の人間は、集団で相手と戦うことに慣れているようだったが、それ以上に椿と詠二の二人が、集団に囲まれるような戦いに慣れていた。
いつの間にか試合場は、バトルロイヤルではなく、椿と詠二対その他全員の図式へと変わっていた。二人にとっては、圧倒的に不利な状況。だが、その戦いぶりを見てしまうと、それが不利だなんて微塵も思えなかった。
瞬きする間に一人、また一人と敵をなぎ払っていく二人。
試合が開始してから、僅か一分ほど経過した頃。リング上に立っているのはたった二人だけになっていた。
「予選第一試合。勝者、エイジ! クラウド!」
審判が試合終了の宣言をする。
「もう終わりかよ。……ったく。エージの所為で全然喰い足りねえよ」
「またそういう物騒なことを。せめて、戦い足りないって言おうよ」
リング上で息すら切らせず軽口を叩き合う二人。本来なら喜び、喝采を送るべきはずのその光景を、エリスは観客席から複雑な心境で眺めていた。
理由は予想以上の強さを見せ付けた椿の存在だ。
天剣さえ使えればおそらく詠二の方が強いはず。その考えは絶対に揺るがない。だが、この闘技大会では天剣を使うことはできないのだ。
それに、聞いた話によると、椿には食人鬼と呼ばれるほどの暴虐に満ちた力があるという。
今の椿の戦いぶりは確かに圧倒的なものではあったが、それほどの化け物と呼ばれるようなものではなかった。つまり、まだ『上』があるということだ。
味方であのなら頼もしいことこの上なかった。実際、詠二が無傷で予選を勝ち抜くことができたのは椿の働きが大きいだろう。そのことは本当に喜ばしく思う。だが、この後あれが敵になるかと思うと、手放しで喜ぶことができないエリスだった。
「どうしよう……」
自分用に割り当てられた控室の中で、詠二は椅子に座り、頭を抱えていた。
試合が始まる前までは、予選が最大の難関だと思っていた。だからこそ、その予選を勝ち抜くことができたという事実を大いに喜んだ。だが……むしろ、バトルロイヤルをもう一度、今度は一人でやった方がマシなんじゃないか、と思えてしまうほどの難関が詠二を待ち構えていた。
「やらなきゃ駄目なのかな?」
「当たり前です!」
そのことをエリスに聞かされた瞬間、浮かれていた詠二のテンションは、一気にどん底まで落ち込むこととなった。
予選を勝ち抜くことができた最大の要因である椿の存在。それが本戦で敵に周るということ。それをすっかり忘れていたのだ。
「……無理なんじゃないかな。……無理でしょ。……無理だよね。……絶対無理だ」
「いくらなんでも弱気すぎです!!!」
自問自答すらする努力も見せない詠二に、至近距離から怒鳴り声をあげるエリス。だが、いつもならすぐに謝罪するというのに、今回に限ってはエリスのことを見向きもしない詠二。それほどまでに、詠二の椿に対する劣等感は強かった。
仕方なく、エリスは別の攻め方をすることにした。
「エイジ様は、あの男が戦っているところを見たことはあるのでしょう? その時の経験を活かして、なんとか――」
「エリス。世の中には、知らない方がいいことってあるんだよ……」
真顔で、諭すようにそんな台詞を口にする詠二。
エリスの言う通り、詠二は本人を除けば椿の戦い方を最も多く見て来た人間だった。だが、それは自分より遥かに強いはずの先輩達が、椿に手も足も出せずにやられる様を何度も見てきたという意味でもある。しかも、詠二が知る限り、真剣勝負での椿の勝率は100%。参考にできる点があるとすれば、どうやればあまり傷つかずに負けられるか、くらいなものだった。
「エリスは、何の武器も防具も一切持たず、素手で手配魔獣と闘うこと、できる?」
「そんなこと無理に決まってるでしょう」
「うん。無理だね。それと同じことだよ」
詠二の中では、天剣もなしに椿と闘うことは、裸で手配魔獣に挑むことと同レベル。むしろ、そっちの方が楽なんじゃないか、とまで思っていた。
「ってことで、僕は棄権しようと思うんだけど……」
「なっ!?」
詠二の口から出て来たとんでもない言葉を、エリスはすぐには理解できず、一瞬、完全に思考停止状態に陥っていた。
「ふざけないでください!」
混乱から回復したエリスは、すぐさま叫び声をあげる。
「ふざけてなんかないよ! だって、相手は人喰いだよ!? 僕、人だよ! つまり、餌ってことじゃん! やだよ! 何が悲しくて、自分からわざわざ食卓にあがらなきゃいけないのさ!」
詠二の方も執拗に責められ続け、我慢が限界に達していた。
親友であるはずの椿を完全に化物扱いしていることに、全く気付いていない様子で、エリスに怒鳴り返している。
確かに普段から弱気なところがあった詠二だったが、ここまで取り乱すのは、この世界に来る際、椿のことを道ずれにしようとした時以来のことだった。
そんな詠二の様子に、怒りすら忘れ、大きくため息をつくエリス。
「エイジ様は、賭けのこと、お忘れになったんですか?」
「……あ」
忘れていたらしい。
今度はエリスの方が頭を抱える番だった。
数百人近い人間が群れを成し、異様な熱気に包まれている闘技場の周辺。
そんな人ごみに紛れ、ヴァドルの国王であるはずの詠二は、一人ふらふらと歩きまわっていた。
椿との対戦とマルコとの賭け。その二つの言葉が詠二の気分をどん底まで叩き落としていた。そんな詠二の落ち込んだ気持ちを僅かでも浮上させるため、一旦闘技場の外に出て、一人で気分転換をさせようというエリスの試みだった。
「お客さん! 損はさせないから、ちょっと見てくださいよ! 今、巷で話題のブルーストーンで作られたお守り! どの選手に賭けようと、これさえあれば勝利は間違いなし! こいつが今なら、金貨たった10枚で手に入るって言うんだから、むしろ買わない奴は損するぜ!」
「……」
喧騒の中でも、はっきりと聞こえてきたその大声に、詠二は足を止める。
今は神にでも縋りたい気分だった詠二は、大声で呼びこみをしていたその店主に向かってふらふらと歩み寄って行った。
「すみません。一つもらえますか?」
「はいよ! ……って、あんたは! エイジ様じゃないか!」
人のよさそうな顔をしている店主が、詠二の顔を見て大げさに驚いている。
「どうしたんですか? こんなところで」
「ええと。まあ……ちょっと、事情がありまして」
絶対に勝てないと思われる戦いに挑まなくてはならないため、気分転換しに来た、とは言わなかった。とは言わない。
「そんなことよりも、それ。一つもらいたいんですけど」
言いながら、店主の持つ青い石の付いたネックレスを指さした。
勝利のお守り。店主の口にした言葉が気休めであることくらい、分かっている。だが、今は気休めだとしても、それに縋りたい状態だった。
「これですかい? いいですよ。予選じゃ、詠二様に賭けて儲けさせてもらったことですし……。金貨1枚でどうですか?」
「ちょっ!? いいんですか!?」
いきなり値段を十分の一まで下げられ、それまでどこかやる気のない表情をしていた詠二の顔が一瞬にして真顔になる。
そんな詠二の反応を見て、店主はにやにやとした笑みを浮かべながら顔を寄せてくる。
「ここだけの話ですけどね。このブルーストーンってのはね、ちょっと前まではかなりの価値があって、大金を積まなければ手に入らないような代物です。けどね、最近になっていきなり値崩れして。これも、これ以上値下がりする前に在庫処分しようと思っていた物なんですわ」
「……」
なんとも、ご利益の薄そうな勝利のお守りだった。