22話 遭遇
魔物を見た。
それは、ギルドでこの辺によく出没すると聞いていた凶暴化した犬のような奴とか、巨大化した蜂のような奴とは明らかに異なる化け物だった。
顔だけ見れば獅子のようなのだが、その額には角が生え、背中にはコウモリのような黒い翼があり、尻尾はヘビの形をしている。間違いなく、手配魔獣のキマイラだった。
この街道沿いに出没し、今まで何人もの旅人が襲われ、武装した冒険者すらも返り討ちにしていたほどの化け物らしい。
彼女が乗っていたものと思われる馬車は、近くでものの見事になぎ倒されている。馬車の破損箇所を調べたところ、おそらくこのキマイラがやったのだということは分かった。
ところどころ、鋼鉄で舗装された見るからに頑丈そうな馬車。
そんな凶悪な魔獣が馬車の傍で……息絶えていた。
「思い出しました! 確か馬車に乗っている最中、この魔獣に襲われてしまったんですが、横から現れた巨大な白い狼に助けられたんです」
キマイラの死骸を見下ろしながら、今更そんなことを思い出してくれちゃってる美人さん。
なんでも、馬車を運転していた人間はキマイラの姿を見た瞬間、馬車を囮にして馬に乗って逃げ出してしまった。彼女もすぐに馬車を置いて逃げ出そうとしたのだが、囮にしていた馬車もあっさりと破壊され、何の武装もしていない彼女は、たった一人でキマイラと向かい合うことになってしまった。そんな絶体絶命だったところを助けてくれたのが、突然現れた白くて大きな物体だったそうだ。
その直後に気絶してしまったため、記憶が曖昧になってしまったらしい。なんとも紛らわしい間違え方をしてくれたものだ。
「おい。フェンリル……」
もう片方の証人にも確認を取ってみる。
「わん?」
「これ、お前がやったのか?」
「わん!」
それは間違いなくYESと答えているときの鳴き声だった。
「この野郎! 今までもそうだったのか!? 俺が見てないとこで、お前が狩ってやがったのか!? 俺が魔物に出会えず悲しみに打ちひしがれている時、そんな俺を見ておまえは影で笑って嫌がったのか!? それとも何か? 俺に家事全般をやらせて、てめえは仕事をしてたとでもほざく気か!? 亭主気取りか、この馬鹿犬が!」
「う~! う~!」
先ほどと同じ様に、頬を引っ張りながら説教をくれてやる。
今度はいくらもがいたところで、易々と介抱してやる気はなかった。
「あの……この子がやったって、どういうことですか?」
「……あ」
隠れて勝手な真似をしていたフェンリルを前にして頭に血が昇ってしまい、傍にいた彼女の存在が一瞬頭から消し飛んでいた。
仕方なくフェンリルから手を放し、彼女に向き直った。
「え~と……」
一度はしらばっくれていた手前、どう説明すればいいのか迷うところだった。正直に話したら俺がしらばっくれようとしていたことがばれそうだし。かといって、今更嘘を教えてもばれた時に嫌われるというリスクが増えるだけだし。
……どうすっかな。
彼女が気絶したことにフェンリルが関与していないと分かった今、何の気兼ねもなく彼女とお近づきになれるチャンスだというのに、一度騙そうとしてしまった手前、素直にありのままを説明したらそのことがばれてしまう。かといって、目の前でフェンリルがやったことを暴露してしまったため、このまましらばっくれる、という手段も使えない。
どんな選択肢を選んでも、彼女への印象が悪くなることは間違いなかった。
……。
それもこれも、フェンリルの奴がちゃんと事情を説明しなかったのが悪い。
「わん?」
すっとぼけた鳴き声をあげているフェンリルを恨みがましい目でフェンリルを睨みつけようと、視線を送ろうとしたその時――
「ガアアアアアアア!!!」
それまで静寂に包まれていた高原に、巨大な獣の咆哮が響いた。
「!?」「!?」「ん?」
声のした方向を見ると、一頭の巨大な魔獣が高台からこちらを見下ろしていた。
その顔は獅子のようだが、額には角が生え、背中にはコウモリのような黒い翼があり、尻尾はヘビの形をしている。前の世界には存在しなかった異形の化け物。傍で息絶えているのと瓜二つの魔獣。
……そういえば、手配書の注意書きにこの魔獣は雄雌のつがいで行動していて、一方を仕留めると必ずもう一方が襲ってくる、というようなことが書いてあったような……。
ということは――
「おい。フェンリル」
「わん?」
「あれ、手配魔獣か?」
「わん!」
「手配魔獣でいいんだよな?」
「わん!」
「まごうことなき手配魔獣のキマイラだよな!!」
「わんっ! わんっ!」
何度確認を取っても、YESという答えしか返って来ない。これは間違いなかった。
「なんでそんなに確認するんですか?」
「……いや。別に」
「何でちょっと泣いているんですか?」
「……なんでもないです」
驚きや恐怖という感情は微塵も沸いてこなかった。そんなものより、ようやく出会うことのできた感動があまりにも大きく、涙腺が緩んでしまったのだ。
「……わふ」
フェンリルが俺を気遣うように肩に手を乗せてくる。
今まで魔獣に出会うことができなかったため色々あったのだが、その俺の苦労が分かるのはこいつだけなのだ。
「ガアアアアアアア!!!」
そんな感動の一時も、化け物の雄たけびによって終わりを告げる。
「よっしゃ。下がってな!」
気持ちを入れ替え、フェンリルと美女を後ろに下がらせて、一人でキマイラに向かってゆっくりと歩を進めた。
「え!? あの……」
美女が何か言おうとしていたが、その声はひとまず無視。流石に手配魔獣を前にして、俺もふざけたり、女の尻を追いかけているほど余裕はなかった。
近づくたびに威圧感が増してくる。
倒れている奴より一回り大きな体躯。
獅子の顔をしているためただでさえ迫力満点だというのに、額にある鋭い角の存在がさらにそれを凶悪なものに変えている。
コウモリの羽を広げているその姿は、ただでさえ大きなキマイラの体を更に大きく見せていた。尻尾のヘビも独立した意思を持っているかのように俺を威嚇してくる。
そんな化け物が今にもこちらに向かって襲い掛かって来ようとしている姿を前にして……つい口元が緩んでしまっていた。
心地よい敵意。
色々な感情が交じり合った人間の殺意も悪くないが、獣の純粋で混じり気のない真っ直ぐな殺意は格別だ。
一瞬、我を忘れて笑い声をあげたくなる。が、今は後ろに美女がいる手前、衝動は最低限に抑え、戦闘行為にのみ集中することにした。
「グガアアアアアアア!!!」
キマイラは一定距離まで近づいたところで、激しいおたげびと共に俺のいる位置に向かって一気に飛び込んできた。
「はっ――」
俺の方もキマイラに向けて全力で突っ込み、飛び掛ってきたキマイラの爪を掻い潜り、その体の真下へと素早く潜り込んだ。
「おらあああ!」
がら空きになった腹部に向けて気合を入れた拳を叩き込む。
「グガッ――!?」
キマイラは拳の衝撃で、その巨体を空高く舞い上がらせた。
普通の人間なら鎧を着込んでいたとしても、それごと体をぶち抜くほどの力を込めていた。いくら相手が異形の化け物だからといっても、十分気絶するくらいの手応えだろう。だが、これだけで終わらせる気はない。
しばらく上昇した後、地上の重力に引っ張られ、そのまま俺の元に急速に落下してくる。
「ぶっ飛べや!」
落ちてきたところに今度は回し蹴りを合わせた。
ぐしゃり、という小気味の良い音と共に、骨の砕ける確かな感触が足を伝わってくる。
終わりだ。
十分過ぎる手応えを感じ、キマイラが息絶えたことを確信した。
拳を叩き込んだ時点で、もうほとんど意識はなかったはず。だというのに、その後の回し蹴りを食らわせる直前まで、俺への殺意が止まることはなかった。
体の一部がちぎられた程度のことで戦意を失っていた盗賊達とは明らかに殺意の密度が違う。
……これが魔獣、ね。
今、相手にしたキマイラが特別、という可能性もないこともないだろうが、こんな奴が他には全く存在しない、なんてことはないはずだ。
「中々、喰らい甲斐がある獲物だったぜ」
数メートル先。地面に倒れたままびくびくと体を痙攣させているキマイラに向けて感想を口にしながら、まだ見ぬ凶悪な魔獣達に想いを馳せていた。