21話 誤魔化し
「……おい」
すぐ隣で子犬化して座り込んでいるフェンリルに声をかける。
「わん?」
「……何だよ。これは」
「わん!」
「わん! じゃねえよ! 俺は食えるもんを持って来いって言っただろうが! なんで人間を連れてくるんだよ!」
フェンリルが運んできたのは、まごうことなく人間の女性だった。
「これを喰えとでも言う気か、コラ!」
確かに俺は、マンイーターだの、食人鬼だの物騒な渾名で呼ばれてはいたが、人間を食ったことなんて一度もないし、食おうなんて思ったことだって当然ない。
「?」
頭に?マークをつけて首を傾げている馬鹿犬。その顔がむかついたので、頬を掴み、力を込めて左右に引っ張ってやった。
「う~! う~!」
前足をばたばたしながら何とか逃れようともがいているその様は、中々に滑稽だ。
「お前、これを俺の餌にするつもりで持ってきたわけじゃねえよな?」
「はふっ! はふっ!」
鳴き声だけではYESなのかNOなのかは分からなかったが、とりあえず、首を縦に振ろうとしていることだけは伝わってきたので、開放してやることにした。
こいつは馬鹿だが、俺の言葉を理解していることは間違いない。今まで俺が食える物を取ってこいと言った時に、食料以外の物を持ってきたことはないことからそれは確実だと思う。
ということは、何かしらの事情があってこの女を連れて来たということになるわけだ。が、説明を聞こうにも、言葉が分かるわけでもないし。
「う、う~ん……」
考えていると、フェンリルの持ってきた食材……もとい、フェンリルの連れて来た女性が呻き声をあげた。とりあえず、生きてはいるようだ。
見たところ顔の血色は悪くないし、外傷も見当たらない。ただ寝ているだけ……というか気絶しているだけか。
「(どーしたもんかな)」
できることなら、彼女自身に、なぜフェンリルに運ばれるような状況になったのかを聞いてみたいところだった。だが、それでもし、フェンリルが『食材調達』という理由で彼女を襲っていたことが明らかになってしまったら……明日にはフェンリル諸共、俺まで手配魔獣にされかねない。そんな可能性が零とは言い切れないのが不安だった。
そもそも、フェンリルは気絶している彼女を連れて来たのか。それとも連れて来ようとしたために気絶したのかすら俺には分からないのだ。
「(……このまま目を覚ます前にばっくれるか)」
ふいに、これから取るべき選択肢の中に、逃げるというコマンドがあったことを思い出した。
今なら他に人目がないため、俺が関わったこと自体をなかったことにできるかもしれない。幸い、この近辺に魔物はいないみたいだし、彼女はこのまま放置しておいても問題ないだろう。
「わん?」
倒れている女性の顔をぺしぺしと叩いていたフェンリルを掴み上げ、すぐにその場を離れようとした。
「!?」
が、一歩後退したところで、ちょうど気が付いた女性と目が合ってしまった。
「よ、よう。あんた、大丈夫か? こんなとこに寝てると風邪ひくぞ?」
とっさに、通りすがりの親切な旅人のフリをすることにした。
「う、え? ええっと……」
目を覚ましたばかりで意識がはっきりしていない様子で、半開きの目で俺のことを見ている。
「!?」
数秒後、ようやく目が覚めたのか、素早い動きで起き上り、周囲をきょろきょろと確認している。
「私……なんでこんなところに?」
「そんなのこっちが知りてえっての」
数秒時間が稼げたことで、こっちはすっかりと冷静さを取り戻すことができていた。
この場所で倒れていた理由はフェンリルが連れて来たからなのだが、それを正直に話すと俺が誘拐犯にされかねないので、黙っておくことにする。
「何でこんなところで寝てたんだ?」
「私は確か……馬車に乗って移動していて……そうしたらいきなり、森の中から白くて大きい何かがいきなり飛び出して来て……それから……すみません」
申し訳なさそうに頭を下げている。どうやら、そこから先のことは何が起きたのか把握していないということらしい。
「……」
状況の確認。
彼女は馬車に乗って移動していたのだが、その馬車が突然現れた白くて大きな物体が横から突進して来て、その直後大きな衝撃を受けて気を失ったとのこと。
白い物体というのは、まず間違いなく俺が抱えているこの小動物のことだろう。
フェンリルは、この子犬状態なら人畜無害の愛玩用小動物にすぎず、馬車に突っ込んだとしても軽く跳ね飛ばされる程度の重量しかない。その衝撃は乗っていた人は気付かない程度のものに収まるはず。だが、これが巨大化した場合は話が別だ。
何度か乗って移動していたから分かるのだが、こいつが本気で走ると、深夜の高速道路を走る車並のスピードが冗談抜きで出る。しかも体は、ヴァドルの西の城壁をぶち破った際、全くの無傷だったほどの頑丈さだ。
もしこいつがトップスピードでぶつかったのなら、馬車くらいなら蹴散らしてしまうことは間違いないだろう。……中に乗っていた人が気絶するほどの衝撃に襲われてもおかしくはない。
結論。
完全にこの馬鹿が起こした人身事故だ。
「……」
乗っていなかったとはいえ、俺の乗り物が起こした事故。少なからず、過失は俺にあることになる。いや、むしろ、乗り物が勝手に事故を起こしちまった時の方が罪は重くなるか。
しかも、だ。街道を走っていたと思われる馬車の方からフェンリルに追突するとは考えられない。ということは、まず間違いなくフェンリルの方から馬車に突っ込んだことになる。
「(やっべぇ。完全に俺の過失じゃねえかよ。もし、訴えられたら、全額俺が負担することになっちまうじゃねえかよ)」
前の世界でちょっとやばめのバイトをしていた所為か、俺の中で警報機ががんがん音を鳴らしていた。
『人身事故はおいしいんだよ。その気になれば事故を起こした加害者や保険屋から、いくらでも金を搾り取ることができるからな』
右腕に包帯を巻きながらも、笑顔でそんなことを言っていたバイト先のいかつい先輩の顔が頭に思い浮かんできた。
「(わん、わんわんわんわん、く~ん)」
脂汗を流し始めた俺に対して、小動物が何やら状況の説明しているような様子だったが、所詮犬の言葉など人間の俺に理解できるわけがなかった。
「(何、言ってるか分かんねえんだよ。この馬鹿犬が)」
「(きゅ~ん……)」
役に立たないフェンリルは相手にせず、頭の中でどうやってこの状況から俺に不利にならない条件を引き出すことができないかを考えていた。が、この世界の規律や法律に疎い今の俺では、その抜け道を探すことなんてできそうなかった。
……。
なら、事故自体俺が関与していないことにしてしまえばいいか。
幸い、相手の記憶は曖昧であり、なおかつ、フェンリルは現在子犬バージョンだ。おまけにこの世界の探知能力が低いことはヴァドルですでに分かっている。黙っていれば気付かれるはずがない。
考えてみたところ、これが現時点で考えられる最善の手段だった。
「(しらばっくれるぞ!)」
「(わん!)」
素晴らしい答えを弾き出した俺は、すかさずフェンリルにその旨を伝えて確認を取ってから、何食わぬ顔で被害者の女性に向き直った。
「災難だったな。この辺りは手配魔獣が出没するって話だから、そいつに襲われたってところだろ」
そのまま、通りすがりの親切な旅人の演技を続ける。
「怪我はないか?」
「あ、はい。見ず知らずの私をわざわざ介抱していただき、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げられてしまった。
俺はただ見ていただけで、介抱なんて微塵もしていない。それどころか、彼女がこうなった原因は全て俺にあるかもしれないのだが、ここまで丁寧にお礼を言わせておいて、それを否定するのは失礼になると思ったので、何も言わないでいることにした。
そんなことよりも、改めて彼女と正面から向き合ったことで気付いたのだが、よく見たら結構……いや、かなりの美女だ。
端正でどこか人形めいた容貌の持ち主。明るい表情と暖かい光を帯びた目が、そこにやわらかい印象を付け加えていた。さらさらした長く青い髪を後ろで束ねているのが特徴的だった。
変に着飾らず、大人しめの服に身を包んでいるのだが、そのことが逆に本人の素材の良さを際立たせている。
「(これは……やばい)」
容姿だけで言えば、ヴァドルにいたエリスやレメディもなかなかのものだったが、彼女らは美しいというよりも、可愛らしいという表現が似合う女性だ。異性を惹き付ける魅力も、それなりに大きかったが、やはり好みが別れるところだ。が、今俺の目の前に入る彼女は別格だ。街中を歩いていれば、男ならたとえ隣に恋人を連れていようと、十人中九人は振り返って凝視してしまうほどの芸術的な容姿をしている。
それまで、被害者としてしか見ていなかったから大して気にならなかったのだが、彼女の容姿を意識した瞬間、思わず見惚れてしまった。
「あの……あなたはどうしてこんなところに?」
おかげで、とっととこの場から退散してしまおうと考えていたことを一瞬忘れてしまい、彼女に質問する余裕を与えてしまった。
「あ、ああ。俺らは、その手配魔獣を狩りにきた冒険者だよ」
俺ら、とあくまで複数であることをちょっと強めに主張する。一対一で対話していることを意識してしまうと、男の本能の方が刺激され、流されてしまいそうになるからだ。
雄としてのセンサーは、少しでも彼女とお近づきになれ、と囁いてくる。だが、警報機は今すぐこの場から離れろ、と言わんばかりにがんがん警笛を鳴らしていた。
「わん!」
大抵の場合は鬱陶しく感じることしかなかったフェンリルの自己主張も、今だけは頼もしく思える。おかげで誘惑に逆らうができるくらいの精神力を保つことができた。
「まあ、無事そうで何よりだ。じゃあ、そういうわけで」
短くそれだけ言って、彼女に背を向けた。
こういうときは、一方的に話を打ち切り、とっととその場から退散するに限る。長引かせれば、それだけ厄介事に巻き込まれる可能性が高くなっていくことを意味するのだ。
「あの……」
「……」
が、歩き出そうとしたところで、後ろから引っ張られた。
ゆっくりと振り向くと、申し訳なさそうに俺の服の裾を掴んでくる彼女の姿が目に入ってきた。
「私、大事な荷物を落しちゃったみたいなんです……。取りに行くの、手伝ってもらえませんか?」
節目がちで顔を赤らめながら、消え入りそうな小さい声で訴えてくるその仕草は、反則的なまでに可愛かった。
この世で最も危険な人間とは、一体どんな類の奴なのか。
薬のやりすぎで目の焦点があっていない金髪の青年? みるからにカタギではないいかついおっさん? 体中傷だらけの軍人?
どれもごもっともな意見だ。だが、もしも俺が問われたのなら、迷わずこう答える。
最も危険なのは絶世の美女だ、と。
彼女達の本当の怖さは、それがどんなに厄介で、心の底から断りたいと思っている要件だったしても、頼まれたら男には断ることができない強制力を持っているところにあるのだ。