13話 外出
「僕には、前国王のような才能はない。僕が前王のように全てをやろうとしても、きっとうまくいかないと思う。必ずどこかで大きな失敗を犯してしまう。僕一人の力では、何をするにしても限界がある。僕は前王のように一人で何もかもできるような人間じゃないんだ。だから……どうか、皆の力を貸して欲しい! 僕を支えて欲しい! その代わりに僕は僕にできることを全力でやる! 僕にできることは、ただ戦うことだけだ。だから、あなた達がもし、武力によって危険に晒されるような事態になれば、全力でそれを排除することを約束する!」
以上。先日行われた、新国王のお披露目の場にて、詠二が国民に向けて発したありがたいお言葉だ。
国民の反応はどうだったかというと……顔を見せた瞬間、甘いマスクに全国民の半数が釘付けにされ、残りの半数もその手に持っていた『天剣』の力強い光に圧倒されていた。さらに、この日本人的で低姿勢な台詞が国民に大いにうけていた。なんともまあ、大らかな国民性だ。
こうしてヴァドル初、異世界出身の若い国王は、国民にも受け入れられることになった。
詠二が国王の座に就いてから一週間ほど経過した。
先日、ディーンとの間で正式に休戦協定が結ばれたとのことで、それまで避難していた住民も元の生活に戻り、城下町では多くの店が営業し始めているらしい。俺がその話を耳にしたのは、ちょうどフェンリルを連れまわして城の中を散策するのも飽きてきたところだった。そんなわけで、詠二を連れ出して街の散策に行こうと考えたわけなのだが……
「王は、今の時間、誰ともお会いになられません」
王の執務室の前まで来たところで、鎧を着込んだいかついおっさん二人組に中に入ることを阻まれていた。
「ツバキが来たって教えてやってくれよ」
「たとえ何者が来られようと、絶対に通すなと厳命されていますので」
確認すらしようとしない。この反応だけで、目の前のおっさん達がエリスの息のかかった人間だということが分かってしまった。
とりあえず、詠二が部屋の中にいることだけは間違いなさそうだ。かといって、強行突破したところで、詠二を連れ出すのは難しくなるだけだし。……仕方ない。
大きく息を吸い込み――
「えーーじくーーん! あーそーぼー!」
吸い込んだ空気を一気に吐き出す勢いを利用し、城中に響き渡るような大声で叫んでみた。
「……ツバキ?」
数秒後、無駄に重そうな扉が開き、中から詠二が姿を見せた。
「そんな叫び声あげなくても、君が来たならこの人達に言ってくれればすぐに出てくるのに」
「ふ~ん。そうなのか」
軽くおっさん二人に視線を送ってみる。が、護衛達は顔色も変えず、直立不動だ。中々神経の図太い連中だった。
「それで? 何の用?」
そんな俺とおっさん達のやり取りを一切気にした様子を見せず、普通に訊ねてくる詠二。まあ、俺もあんまり気にしてないから、別にいいけど。
軽く部屋の中を覗いてみたところ、使用人が一人いるだけでエリスの姿は見えない。どうやらあの詠二にべったりの彼女も、常に一緒にいるというわけではないということか。
久しぶりにあの美少女をからかい――ではなく、顔を見たいと思ってたので少し残念だったが、いないのなら仕方ない。
とっとと本題に入るとするか。
「今から城下町に繰り出そうと思ってんだけど、お前も一緒に行かねえ? ってか、行くぞ」
「今から? 今日は……これから会議があるからそれに出席しなきゃいけないし、今日中に目を通しておかなくちゃならない案件がいくつかあるんだけど……」
こいつ、流されやすい性格だとは思っていたが……たった数日であっさりと染まりやがった。
「ツバキの用は今日じゃなきゃだめなの?」
「できれば早い方がいい」
「なんで?」
「元の世界に帰るための情報収集は、早いうちにやった方がいいだろうが」
本当はただの暇つぶしなのだが、一応、建前としてこう言っておくことにする。
「う~ん……。それって僕が一緒に行かなくても、ツバキ一人で何とかなるんじゃないかな」
が、せっかく嘘までついて誘ってやっているというのに、返ってきた答えは否定的なものだった。
随分と偉くなったものだ。詠二の分際で、俺の誘いを断ることができるとでも思っているのだろうか。
「何とかなるかもしれねえけど、もし方法が分かったら俺は一人でもとっとと帰るぞ?」
嘘だけど。帰る気なんて全くないけど。
「う……えっと、それは……僕も帰れるなら帰りたいけど、もうちょっとここでやらなきゃならないことがあるし……」
その顔には明らかに不安の色が浮かんでいる。が、さっきよりは弱気な口調だが、その答えはまだ否定的なものだ。大分こっちの生活にも慣れたからか。この世界に一人で取り残されることに対しても、ある程度耐性ができたってとこか。
なら……別の手で行くか。
俺はこの男を確実に連れ出すことのできるワイルドカードをきることにした。
「しょうがない。じゃあ、向こうの世界に戻ったら、ハギリには、エージはあっちの世界で美女をはべらせて優雅に王様やってるって伝えておくよ」
「――う゛」
もう一押し。
「俺達の結婚式には呼んでやるから、その時までにはお前も戻って来いよ」
「なっ!?」
喰い付いた。
「結婚式って!? 誰と誰の!?」
「俺とハギリ」
「なっ――なんでだよ! なんでそんな話になるんだよ! ツバキはハギリちゃんのこと、何とも思ってないって言ってたじゃないか!」
「何とも思ってないわけなんてないだろ」
幼馴染だし。それなりに仲良いし。全くの無感情、なんてわけがないだろうが。恋愛感情は微塵もないけど。
「あいつ、普通に良い女だろ? それに性格も知り尽くしてるわけだから、何の気兼ねもしなくていいし。お互い両親の覚えも良いしな。お前さえいないなら、何の問題もなく一緒にいられるわけだ」
「そん、な……やっぱり二人はそういう関係――」
「お前がどんな想像してんのかは知らねえけど、俺と葉霧の関係は今のとこは単なる幼馴染だぞ? ただ俺は友人の女に手を出すような鬼畜じゃねえの。エージがいたから俺もハギリに手を出すようなことしなかっただけだっての」
「あ……う……うぐ」
「じゃ、そういうわけで。お前は王様の仕事に勤しんでてくれ。俺は愛に生きるから」
言いながら踵を返し、この場から立ち去ろうとする。
「ちょっと待って!」
「ん?」
「……僕も行く」
フィッシュ。
恐ろしいほど簡単にルアー(疑似餌)に引っかかった。大層な肩書きを手に入れたところで、所詮詠二は詠二だった。
ちなみに、俺は一言も嘘なんて言っていない。誰も俺と葉霧が結婚するなんて言ってないし。俺達の結婚式とは、それぞれ別の相手とする結婚式、という意味だ。時期も相手も未定で、いつするかなんて分からないが、式をする時には出席しろ、と言っているだけなのだ。
ついでに言うと、あいつが良い女だということは認めているし、性格を知り尽くしていて気兼ねをしないでもいいというのも本当の話だ。両親の覚えもいいというのも当然のことだ。幼馴染だし。家、すぐ近くだし。
詠二がいたから手を出すようなことはしなかったというのも嘘じゃないが、詠二がいなかったところで手を出す気なんて全くない。
要するに俺はありきたりなことを口にしているだけなのに、詠二が勝手に勘違いしているだけなのだ。
「まあ、別に弁解する必要はないよな」
使用人に今日の仕事をキャンセルしてもらうよう必死に頼み込んでいる詠二の姿を、俺は後ろから笑顔で眺めていた。
「エリスも誘っていかない?」
ようやく準備を終え、いざ出発、というところで、突然詠二がそんなことを口走った。
「なんでここであの女の名前を出すかな」
あの女が俺のことを嫌っていることは、こいつも気付いているはずだというのに。
「いや……彼女がいてくれれば、街の案内とかしてもらえるんじゃないかって思ったんだけど」
たぶん、一緒に行動することで、俺とエリスの仲が少しでも良くなることを期待しているのだろう。
まあ、俺の方は別に嫌っているわけじゃないし。案内はあった方がいいか。
「一応、誘ってみるか」
……。
というわけで、俺はエリスの部屋の前まで来た。
相手がエリスでは、余計なことをすると冗談抜きで剣を突きつけられそうな気がしたので、普通にドアをノックして呼び出すことにする。
数秒後、目の前の扉が僅かに開き、中から部屋の主が顔を覗かせた。
「よう。エリス」
半開きになったドアの隙間から顔を覗かせた美少女に、すかさず片手を上げて挨拶してみた。
「……なんであなたがこんなところにいるのですか?」
久しぶりに会ったエリスは、その端正な顔を歪め、開口一番であからさまに不機嫌そうな声を出した。
「ちょっと街に出かけようと思ってるんだけどな。一緒にどうかなって思って」
「……なんで私があなたに誘われなきゃならないんですか?」
こっちはフレンドリーに話しかけているというのに、表情をさらにマイナス方面に変化させ、嫌悪感すら見せている。
「俺がエリスのことを気に入ってるから」
そんなエリスの態度を全く気にせず、満面の笑顔でそう答える。
「……」
物凄く警戒した目で見られてしまった。心なしか、ドアの隙間も狭くなった気がする。
「それで? どうなんだ? 一緒に来るのか? 来ないのか?」
「せっかくのお誘いですが、今日はこれからどうしてもやらなくてはならない仕事がありますので、辞退させていただきます」
「その仕事、今日中じゃなきゃ駄目なのか?」
「ええ。絶対に今日中に終わらせなければなりません」
「そうか。絶対か」
「絶対です」
きっぱりとした口調で断言された。
「なら、仕方ないな」
大人しく引っ込みことにする。
「そういうことだ。エージ。エリスは忙しいみたいだから、俺達二人だけで行こうぜ」
「っ!?」
ドアの外。エリスから見えない位置で待機していた詠二に今のやりとりを簡潔に伝えた。
「そっか。仕方がないね。じゃあ、エリス。僕達は行くから。たぶん夕方には戻ると思うよ」
「じゃ、そゆことで。お仕事がんばって」
軽く手を振りながら歩き出そうとする。が、後ろから引っ張られるような感触がしたため、その場に停止することになった。顔を半分だけ動かし、横目で確認すると、ドアの中から伸びてきた白い手が俺の服の裾をしっかりと掴んでいた。
「あの……その……私は、実は――」
「エージってさ。嘘をつく女って嫌いだったよな?」
その手の主を半ば無視し、前を歩く詠二に声をかける。
「うん? 何をいきなり」
「いや。なんとなく」
「まあ、女の人に限らないけど。どうでも良いような嘘を平気でつく人っていうのは、ちょっと好きになれないかな。それがどうかしたの?」
「いや。別に」
振り返る頃には、俺の服を掴んでいた手は消えていた。代わりに、ドアの隙間から唇を噛んだ状態で俺を睨みつけてくるエリスの姿があったりなかったり。
「お気をつけて。いってらっしゃいませ」
「あ、えっと……行ってきます」
たかが城下町に出るだけだというのに、複数の使用人に頭を下げられ、仰々しく見送られている詠二。
一方の俺は、見送りの人間なんて影も形もなく、微妙に離れた場所から一人でそんな様子を眺めていた。まあ、一国の王とただの居候じゃ、このくらいの対応の違いは当然のことか。
「あら。ツバキじゃないの」
欠伸を噛み殺しながら詠二を待っていると、ふいに背後から声がかけられる。
振り向くと、犬の耳をつけた小柄で可愛らしい女性の姿が目に入ってきた。
「ん? ああ。レメディか」
「わん!」
足元にいた見覚えのある白い小動物が、自分もいると言わんばかりに鳴き声をあげて自己主張していた。寝ている間に部屋に放置してきたのだが、どうやら彼女に世話をされていたらしい。
「ほ~ら。フェンちゃん。お父さんですよ~」
フェンリルを抱きかかえ、そんなことを言いながら俺の前に突き出してくるレメディ。
「……止めてくれない? それ、レメディがやるとマジで洒落にならないから、止めてくれない?」
犬耳の彼女がそうやっている様は、本当の親子のように見えなくもないところが嫌だった。
「いいじゃない。いずれ本当に出来るかもしれないんだし。今のうちから予行練習してると思えば」
「え~……あ~……」
俺が返答に困ると、くすくすと笑いながら小さく舌を出している彼女。
日頃、他人をからかって楽しむ悪癖を持っているため、それなりに口も達者にな俺なのだが、どうも彼女にだけは敵いそうにない。
ま、別に悪い気分じゃないけど。
「ツバキ。えっと……」
「ん? ああ。エージか。おせえよ」
いつの間にか、使用人達から解放された詠二がすぐ傍まで寄ってきていた。
「うん。ごめん。で、その……彼女は?」
「そういや。紹介したことはなかったか。ほら。前に犬の耳をしたデミヒューマンは普通の犬と会話できるのかについて聞いてた使用人がいただろ? あれ、彼女」
「……。ああ。あの時の」
説明を聞いて、少しだけ考えるような仕草をした後、すぐに思い出したようだ。
どうやらあの時にニアミスして以来、一度も会ってなかったらしい。詠二の身の回りの世話は専属の使用人がやっているため、あまり接点がなかったってとこか。
「メイド長としてお勤めさせていただいています。レメディと申します。以後、お見知りおきを」
それまでのフレンドリーな雰囲気を隠し、礼儀正しく頭を下げているレメディ。
異様に若々しい外見と茶目っ気のある性格のせいで忘れがちになるが、レメディはこれでも城にいる使用人達の中ではかなりえらい立場の人間だったりするのだ。こうして詠二と向かい合っている姿を見ると、そのことが思い出す。
「あ、はい。エイジです。こちらこそよろしく」
ま、人は外見によらないってことか。こっちの男なんて、礼儀正しくしたところで全く国王に見えないし。
「それで? 今日はどうしたの? 城の中でごろごろしてばっかのツバキが外出なんて珍しい」
挨拶を済ませた瞬間、すぐに口調と雰囲気を元に戻すレメディ。別に詠二の前だから態度を改めた、というわけではなかったらしい。
「人をニートみたいに言うの、止めてくれねえ?」
「私は別に嘘は言ってないわよ。聞いてるわよ? いつもいろんな娘とベッドの上でごろごろ――」
「ちょーっと待った。その話はちょっと刺激が強すぎるって」
余計なことを口走ろうとしていた彼女にストップをかける。が、ちょっと遅かった。お子様二人組の視線が突き刺さってくる。正確には一人と一匹だけど。
「ところで、レメディはどうしたんだ? こいつの散歩か?」
「ええ。たまには城の外の空気も吸わせてあげないとね。どこかの飼い主様が全く面倒をみないものだから」
「わん!」
レメディの言葉を肯定するように鳴き声を上げているフェンリル。どこか俺に見せつけるような表情をしているところがむかつく。
「なんだ? その満ち足りた顔は。そんなに他所が良いなら、そのまま他所の子になっちゃいなさい!」
「きゅ~ん……」
「……全面的に君が悪いのに、なんでそんな母親みたいな説教ができるんだよ」
だって、俺、飼い主だし。世話は全くしてないけど。
「それで? 結局、二人がお城から出ようとしていた理由は何なの? ……って、聞かなくても大体予想はつくけどね。大方、今日辺りから街でお店が開き始めてるって聞いたんでしょ? それで、一人じゃさみしいし、お金もあまりないからって理由でエイジ様を強引に連れ出したんでしょ?」
見事にばれていた。
「いや、違う。俺もこいつの散歩」
「うぉい!」
「あら。そうなの? フェンちゃん。ご主人様は新しい子を見つけちゃったみたいよ? 捨てられちゃったみたいね」
「!? ぐるるるるる!」
レメディの戯言を真に受けて、詠二に牙をむいている馬鹿犬。
「うわっ」
慌てて俺の背に隠れる詠二。……弱い。この国の国王は子犬以下か。
「それで、そのお散歩にはフェンちゃんも連れて行く?」
「わん! わん! わん!」
まるで、自分も連れて行け、と言っているかのようにレメディの腕の中で暴れているフェンリル。まるで、親の旅行に付いて行きたがる子供のようだ。
「いや。邪魔だから置いてく」
「!?」
否定すると、あからさまに落胆し、項垂れている。犬の分際で感情の起伏が激しい奴だ。
「レメディも一緒に来るなら、連れてってもいいけど?」
その言葉を聞いた瞬間、垂れていた耳がぴんとはね上がる。そして、尻尾を振りながら、おねだりでもするようにレメディの顔をきらきらした目で見上げている。
「もう……しょうがないなぁ」
口調は仕方なく、と言った感じだが、明らかに彼女も乗り気だということは、その尻尾の揺れ具合から分かった。もしかすると、はじめから付いてくるつもりだったのかもしれない。
「よし。決まりだな」
こうして俺は、二人と一匹(見ようによっては三匹)を引き連れて、活気の出始めていた街へと繰り出した。