11話 下僕
「ツバキ、どうしたの? それ」
俺の部屋を訪ねてきた詠二は、開口一番でそんなことを口にした。
エイジが指差す先にいるのは、俺の足にじゃれついていた全長30センチほどの小さな物体。全身を真っ白な毛並みに覆われた子犬だ。
「拾った」
「わんっ!」
燃えるような赤い瞳を向けながら、俺の言葉を肯定するように無邪気な声をあげるその小動物。
「珍しいね。ツバキが動物に懐かれるのって」
「そ~だったか?」
子犬の前にしゃがみこみ、ねこじゃらしのような野草で頭をぺしぺしと叩きながら、適当にとぼけていた。
「それより、何かあったのか?」
どうも今朝から城の中が慌しい。兵士やら女中やらがひっきりなしで部屋の前を通るため、二度寝をすることもできずにいた。
「うん。あれだよ」
言いながら窓の外を指差す詠二。
「これはまた、いい天気なことで。この世界じゃ、晴れの日は戦争でもしなくちゃいけねえっとかいう決まりでもあるのか?」
差された方向には、どこまでも続く空が広がっている。雲一つない晴天だ。
「……ツバキ、目、悪くなった?」
微妙に呆れたような顔を向けてくる。盲目の詠二の分際で。
「犬っころ。こいつのアキレス腱喰いちぎられ」
「わん!」
「ちょっと! なんで僕が喰いちぎられなきゃならないのさ!」
「顔がむかついたから」
「そんなの、ツバキがおかしなこと言ったから――って、君もストップストップ!」
詠二が犬っころと戯れている間に、もう一度窓の外を見てみる。
先ほどと変わらない青空。が、少し視線を落とすだけで、詠二が何のことを言っているのかはすぐに分かる。
まるで全長が数キロ以上あるショベルカーでも使ったかのように、山が丸々と抉り取られている光景が目に入ってくる。
「豪快な森林伐採だな。俺らの世界であんなことをやったら、大問題になるぞ」
「いだだだだだ!! な、何か、ここのすぐ近くの山があったらしいんだけど、それが昨日一晩でなくなっちゃったんだってさ!」
足を犬に噛み付かれながらも、律儀に説明する詠二。
詳しい話を聞くために、仕方なく足に引っ付いていた子犬を引き剥がしてやる。
「いったいなぁ。ふぅ……。でね、その所為で、城の人達はあの場所の調査に行ったり、近辺に聞き込みに行ったり、街の警備に駆り出されたりして、今朝から走り回ってるみたいなんだ。それでなくても、戦後の処理もあって大変な時だって言うのに、といった感じのことをエリスが愚痴ってた」
「ふ~ん」
正直、城の人間が何をしていようと、全く興味がない。まだ、誰一人としてまともに紹介すらされてないし。
「で? その、調査ってので、どのくらいのことが分かってんの?」
「それが、まだあんまり分かってないらしいよ。砲撃とかだと、その残骸が残るはずなんだけど、それがまるでなくてね。まるで空間そのものが消し飛ばされたみたいなんだって。エリスは、敵対国の新型兵器なんじゃないかって言ってたけど。詳しい結果は、もう少し調べてみないことには分からないらしいよ」
「ふ~ん」
俺は子犬と戯れ続け、詠二の顔すら見ず、適当に答える。
「ツバキは昨日の夜、なんか見てない?」
「知らね」
「本当?」
「知らねえって。大方、宇宙人かなんかにキャトられたんじゃねえの」
「……キャトられたって」
「ありえねえ話でもないだろ。俺達の世界と比べたら、この世界の管理システムなんてざるだろ? 密入し放題。キャトり放題」
密漁者からすれば、この世界は楽園みたいなものだろう。……まあ、流石に連中も山までは持っていかないだろうけど。
「適当だな~」
「仕方ねえだろ。いきなり山が消えたとか言われても、理由なんて分かるわけねえし。俺、まだこっちの世界に来てから一日しか経ってねえんだぞ。――お前は何か知ってるか?」
小動物を抱え、目線まで持ちあげながら聞いてみる。
「く~ん?」
理解しているのかいないのか。鳴き声をあげながら首を傾げて見せる子犬だった。
犬のくせに、中々演技派な奴だ。まあ、言葉を理解してないだけかもしれないけど。
「だよな~」
軽く笑いかけながら、お手玉の要領で、片手で宙にポンポンと放り投げる。
「わん! わん!」
その動きが気にいったらしく、うれしそうに鳴きながら、尻尾を振っている小動物だった。
「……まあ、一応聞いてみただけで、期待はしてないから別にいいんだけどね」
どうやらこれ以上聞くのは無駄だと悟ったらしい。いい感じに誤魔化せたようだ。
それにしても、中々大変な事態に発展してしまったものだ。
あの、この国の地形と景色を著しく変化させた痕。あれをやったのは、実は俺とこの小動物だったりする。正確には、この小動物の単独犯なのだが、一応俺に責任がないこともない。
全ては昨日、俺が『召喚の儀』を行ったために起きてしまった現象だ。
詠二が『天剣』を召喚したように、俺は昨日、この小動物を召喚してしまったわけで、あの風景はこの小動物が武器としての役割を存分に発揮した結果なのだが……あまりにも大それた事件に発展してしまったため、とぼけることにしたのだ。幸い、人気のない場所だった上に、夜遅かったので誰にも見られてなかったし。
ついでに、この事実は詠二にも話さないことにしている。こいつ、嘘つくの下手だし。女に迫られたらあっさり白状しそうだし。それよりも、何も教えず、ただ向こうの情報をこっちに流すスパイの役割をしてもらったほうが、相談して協力してもらうより、よっぽど役立つし。
「それで? その子、ツバキが飼うの?」
喰い付きの悪い俺の反応に、これ以上話すのは無駄だと思ったのか、あっさりと話題を変えてくる詠二。
「ああ。そのつもりだ。っつっても、ここに食費の余裕があったらの話だけどな」
「それなら大丈夫だと思うけど。一応、後でエリスに聞いてみるよ」
あの何かと俺に対して冷たいお嬢が、俺が子犬を飼おうとしているなんてことを聞いて、素直に許可を出すのだろうか。……まあ、いざとなったら詠二に押しつければいいか。別に俺が呼び出したからと言って、俺が世話をする必要なんてないわけだし。
「可愛いなぁ。名前は? もうつけたの?」
つい先ほど、アキレス腱に喰い付かれたことを忘れてしまったかのように子犬に笑顔を向けている詠二。
「ああ。一応、フェンリルってのに決まった」
「わん!」
名前を呼ばれて、元気に声を張り上げている子犬のフェンリル。
昨日、色々と名前を挙げてやったのだが、これがお気に入りのようで、それ以降、別の名前で呼んでも反応しなくなってしまったのだ。
なんともまあ、不吉な名前を付けさせられてしまったものだった。フェンリルとは、確か北欧神話で飼い主の腕を食いちぎったことで有名な狼の名前だ。
「お前、もしかして、俺の腕を食おうとでもしてんのか?」
もしここで元気に「わんっ!」 なんて返事をしようものなら、たとえ意味を理解していなかったとしても、問答無用でダンボールに詰めて道端放置コースだったのだが……
「く~ん……」
悲しそうな鳴き声をあげるフェンリル。
中々運の良い奴だ。どうやら生い立ちが特別ということもあって、普通の犬より知能は高いようだ。
「あ、そうそう。フェンリル。一応言っておくけどな」
詠二がエリスに呼び出されて部屋から立ち去った後、俺はフェンリルに話しかけていた。
「くん?」
「お前の特性……っつうか、その体質についてなんだけどな」
実はこの小動物。自分の意思で全長三メートルほどの巨大犬に変身する、といった特技をもっていたりするのだ。その際、外見は今のままでただ大きくなるだけ、というわけではなく、微妙に成長し、結構攻撃的な顔つきになったりする。
流石に、そんな巨大生物を飼いたいなんて言ったら、有無を言わせずに追い出されるだろう。俺だって両親が家の中で三メートルもの巨大生物を放し飼いしたい、とか言い出したら絶対に反対するし。
「あれ、俺が許可するまで禁止」
「!?」
体がびくり、と一瞬痙攣した。どうやら、何を言われたか、ちゃんと理解しているようだ。
「きゅ~ん……」
不満そうな声をあげているフェンリルは無視して、俺はベッドに横になり、これからどうするかを考えていた。