10話 本性
東の空が僅かに明るんで見える。この世界も向こうと同じで、太陽は東から昇るのだとすれば……
「大体、午前四時ってとこか」
おかしな時間に寝てしまった所為か、こんな夜中に目が覚めてしまったようだ。
体の調子は良い。というか、数時間前と比べると恐ろしく軽い。まるで両手両足についていた重さ十キロの枷をはずされたようだ。おまけに頭の中もクリアだ。今なら十桁の掛け算だろうと、五秒以内に答えを出せる気がする(あくまで気がするだけ)。
やはり、人間、睡眠時間を削ってはいけないものだとしみじみ思った。
「それにしても……」
目の前にあるのは、全く見覚えのない風景だ。この風景の先……いや。もしかするとこの風景の中にすら、俺の見たことのない未知の生物が存在していると想像してしまうと――
「面白くなってきやがったな」
自然と口元がつり上がってしまう。
さっきはエイジがいた手前、早く元の世界に戻るような意志を見せてはいたが、本心は真逆だった。俺はこの世界を……この世界に来れたことを喜んでいた。目が覚めた瞬間、今日起きた出来事が夢じゃないことを願ってしまったくらいに。
魔法という不可思議な力の探求や、未開の地を開拓する、といった好奇心を満たしたいという想い。それもある。だが、それ以上に俺の心を震わせているのは、この世界に住む生物の存在だ。
この世界には、向こうの世界では本やゲームの中でしか見ることのできなかった魔獣や魔物、さらにそれらより恐れられている魔族なんて呼ばれる連中すらいるらしい。それを想像するだけで、興奮し、血が騒ぐ。
どうやら、さっきの砦での一件で体の方も思い出してしまったみたいだ。
戦闘狂。バトルマニア。こう言えばまだ聞こえは良いかもしれないが、実際のところは、もうちょっと深刻なものだったりする。剥き出しの敵意に喜びを覚え、明確なる殺意すら心地良く思えてしまう、というどうしようもないものだ。もっとも、俺はこの病気みたいな衝動が厄介なものだなんて思ったことはないし、当然治す気なんてない。俺はこの病気を気に入り、受け入れていたのだ。
体を動かすのが好き、という人は結構いるだろう。俺の場合、それが戦闘というジャンルに特化されているようなものだし。
幼い頃はこんな体質でも全く問題なかったのだが、最近は……退屈だった。
向こうの世界では、小さい頃から派手に暴れすぎてしまったため、もう誰も俺に向かってくるような奴はいなくなってしまったのだ。
代わりに、勉強や部活、少し危ない仕事やギャンブルなど、暇つぶしに色々と試してみたのだが、どこか物足りなかった。どれも俺を満たしてくれなかった。
だが、この世界は違う。先に挙げた凶悪な生き物のほかにも、近代兵器の使われていない戦争や、盗賊といった暴力的な存在がそこら中に溢れているのだ。そして何よりも、それらの連中が全て、俺のことを知っている奴がいない、というのが素晴らしい。
「……っと。そろそろ行くか」
思わず笑い声をあげたくなる衝動を押さえ込み、軽く指をほぐしながら部屋の窓に手をかけた。
俺の寝室にと城の中にあてがわれた部屋は、大体、ビルの三階ほどの高さの場所だ。まあ、落ちたとしても死ぬことはないだろう。
一応、そうはならないように最低限の注意だけしながら、体を外に出した。
「よっと」
壁に使われている石の隙間に指をかけ、そのまま下へと降りていく。
あれから俺達は、エリスに案内され、ヴァドル王国の王城へと招かれることになった。
王都までの距離は砦からたったの十キロほど。近いのは良いことなんだけど……本当に危険な状況だったんだな、としみじみ思ったりした。
で、王城まで連れて来られた俺達には、城内の部屋をそれぞれにあてがわれ、そこを自由に使って良いと言われたのだが、そこでまた一悶着があった。
詠二にあてがわれた部屋が外国からの来客があった場合に使われる豪華な部屋だったとの対し、俺にあてがわれたのは、使用人用の小部屋だったことに関してだ。なんでも、俺を詠二の付き人だと勘違いした、とのことだ。まあ、指示を出したのがエリスだというのだから、『勘違い』するのも無理のないことかもしれないけど。
そのあからさまな待遇の違いに、俺ではなく詠二の方が過剰に反応した。普段ではありえないくらい強気な態度で、すぐさま責任者を呼び出そうとしていた詠二。どうやら、戦闘を行ったことや、一度怒鳴りつけたことなどがあり、タガが外れてしまったらしいのだ。
単なる勘違いという名の些細な嫌がらせから発展しそうになった騒動。が、この件はあっさりと収拾がつくこととなった。騒動の中心であり、もっとも憤慨すべき俺が、説教をしようとしていた詠二の存在を完全に無視して、とっとと中に入って眠ってしまったからだ。部屋に入る前に案内してくれた兵士に軽く礼を言ったのも、詠二の気を削ぐ効果があったそうだ。
「脱出成功っと。……つうか、楽過ぎだろ」
部屋を抜け出した俺は、同じ様に外壁を伝い、城の敷地内から脱出することに成功したのだが、振り返り、城の全体を眺めて感じたのは、脱出に成功した達成感ではなく、この城の警備への不安だった。
「……。ま、いっか。この方が攻める時に簡単そうだし」
不安を解消するために警備の問題点を教えてやろうかと考えたが、俺が敵としてこの城を攻める時のことを考えて、止めておくことにした。
数時間前の戦闘中、エリスにこの国のどうしようもない戦況を聞いた時、俺の頭に閃いたのは、エリスを見捨てるという選択肢だった。
俺達は自分から望んだわけではなく、事情すら説明されず、半ば強制的にこの世界へと連れて来られた。しかも、連れて来られた先は、戦争の真っ只中ときたものだ。そんな状況で、ただ自分達のために戦って欲しい、なんて言われても、それを聞いてやる義理なんて全くなかった。その辺りのことを考えていたら、むしろ敵国であるディーンの味方をした方が利口なんじゃないだろうか、という考えに至ったわけだ。
まあ、そんな考えも、詠二の主人公的な行動のおかげで、すぐになくなったわけだけど。エリスの俺への態度の冷たさは、その辺りも感じ取ったからじゃないだろうかと思う。……九割がたは詠二と仲良くしている俺への嫉妬だろうけど。
とりあえず、一時的にこの国に留まることにはしたが、これからどうするかはまだ決めていなかった。
詠二の奴は、俺に手を出すなら敵になる、というようなことを口にはしたが、あれはあくまであの場を収めるための脅しで、心情的にはすでに味方をするつもりなのだろう。だが、俺としては、そう簡単にこの国を信用することはできなかった。
この世界に来てからまだ一日も経っていないため、正直、味方をするにしても、敵対するにしても、情報が少なすぎる。
……。
……というのは建前で、本当は国に味方してしまったら、この世界を自由に旅することができなくなってしまうんじゃないだろうか、というのが本音だったりする。
本当ならすぐさま、城を抜け出し、暴力的な世界に飛び込みたい気分だったのだが……
「ほんと。足、引っ張ってくれるよな」
来栖詠二。あの、イケメンだが女の趣味が最悪な友人の存在が、俺の行動を阻害していた。
あっちの世界にいた時、エリスの連れて行かれるのを黙って見ておいてなんだが、やっぱり見捨てることはできない。見てないところでトラブルに巻き込まれるなら放っておくのだが、見ているところで巻き込まれていたら流石に手伝ってやらないわけにはいかない、というわけだ。一応、あんなんでも友人だし。
『天剣』なんて大層な力を手に入れたというのに、頼りないところは全く変わっていなかった。とりあえず、あの何か非常事態が起きた場合、一々俺の方を見るのは止めろと言いたい。砦でエリスが豹変した時なんかは、ずっと俺の顔を見っぱなしだったし。
まあ、そんなわけで、今日、城から抜け出したのは、このままばっくれるわけではなく、とりあえず別の目的があったからだ。
「さて、と。そろそろ始めるか」
城を出て東に進み、人里離れた森の中まで来たところで足を止めた。
周りに人がいないことを確認。その後、エイジのやっていた動作を記憶から呼び起こし、見よう見まねで実践してみる。右腕を垂直に掲げ、左手でそれを支える。
いい年をして、こんな格好をしていると気恥ずかしさを覚えてしまうが、誰も見ていないということを自分に言い聞かせて、なんとか耐える。
一応、誰にも気づかれていないはずだが、気付かれるのも時間の問題だ。早めに済ませておこう。
『召喚の儀』
それを行うのが、城を抜け出してきた理由だった。
エリスの説明を聞いていたとき、なるほど。よくできている、と思った。まあ、エリス自信はよく理解していないのかもしれないけど。
敵に対処しろ、と言われれば、経験豊富な大人なら、具体的な対処法を指示してしまうため、強い力を手にすることはできない。だが、子供では、たとえ強い力を手に入れることができたとしても、素の実力が低すぎる。それに、強すぎる力に振り回されてしまう危険性もある。そう考えれば、俺達くらいの年齢の人間を見計らっていた、というのは中々説得力のある話だった。
前の世界で不満が大きいやつほど強い力を得られるというのも、一応納得できる。不満が大きければ大きいほど、それをぶつける対象が大きく、そして曖昧になり、そういった『敵』に対処するには、その命令もそれに見合ったものになるというわけだ。
けどまあ、色々と考えたところで、予備知識の全くない状況じゃ、そいつがどんな答えを出し、どんな力を得るかなんて、完全に予想することはできないだろう。その点で考えれば、偶然とはいえ力、性格、資質の全てを持ち合わせていた詠二を選んだエリスはかなり良い仕事をしたと言えるのかもしれない。まあ、全部運だろうけど。
俺にはもう不可能だ、みたいなことをエリスは言っていたが、おそらくそんなことはないんじゃないかと思っていた。
あの儀式は予備知識の全くない状況で頭の中に思い浮かんだ言葉を口にするからこそ、成立するものだと言っていた。なら、問題ない。エイジがあの言葉を口にするより前に、俺の頭の中には一つの言葉が生まれていたからだ。要するに、エイジと同様、何の予備知識のない状況から生まれた言葉だ。ただ、口に出してないだけで。
「ま、無理なら無理で構わないんだけどな」
もし何も起こらなかったとしても、多少残念ではあるが、それほど気にすることじゃない。むしろ、強すぎる力を手に入れてしまうことの方が問題だ。そんな力を手に入れてしまったら、向こうの世界の時のように誰も挑んで来なくなってしまう。それだけはごめんだ。
詠二がやったみたいに、光を操り、攻撃するのは面白そうだった。できれば俺もやってみたい。だが……。
……。
今色々と考えたところで、無意味か。
「ふぅ……」
軽く息を吐き、正面を見据える。
雑念を頭の中から一端排除し、意識を集中し、目の前に敵がいるイメージをする。
敵。それも俺達の世界にいた不良達なんかとは別の存在。俺を屈服させることが目的ではなく、俺の命を狙い、容赦なく奪い取ろうとしてくる連中だ。
今現在、俺の目の前には誰もいない。だが、研ぎ澄まされた集中力が、すぐ目の前に俺の命を狙い、襲い掛かってくる本物の敵を作り出していた。
屈服させ、戦闘する意志を削ぎ落とす。その上で味方へと引き込む。敵を跪かせる、とはそういう意味なのだろう。そういう意味では、犠牲を最低限にするという意味では最高の選択肢なのかもしれない。
だが……俺はあいつほど、他人のことなんか気に掛けない。ましてや、自分の命を狙う敵のことを従えようなんて気は微塵も起こらない。
もし、俺が俺に命令するとしたら、ただ一言。こう言うだけだ。
「――喰らい尽くせ」