第一話:プロローグ:イライラするだけ損じゃない?
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今回はスピンオフ企画として、私たちが日常で直面する「イライラ」や「クヨクヨ」をどうやり過ごすべきか、『般若心経』の智慧を借りて、少し毒のあるコント形式でお届けします。
物語の舞台は、本編第14話「洗心の川」の直後。あの商人が、またしてもトラブルに見舞われているようです。
難しい仏教用語はいっさい出てきません。肩の力を抜いてお楽しみください。
みなさんは、毎日の中で「どうして自分だけがこんな目に」とイライラしたり、過ぎたことをいつまでもクヨクヨしたりすることはありませんか?
この物語は、そんな心の「無駄な重荷」を下ろすための知恵――『般若心経』を、一羽の冷めたカモメと、一人の愚かな商人の姿を通して紐解いていく、少し変わった超訳の記録です。
深いぬかるみが延々と続く、寂れた街道でのことです。
そこには、豪華だが泥まみれの荷車が、無残にも斜め45度に傾いて沈んでいました。
お山での仕事を終えて帰る途中の商人のシャリホは、膝まで泥に浸かりながら、天を仰いで絶叫していました。
「あああああ! 最悪です! 呪われています! なぜ私のような大商人の息子が、こんな下劣な泥遊びをしなければならないのでしょうか! 昨日の分岐路で右に行こうと言った、あの青い龍……蒼龍くんの顔を思い出すだけで、血管が千切れそうです。あいつ、わざと私をこの道に誘い込んだに違いありません。裏切りです! 組織的な嫌がらせです!」
シャリホは、昨日、蒼龍くんが「洗心」の教えを胸に、ドロドロになりながら一生懸命に荷車を押し上げてくれたことなど、もうすっかり忘れていました。喉元を過ぎれば熱さを忘れるどころか、自らの不運を誰かのせいにしたくてたまらないのです。
彼は怒りに震えながら、泥だらけの手で懐から小さな手帳を取り出し、震える文字で何かを書き留めました。
(……14時42分。不適切なルート案内。深刻な精神的苦痛。これは後でまとめて請求してやる……絶対に許しませんからね……)
その時、重く垂れ込めた雲の隙間から、一羽のカモメが、ゆったりとした軌道を描いて舞い降りました。カモメは荷車の端にふわりと止まると、シャリホを憐れむような、冷めた目で見つめました。
「おじさん、いい声で鳴くね。波の音が聞こえなくなるくらいだよ。でも残念。その怒鳴り声、泥には1ミリも響いてないぜ」
「な、なんだ、この不吉な鳥は! あっちへ行ってください! 見てわからないのですか、私は今、人生最大の危機に瀕しているのです。この荷車の中身がどれほどの価値か、君のような羽毛の塊には理解できますまい!」
「価値、ね。ああ、あんたがさっきから『あいつが悪い』だの『運が悪い』だのトッピングしてる、その脳内のゴミのことか」
「ゴミだと!? これは私の誇りであり、一族の未来そのものです!」
「いいかい、おじさん。あんた、今この瞬間、世界で一番損をしてるよ。そんなにイライラして、村でも焼かれたのかい? そんで、その怒りで泥が乾いたか? 蒼龍くんが謝りに来たか?」
「……ぐぬっ。それは、感情の問題です! 人間として当然の反応でしょう!」
「その『当然』が、あんたを一生縛り付ける鎖なんだよ。その鎖の名前、知りたいかい?あんたみたいな才能の使い道を間違えてるやつが、いちいちイライラして自分を削るのをやめるための、最強の『スルー技術』があるんだが」
「……ふぁ……? 何を言っているんです。怪しい勧誘ですか?」
「いいから黙って見てな。これからあんたのそのパンパンに膨らんだ『俺様プライド』を、一つずつ丁寧にぶっ壊してやるよ」
カモメはそう言うと、水かきのある足でしっかりと荷車の縁を掴み、器用に自分の嘴を整えました。
シャリホは不快そうに顔を歪めながらも、再び手帳にペンを走らせました。
(……14時45分。野生動物による侮辱的な発言。精神的暴力の証拠。確保……)
「……。」
カモメはそれ以上何も言わず、ただ静かに、濁った沼の底を見つめていました。
そして、面倒そうに首をすくめて。
「やれやれだぜ」
沼の水面には、怒りよりもずっと静かな空が映っていた。
いかがでしたでしょうか。
助けてもらった恩を忘れ、泥にハマったことを蒼龍くんのせいにするシャリホ。
「そんなにイライラして、村でも焼かれたのか?」というカモメの言葉は、俯瞰して見れば私たちの怒りのほとんどが「実は大したことではない」という真理を突いています。
次回、第二話では、この毒舌カモメがなぜこれほどまでに「冷めて」いるのか、その悲しい過去が明らかになります。




