第34話 早朝訓練
その日の宿は、王都への主要街道沿いにひっそりと佇む小さな宿場町にあった。木造りの簡素な宿で、普段わたくしが過ごす宮廷の華やかさとは程遠いけれど、それでも旅人をもてなそうとする温かな心遣いが随所に感じられた。
土間には使い込まれた板張りの床が広がり、かまどの薪がはぜる音がどこか懐かしい。今は「とある貴族の娘」として滞在している身。
王族と知られてしまっては余計な面倒を招きかねないけれども、何故かこの人数にも関わらず、ジェスロ様は本気でそう思っている節があるの。
おかしいわ・・・お父様が派遣した筈なのに・・・そうか、遠方から呼び寄せ、警護対象をはぐらかしたんだわ。お父様ならやりかねないわね。
到着早々宿の玄関先で、ベルナとシュリナスが何やら押し問答をしている声が聞こえ、張り詰めた空気と共に険悪な表情をしているわ。
2人とも感情が表に出ないから、中々分からないのよね。
「なぜ個室ではないのですか!これではお嬢様がゆったりと休まれません!」
ベルナの鋭い声がひそやかな宿の空気に緊張を走らせる。対するシュリナスは老練なメイド長らしい落ち着きを保ちながら、淡々と答えるのが聞こえたが、ちらりとわたくしのほうを見た。
「お嬢様申し訳ございません。この宿で下の階の部屋まで押さえられたのはこの大部屋だけでございました。警備上の都合ですので何卒ご容赦を」
どうやら警備のため、宿の一角を貸し切る必要があったものの、それが叶ったのがこの六人まで泊まれる大部屋しかなかったらしいわ。
ベルナの心配はもっともだけれども、致し方ないことね。ジェスロ殿は・・・仕方ないけれど隣の部屋でさえないらしいわ。軽く頷くと、ベルナは引き下がりわたくしの斜め前を進む。
通された大部屋は質素ながらも清潔に保たれていて、敷かれたばかりの真新しいシーツが旅の疲れを癒してくれるかのようだ。
あれは・・・お城で使われているのと同じね。
豪華な部屋でなくてはならないと思われているようですが、このような部屋は新鮮だから気にしなくても良いのよ!口に出せないけれど、けばけばしいのは嫌いなの。
わたくしとニーナさんが荷を解いていると、ニーナさんがふと窓の外の夕焼けに目を細めながら、羨ましそうに呟いたわ。
「いいなぁ、アリア様は。先輩の隣で」
その言葉にわたくしは思わずくすりと笑みをこぼした。そうだ!良いことを思いついたわ。ニーナさんの胸の大きさは、わたくしの方が少し上だけど、身長と体の細さはほとんど変わりませんわ。これならば・・・
わたくしは声をひそめ、ニーナさんにそっと話しかけることにしたわ。薄暮の光が彼女の驚いた瞳に宿る。
「ねえ、ニーナさん。道中一日だけでもわたくしと入れ替わってみませんか?」
ニーナさんは目を丸くしてわたくしを見たわ。
「入れ替わる?どういうことでしょうか?」
「ええ。あなたはわたくしの服を着てアリア様のふりをしてちょうだい。そしてわたくしはあなたの服をお借りして、ただの女として振る舞ってみましょう。一日くらいならきっと大丈夫なはずですわ。シュナリス辺りにはわたくしの影武者をしてもらったと言えばよいでしょう」
好奇心と少しのいたずら心がわたくしの胸を高鳴らせた。昔のように王女という身分を離れて自由に過ごしてみたい。そしてジェスロ様がわたくしを「王女」としてではなく、一人の女としてどう見てくれるのか・・・試してみたい衝動に駆られたの。
ニーナさんは少し戸惑った様子だったけれど、やがて瞳を輝かせて頷いてくれた。その笑顔は明日への期待に満ちているようだった。
今日はかなり疲れたわ。食事は部屋に持ってきてもらい、体を清めるとそのままベッドに横になり、直ぐに眠りについたわ。
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翌朝、夜明け前。まだ宿の誰もが夢の中にいるような静けさの中、わたくしはこっそりと部屋を抜け出して裏手の広場へと向かったわ。ひんやりとした朝の空気が頬を撫で、心地よいわ。朝方の凛とした空気を胸いっぱいに吸い込むと、何やらシュッ!と音がし、既にジェスロ様が自主訓練を始めていたわ。
広場の隅で彼はただ一人、黙々と剣を振る。彼の姿は昇り始めたばかりの朝日に照らされ、どこか神々しいほど。
彼の剣が宙を切るたび、澄んだ空気の中を見えない刃が切り裂いているのが分かるわ。やはり【斬撃】が飛んで行く。
どう見てもあれは剣の能力ではなく、彼自身の熟練した武人の技に他ならない。
そのことをわたくしは知っていたけれども、改めて目の当たりにすると驚きを隠せないわ。そして今彼の手にあるのは訓練用の木剣。
やがて護衛の騎士や兵士たちが数名、彼の周りに集まり稽古を始めたわ。
性格かしら?あの荒くれた騎士たちと早々に打ち解け、一緒に体を動かしているわ。
そしていくつかに別れて模擬戦が始まろうとしていたの。
しかしジェスロ様の戦いは、最初の戦闘時にベルナから聞いた言葉で、実力者だというのを伏せていると認識していたけれども、どうやら騎士たちにも実力を隠すようね。
『あの自称ギルド職員は有象無象の中年を装おい、実力を隠そうとしていますが、その動きからただ者ではないとこは明白です』
わたくしの目にも騎士たちのレベルに合わせて巧みに『調整』しているのが見て取れますわ。彼が振った剣を騎士たちが受け流すたび、あるいはわずかに軌道をずらすたび、騎士たちはまるで紙一重でかわしたかのように、あるいは辛うじて受け止めたかのように見えていたと思いますわ。彼らはジェスロ様の鋭い攻撃に表情を変え、真剣な面持ちで彼の一挙手一投足に集中しているわ。わたくしにはその駆け引きの意図が見抜けてしまう。
「うわっ!?」
情けない声が聞こえた。
ジェスロ様は騎士の一人が繰り出した、しょうもないフェイントに驚いた仕草をしており、足を引っ掛けられてあっさりと地面に背中を打ち付けられたわ。
それまで優勢に振る舞っていたけれども、最後に倒れたのはジェスロ様だった。その際、彼の手にあった木剣が勢いよくスッポ抜け、偶然にも彼に追撃を加えるべく踏み出した騎士の足元へ転がったわ。その騎士は木剣に足を取られ、滑ると盛大に尻餅をついてしまった。
「アベル何やってんだよ」
「剣を踏んでコケるなんてダサいぞ!」
「用値を学校からやり直せよ!」
周りの騎士たちから容赦ない声が飛ぶ。アベルと呼ばれた騎士はあっけにとられるも先に立ち上がり、ばつが悪そうに顔を赤らめて頭を掻いているわ。どうやら騎士アベルとジェスロ様の模擬戦はこれで終わりね。
「にしてもすごい剣ダコだな!どんだけ振ったんだよ!」
騎士アベルは笑いながら手を差し出し、ジェスロ様を助け起こしている。ジェスロ様は見え見えのフェイントに引っ掛かったけど、それはわざとなのを私は知っている。
派手に負けを演出しているものの、倒れながらも次の攻撃を繰り出そうとし、不自然な形で動きを止めている。あれは彼の剣が常に相手の急所を狙い続けている証拠。倒れながら攻撃を中断し、剣を投げることへシフトしたわ。そして護衛の騎士たちにも真の実力はひた隠しにしているのですわね。
『実は俺って負けず嫌いなんだよね!』
そんな感じに酒の席で言っていそうですわ。なので負けを演出しつつも、相手の体を地面につけさせるなんて、その技は凄いのだけれども、ちょっと子供っぽいところがあるのねと、意外な一面を見れて良かったわ。
「ギルドの受付にしとくのは勿体ないな!どうだ、王都に着いたら騎士団に入らないか?俺から隊長に推薦するぜ!」
「いやいや、私なんて皆さんの足元にも及びませんよ・・・躱すのが精一杯ですから」
ジェスロ様は立ち上がると、手を見ようと集まってくる騎士たちに親しげに笑って見せた。その屈託のない笑顔は彼の実力とは裏腹に、どこか朴訥とした印象を与える。騎士たちは彼と握手をすると一様に驚いていたわ。
彼と彼の周りの人間関係はまるで底が見えない。わたくしはその奥底に隠された真実をもっと深く知りたいと強く願った。
わたくしはポカーンとするのをなんとか踏みとどまったけれども、それにしてもすごいわ!・・・あのようなことまで狙ってできるなんて、まさに神業だわ。
相手に華を持たせつつ、最後は自分だけでなく相手も地面に倒す。偶然を装うことで、周囲の警戒を解き、なおかつ信頼をも勝ち取る。凄いわ!
彼の剣は常に相手の急所を狙い続けているにもかかわらず、その真意は誰にも気づかれない。
倒すのは簡単だろうと思うわ。それこそ赤子の手をひねるが如く。でもそれをすると逆恨みを買いかねないから、手の込んだ演出までして打ち解けているのね!
そのさりげない気遣いと、圧倒的なまでの実力を見事に隠蔽する能力。ほれぼれしてしまいます。
そんなことを思うわたくしは、うっとりとその光景を眺めていたわ。あの彼が明日はわたくしに稽古をつけてくださる!王都までの旅路がいっそう楽しみになってきたわ!




