第17話 2度目の波
やたらと装飾が凝らされ、立派な造りの木製のドアの前に立ったその時、俺の腹の奥底から『ぐぐっ』と強烈な訴えが湧き上がってきた。
まさかの二度目。しかも、今度は踏ん張る方のやつだ・・・朝、あれだけ頑張ったのに!半日もかからないダンジョンだと完全に油断していた。
この差し迫った事態は、ボス戦などしている場合ではないと本能が告げている。一刻も早くこの重厚な扉の向こうを突破し、ダンジョンから脱出しなければ!
ここはセーフエリアのはず。
セーフエリアまでは急いだ方がよいと思い、中断したベルナの手の治療を再開することにした。
放っておいても1週間もすれば自然治癒するだろうが、これから上位種とのボス戦が控えている。
武器を握る手の違和感からスッポ抜けでもしたら目も当てられない。
そこで治療を急ピッチで終わらせることにし、もう一度ベルナの左手を握り、ヒールを開始した。
そして流す魔力を一気に倍増させたが、その途端に、俺が治療のために握ったベルナの手がビクンッと跳ね、強く握り返された。
『あっ、ごめんごめん!オッサン、ちょっと文字通り腹に一物抱えちゃってね!魔力、気持ち多めに注入するよ!』
心の中で言い訳しつつ事後報告!
「魔力を多目に流したからそろそろ治療が終わりますよ!」
最初からそうすれば良かった?確かに治療時間の短縮にはなるけど、治癒される側に対し負担がかかるんだ。それに魔力消費量が跳ね上がる割に、治療速度は1.5倍程度にしかならない。さっきまではエコモードでじっくり丁寧に治療してたんだよ。魔力供給を増やしてから二分ほど経っただろうか。
「はい、終わったはず!」
そう告げて力を緩めようとしたが、逆にベルナさんが俺の手を握る力が倍増。
「え?まだダメ?」
魔力の供給を切っても、彼女の手は俺の右手をガッチリホールドしたまま。
「どうかなさいましたか?」
異変に気づいたアリア様が心配そうな顔で尋ねてきた。
「ああ、先ほど早目に治療を終わらせようと思ってちょっと魔力増やしたら、ベルナがびっくりしたみたいなんだ」
そう答えるとベルナさんは顔を赤らめた。
「べ、別に、そんなことは・・・」
明らかに動揺した様子。
しまった。彼女はまだ若いお嬢さんだ。そりゃあアリア様に心配かけまいと強がってみせても、内心穏やかじゃないよな。だからより確実な治療を求め、オッサンの手を最後の砦とばかりに握りしめているんだ!
彼女は従者だ。
立場上中々もっと丁寧に!とは言い出しにくいだろう。やっぱオッサンはこういうデリケートな部分の配慮が足りないんだよな。ただでさえオッサンと煙たがられているのに、これでさらに好感度ダダ下がりは避けたい。
よし、ちゃんと伝えよう。
「ベルナ、治療はちゃんと終わったからもう大丈夫だよ。ほら、確認するからよく見せてごらん」
そう言って、俺は左手で彼女の意外と小さな左手を俺の右手からそっと引き離そうとした。しかしベルナの目は『まだ駄目です!』と必死に訴えているようだ。仕方ない。キモがられるのを覚悟で、手のひらを軽く撫でてみるか・・・
素晴らしい・・・やはり若い女性の手は、吸い付くように滑らかだ。少し筋肉質なところもあるが、それがまた細く引き締まった印象を与える。
「次は甲を見ます。万が一何かあったらすぐに再治療するから言ってください」
声をかけて再び左手をそっと引き離そうとすると、今度は少し抵抗されたものの、綺麗な手の甲が現れた。
「ほら、傷一つないでしょ?」
俺の手に乗せられた自分の左手を、ベルナさんが不思議そうに触って確認していると、食い入るようにアリア様も見てくる。ち、近い。
「本当に・・・傷一つないわね」
アリア様が絶句すると、ベルナさんは堪えきれなくなったように、ポロポロと涙をこぼし始めた。
「ベルナ、大丈夫だから、よく見てごらんなさい。間違いなく2年前の傷もなくなっています」
アリア様が優しく声をかけると、ベルナさんは自分の手を恐る恐る見つめ、さらに涙腺が崩壊した。
「ジェスロ殿!」
程なくして、ベルナは改めて俺の手を取る。
「このご恩は一生、決して忘れません!」とか、「貴殿は本当に素晴らしいお方です!」などと、嗚咽混じりに大げさすぎるお礼を言ってきて、ちょっと困惑した。
まあ、若くて綺麗な女性の手を、あれやこれやと堪能できたんだからお礼はもう十分すぎるほど貰っているようなもんだ。そしてようやく落ち着いたのを見計らい、俺のタイムリミットも近づきつつあるので急かすことにした。
「さあ、そろそろ行きましょうか!」
ベルナさんは手を何度か握ったり開いたりをした後、メイスを握り身構えた。
差し迫った腹痛を堪えながら、俺は重厚な木製のドアに手をかけた。ギィィ・・・と鈍い音を立てて扉が開かれた瞬間、俺たちは広々とした空間の中に立っていた。足を踏み入れた感覚はないのに、背後ではギギギ、バタン!と嫌な音を立てて重い扉が閉ざられている。
なっ!と悪態をつく暇もなく、現状を急ぎ確認しないとだ。
部屋全体は天井に仕込まれたであろう発光体によって明るく照らし出され、まるで神殿のような荘厳な雰囲気を醸し出していた。
およそ30メートル四方はあろうかという広さで、奥には一段高い場所に祭壇のようなものが設けられている。そして、その祭壇の手前には、大量の、それも小型のゴブリンがひしめき合っていた。まるで、絨毯のように床を埋め尽くし、けたたましい奇声を上げながらこちらに殺到してくる。
「ナイトよ!」
アリア様とベルナが、同時に悲鳴に近い唸り声を上げた。その言葉に俺は目を凝らし、奥にいる一回り大きなゴブリンに意識を集中させた。
屈強な体躯、鋭い眼光、そして腰に佩いた粗末ながらも武骨な剣。なるほど、あれが上位種のEランクモンスター『ゴブリンナイト』か。・・・いや、待てよ?ナイトにしては、随分と小さいような?・・・違う、1階層で出たゴブリンだ!
その時、アリア様とベルナの視線の先、祭壇の中央に、俺とほぼ同じくらいの身長、ざっと180cmはあろうかという巨体のゴブリンが腕組みをして仁王立ちしているのが見えた。無駄に背が高いと言われる俺と同じくらいとは・・・一体何者だ?
「ナイトよ!」
再び叫ぶ二人の声に、俺はあの巨体のゴブリンの正体に確信を持てた。
「そうか!あれが上位種のEランクモンスター、『ゴブリンナイト』か!」
ではこの大量の小型ゴブリンは・・・まさか!その小ささ、きゃしゃな体つき。間違いない!
「そうか!あれがナイトで、こいつらは・・・子供か!ゴブリンジュニアってところか!」
つまり、ナイトの手前にいるのは、これまでに倒してきたゴブリンだな!
けたたましい叫び声を上げるゴブリンジュニアたちが一斉に牙を剥き出し、俺たちに襲い掛かってくる。この一刻の猶予もならない腹痛を抱えている身としては、こんなところで手間取っている場合ではない。まさかの大群との遭遇に、俺は内心で盛大に舌打ちをした。この戦いを速やかに終わらせ、一目散にダンジョンを脱出しなければ! お願いだから腹よ耐えてくれ!




