第15話 魔力譲渡
アリア様は、どこか遠くを見つめるような、ぼんやりとした表情をしていた。まるで魂が抜け落ちたようだ。口元からわずかに涎が垂れており、俺は慌てて拭いてあげた。魔力譲渡の難点はこれなのだ。
受け取る側の精神に予期せぬ負担がかかることがある。オッサンの手垢の付いたハンカチで、美少女の口を汚すようでごめんなさい。今日はまだ一度も使ってないから、たぶん綺麗なはずだ!
よく見ると、いつも唾を吐かれた時用にポケットに忍ばせている新品の方だったので安堵したのは内緒。
じりじりと時間が過ぎ、俺の体にもじんわりとした疲労感が忍び寄ってきた。これまで冒険者ギルドで憔悴した冒険者たちに何度か魔力譲渡をしてきたが、今回のアリア様の吸い上げる魔力量は明らかに桁違いだった。
なるほど、お貴族様というのは皆こうなのか!それとも、この小さな体に、規格外の才能が宿っているのか。俺は冒険者ギルドでは、無駄に魔力量が多いことはそれなりに知られていて、非戦闘系のおっさんがなぁ・・・とよくからかわれたりもした。
この歳でこの魔力、魔力だけは人より多いと思ったが、お貴族様の中には想像もできないほど豊かな魔力を持つ者がいるのだと改めて思い知らされた。
少しばかり自分の魔力量を誇っていたが、そんな自分が今更ながら恥ずかしい。井の中の蛙とは俺のためにあるような言葉だ。
「ベルナさん、アリア様はかなりの魔力持ちなんだな。これまで見た中で一番かもだよ。これまで何度も冒険者に魔力譲渡をしてきたけど、これだけつぎ込んでも終わらないのはこれが初めてだよ」
今更だが、魔力譲渡をしていることを、誤解のないようにベルナに伝えておいた。
「そうでしょうとも。アリア様は非戦闘系のギフト持ちですが、魔力量は兄弟姉妹の中でも一番なのです。しかし、どうやら貴殿の魔力量はそれを上回るようだな。一体【ゴホッゴホッ】何者なのですか?」
最後はベルナさんの小さな咳に掻き消されてはっきりとは聞こえなかったが、もしかしたら俺の身分を訝しんでいるのかもしれない。
確かにアリア様が苦しそうだったとはいえ、貴族の子女に許可も得ずに触れるたのは軽率だったかもしれない。アリア様のためを思っての行動だったから睨まれる程度で済んだけど、下手をすればもっと酷いことになっていたかもしれない。
あの射抜くような視線はまるで『アリア様のためでなければ、その場で貴様の頭をメイスで砕いているぞ!』とでも言っているようだった。
そうこうしていると急激に魔力の流れが細くなり、ぷつりと途絶えた。
その瞬間、アリア様はハッとしたように顔を上げ、俺の腕から慌てて飛び起きた。
みるみるうちに白い頬が赤く染まり、申し訳なさそうな、そして感謝の入り混じった表情で何度も頭を下げてきた。
「ジェスロ様、本当に、本当にありがとうございます!驚きましたわ!半分はポーションで回復したとはいえ、まさかこんなにも早く、そして完全に魔力が回復するだなんて・・・お城にもこれほどの魔力をお持ちの方はいらっしゃいませんわ!」
興奮した様子で俺の手を両手で包み込み、ブンブンと振り回すほどだった。その直後ベルナさんが低い声で「アリア様!」と窘めると慌てて俺の手を離した。
そうだよな。こんな薄汚れたオッサンの手をお嬢様がいつまでも握っているなんて、褒められたものではないだろう。
なるほどアリア様は有力貴族の娘、当然お城にも行くことになるわな。見たこともないけれど、きっと華やかなお茶会などに参加するのだろう。俺には、全く縁のない世界だ。
「ジェスロ様を感じます・・・」
アリア様はどこか夢見るような表情で呟いた。他者の魔力を渡されると、特有の感覚が残ると聞いたことがあるが、それだろうか。
ベルナさんが心配そうにアリア様の体に触れたり、顔色を窺ったりしていたが、そうしていると背後から微かな魔物の気配が忍び寄ってきたので、俺は二人に先に進むことを促した。
「悪いが休憩はこれまでだ。背後より魔物の気配がするから出発した方が良い」
2人は何も言わず頷くと武器を手にとる。
薄暗い通路を2分ほど進んだ辺りでまたしてもスライムが出現したが、今度のスライムはベルナさんのメイスがまるでゴムボールのように弾かれてしまう。
「ジェスロ殿、一撃を!」
予想外の事態に、ベルナさんの声にも焦りの色が滲んでいる。
俺は即座に双剣を構えながら突進し、斬りつけた。
スライムの表面は確かに斬れたが、がヌメヌメとした体表はすぐに塞がってしまう。
しかしベルナさんは諦めなかった。
右手に握ったメイスを俺が斬りつけたその箇所に叩き込んだが、その衝撃でスライムの体表が再び開き、緑色の体液が飛び散る。
ベルナが左手に握っているメイスは僅かに光を帯びていたが、躊躇なくスライムに開いた傷口へと突き刺した。
「退避!」
直後に発せられたベルナの鋭い指示に従い、俺とアリア様は全力で後退した。次の瞬間、スライムは内側から激しく膨張し、緑色の体液を四方八方に飛び散らせて爆散した。
ベルナの左手はメイスを突き刺す際、スライムの体内に肘の辺りまで突っ込んでいたため、夥しい量の体液を浴びてしまっていた。
「まあ連携が素晴らしい。長年連れ添った夫婦のように息が合っていて羨ましいですわ」
アリア様はベルナさんが体液を浴びて絵的にまずい状態にも関わらず、目を輝かせていたが、どうやらベルナさんの左手に目を留めたようだ。
「ベルナ?左手・・・怪我をしていらるではないですか!?」
「問題ありません、ただの体液です」
ベルナさんは平静を装って答えたものの、その左手はみるみる赤く腫れ始めていた。
「そうなのですか?でも見た感じかなり痛々しいですわよ」
アリア様は心配そうな表情でベルナの左手を凝視したが、俺も異変に気が付いた。
「ベルナ見せてみろ」
俺は声のトーンを落とし、真面目な顔で言った。
「は、はい、ジェスロ殿」
ベルナさんは素直に左手を俺に差し出したが、赤く腫れ上がった手の甲は、見るからに痛々しい。
背後から再び微かな魔物の気配が近づいてくるのを感じ、時間的に立ち止まって治療している余裕はない。
「時間がない。悪いがベルナの手は移動しながら治す。アリア様、ベルナの手を握って歩きながら治療しますから、周囲の警戒をお願いします」
俺がそう言うと、アリア様は少し頬を赤らめながら小さく呟いた。
「羨ましいです・・・」
「何か言いましたか?」
俺が聞き返すと、アリア様は慌てて首を横に振った。治療するのが羨ましいって、ひょっとしてアリア様は怪我をしたのか?
「いえ、独り言です。警戒、承知いたしましたわ」
そう言うと、真剣な表情で周囲を見始めた。
俺は差し出されたベルナの左手をそっと握り、微かな温かい光を宿したヒールの魔法をかけた。赤く腫れた手がゆっくと本来の色を取り戻すような感じに腫れが引き、徐々に痛々しさみ消えた。 アリア様を先頭に警戒を怠らずダンジョンの奥へと歩を進めていたが、痛みのせいかベルナさんが俺の手を握る力は強かった。




