第6話 聖女の確保
エルメーテ公爵家の応接室に、一人の老爺が居た。
真っ白な絹の法衣を着込み、豊かな顎ひげを蓄えた温和な人物――グレゴリオ最高司祭だ。
応接室の入り口に一人の男性が姿を見せる。
こちらは背中までの豊かでつややかな金髪をまとった、優男――彼がエルメーテ公爵だった。
「グレゴリオ最高司祭、内密な話とは何かな?」
扉を閉めた後、エルメーテ公爵がグレゴリオ最高司祭の正面のソファにゆっくりと腰を下ろす。
「実は、エルメーテ公爵に養女を取っていただきたい」
エルメーテ公爵の眉がわずかに跳ねた。
「どのような事情で?」
「先日、ある町で聖女が見つかりました。
このことは私とベイヤー司祭、そしてあなたしか知りません。
エリゼオ公爵に手を打たれる前に、早急に手続きを進めたい。
ご協力願えませんか」
エルメーテ公爵がまっすぐグレゴリオ最高司祭を見つめ、尋ねる。
「確かにそれは最優先だろう。だがなぜ内密にする?
あなたとは協力関係にあるが、そこまで強行する人間でもなかったはず。
いったい何があったのですか」
「それは私もまだ、詳しくは知りません。
ですが聖女が与えられた聖名は『新しき原初の聖女』――これはただ事ではない。
聖神様から私たちに、何かを伝えようとしておられる。そう感じるのです」
エルメーテ公爵の目が大きく見開かれた。
「聖名を三つも与えられたというのか。
そんな子供をエリゼオ公爵が手に入れたら、我らでは太刀打ちができなくなる。
逆に我らが保護できれば、宰相を抑え込む大きな力となるだろう。
――それで、その子供の名前は?」
グレゴリオ最高司祭が小さくうなずいて答える。
「――シトラス。シトラス・ガストーニュです」
「ガストーニュ?! まさか、ギーグの娘か?!」
「その通り、ギーグ・ゲウス・ガストーニュ氏の娘です。
彼らは今、この屋敷に向かわせています。
もう一週間ほどで到着するでしょう。
我らはエリゼオ公爵や宰相に感づかれる前に、養子縁組の手続きを済ませましょう」
エルメーテ公爵がしっかりとうなずいて立ち上がった。
「わかった、すぐに書類を手配しよう。
ギーグも向かってきているのだな? 彼の仕官も、望めるだろうか」
「その意向は聞いております。『そばで娘を守りたい』と」
エルメーテ公爵がふっと笑みをこぼした。
「あいつらしい。豪放なようで、親馬鹿だったからな。
ではギーグに殺されぬよう、シトラスも大切に保護しなければな。
迎え入れる準備もある。今日はこれぐらいで構わないか」
グレゴリオ最高司祭も立ち上がり、大きくうなずいた。
「ええ、頼みましたよ。私も手続きを迅速に進めます。
彼女のためにも、そして聖神様のためにも、我らは失敗できません。
この国を戦乱に陥れることを、必ず防ぎましょう」
エルメーテ公爵とグレゴリオ最高司祭が固く握手をし、二人は応接室から出ていった。
****
応接室から出たエルメーテ公爵の前を、一人の少年が通り過ぎていった。
今年で十歳になったアンリだ。父親譲りの優しい顔と艶やかで短い銀髪。
端正な顔立ちは幼いながらに、女性と見まごうばかりだ。
だが欠点があるとすれば、その顔から感情が抜け落ちていることだろうか。
エルメーテ公爵がアンリに声をかける。
「どこに行くつもりだ、アンリ」
アンリが振り返って無表情なままに答える。
「狩りをしてきます」
端的で事務的な返答に、エルメーテ公爵が苦笑を浮かべた。
「お前はもう少し感情を表に出せるといいのだがな」
「努力はしています」
エルメーテ公爵が小さく息をついて告げる。
「先日、お茶会で会わせた令嬢から苦情が来ていたぞ。
『何を話しても退屈そうで、相手をしてもらえない』と。
もう少し愛想良くできないか。社交界でもそれでは、結婚相手がみつからん」
「事実として退屈だったので。女性など誰でも一緒でしょう。
子を作らねばならぬなら、相応の身分の女性を娶るまでです。
父上の命であれば、私は従います」
そのままアンリは外に向かって歩いて行ってしまった。
グレゴリオ最高司祭が楽しげに笑みをこぼす。
「これはこれは、せっかくの美貌が台無しですな。
彼にも変化のきっかけがあると良いのですが」
エルメーテ公爵がため息をついて答える。
「色々と考えているのだがな。
ティベリオが病床に臥せっている今、社交場へも私が連れて行かねばならん。
どうにも手が回らず、やきもきさせられる」
「シトラス様がよいきっかけになればよいのですが……」
「さて、あの堅物が簡単に自分を曲げるのか、親である私にも分からんよ」
二人の大人は、小さくなるアンリの背中を見送りながら遠い目で話していた。
****
私たちは馬車でヅケーラ村からエルメーテ公爵家へ向かう途中、迎えに来たグレゴリオ最高司祭の馬車に乗り換えていた。
見慣れた馬車、乗りなれた感触。そして久しぶりに見る顔。
「お久しぶり、と言っても分かりませんよね。初めまして、グレゴリオ最高司祭。
シトラス・ファム・エストレル・ミレウス・ガストーニュです」
グレゴリオ最高司祭が戸惑うように私に尋ねる。
「あらましは伺っておりますが……十年先の未来から戻ってこられたとか。
いったい何があったというのですか」
私はぽつり、ぽつりとつぶやいていく。
「この国が戦乱を起こし、聖玉が砕け、グレゴリオ最高司祭も亡くなりました。
最後は私も処刑で命を落とし、そうして七歳の朝に目覚めたのです。
敵は宰相、そしてエリゼオ公爵の派閥です。
彼らを止めなければ、再び同じ悲劇が起き、そして魔神が復活します」
グレゴリオ最高司祭は小さくうなずきながら私の話を聞いていた。
「なるほど……魔神の復活ですか。
それで聖神様があなたに『新しき原初の聖女』という聖名を与えたのですな。
それで、あなたはなぜ処刑されたのですか?」
私はうつむきながら答える。
「……ダヴィデ第二王子が暗殺され、その現場に誘導されました。
私が部屋に入るなり、衛兵が叫び声をあげて。
言い訳をする間もなく、私はそのまま幽閉され、『偽りの聖女』と蔑まれて殺されたのです。
この国に降りかかる災厄、その全ての罪を背負わされました。
『聖玉が砕けたのも私のせい』だ、とまで……もう、私には人を信じることができません。
あれほど優しかったアレッシオ様が、私を陥れるなんて。
私に優しくしてくれる人は、死んでしまうか陥れる人ばかりです」
グレゴリオ最高司祭が眉をひそめて唸り声を上げた。
「アレッシオ……エリゼオ公爵家の三男ですな。
彼は父親に似ず優しい少年だと言われていますが、そうですか。
――しかしシトラス様、あなたは裏切られた人生を知っている。
ならば裏切る人もまた、事前にわかっています。
すべての人があなたを裏切るわけではありません。
どうか、それを忘れないでください」
「それは……わかっている、つもりです」
ヅケーラ村の人たちは、私の信頼を裏切らなかった。
『前回の人生』では見られなかった、子供たちが両親と再会した時の笑顔。
あれは何よりの報酬だった。
『前回』は死んでしまった人たちも、信頼できるはずだ。
それでも、今でもあの処刑される瞬間は夢に見てしまう。
人々の憎悪が混じった怒号と、国王やラファエロ第一王子の冷たい侮蔑の眼差し。
あの時は心を凍らせていたから耐えられた。
でも温かい気持ちを思い出した今、その記憶に耐えるのは苦痛だった。
あんな人たちも救わなければと思うと、思わず気持ちが萎えそうになってしまう。
グレゴリオ最高司祭が私の肩に手を置いて優しく告げる。
「シトラス様、無理をする必要はありませんぞ?
あなたは宮廷で生きた記憶がありますが、その経験はほとんど活きないでしょう。
あの世界で戦うのは、戦い方を知っている人間に任せればよろしいのです。
あなたはただ、苦しむ人々を救うことだけをお考え下さい」
私が曖昧に微笑みを返すと、グレゴリオ最高司祭が優しい微笑みで告げてくる。
「あなたは前の人生で、民衆に失望してしまったかもしれません。
ですがそれもまた、宰相によって苦しめられた民衆の心の悲鳴だと思ってください。
彼らもまた被害者なのです。
正しき道へ導いてあげれば、あなたを失望させた民衆も必ずや、あなたに温かい心を返してくれます。
私たちがそうなるよう、宰相と戦っていきます。
ですからシトラス様は、できる範囲で構いません。民を救ってはくださいませんか」
そこまで言われたら、断れないじゃない……。
「分かりました。できる範囲で良いのなら」
私の静かな言葉に、グレゴリオ最高司祭は嬉しそうにうなずいてくれた。
****
馬車は大きな屋敷の門をくぐり、玄関前で止まった。
全員が馬車から降りると、知っている顔が出迎えてくれた――エルメーテ公爵だ。
長い金髪を優美に風になびかせている。
「君が聖女として認定を受けたシトラスだね。
私が君の身元を引き受ける、ヴァレンティーノ・アデルモ・エルメーテだ。
これからは気軽に『お父様』とでも呼んで欲しい」
この人が、今日から私のお父様になる。
『前回』は私に冷たい視線を投げかけていた人が、今はこんなにも温かい眼差しで私を見つめている。
なんだか変な気分だ。まるで別人を見ているかのよう。
私は途中で着替えた聖女の法衣の裾をつまんでカーテシーで挨拶をする。
「シトラス・ファム・エストレル・ミレウス・ガストーニュです。
これからお世話になります」
エルメーテ公爵――お父様が、「ほぅ」と感嘆の声を漏らした。
「どこでそんな所作を覚えたんだい?
村娘が身に着けているものではないだろうに。
付け焼刃というわけでもなさそうだ。実に手慣れている。
七歳の子供の所作ではない。君は不思議な子だね」
私は曖昧に微笑んだ。
「聖女ですので――ところで、アンリ公爵令息はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、アンリなら今日も森に狩りに行ってる。
十歳だが、既に大人顔負けの腕前だ。
将来が楽しみだよ――噂をすれば、だな。アンリ! こちらへ来なさい!」
お父様が手を挙げた方角を見ると、ポニーに乗った銀髪の男の子が無表情でこちらへ来るところだった。
その視線が私の姿を射抜くように見定めた――またあの視線!
私は思わず身をすくめ、アンリ公爵令息が近づいてくるのを待った。




