第30話 七歳の聖女
目を覚ますと、そこは別邸にある私の部屋のベッドだった。
法衣からネグリジェに着替えさせられてる……。いつの間に。
窓の外を見ると、まだ夕方になる前みたいだ。
ベッドサイドのハンドベルを鳴らすと、レイチェルが慌てて部屋に飛び込んできた。
「お嬢様! お目覚めですか!」
「ええ、もう大丈夫ですわ。
それよりお腹が空いてしまいました。
何か食べるものはないかしら」
「では軽食を用意してまいります。
そのままお待ちください」
レイチェルは他の侍女に指示を飛ばすと、急いで部屋の外に向かっていった。
……いや、そんなに焦らなくても。
私は他の侍女たちに手伝ってもらい、普段着に着替えていく。
儀式は終わったので、もう法衣とはお別れだ。
名残惜しくて畳まれた法衣を撫でていると、レイチェルがフルーツの盛り合わせを持って戻ってきた。
小皿に分けられたフルーツを、次々に口に運んでいく。
ん~甘くておいしい。
持ち込まれた盛り合わせをぺろりと平らげると、レイチェルが微笑ましげに笑みをこぼした。
「毒を飲んだと伺って心配しておりましたが、どうやら心配は不要のようですね。
ですがそれ以上は夕食に差しさわりがあります。我慢なさってください」
「はーい。ところで、お父様やお兄様はどうしてるのかしら」
「旦那様は聖教会へ出かけられました。
アンリ様はお部屋におられると思います。
お呼びしましょうか?」
「いえ、それなら別に構いません。
お母様はどちらにいらっしゃるの?」
「お部屋にいらっしゃるかと」
「そう、ではお母様のところへ行きます」
私はレイチェルを連れて、お母様の部屋に向かった。
****
部屋の中では、お母様が物憂げに紅茶を口にしていた。
「お母様、少しよろしいでしょうか」
私の声で、お母様がこちらを見て微笑んだ。
「まぁシトラス! 目が覚めたのね、よかった……それで、どうしたの?」
私は部屋に入り、お母様の正面のソファに腰を下ろした。
「このあと、夜会に参加するのではなかったのですか?
私は用意をしなくても構わないのですか?」
『前回の人生』では儀式のあと、私を歓迎する夜会が催された。
だけど別邸の中には、そんな空気がない。
「夜会の予定はあったのだけれど、延期になったわ。
ラファエロ殿下の不祥事があったから、その後始末が済むまで開かれないでしょう。
それにあなたは毒を飲んだのよ?
ヴァレンティーノはそれを口実に、夜会をキャンセルして領地に戻るつもりみたい」
大事になったなぁ。それもそうか。
聖神様への反逆罪は死罪が免れない。
それが第一王子なんだから、予定が全部キャンセルになっても仕方ないか。
「王家はそれに納得してるのですか?」
お母様が優しく微笑んだ。
「今は聖教会の力がとても強いの。
あなたは前代未聞の奇跡を起こして見せたわ。
あれであなたが『稀代の聖女』だと、民衆も認めたはず。
つまりグレゴリオ最高司祭やヴァレンティーノの発言力は、既に王家よりも強いのよ」
第一王子が聖女を毒殺しようとしたんだから、王家の権威はかなり落ちたよね。
となると、次の王位継承問題が浮上してくるんじゃないかな。
「お母様、正直におっしゃってください。
次の王位は誰が継ぐとお考えですか」
私のまっすぐな視線を受けて、お母様が困ったように微笑んだ。
「あなたは頭が回る子ね。
そんなに心配しなくても、ヴァレンティーノがなるだけあなたの望む形になるよう努力してくれるはずよ。
あなたは王位なんて、継ぎたくないでしょう?」
私は正直にうなずいた。
だけど権威が失墜した王家と『稀代の聖女』、周囲がどちらを選ぶかと言ったら、たぶん私が選ばれるだろう。
現王家が生き残る道は、ダヴィデ殿下に私が嫁ぐ未来くらいだ。
ダヴィデ殿下に拒絶感はないけど、義父が国王になるのはさすがに無理かな。
お母様が苦笑を浮かべた。
「今は深く考えないで頂戴。
あなたはあなたの人生を歩むことを、できれば考えて欲しいの。
それが私たちの願いよ」
私個人の人生か。
でも、私は聖女としての人生を優先しないといけない。
だから私個人の幸せなんて、今は考えられない。
……でもお母様にそんなことを言っても、納得はしてもらえない気がした。
「わかりました。では失礼します」
私はお母様にそう告げて、部屋を後にした。
****
私が部屋に戻ると、アンリ兄様が部屋の前で待っていた。
「お兄様……どうなさったの?」
「お前が目覚めたと聞いてな。戻ってくるのを待っていた。
少し、話をしても構わないか」
「ええ、構いませんわ」
私は部屋の中へアンリ兄様を招いた。
二人でソファに座り、紅茶を一口飲む。
「それで、お話しとはなんですの?」
「いや……お前はまだ、人々を救いたいと焦っているのか?」
私は目をぱちくりと瞬かせて、アンリ兄様の目を見つめた。
「おっしゃりたいことがわかりませんわ。
私は焦ってなどおりません。
聖神様から与えられたとおりに、人々を救済するのが私の使命です。
それを怠ることができないだけですわ」
アンリ兄様が「人払いを」と告げ、レイチェルたち従者を部屋から追い出した。
改めてアンリ兄様が私を見て告げる。
「シトラス、状況はお前が知る歴史とは大きく異なっている。
これから戦争が起こることは考えにくい。それくらいにな。
宰相派閥は大きく力を落とした。開戦しようとしても、父上たちが必ずそれを阻む。
だからお前が焦って人々を救済しなくても、聖玉が砕けることにはならないと思う」
本当にそうだろか?
そんな慢心をして聖玉が砕けたら、もう取り返しがつかない。
私は私にできる精一杯をしていくべきじゃないのかな。
納得できない私を見て、アンリ兄様が苦笑を浮かべた。
「お前にとって『前回の人生』が強烈過ぎたのだろうが、まだ余裕はある。
少なくとも、砕ける前に『亀裂が入る』という前兆がある。
焦るのはそれからでも遅くはない。
国のことは父上たちに任せ、お前は穏やかに暮らしてみないか」
「穏やかに暮らせと言われても……そんな人生をどう生きたらいいのか、私にはわかりません」
「深呼吸をして、周囲の景色を眺めてみろ。新緑が綺麗だろう?
お前はそれに気が付くことができたか?」
――新緑?!
移り行く季節の美しさなんて、すっかり忘れていた気がする。
子供の頃はその様子に、一喜一憂してたっけ。
窓の外を見ると、温かい日差しを浴びた新緑が生き生きとしていた。
初夏の直前、もっとも植物が生命力にあふれる季節だ。
新しい緑が、これから花をつけるために力を蓄えている。
「……そう、ですわね。すっかり忘れていました。
十年間、擦り切れるほど走り回って、景色に目をやることを忘れてしまっていた。
子供の頃――今も七歳ですが、あの頃の気持ちを思い出せたような気がします。
あの日のように、生きてもいいのでしょうか。
そんなことが、私に許されてもいいのでしょうか」
アンリ兄様の優しい声が聞こえる。
「お前が十年間、どれほどの人々を救ってきたのか、私にはうっすらわかる。
それだけ頑張ったのだから、少しは報いを受け取ってもいいはずだ。
お前は今度こそ、少女らしい人生を送ってもいいだろう。
聖神様も、それくらいは許してくださる」
本当かな。
それが本当なら、私は失われた少女時代を取り戻せるのかな。
私はアンリ兄様に振り向き、微笑みながらつげる。
「でも、その少女らしい人生は公爵令嬢としてのものになりますわ。
私が望む、素朴で平穏なものではありません」
アンリ兄様が、困ったように微笑んだ。
「そこは諦めてくれ。お前が公爵令嬢なのは、ゆるぎない事実だ。
だが心穏やかに生きることはできる。
そうなるよう、父上たちが心を砕いてくださる。
あとはお前が納得してくれるだけでいいんだ」
私は少しの間、目をつぶってみた。
口下手なアンリ兄様が、これほど言葉を尽くして思いを告げてくれる。
それだけ、私は大切に思われてるんだ。
「……わかりました。
どこまでできるかわかりませんが、私は人々の救済を第一に考えるのを、なるだけ控えるよう努めます。
それでお兄様は納得してくださいますか」
目を開けると、アンリ兄様が優しく微笑んでいた。
「ああ、今はそれで構わない。
私もお前の力になれるよう、これから力を付けていく。
お前を守る人間の一人に、必ずなって見せる!」
私は心からの微笑みで答える。
「お兄様はもう、私を支えてくださる大切な人ですわ。
無理をして怪我をなさらないでくださいね」
アンリ兄様は満足げにうなずいて立ち上がり部屋から去っていった。
****
翌日の朝、ラファエロ王子が獄中で死んでいるのが見つかったらしい。
『私に飲ませた毒薬の残りを飲んで自決した』と公表されたみたいだ。
だけどいくら王族だからって、懐に忍ばせた毒薬を取り調べの騎士たちが見逃すはずがない。
シュミット宰相が口封じに殺したのが明らかだった。
お父様は事後処理をグレゴリオ最高司祭たちに任せ、私たちは公爵領へと戻った。
それからの政界は大きな動きがあったらしい。
開戦派の宰相派閥から離れ、反戦派のエルメーテ公爵派閥や聖教会派閥に加わる貴族が続出した。
アンリ兄様が言う通り、宰相派閥の力は大きく削がれ、反戦派が国内の主流派になった。
これなら少なくとも数年は、他国に宣戦布告をする事態にはならないだろう。
私はアンリ兄様に言われた通り、穏やかに公爵令嬢として生きることにした。
油断はできないけど、宰相派閥の動きはほとんど封じることができてる。
あとのことは、政界や社交界を得意とするお父様たちに任せてしまう方がいいだろう。
そうやって納得できた理由の一つに、聖水の作成依頼があった。
グレゴリオ最高司祭から『聖女の力で聖水を作れないか』と相談されたのだ。
聖玉の力で聖水を作れるなら、同じ聖神様の力を持つ聖女の奇跡でも聖水を作れるのでは――そんな提案だった。
私が癒しの奇跡を込めた水は、飲めば疲労や病気が快復する薬に変化したらしい。
傷口にすり込めば、傷の治癒が早まるそうだ。
私の力が苦しむ人々の救済に役立つのだと分かり、私は体力の続く限り、毎日聖水を作り続けた。
そうして作った聖水はエルメーテ公爵家の封蝋が施され、『聖女の聖水』として王都で流通してるらしい。
その売り上げは聖教会が人々を救う原資に変えていると聞いた。
聖教会の施設では少量ずつだけど、聖水が民衆に分け隔てなく配られているという。
そうして毎日、気絶するまで聖水を生産している私は、すっかり『病弱な公爵令嬢』が板についた。
午前中は聖水生産を行い、午後は力が回復するまで、庭を見ながら刺繍をしたり、読書にふける。
そんな半分忙しくて、半分穏やかな日々が続いた。
お父様からは政界の話も少しずつ聞くようになった。
今では国政の実権をお父様が宰相から奪い取り、事実上の宰相として国政を回してるらしい。
重臣たちも、お父様が信頼する貴族たちに続々とすげ替えが進み、健全な統治をおこなうようになってきたそうだ。
第一王子による聖女毒殺未遂――大事件だったけど、想定外のハプニングで『予定を大幅に短縮できたよ』と、お父様は喜んでいた。
国王はラファエロ王子の件を恨んでるらしいけど、その憎しみは私と宰相、両方に向けられてるそうだ。
そんな国王に力を貸してくれる貴族は皆無で、お飾りの国王として今も宮廷に居るのだとか。
あれ以来、私に王家との縁談を持ち込んでくることもない。
秋の風を窓から受けながら、大好きな童話のページをめくる。
十年前に失ってしまった『七歳の私』を、今やりなおしている。
農村の娘ではなくなってしまったけれど、これはこれで幸福を感じていた。
庭から聞こえるお父さんとアンリ兄様の声を聴きながら、私は微笑む。
――こんな聖女も、悪くないのかもしれない。
そんな思いで、私は童話のページをめくった。
~完~




