第3話 強行軍
ベイヤー司祭に連れられて、私たちは駐屯軍の詰め所に向かった。
大勢の兵士たちが数百人以上、詰め所の中を歩き回っている。
そんな中をベイヤー司祭と共に、兵士に案内されて少し豪華な扉の前に来た。
兵士がノックしてから中に告げる。
「閣下! ベイヤー司祭がお見えです!」
兵士が道を譲ってくれて、ベイヤー司祭が扉を開けて中に入る。
私はその背中を追いかけるように部屋に入り――中にいる人の顔を見て驚愕した。
「――ヴェネリオ子爵?! あなたがここの司令官だったの?!」
少し若いけれど、見覚えのある顔だ。
信心深く、前の人生で聖女だった私によく会いに来てくれた人だ。
誠実な人で、信頼のおける人物だった――今から一年後の戦争で、命を落としてしまうけれど。
ヴェネリオ子爵は首を傾げ、私を見つめて尋ねる。
「お嬢ちゃんは誰かな? 会ったことがあるだろうか。
私は平民の子供に知り合いなどいないはずなのだが……」
ベイヤー司祭が私に振り返り、目を見つめてきた。
私はそれに小さくうなずくと、ベイヤー司祭がヴェネリオ子爵に向き直った。
「この子はシトラスという。洗礼にやってきたばかりの子供だよ。
実はだね、この子が先ほど、聖女の聖名を聖神様から与えられた」
ヴェネリオ子爵が目を丸くして答える。
「やってきたばかりの子供に洗礼?! 七日間の禊を行わずに洗礼を与えたとおっしゃるか!
そんな通例破り、聖教会として問題にならないのですか?!」
「今回は特別な事情があった。
実は彼女から『数日以内に生まれ故郷が魔物の集団発生で滅ぶ』と伝えられてね。
ただの子供のいうことなら、世迷言で済ませられた。
だが彼女が与えられた聖名は『新しき原初の聖女』――無視することなど、できはしまい?」
ヴェネリオ子爵が愕然とした顔つきで私を見つめてきた。
「馬鹿な……聖名を三つも与えられたとおっしゃるか! そんな話、きいたことがないぞ!」
「だが間違いない。嘘偽りではないと聖神様に誓って言える。
彼女は聖女だ。聖教会の名において、彼女が聖女であると認める。
彼女の生まれ故郷――ヅケーラ村はここから三日近くかかる。
今すぐ派兵しなければ間に合うまい。
どうか、彼女のためにも力を貸してはもらえまいか」
苦悩するように眉間にしわを寄せたヴェネリオ子爵が、私を見つめて尋ねてくる。
「……その魔物の集団発生、規模はどのくらいか分かりますか」
私は小さくうなずいて答える。
「大型のブラッド・ボアが数十匹に及ぶ、大規模なものです。
あの村は父が守っていますが、このままでは父すら命を落としてしまうでしょう。
父の名はギーグ・ゲウス・ガストーニュ――ヴェネリオ子爵なら、父をご存じのはずです」
ヴェネリオ子爵の顔がゆがんでいた。
「ギーグ殿が命を落とすほどの規模だというのか?!
そんなもの、この町の駐屯兵二千を総動員しても防げるか分からんぞ!」
私はヴェネリオ子爵の目を見つめ、必死の想いを込めて告げる。
「私は聖神様から加護を授かっています。私が同行すれば、村を救い出せるかも――いえ、必ず救わなければならないんです。
ですからヴェネリオ子爵も、可能な限りの兵を出していただきたいのです。
どうか、お願いできませんでしょうか」
私のまっすぐな視線を受け止めたヴェネリオ子爵が、一度固く目を閉じた。
再びその目が開かれたとき、そこには優し気な微笑みがあった。
「聖女シトラス様、あなたの願い、可能な限り聞き届けましょう。
我が領主様へお伺いを立てる暇はありますまい。私の独断となります。
この町の護衛も残さねばなりません。
――ですが! 半分の兵士を急ぎ支度させ、村に向かいましょう!」
いうが早いか、ヴェネリオ子爵は立ち上がって周囲の兵士たちに指示を飛ばし始めた。
「すぐに兵を出すぞ! 馬を用意しろ! 騎馬兵すべてをヅケーラ村へ向かわせる!
相手はブラッド・ボアを含む大規模な魔物の集団発生だ!
各員、相応の装備を持て!」
あわただしく指示を飛ばすヴェネリオ子爵の背中を見ながら、私は熱い思いを感じていた。
今も昔も――『昔』というかは悩ましいけれど、ヴェネリオ子爵は信頼のおける人だ。
私はベイヤー司祭に振り向いて頭を下げた。
「ありがとうございます、ベイヤー司祭。
これなら村を救えるかもしれません」
顔を上げると、ベイヤー司祭がニコリと微笑んだ。
「シトラス様、救える『かもしれない』ではありません。必ずお救いください。
聖神様のご加護が、あなたを導いてくれるでしょう」
「――はい!」
****
私はヴェネリオ子爵と馬に相乗りしながら、ヅケーラ村へ急いでいた。
日が暮れても強行軍は止まらず、松明の明かりで夜闇を切り裂いていった。
強行軍が止まったのは、月が高くなる夜更け過ぎになってからだった。
ようやく馬から降ろしてもらえた私は、へとへとになりながらつぶやく。
「――はぁ。強行軍は何度経験してもきついですね」
ヴェネリオ子爵が私の顔を見て尋ねてくる。
「今、なんと? あなたのように幼い子供が、『強行軍の経験がある』とおっしゃったか?」
あ、そうか。今の私は七歳だったっけ。うっかりしてた。
私は小声でヴェネリオ子爵に答える。
「そのことは後程……下手に知られると、厄介なことになりますから」
ヴェネリオ子爵が小さくうなずいて、私を兵士たちから離れた場所へと連れて行ってくれた。
給仕の兵士が食料を持ってきてくれて、干し肉とお湯の入ったコップを受け取る。
こういう時に手間がかかる食事なんてできない。最低限の栄養だけだ。
干し肉をお湯でふやかしながら、少しずつ口に運ぶ。
隣で同じように食事をするヴェネリオ子爵に、私は語りだす。
「この国はこれから、周囲の国を巻き込む戦乱を起こします。
その戦乱で聖神様の封印が破壊され、魔神が復活して世界が滅ぶそうです。
諸悪の根源はシュミット宰相――国王陛下は彼のいいなりです。
彼から実権を奪わない限り、この世界の滅びは避けられないでしょう。
私は途中で殺されてしまったので、その後の世界がどうなったのかまでは知りません。
ですが聖神様から、魔神復活を阻止してほしいと頼まれました。
そうして巻き戻った時間に居るのが、今の私です」
ヴェネリオ子爵は神妙な顔で私の話を聞いていた。
「……聖女様とはいえ、七歳の子供が知り得ない知識の数々。
信じられない思いもありますが、おそらくそれは真実なのでしょう。
シュミット宰相が国政を私物化しているのも事実。
陛下が不甲斐なく傀儡となり果てているのも、また事実です。
ですが、どのようにして彼の野望を阻止するおつもりですか?」
私はゆっくりと首を横に振った。
「分かりません。前回の私は孤児となった後、エリゼオ公爵家に養子として引き取られました。
ですが貴族社会に馴染めず孤立し、宰相の思うままに操られて十年を生き、最後は陰謀で命を落としました。
今回は前回よりも強い加護を与えてくださったと聖神様はおっしゃりましたが、それがどのようなものかを伺う暇すらなく、今こうしてここに居ます」
ヴェネリオ子爵の表情が険しくなった。
「エリゼオ公爵か……奴は宰相派閥、そこに引き取られたのでは、できることも限られてしまいます。
ですが聖女として聖教会から認定された以上、あなたは高位貴族へ養子に出されます。
もし行く先を選べるとするなら、エルメーテ公爵家がよろしいでしょう。
彼は反宰相派閥の最右翼、必ず力になってくれるはずです」
「――エルメーテ公爵ですか?!」
思わず大きな声を上げてしまって兵士の注目を浴び、慌てて口元を押さえた。
ヴェネリオ子爵が、不思議そうに私を見つめて尋ねる。
「何か、不都合があるのですか?」
「いえその……アンリ公爵令息が、苦手だったものですから……」
初めてであったのは十二歳の頃。
三歳年上のアンリ公爵令息は美術品のように端正な顔つきで、社交界でも有名だった。
一方で『冷酷で情を持たない男』としても有名で、私も冷たい視線で射抜かれ縮みあがってばかりだった。
何度も敵視され、殺気を込められたことも一度や二度じゃない。
恨みなんて買ってないはずなのに、彼が命を落とすまでそれは続いた。
私がそう説明すると、ヴェネリオ子爵が苦笑交じりの微笑みを私に向けた。
「アンリ公爵令息は潔癖症と聞きます。
エルメーテ公爵と同じく、宰相を目の敵にしているのでしょう。
話を聞く限り、『前回のシトラス様』は宰相の駒として利用されていたご様子。
あなたの存在を疎ましく思っても、仕方ありますまい」
そんなエルメーテ公爵親子は、私が処刑される二年前に戦地に送られ、命を落としたと聞いた。
もしかするとそれは、宰相が政敵を抹殺するための陰謀だったのかもしれない。
私がため息をつくと、ヴェネリオ子爵が私の肩を叩いた。
「敵の敵は味方と申します。利害が一致するなら、協力することは可能でしょう。
シトラス様が宰相にあらがう存在となれば、エルメーテ公爵たちは必ずや、あなたの力になってくれます」
うーん、本当かなぁ?
『前回』は周りが敵ばっかりで、味方になってくれる人なんてほとんどいなかった。
私を利用しようとする人なら、腐るほどいたけどね!
納得しきれない気持ちを干し肉と一緒によく噛んで飲み込んだ。
ヴェネリオ子爵が私に告げる。
「さぁ、夜は冷えます。火の前で寝るとしましょう。私がそばでお守りします」
私は小さくうなずいて立ち上がった。
その夜は焚火のそばで毛布にくるまり、ヴェネリオ子爵に添い寝してもらった。




