第29話 聖女認定の儀式
「お嬢様、朝でございます。ご起床ください」
私はベッドの中で伸びをする。
今日は『聖女認定の儀式』だ!
顔をお湯で洗い、ネグリジェから聖女の法衣に着替える。
髪を整えてもらって――よし、気合はばっちりだ!
その場で聖神様に祈りを捧げる――何事もありませんように!
ダイニングに降りていくと、お父様たちの顔にも気合がみなぎっていた。
「おはようございます!」
「おはようシトラス。まずは朝食を食べなさい」
まずは? なにかあったのかな?
席に座って朝食を口に運んでいくと、お父様が話を切り出してきた。
「食べながら聞いて欲しい。
宰相一味に不穏な動きがある。
詳しく何をするつもりなのか、そこまでは分からなかった。
だが儀式を邪魔するつもりなのは間違いないだろう。
警備は厳重にしているが、市民に紛れてお前の命を狙う輩が襲ってくる可能性がある。
充分に気を付けてくれ」
刺客が襲ってくるってことかな?
でもそれくらいなら、聖女の力で跳ね返せると思うから、大丈夫だと思うけど。
ブラッド・ボアの群れすら弾き返したんだよ? あの力は。
――だというのに、なんだか嫌な予感がする。
なんだろう? 何が起こるんだろう?
アンリ兄様が心配そうに眉をひそめて告げる。
「父上、私たちにできることはないのですか」
「残念だが、儀式の会場ではシトラス一人で切り抜けてもらう必要がある。
会場入りするまでは当然、我々が細心の注意を払って護衛をしていく」
お父様が私を見て告げる。
「お前には極力王族が近寄らないよう、段取りを整えてある。
陛下の発言全てを封じることはできないが、そこは耐えて欲しい」
私はしっかりとうなずいた。
ここまでしてくれるのだから、あとは私が何とかしてみせないと!
孤軍奮闘していたエリゼオ公爵家時代とは大違いだ。
「お父様たちを頼もしく感じます。
大丈夫です! かならず儀式を成功させて見せます!」
****
朝食後、私たちは馬車に乗って宮廷そばの広場に向かった。
空はあいにくの曇り空。雨が降る様子だけはなさそうだ。
広場には既に多くの観衆が入っていて、兵士たちが厳重に警備を行ってる。
その広場の中央で、儀式が行われるはずだ。
私たちは控えのスペースに用意された椅子に座り、儀式の時間を待った。
お父様が言う通り、ここには聖教会の関係者とエルメーテ公爵家の関係者しかいない。
会場の見取り図も見せてもらったけど、王族たちは会場の反対側に控えスペースが用意されていた。
本当に徹底してるんだなぁ。有言実行するあたり、さすがお父様だ。
すぐにグレゴリオ最高司祭が姿を見せて、私に近づいてきた。
「おはようございます、シトラス様。
我々も細心の注意を払っていますが、決して油断はなさらないでください」
その顔は私を心配する気持ちであふれていた――変わらないなぁ、グレゴリオ最高司祭。
私は微笑みながら答える。
「ええ、もちろんですわ。
必ず儀式を成し遂げて見せます。任せてください」
****
エルメーテ公爵は控えスペースから、会場反対側にある王族の控えスペースに向けて目を凝らしていた。
――気のせいか? ラファエロ殿下の姿が見えない。
位置が遠く、王族関係者も多い。人ごみの中から座っている子供を見つけ出すのは、容易ではない。
シトラスから離れ、ラファエロ殿下の在席を確認するべきか。
体調を崩したという報告は聞いていないが、急病ということもあり得る。
この場にはギーグもいるが、この場をエルメーテ公爵が離れた隙に緊急事態が起これば、対応が遅れる。
……ラファエロ殿下一人で、何ができるわけでもない。気にし過ぎか。
悩んだ末、エルメーテ公爵は動かないことに決めた。
その様子を、宰相はどこか満足げに眺めているような気がした。
****
聖教会の司祭が聖杯に聖水を移し替え、廊下を運んでいく。
その途中で聖教会の法衣を着た子供を連れた司祭が、聖杯を受け取った。
子供はフードを目深にかぶり、顔は見えない。
この聖教会の子供が、新たな聖女に聖杯を手渡す――そういう段取りだ。
子供を連れた司祭が告げる。
「では、あとはお任せください」
聖杯を持ってきた司祭がうなずき、子供を連れた司祭を見送った。
廊下を曲がった先、広場に続く廊下で、司祭が子供に聖杯を手渡した。
そして司祭が懐から一本の小ぶりな瓶を取り出し、ふたを開ける。
その中身を聖杯に垂らそうとしたところで、子供が片手で瓶を横取りした。
「――なにをなさるのです!」
「いいから黙ってみてろ! この私にここまでの屈辱を与えた報い、必ず与えてやる!」
子供は瓶の中身を大量に聖杯にぶちまけ、満足そうに口の端を上げた。
司祭が頭を抱えて告げる。
「……それはそこまで大量に使うものではありません」
「知ったことか。死ねば同じだ」
空になった瓶を司祭に投げ渡した子供が、両手で聖杯を持ち直し、広場に向かって歩き出した。
司祭はため息をついた後、子供を見送ってから廊下を引き返す。
――このままでは、私の身が危ない。
司祭は足早に会場から離れるため、聖教会の建物を後にした。
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会場の中央で観衆に説明をしていた聖教会の司祭が、大きな声で告げる。
「ではこれより、聖女シトラス様のお力を皆に見せよう!
――シトラス様、こちらへ!」
私の出番だ。気合を入れて椅子から立ち上がり、胸の前で拳を握る。
背後からお父さんの声が聞こえる。
「シトラス、何かあれば私が真っ先に駆け付けてやる。
それまで耐えるんだぞ」
私は振り返って微笑んだ。
「うん! 頼りにしているよ、お父さん!」
私は会場の中央へ向かい、ゆっくりと歩きだした。
****
儀式の会場に私が姿を見せると、観衆からどよめきが起こっていた。
どんなことを言ってるのかは聞き取れない。
みんな、めったに表れない『聖女』という存在を、物珍しく見てるみたいだ。
私は会場の中央で足を止めた。
どんどん強くなる胸騒ぎを感じて、慎重に周囲を見回す。
遠くに控えるお父様たち、反対側には国王と――あれ? ダヴィデ殿下だけ? ラファエロ王子は?
会場の奥から、聖水を運ぶ神殿の従者が現れる。
『前回の人生』とは違う子供みたいだ。
フードを目深にかぶって、顔は分からない。
だけど、私にだけは直感で分かってしまった。
――ラファエロ王子?!
その身にまとう空気は、間違いなく彼のもの。
ラファエロ王子が少しずつ近づいてくる。
私の体がこわばり、今すぐ逃げ出したい気持ちを必死に抑え込んだ。
神殿の従者に成りすましたラファエロ王子が目の前に来て、私に聖水の入った聖杯を手渡す。
震える手で聖杯を受け取った私に、ラファエロ王子が小声で告げる。
「飲めるものなら飲んでみろ、この『偽りの聖女』が!」
小声で叫ばれたそれは、悪夢の中で何度も私を責めたてた言葉。
私は必死に聖杯を支えながら、ラファエロ王子を見つめた。
「なぜ、このようなことをなさるのですか」
私の小声での問いかけに、ラファエロ王子は答えなかった。
「そのまま観衆の前で死ね! お前の死にざまはよい見世物になるだろう」
すべての言葉が、私に悪夢を思い出させる。
膝が震えだし、もう立ってるのもやっとだ。
――あの日のように、私はまた悪意の中で命を落とすのだ。
「シトラス!」
お父さんの声に、思わず振り返る。
そこには私を信じて見守ってくれている、今にも飛び出してきそうなお父さんの姿。
――そうだ、今はお父さんたちが付いていてくれる。
私は急速に冷静な自分を取り戻し、そして殿下が発した言葉の違和感に気が付いた。
『そのまま観衆の前で死ね!』
この状況で、『観衆の前で死ぬ』?
聖水を飲んで死んだ聖女なんて、聞いたことがない。
手の中の聖杯からは、嫌な予感がほとばしっていた。
……そうか、この聖水に細工を施したのか。
多分、これを飲めば死んでしまう。
だけど飲むことを拒否すれば、『偽りの聖女』として処刑するつもりなんだ。
私はこの場で、この聖水を飲み干して見せなければならない。
――ならば! 飲み干してやろうじゃないか!
「≪慈愛の癒し≫!」
私は癒しの奇跡を願いながら、聖杯を満たす聖水を一気に呷った。
****
聖女が聖水を飲み干すと同時に、空から白い花びらが舞い降りてきた。
それと同時に、曇天だった空が割れ、強い日差しが聖女だけを煌々と照らし出した。
降り注ぐ花弁はつぼみとなり、花へと変わった。
民衆は空中で花開く白い花に、目を見開いて驚いていた。
民衆が空へ視線を奪われていると、再び聖女の声が会場に響き渡る。
「≪無垢なる妖精≫! 聖杯よ! 真実を教えて!」
その言葉で、観衆の目が聖女に戻る。
聖杯から小さくて白い少女のような妖精が姿を現し、声高らかに告げる。
『ラファエロ王子が聖水に毒を入れたんだよ!
神聖な聖水に毒を混ぜるなんて、聖神様を冒涜する行為だよ!』
その言葉は、会場にいる人間全てに衝撃を与えるものだった。
****
私は白い妖精と一緒に、ラファエロ王子をにらみつけた。
「妖精は嘘を言えない。これは間違いなく聖神様を冒涜する行為よ。
――グレゴリオ最高司祭! ラファエロ殿下を聖神様に反逆する者として告発します!」
ラファエロ王子は動揺した様子で後ずさりしながら、震える声で告げる。
「なぜだ……大型の猛獣を殺せる毒だぞ?! なぜそれを飲んで生きている!」
「聖神様の奇跡よ。
本当に、ずいぶんと強力な毒を盛ってくれたものよね。
でも、もうこれで逃げられない。
ラファエロ殿下、あなたはもう、おしまいよ」
遠くでシュミット宰相が大きな声を上げる。
「殿下が乱心なされた! 何をしている! 今すぐ捕縛せよ!」
宰相のそばから騎士たちが慌てて駆け寄ってきて、ラファエロ王子を取り押さえた。
「貴様ら、何をしている! 私は王子だぞ?! こんなことをして――」
「黙れ! 乱心して聖女を殺そうとした者に、王族の資格はない!」
騎士が籠手をはめた拳でラファエロ王子を殴り倒した。
大人の兵士が本気で打ち込んだ拳だ。
子供のラファエロ王子は、あっさり気絶していた。
遅れて駆け付けた聖教会の兵士たちを、宰相の騎士たちが遮った。
「ラファエロ殿下の取り調べは我々が行う。
王族の取り調べだ。聖教会は引っ込んでいてもらおう」
「そうはいかん! 聖女様を害する者は聖教会には向かう者!
取り調べは我ら聖教会が行う!」
押し合いをしている騎士たちの背後で、ラファエロ王子は他の騎士たちが速やかに回収し、奥に引っ込んでしまった。
私は白い妖精に尋ねる。
「ラファエロ王子以外に、この悪事に手を貸していた人はいないの?」
『ごめんなさい、私はラファエロ王子が毒を入れたところしか見ていないの』
「そう……」
それなら仕方がない。
私は駆け寄ってくるグレゴリオ最高司祭に向かって歩いていく。
「シトラス様! ご無事ですか!」
私は微笑みながら答える。
「ええ、なんとか。聖神様の加護のおかげですわね。
でも子供のラファエロ殿下が独断で私の毒殺を行えるとは思えません。
どう思いますか?」
グレゴリオ最高司祭が王族席をにらみつけた。
「言うまでもありますまい?」
私も国王をにらみつける。
国王も私を、憎しみを込めた眼差しで射殺そうとしていた。
やっぱり、国王の指示だったわけね。
でも宰相がラファエロ王子を取り押さえたのは、なんでだろう?
あの人たちって仲間だよね?
あとでお父様に聞いてみよう。
私はグレゴリオ最高司祭と一緒に、控えのスペースへ戻った。
****
――あ、限界かも。
控えのスペースに戻った私は、その場で力尽きて倒れこんでいた。
倒れこむ私を、お父さんが咄嗟に抱き留めてくれた。
「シトラス! 大丈夫か!」
私は精一杯の微笑みで答える。
「大丈夫だよ、お父さん。
ただ、かなり強い毒を打ち消したから、それで疲れただけ」
私はお父さんに抱きかかえられていた。
お父様が近寄ってきて、私に告げる。
「お前が無事でよかった。
だが顔色が悪い。本当に大丈夫なのか?」
「ラファエロ殿下が、『これでもか』とプレッシャーを与えてくださいましたからね。
それで余計に疲れたのですわ。
ですがお父さんの一声で、私は救われました。
消耗はしておりますが、命に問題はありません」
お父様が私にうなずいた。
「では我々は、今すぐ家に戻ろう。
――グレゴリオ最高司祭! あとは任せるぞ!」
「わかりました。シトラス様のことは、お任せしましたぞ」
お父様がうなずくと、お父さんは私を急いで馬車に運び込んだ。
馬車は私たちを乗せると、速やかに発車していった。
****
揺れる馬車の中で、お父様が眉をひそめて私に告げる。
「毒を呷るなど、なんて無茶をするんだ」
私は微笑みながら答える。
「あの場で先に告発をしても、陛下は難癖をつけて私を処刑してしまったでしょう。
私は先に聖女である証を見せねばならなかったのですわ」
癒しの奇跡という勝算があったとはいえ、賭けだったことは間違いがない。
先に癒しの奇跡を施しながら毒を飲むなんて、やったことなかったし。
私はお父さんの顔を見上げながら告げる。
「お父さんが声をかけてくれなかったら、きっと私は殺されてたと思う。
本当にありがとう、お父さん」
お父さんは黙ってしっかりとうなずいた。
今度はお父様を見て尋ねる。
「なぜ宰相はラファエロ殿下を捕縛したのでしょうか」
お父様が眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに答える。
「おそらくラファエロ殿下から、謀殺の詳細が漏れることを恐れたのだろう。
このままでは殿下の命が危うい。
真相を聞き出す前に死なれては困るが、我々では殿下の身柄を奪い返すことは難しいだろう」
「そうですか……宰相にとって、王族すらおのれの駒なんですね。
生き死にすらどうでもよいのかしら。
ですがこれで、借りの一つを返せましたわ」
『前回の人生』で私に死罪を言い渡した国王とラファエロ王子。
その片方を破滅に追い込めたのだから、今回はそれで良しとしよう。
私の意識は馬車に揺られながら、満足感と共に薄れていった。




