第28話 儀式の裏で
閉め切られた応接室で、エルメーテ公爵とグレゴリオ最高司祭がソファに座っていた。
グレゴリオ最高司祭が話を聞いていて、驚いて眉を上げた。
「軍医を用意ですか? そんな人材が、簡単に見つかるとお思いですか?
しかも貧民区画となると、通いたがる者は少ないでしょう」
エルメーテ公爵が苦笑を浮かべて答える。
「確かに軍医は希少な人材だ。
だが戦地に赴くより、貧民区画で医療に当たる方がマシ――そう考える者もいるはず。
少なくとも王都の外に出る必要がない。あとは報酬をはずめば、なんとか切り崩せるはずだ。
当面は我が領内で医師を募るが、宰相派閥から切り崩せるとなお良いな」
外傷を治療できる人材は育成に資金が必要だ。
裕福な家――つまり貴族相当でなければ、そんな医師にはなれない。
軍事は未だシュミット宰相が大勢を握っているが、中立派も少なくはない。
そんな彼らから報酬でエルメーテ公爵派閥へ寝返らせ、少しずつ切り崩しを図るのだ。
グレゴリオ最高司祭が楽し気に微笑んだ。
「なるほど、ロレコ子爵でやられた手を逆にやり返す形ですかな?
意趣返しとしては、悪くないでしょう。
――それで、ロレコ子爵は?」
エルメーテ公爵が冷徹な笑みを浮かべて答える。
「今頃は首と胴体が泣き別れしている頃だ。
ソロカイテ伯爵ともども、仲良く処刑台に送っておいた。
宰相の息がかかった男を、私が見逃すと思うか」
「ほっほっほ。珍しくお怒りですな?
本来のあなたなら、毛嫌いする強引さだ。
やはりご家族毒殺未遂は許せませんでしたか?」
エルメーテ公爵が鼻を鳴らして答える。
「当たり前だろう。私だって、怒るときは怒る。
シトラスのおかげで助けられたが、妻や息子たちが長年苦しんだ事実は変えられん。
宰相を追い詰めるまではいかなかったが、明白な証拠は確保できた。
断罪するには十分だ」
ドアがノックされ、外から声が聞こえる。
「シトラスです。お呼びでしょうか」
エルメーテ公爵が咳払いをして表情をほぐし、ドアに向かって答える。
「入りなさい」
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応接室に入ると、お父様とグレゴリオ最高司祭がソファに座って微笑んでいた。
「何かご用でしょうか?」
グレゴリオ最高司祭が微笑んで答える。
「コッツィ司祭に聞きましたが、貧民区画で奇跡を起こされたとか。
一度、私もそれを拝見できればと思い、こうして参りました」
となると、今日はあの場所に行ける!
「ええ! もちろんよろしいですわ!
――お父様、よろしいですわよね?」
お父様が優しく微笑んだままうなずいた。
「ああ、問題ないよ。ただし護衛の言うことはきちんと聞きなさい」
「はい! ――グレゴリオ最高司祭、行きましょう!」
私はグレゴリオ最高司祭が立ち上がるのを見ると、その手を取って応接室を後にした。
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貧民区画の礼拝堂で、私は再び祈りを捧げ、奇跡を起こして見せた。
呆然とするグレゴリオ最高司祭の手に、花びらを一枚手渡す。
「いかがですか。この場所が神聖な場所だとご理解いただけまして?」
「いやはや……聖水の力を借りずに奇跡を起こすとは、なんとも不思議な場所ですな」
「その聖水ですけど、あれはどういったものなのですか?
私は儀式で飲んだ時以外、見たことがないのです」
グレゴリオ最高司祭が、耳元に顔を寄せて小声で告げる。
「あの聖水は、聖玉を水に三日ほど浸して作るものです。
ですので、聖水の力は聖玉の力と言い換えてもよい代物です。
それを使わずに奇跡を起こせるのですから、この場所そのものに『聖玉に等しい力』があるのかもしれません」
「そんな場所があるだなんて、不思議ですわね。
この礼拝堂になにか、いわれはないのですか?」
グレゴリオ最高司祭の眉尻が下がった。
「王都最古の礼拝堂、としか私も知りません。
少し、私が調べてみましょうか。
今すぐは無理ですが、儀式が終わった後に調査を開始します。
それでよろしいですか?」
私は微笑んでうなずいた。
「ええ、それで構いませんわ。
――さぁ、今日は早めに帰りましょうか。お父様が心配で倒れてしまう前に」
コッツィ司祭に挨拶したあと、私たちは礼拝堂を後にした。
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その日、ひそかにロレコ子爵とソロカイテ伯爵の処刑が行われた。
本来なら神聖な『聖女認定の儀式』の前に、血なまぐさい処刑などありえない。
だが神聖な儀式が行われると、特赦があり得る。
宰相が特赦を利用して横槍を入れる前に、エルメーテ公爵が先手を打って手配を進めたのだ。
捕縛から最短期間を駆け抜けるかのような処刑――穏健なエルメーテ公爵にしては珍しい、強引な手続きだった。
彼の大きな怒りが伝わってくると、貴族たちの間で噂が走った。
その日の夜、宰相を務めるヘルマン・ラウネス・シュミット侯爵邸で小さな夜会が開かれていた。
宰相の派閥が集う、定例夜会だ。
その中でシュミット宰相が酒をまずそうに呷っていた。
そばにいるフェルモ伯爵が憎々しげに告げる。
「まさかロレコ子爵が処刑されるとはな……いつ気づかれたのだ?
今まで五年間、隠し通してきた。
その間に気付かれた様子はなかった」
ロレコ子爵は宰相派閥ではない。中立派の貴族だ。
だが金銭でエルメーテ公爵夫人の暗殺にうなずいた男だった。
要するに使い捨ての駒なので、宰相派閥にダメージはない。
だがもう少しで命を奪える見込みだったエルメーテ公爵夫人は、急速に健康を取り戻しただけでなく、社交界にまで顔を出しているという。
酒がまずくなるには、充分な材料だった。
ワインを再び呷ってから、テーブルにグラスを叩きつけたシュミット宰相が告げる。
「エルメーテ公爵家に聖女が引き取られたタイミング、そこで気づかれた可能性が高い。
私が先に聖女を確保できていれば、こんなことにはならなかったものを……。
グレゴリオ最高司祭がエルメーテ公爵と組み、ひそかに養子縁組を進めたようだ。
気づいた時には手遅れで、手の打ちようがなかった。
我々が確保できていれば、良いように利用できたものを」
エリゼオ公爵が楽しげにワインを飲んでから、シュミット宰相に尋ねる。
「ソロカイテ伯爵も処刑されたが、奴に接触していた宰相の甥は無事だったのか?」
シュミット宰相がグラスにワインを注ぎながら答える。
「文面は通常の取引にしか見えんように指南してある。
あれなら『ソロカイテ伯爵が独断で脱税をした』としか言えんよ。
手口は口頭で伝えてある。証拠など残すものか」
「ははは! さすが宰相閣下だ!」
ワインを一口飲んだシュミット宰相が、ぼそりと告げる。
「陛下から『聖女を陥れろ』と要請が来ている。
あの聖女を儀式の中で失脚させたいらしい。
エルメーテ公爵の監視の目で、我らは動きを封じられている。
さて、その中でどう追い詰めるか……」
エリゼオ公爵がワインの香りを楽しみながら答える。
「それなら、ご本人たちに動いてもらうのが一番では?」
シュミット宰相が目を落として考えを巡らせていた。
「……なるほど、それが最も公算高く聖女を葬り去れそうだな。
保険は打ちつつ、陛下たちにも舞台に登場してもらうとするか」
聖女の力、その噂は既に聞いている。
聖教会内部にも諜報員を配置し、内部の情報はかなり漏れてきている。
さすがにグレゴリオ最高司祭周辺はガードが堅いが、聖女が貧民区画で癒しの奇跡を見せたことは知っていた。
その力が聖女抹殺の邪魔になる可能性はあった。
だがこの手なら、それも封殺できるはずだ。
あとはあの暗君が余計な考えで出しゃばらなければ、聖女の命を奪えるだろう。
たとえ失敗しても、宰相派閥にはダメージが及ばないようにコントロール可能だ。
負けはない――そう確信して、シュミット宰相はワインを呷った。
グラスを再びテーブルに叩きつけ、シュミット宰相が告げる。
「聖女を擁するエルメーテ公爵は排除せねばならん。
我らの栄光のため、奴らにはこの世から退場願わねばな」
フェルモ伯爵が鼻を鳴らしながら告げる。
「陛下にも早くお隠れいただいて、ラファエロ殿下を擁立すれば話が早い。
聖女とまとめて始末することはできんのか?」
シュミット宰相が鼻を鳴らして答える。
「欲張れば失敗するのが世の常だ。今は聖女一本に絞った方がいいだろう。
その後に手早く陛下にはお隠れ頂く」
聖女を失ったエルメーテ公爵が相手なら、互角以上に戦っていける。
そのままエルメーテ公爵の力を削いでいけば、一年以内の開戦は間違いない。
バイトルス王国のような小国なら、半年以内に叩き潰せるだろう。
その目的のためにも、『稀代の聖女』などというものを認めるわけにはいかなかった。
聖女が王家に嫁ぐ見込みがないとも聞く。ならば王統が別の家に移りかねない。
今の暗君を考えれば、聖女が王統を奪い取るのは明白だった。
聖女の抹殺――それは宰相派閥にとって喫緊の課題だ。
迅速かつ速やかに成し遂げなければならない。
シュミット宰相は派閥の人間と共に、儀式の打ち合わせを続けていった。




