第27話 聖女の資格
私はコッツィ司祭と一緒に、礼拝堂そばの診療所へ迷うことなく駆け込んだ。
診察台には、腹部から血を流している男性が力なく横たわっている。
そばにいる医師が、諦めたような表情でコッツィ司祭に告げる。
「腹部を深く刃物で刺されています。もう長くはもたないでしょう」
この医師は薬の処方は得意だけれど、外傷を癒すことは苦手な人だ。
そもそもこんな場所に、そんな高度な技術を持った人材なんて、来てくれるわけがない。
コッツィ司祭が私に振り返り、すがるような目で見つめてきた。
私はその視線を、微笑んで受け止める。
「任せてください――≪慈愛の癒し≫!」
たちまち怪我人を白い光が包み込んでいく。
やがて光が消えると、怪我人が穏やかな寝息を立てていた。
慌てて医師が怪我人の状態を診察していく。
「怪我が……完全にふさがっている?! どういうことですか?!」
コッツィ司祭が安心したように深いため息をつき、医師に答える。
「こちらは聖女シトラス様だ。偶然礼拝堂にいらしてたので、ここに来ていただいた。
今のは聖女が使う癒しの奇跡。もうその患者は大丈夫だろう」
医師は呆然と私を見つめていた。
ああ、懐かしいなぁ。『十年前』にも、同じ視線を受けたっけ。
私は微笑みでその視線を受け止めた。
「その方が助かってよかったですわ。
この奇跡は一日に何度も使える力ではありません。
ですが重症の方がいらしたら、いつでもご相談ください。
今はエルメーテ公爵家の別邸に居ますわ」
私たちは感謝を述べるコッツィ司祭や医師と別れ、その場を後にした。
****
貧民区画から公爵邸へ戻る道で、不安げなレイチェルが私に告げる。
「お嬢様、あのようなことを申し出てよろしかったのですか?
このような場所に何度も足を踏み入れるなど、お嬢様のためにはなりません」
私はレイチェルに振り返って微笑む。
「私には人を癒す力があります。
そして、あそこには癒しを待つ人がいる。
ならば何を迷うことがあるのでしょうか」
レイチェルは私の表情を見て、口を閉ざした。
私に腕を抱えられているアンリ兄様が、小声で告げる。
「シトラスは、『前回の人生』でもああやって人々を救っていたのか?」
「ええ、そうですわよ?
貴族社会から弾き出されていた私は、空いている時間をあそこで過ごしていましたわ。
エリゼオ公爵家に居ても居心地が悪かったですし、私にとっては憩いの場所でしたわね」
「だが、エリゼオ公爵領は王都から少し遠い。
なのに王都にずっといたというのか?」
私は苦笑を浮かべて答える。
「私は領地から追い出されるように、王都にある別邸の一室に押し込まれました。
王都から出陣する軍に同行する日々でしたから。
宰相が命じるままに戦地に向かい、戻ってきたら貧民の救済をする――そんな十年でしたわ」
――ああ、でもそんな中で、私にも唯一の友人ができたっけ。
マリア……彼女は今、どこでどうしてるだろう。
宰相派閥の彼女の家と、『今回の人生』で関わることは多分、ないだろう。
彼女にも『花びらの奇跡』を見せるため、一緒に貧民区画に通ったことを思い出す。
孤独な中で、唯一癒されるのがマリアとの関係だった。
アンリ兄様が少し厳しい声で告げる。
「今回もそんな人生を送るつもりか」
私はきょとんとしてアンリ兄様の顔を見上げる。
「どういう意味でして?
今回は宰相の思い通りにはさせませんわよ?」
「あんなことをしては、『あの場所に運び込まれる怪我人を癒してくれ』と頼まれ続けるだろう。
お前の時間が、民の救済で食いつぶされることになる。
それで構わないというのか」
私は小首をかしげて答える。
「目の前に救いを求める人がいる。
私には彼らを救う力がある。
ならば何を悩むことがあるのでしょうか。
確かに、一日に何人もの命を救うことはできません。
それでも救える命があれば、迷う必要はないと思いますわ」
アンリ兄様が前を見ながらため息をついた。
「……そうか、やはりお前は聖女なのだな」
どういう意味だろう?
「お兄様? おっしゃる意味が分かりません。
私が聖女であることを、お兄様はご存じですよね?」
「お前は『聖女になるべくしてなったのだ』と、思い知っただけだ。
この時代にお前以上に相応しい人間がいないというのも、納得できる」
そうなの? 何がどうなったら、そんな考えになるんだろう?
誰だって、困ってる人が目の前に居たら、手を差し伸べたくならない?
私が眉をひそめてアンリ兄様を見上げていると、優しい微笑みが返ってきた。
「十七歳で処刑された記憶があるというのに、お前の心は七歳の少女のように無垢なままなのだな。
だがそれでは今回も、お前が救済ですりつぶされてしまうだろう。
私たちは、それを認めることはできない。
父上に相談してみよう。
あの場所に腕の良い軍医を派遣できれば、お前の負担を減らせるはずだ」
認めることができない? どういうこと?
聖女が人を救うのは、当たり前のことだよ?
私は小首をかしげながら、公爵邸へ戻った。
****
夕食の席で、アンリ兄様がお父様に今日の出来事を報告していた。
「――ですので、父上の伝手で軍医を派遣することはできませんか。
このままではシトラスの生活に影響が出ます」
お父様がしっかりとうなずいた。
「そういうことであれば、手配してみよう。
これから公爵令嬢として生きるシトラスが、貧民区画に出入りするのも決して良いこととは言えない。
――シトラス、今後その場所に行きたければ、私の許可を得てからにしてほしい」
「ですがお父様! あの場所は王都で最も聖神様の力が強い場所ですわ!
聖女が足を運ぶ場所として、間違った場所とは言えないはずです!」
お父様が優しい微笑みで私に告げる。
「救えない民が出ることを恐れているのかい?
だが軍医が充分な物資を得れば、今日のような傷を治療することは可能だ。
その手配を含めて、私に任せて欲しい。
決して足を運ぶなとは言わない。だが今後はなるべく控えるんだ」
お父様の決定は変わらないみたいだ。
私の憩いの場、遠くなっちゃうな。
私はがっくりと肩を落としながらうなずいた。
「わかりました……」
「そう落ち込むことはない。
たとえば、『グレゴリオ最高司祭と共に慰安する』という名目でなら、言っても構わない。
『建前を用意できれば良い』ということだよ。
建前もなく貧民区画に通っていては、悪い噂の元になる。
お前は公爵令嬢なのだということを、どうか忘れないで欲しい」
そうか、公爵令嬢は貧民区画なんて、普通はいかないもんね。
私も聞いたことがなかったし。
『公爵令嬢として恥ずかしくない行動を取る』と決めたんだから、これは諦めないといけないことだ。
「はい、分かりました」
お父様が微笑んでうなずいた。
「分かってくれて嬉しいよ。
五日後の儀式まで、大きな騒ぎは起こさないで欲しい。
明日はおとなしく、家の中に居なさい」
私はうなずいて、夕食を口に運び始めた。
****
翌日は退屈な一日を部屋の中で過ごした。
童話も刺繍道具もないので、ひたすら聖神様への祈りを捧げた。
三日目の午前、侍女が部屋にやってきて私に告げる。
「グレゴリオ最高司祭様がいらっしゃいました。お嬢様にお会いしたいそうです」
「グレゴリオ最高司祭が?」
なんだろう? 儀式の前で忙しいはずなのに、何の用かな?
私はいそいそとソファから立ち上がり、応接室へと向かった。




