第26話 特別な場所
私の部屋のドアがノックされた――アンリ兄様だ。
「大丈夫かシトラス。体がつらいなら、今からでも横になっておくか?」
私はソファから起き上がり、微笑んで首を横に振った。
「緊張していたので、それで疲れたのだと思います。でも、もう大丈夫ですわ。
それより、お兄様は王都に来たことがありまして?」
「いや、王都は初めてだ。
赤ん坊の頃には来たことがあるらしいのだがな」
「では、お兄様に王都をご案内しますわ!
実は『とっておきの場所』がありますの。
ぜひそこを、お兄様にも見ていただきたいと思います」
私はソファから立ち上がり、アンリ兄様の腕を胸で抱えこんだ。
「さぁ、お父様に許可をいただいてきましょう!」
歩き出した私たちに、レイチェルが慌てて追いついてくる。
「お待ちくださいお嬢様、私も付いてまいります!」
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お父様の部屋を訪ねると、お父さんと何かを相談しているようだった。
「お父様、少しお兄様と王都を散策したいのですが、よろしいでしょうか」
お父様は少し悩むように眉間にしわを寄せた。
「王都を? 体調は大丈夫なのか?」
私はお父さんの顔を見ながら告げる。
「ええ、お父さんが付いてきてくれるなら、不安はありません」
お父様がお父さんに振り返って告げる。
「ではギーグ、付いて行ってくれ。
シトラスの体調が悪くなったら、無理やりにでも連れ帰ってきて欲しい」
お父さんが不敵に微笑んで答える。
「シトラスのことなら任せておけ!
アンリ公爵令息も一緒なら、騎士を三人程度連れていくが、構わないか」
お父様がうなずいた。
「その程度の人数なら、お前の判断で騎士を選んで連れていけ。だが遅くなるなよ」
お父さんがその場にいる騎士たちに目を走らせ、三人の騎士を選び出した。
「お前たちはアンリ公爵令息を守れ。私はシトラスだけを守る」
騎士たちはしっかりとうなずき、準備を始めた。
私はアンリ兄様の腕を胸に抱きしめたまま、公爵家別邸から外へ出た。
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てくてくと貴族区画を歩いていく。
戦乱が始まっていない王都は、平和そのものだ。
だけどやっぱり国王や宰相の治世で、通り過ぎる人々の顔には疲れが見える。
お父さんは周囲に目を走らせながら、私の背後を付いてきてるみたいだった。
時々嫌な気配を感じるけど、身の危険を感じるほどじゃない。
お父さんが私に尋ねる。
「どこに向かうつもりだ、シトラス」
「王都の貧民区画に、特別な場所があるんだよ。
そこをお兄様に見せてあげようと思って」
振り返ると、お父さんの表情が硬い。
「貧民区画だと? あそこは治安が悪い。それをわかって言ってるのか」
「わかってるよ?」
あそこは貧しい人や、ガラの悪い人が大勢住んでいる場所だ。
そんな場所でも聖教会の施設はあるし、善良な人たちも住んでる。
それに道を選べば、比較的安全に移動できることを『前回の人生』で知っている。
やがて商業区画を通り抜け、貧民区画に入った。
私が歩いていくと、周囲の人たちは珍しそうに奇異の目を寄越してくる。
まぁ、お兄様は明らかに貴族だし、貴族がこの場所に近づくこと自体が珍しいからね。
周囲からの視線に危険は感じない。
この道は危なくない道だから、住んでる人たちも善良な人が多い。
てくてくと歩いていった先――そこには、薄汚れている小さな聖教会の礼拝堂があった。
懐かしい補修の跡。板材で穴をふさいで、なんとか雨風を防いでるだけの場所。
貧民区画の住民たちが、今日もそんな場所に礼拝に来る。
私たちもその流れに混じり、礼拝堂の中へ足を踏み入れた。
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中は薄暗く、満足な明かりもついていない。
長椅子のあちこちで、聖神様に必死に祈りを捧げる人たちがいた。
苦しい生活を救ってほしいと、毎日祈りに来る人たちだ。
彼らの救いを懇願する眼差しがふっと胸をよぎる――今度こそ、この人たちを救いたい。
私はそのまままっすぐ祭壇に向かい、その正面に立った。
アンリ兄様が戸惑いながら尋ねる。
「ここが特別な場所なのか?」
私はアンリ兄様を見上げて、にこりと微笑んで答える。
「ええ、そうですわ。少し見ていてください」
私はアンリ兄様から離れ、祭壇の前でしゃがみこんだ。
目をつぶり、聖神様への祈りを捧げ始める。
それと共に私を温かい力が包み込み、アンリ兄様や騎士たちの驚く声が聞こえてくる。
「これは……天井から光?」
「明かりなどないのに、どこから光が湧いて来たんだ?」
そのまま祈りを捧げ続けていると、今度は他の人々の声が聞こえてくる。
「花だ! 花が降ってきてるぞ!」
私は自分の体に触れる花びらの感触を確認すると、そっと目を開けた。
私のところに降り注ぐように光が差し込み、天井から白い花びらが舞い落ちる。
まるで『聖女認定の儀式』のような光景が、ここでは祈るだけで何度でも見られる。
多分、聖神様の力が強い場所なんだろうな。
私は舞い散る花びらを手のひらで受け止め、それをアンリ兄様に手渡した。
「聖神様の力が宿ったお守りですわ。
それを持っていると、悪いことを遠ざけてくれますの」
私が祈りをやめると、次第に光が収まっていった。
天井から降ってくる花びらも途切れていく。
辺りはすっかり元の薄暗い礼拝堂に戻っていた。
呆然とするアンリ兄様たちに、私は静かに微笑んだ。
満足、してくれたかな?
不意に横から、聞きなれた男性の声が聞こえる。
「あなたは……聖女様ですか」
私はその声に振り向いた。
振り向いた先には、私だけがよく知る顔があった。
線の細い、初老の男性司祭――コッツィ司祭だ。
「ええ、そうですわ。お元気そうですわね、コッツィ司祭」
彼は戸惑うように近づいてきて、私に尋ねてくる。
「申し訳ありませんが、どこかでお会いしたでしょうか。
初めてお会いすると思うのですが」
ん-、なんて答えようかな。この場所だし、それっぽい感じにしようか。
私は微笑みながら答える。
「聖神様が教えてくださったのですわ。
初めましてコッツィ司祭。
私はシトラス・ファム・エストレル・ミレウス・エルメーテ。
よろしくお願いしますわね」
コッツィ司祭は私の目の前で聖神様に祈りを捧げ始めた。
この姿、『十年前』と変わらないなぁ。あの時もこんなだったっけ。
「あなたの信心深さは変わりませんわね。
そんなあなただからこそ、この場所を維持できているのですね」
アンリ兄様が戸惑いながら私に尋ねる。
「この人は特別な司祭なのか?」
私は微笑んでうなずいた。
「彼はグレゴリオ最高司祭の友人ですわ。
一度は最高司祭候補にまでなったのに、『貧民区画の住民を救済したい』と言って、その地位を辞退してしまわれたの。
それからはこの場所を拠点に、貧民区画で活動を続けている方ですわ。
伯爵位も持つ貴族なのに、その私財を全て救済に回してしまわれる変わり者よ?」
コッツィ司祭が目を見開いて私を見つめていた。
「……なぜ、そのようなことまでご存じなのですか。
あなたのような幼い少女が知る由もない事情のはずですが」
私はコッツィ司祭に曖昧な微笑みを向けた。
「……聖神様が教えてくださったのですわ」
コッツィ司祭が体を震わせながら私に告げる。
「先ほどの奇跡、拝見しました。
あなたは間違いなく聖女なのだと確信しています。
ですが『聖女認定の儀式』は五日後のはず。
なぜこちらにいらしたのですか?」
「今の奇跡は、この場所でしか起こせないのです。
『聖女認定の儀式』では聖水の力を借りて奇跡を起こしますが、先ほどの奇跡は私の祈りだけで起こせます。
それをお兄様にお見せしようと思って、こちらにお連れしたのですわ」
私は自分の服についている花びらを手に取り、コッツィ司祭に手渡した。
「それは聖神様のお守り。悪い縁を遠ざけてくれますの。
大きな力は持ちませんが、病を遠ざけてくれます。
幼い子供に持たせると良いと思いますわ」
貧民区画の住民は、まともな医療を受けられない。
病気を遠ざけてくれるだけでも大違いだ。
コッツィ司祭はすぐに理解してくれて、礼拝堂の従者たちに向けて声を上げる。
「すぐに花びらをすべて回収しなさい! ひとつ残らず、丁重に扱うのです!」
従者たちが祭壇の周りで花びらをかき集める中、私はコッツィ司祭に告げる。
「その花びらは、礼拝に来た住民たちに一枚ずつ配ってあげてください。
私も時間があれば、こちらに来て祈りを捧げます。
少しでもコッツィ司祭のお手伝いになれば幸いですわ」
十年間、王都にいる間は毎日欠かさなかった、日課のような礼拝を思い出した。
私やコッツィ司祭にできる救済は小さいものだ。
それでも『少しでも苦しむ人々を救いたい』と、願って続けた祈りだった。
コッツィ司祭が私の手を取り、目を潤ませながら告げる。
「ありがとうございます。聖神様のご加護が、あなたにもありますように」
私はその言葉に、曖昧に微笑んでうなずいた。
『聖女を再びやれ』というのは加護に入るのかな。
重たい使命まで付いてきて、それを加護と断言することができなかった。
『前回の人生』でも、聖神様の加護は私を守ることができなかった。
聖神様の力にも限界はあるみたいだ。
礼拝堂の入り口から、男性の大きな声が響く!
「コッツィ司祭、急患です! 祈祷をお願いできませんか!」
私とコッツィ司祭は顔を見合わせ、うなずいた。
――聖女の力、今こそ使う時だ!
私たちは礼拝堂の外に向かって駆け出した。




