第24話 夜食
気が付くと、私は自分の部屋のベッドに寝かされていた。
手で顔を触ってみても、化粧もすっかり落とされている。
服は……ネグリジェだ。レイチェルがやってくれたのかな。
部屋の明かりも落とされていて、中には誰もいない。
月明かりでうっすら浮かび上がる壁時計に目を走らせる――午前二時。
そりゃあ誰もいないか。
私はベッドから降りて、テーブルの上にある水差しからコップに水を注いでいく。
一気にコップの水を飲み干し、一息つく。
「ぷはっ! ――ふぅ。結局、気絶しちゃったのか」
聖女の力は、気絶するほど使ってなかったと思う。
じゃあ気絶したのは、ソロカイテ伯爵の悪意だったのかな。
宮廷の亡者たちに比べたらかわいいものだったけど、あの程度でも嫌な記憶を呼び覚ますには充分だった。
悪夢を見なかっただけ、今回はマシな方だ。
不意にドアがノックされた。
こんな時間に? 誰かが起きてるの?
驚いてドアに振り向き、恐る恐る尋ねる。
「誰?」
「……私だ。中に入っても構わないか」
アンリ兄様?
「ええ、構いませんわ。どうぞ」
ドアを開けてアンリ兄様が部屋に入り、ドアを閉めた。
なぜ閉める? 『普通は開け放つもの』だと、十年前に教わってる。
まぁまだ少し冷えるから、開けておきたくなかったのかな。
アンリ兄様が私に近づいてきて、眉をひそめて告げる。
「体は大丈夫なのか」
私はアンリ兄様を見上げ、微笑んで答える。
「ええ、起きた時には元気いっぱいでしたわ。
でも食事を取り損ねてしまったから、少しお腹が空いてるかしら」
私が見上げる視線と、アンリ兄様が見下ろす視線が交差していた。
静かな夜で、お互いの呼吸音が聞こえそうなくらいだ。
月明かりで照らし出されたアンリ兄様は、やっぱりとても綺麗な顔をしていた。
――突然、アンリ兄様の腕が私を強く抱きしめた。
私はすっぽりとアンリ兄様に包まれ、その胸に顔を埋めている。
「お兄様? どうなさったの?」
「……すまない。守ると誓ったのに、お前を守り切れなかった」
私は明るく笑い声をあげた。
「あはは、あれは相手が悪かったのです。
お父様でも迂闊に手を出せない、領内の有力貴族ですもの。
お兄様がかばえる相手ではありませんわ」
あそこで下手に口を出すと、あとで大きな問題になりかねない。
そうなればお父様に、とても大きな迷惑をかけてしまっただろう。
あそこは私が頑張るしかなかったんだ。
「ソロカイテ伯爵はあの後、捕縛された。
余罪を追及され、内容次第では領地を没収されるだろう」
領地の没収――ソロカイテ伯爵領は、エルメーテ公爵家が貸し与えているものだ。
つまり公爵であるお父様の仕事になる。
お父様が管理するのか、後任貴族を決めるのか。
そうした判断を含めて、簡単に済ませられる話じゃない。
私は小さくため息をついた。
「またお父様のお仕事を増やしてしまいましたわね。しくじりましたわ」
ちょっと痛い目を見せるだけのつもりだったんだけどな。
それこそ、愛人の存在がばれるくらいで済ませるつもりだった。
大事にしすぎちゃった。
「少なくとも、奴が大規模な脱税をしていたのは確かだ。
その金の行方次第では、もっと大事になるかもしれん。
宰相派閥につながっているとしたら、今回のことは大手柄だったと言える。
私はその可能性が高いんじゃないかとみている」
あー、あの宰相、お金の匂いにはやたらと敏い人だったしなぁ。
小さな悪さをしていたソロカイテ伯爵を見つけて、悪知恵を授けるとかありえそう。
その見返りにお金をもらうとか、あの宰相らしいかも。
ところで……。
「お兄様? いつまで抱き付いているのですか?
寒いのですか? 暖房を付けましょうか?」
「……シトラス、お前は十七歳の記憶を持っているんだったよな?」
今さら何を聞いてくるのかな?
「ええ、持ってますわよ?
ですから記憶だけなら、私はお兄様より年上ですわね」
「……この状況で思うことが『寒いのか』なのか?」
そんなことを言われても、それ以外の何があるのだろう?
私たち、兄妹なんだけど?
『兄が妹の身を心配して抱き付いた』以外のシチュエーションではないよね?
少し肌寒いし、抱き付いた私が温かいから離れづらいのかな?
「お兄様? おっしゃっていることがわかりませんわ」
アンリ兄様がようやく、私から体を離した。
その顔は、どこか照れ臭そうだ。
「いや、なんとなくわかった。
前にギーグが言っていたことも含めてな」
それなら、その『わかったこと』を口に出していただきたい。
私にはさっぱり意味が分からないんだけど?
私が小首をかしげていると、アンリ兄様が苦笑を浮かべた。
「ついてこい。軽食が置いてある場所まで連れて行こう」
ごはん! ごはん! あいむはんぐりー!
「すぐに参りますわ!」
私はいそいそとガウンを羽織り、アンリ兄様の背中を追った。
途中でドアのそば、廊下側に毛布が落ちていた。なんでこんなところに?
「シトラス? どうした?」
「――なんでもありませんわ」
私はあわてて、アンリ兄様に追いついた。
****
アンリ兄様は、私を調理室近くの食品庫に案内してくれた。
燭台を片手に中に足を踏み入れる。
「果物など、そのままで食べられるものが置いてある。
――ほら、この木箱だ。この中の物は勝手に食べても怒られることはない」
木箱を覗くと、イチゴやリンゴ、ナシなどが入っていた。
アンリ兄様が中から取り出したリンゴを受け取り、それにかぶりつく。
甘い! 酸っぱい! ジューシー! 美味しい!
私は一心不乱にお腹にリンゴを流し込んでいく。
アンリ兄様がクスリと笑みをこぼした。
「普段は公爵令嬢らしいのに、そういうところは村娘の所作なんだな」
……あ、ついうっかり。
公爵令嬢ならリンゴはナイフで切り分けるよね、うん……。
でも戦地でもこうして食べてたし、今さら遅い。
私は吹っ切ってリンゴをかじり続けた。
リンゴを一つ食べ終えると、アンリ兄様が尋ねる。
「それで朝まで我慢できるか?」
「ん-、欲を言えばもう一つか二つは欲しいですわね」
「そこは我慢をしておけ。朝食が入らなくなるぞ」
「はーい」
私はリンゴの食べかすをゴミ箱に捨てると、アンリ兄様と一緒に部屋に向かった。
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部屋に戻った私を見て、アンリ兄様が微笑んだ。
「リンゴの汁が口についてる。そのまま寝るとシーツが汚れるぞ」
アンリ兄様が湿らせた布巾で私の口を拭ってくれる。
思わず恥ずかしくなって目をそらした。
この年になって、十歳の子供にこんなことをされるとは!
いやまぁ体は七歳だけども!
私がうつむいていると、アンリ兄様の笑いがこぼれてきた。
「ふふ、そういうところは七歳らしいな」
くっ! 十歳のくせに! 屈辱を感じる!
「もう! 用事がお済みになったなら、お部屋に戻られたらいかが?!」
「そうだな。お前が元気なのを確認できて安心した。
ではまた、明日の朝な」
別れ際に頭を優しく撫でてから、アンリ兄様は部屋から出ていった。
私はその手のひらの余韻を味わいながら、ゆっくりとベッドに体を埋める。
お父様にも撫でられたけど、なんで男性は女子の頭を撫でたがるのだろう?
嫌な感じはしなかったから、まぁいいんだけどさ。
ともかく、これ以上起きてるとお腹が減りそうだ。
こういう時は、さっさと寝てしまうに限る。
私は目をつぶると、早々に意識を手放した。
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「お嬢様、朝でございます。ご起床ください」
レイチェルの声で私は目を覚まし、ゆっくりと布団の中で伸びをする。
目を開けてレイチェルを見つけ、声をかける。
「おはようレイチェル。
着替えさせてくれてありがとう。
寝ている人間を着替えさせるのは大変だったでしょう?」
レイチェルが微笑んで答える。
「そのくらいできずに侍女は務まりませんよ」
朝の支度を済ませてダイニングに降りていく。
そこにいるのは、お父様とお母様だけだ。
「あら? お兄様はどうなさったのかしら」
お父様が微笑みながら答える。
「どうやら今日は寝坊しているらしい。
朝に弱いシトラスより遅いとは、夜更かしでもしていたのかな」
私は手で口元を隠して笑みをこぼした。
「ふふ、私が夜中に起きた時に、会いに来てくださいました。
きっと倒れた私が心配で、眠ることができなかったのですわね」
お父様が片眉を上げて私を見つめた。
「淑女の部屋に、夜中にやってきたと今、そう言ったのか?
それは間違いないのか?」
「ええ、間違いありません。
夕食を食べ損ねてお腹を減らしていた私に、リンゴの場所を教えてくださいましたわ。
私の無事を確認して『安心した』と言って、そのままお休みになりました。
でも、それがどうかしまして?」
「そうか……そういうことなら理解しよう。
私たちも、気が気ではなかったしな。
何もなかったのなら、この場はこれ以上言うまい」
「ええ、何もありませんでしたわ」
いったい何を心配してるのだろう?
私は着席して、アンリ兄様を待った。
少しすると、眠そうなアンリ兄様が姿を見せた。
「父上、母上、おはようございます。
シトラスもおはよう」
お父様が少し厳しい目でアンリ兄様を見ていた。
「おはようアンリ。だが昨晩のことをシトラスから聞いた。
お前は講義の前に、私の部屋に来なさい」
その一言でアンリ兄様の目が覚めたようで、青い顔をしてお父様を見つめていた。
「……はい、わかりました」
ん? この流れはお説教コース?
アンリ兄様、何か叱られることをしてたの?
私は小首をかしげながら、食前の祈りを始めた。




