第22話 おてんば姫のお披露目(1)
私がエルメーテ公爵家に来てから、二週間が過ぎた。
私は付けられた講師から授業を受けたり、刺繍の練習をする日々だ。
そんな穏やかな日々の朝に、それは起こった。
朝食の場でお母様が告げる。
「シトラスのための夜会を開こうと思うの」
「『夜会』、ですか」
意外な単語だ。私が社交界に関わりたくないことは、伝えてあったはずなのに。
お母様が柔らかい微笑みで答える。
「ええ、そうよ。あなたは先日、町で騒ぎを起こしてしまったでしょう?
それが社交界で噂になっているみたいなの。
変な噂になる前に、きちんとあなたの姿をみんなの前に見せる必要があるわ。
ヴァレンティーノには承諾を得たから、必ず参加をしてほしいの」
「ドレスはどうするのですか? 夜会用のドレスなど、持っていませんよ?」
「今度も間に合わせのドレスになってしまうけれど、私が子供の時に来ていた物があるわ。
それを仕立て直して用意してあるから大丈夫よ。
――本当はもう少ししてから、お披露目をするつもりだったのだけれどね。
悪い噂が立ってしまうと、打ち消すのに苦労するの。その前に動かないといけないわ」
社交界は気乗りがしない。
でも、事情を知ってるお母様が『やるべきだ』と言って、お父様が承諾した。
参加しないといけないんだろうな。
「わかりました。その夜会はいつ行われるのですか?」
「二日後、この家で行うわ。
その時にはヴァレンティーノも戻ってきているはずよ」
うわ、お忙しいお父様を呼び戻してでも行うのか。
お仕事の邪魔をしちゃってるな……。
「申し訳ありません。私の行動でご迷惑をおかけしたみたいで」
お母様は私に微笑みながら答える。
「事情はちゃんと聴いてるわ。
悪を赦せない心は尊ぶべきものよ。
それはエルメーテ公爵家の一員として、胸を張れるもの。
恥ずかしがることはないわ」
そう言ってもらえると、少しは気が休まるかな。
アンリ兄様が心配そうに私に告げる。
「夜会などに出て大丈夫なのか?
陛下たちのように、悪い記憶が呼び覚まされたりしないか?」
私は曖昧に微笑んだ。
「断言はできませんが、町の人たちはとても良い方々でした。
夜会に参加される方も同じようであれば、問題はないと思います」
お母様の顔を横目で見る――どこか憂う表情だ。
私は小さくため息をついた。
「――そうですか。そのような方ばかりではない、ということですわね。
ですがお披露目である以上、そのような方々も招かなくてはならないと、そんなところでしょうか」
お母様が苦笑を浮かべた。
「話が早くて助かるわ。
所作に関して、あなたには何の問題も見られない。
我が家に来て二週間でそれだけの所作ができるあなたに、おそらく皆が驚くでしょう。
この領地のことは、どこまで知っているの?」
「エルメーテ公爵領のことは、あまり詳しくありません。
『前回の人生』では、敵対派閥でしたから」
それでも、付けてもらった講師から色々と教わってる。
今回はそれで何とかするしかない。
「そう……無理はしなくていいのよ?
外から見たら、農村からやってきた聖女が二週間で全てを知ってるわけがないもの。
所作に問題がないだけで充分よ。
具合が悪くなったら、すぐに言いなさい?」
アンリ兄様が力強く告げる。
「シトラスは私が守ります。
――シトラスも、何かあったら私の陰に隠れるといい」
やった! 隠れる場所ができた!
私は心から微笑んでうなずいた。
「はい、頼りにしていますね、お兄様」
おや? なんだかアンリ兄様の頬が赤い。
熱でもあるのかな? 大丈夫?
重要な通達はあったけど、それ以外は平穏な朝食が終わった。
私は講義の準備をするため、自分の部屋に戻った。
****
所作の講師は、私に感心しきりだった。
「本当にどこでその所作を身に着けたの? 教えることが全くないわ」
「あはは……なんとなくできてしまうんです」
適当にごまかしつつ、教本の内容を実践してみせる時間が続いた。
教本だけで完全な所作は身につかない。
文章や図では書ききれない、細かな動作が実際には要求されるからだ。
それを生徒に教えるのが、講師の役目だ。
だけど私は十年前、厳しく所作を仕込まれた。
すべてを覚えるのに三年くらいかかったけど。
あの時の講師に比べたら、今の講師はとてもやさしく親切な講師だった。
講師の女性は感嘆のため息をついていた。
「本当にきれいな所作ね。公爵家の人間として、どこに出しても恥ずかしくないわ。
読み書きもできているし、文字もとてもきれいなものよ?
あなたの村では、読み書きも教えていたの?」
「あはは……えっと、これもなんとなくできてしまうというか」
読み書きは一年くらいかかったっけ。
特に汚い文字を書くと、容赦なく定規で手を叩かれた。
当時の私は癒しの奇跡を、腫れあがった自分の手に施すのが日課だった。
講師の先生がここまで感心するのだから、エリゼオ公爵家で送った人生も無駄ではなかったのかもしれない。
「――今日はここまでにしましょう。
これなら明後日の夜会も問題ないはずよ。自信をもって頂戴」
「はい、ありがとうございました」
次は教養の講義か。がんばろっと。
そうして私の午前は過ぎていった。
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午後になり、私は動きやすい服に着替えてお父さんの前に居た。
アンリ兄様の格闘術の時間だ。
私はそのおまけで、一緒に稽古を付けてもらうだけだ。
「それでは二人とも、好きなようにかかって来い!」
「はい!」
私とアンリ兄様の声が重なり、私たちは視線を交わしてうなずいた。
そして二人で別々の方向からお父さんに駆け寄っていく。
アンリ兄様が下から、私が頭上からお父さんに攻撃を仕掛ける。
だけど、お父さんは片手で私たちの攻撃を受け止め、私たちは芝の上に放り投げられていた。
私は受け身を取ってゴロゴロと転がり、さっと立ち上がる。
お父さんは、受け身を取って転がるアンリ兄様に向かって、拳を放っているところだった。
アンリ兄様はそれを両腕で受け止め、再び吹き飛ばされていく。
――それと同時に、私の拳がお父さんの頬をかすめた。
「甘い甘い!」
お父さんの体当たりで、私の体が弾き飛ばされていく。
そんな攻防を十分ほど続けると、お父さんが「そこまで! では個別を教える!」と告げた。
最初の組手は昨日のおさらい。
その組手の中で、できていないところを指摘されながら型を矯正していく。
習い始めたアンリ兄様は、型の矯正に時間がかかる。
私は暇なので、一人で型のおさらいをしていた。
私の番になったけれど、型の矯正は教わることがほとんどない。
短時間で終わらせた後、お父さんが告げる。
「ではここからは体力づくりをしてもらう。
シトラス、部屋に戻りなさい」
「はい、お父さん」
私は一人寂しく部屋に向かった。
――公爵令嬢が体を鍛えるなんてことは、お父様が認めてくれなかった。
だから本当にこの時間は、私とお父さんが拳を交えて楽しむだけのコミュニケーションだ。
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汗をかいたので入浴してから普段着に着替える。
私は庭から聞こえてくるお父さんとアンリ兄様の声を聴きながら、窓辺で静かに刺繍を刺していた。
もう昔と同じ稽古は付けてもらえないけど、こうして声を聴いてるだけで『一緒の空間に居られるのだ』と実感できる。
『前回の人生』では望めなかった、幸福な時間だ。
だけど――。
私の刺繍を刺す手が止まった。
二日後には夜会が開かれる。『今回の人生』では、社交界への初参加だ。
正直に言ってしまえば、気が重たい。
貴族たちの悪意の坩堝、醜い亡者たちの楽園――それが社交界だ。
聖女として国が布告する前、まだ私が『聖女である』と正式に知らされていない段階で開かれる夜会。
私のことを下に見る貴族は多くいるだろう。
『農村上がりの小娘が生意気な』という侮蔑の眼差しを思い出す。
宮廷の社交界ほどひどくはないだろうけど、この領地の社交界だって大した差があるとは思えない。
最悪を知っているのだから、それよりマシなものならきっと耐えられる。
……そう信じなければ、心が折れてしまう気がした。
また倒れるようなことがあれば、お父様たちに心配をかけてしまう。
今度こそ、気をしっかり持たないと!
私は刺繍枠を手にしたまま、そんな考えに捕らわれて固まっていた。




