第21話 おてんば姫
その日、少年は主人の使いでアウレリオの町に来ていた。
買い物を終えた少年が歩道を歩いていると、鈴を転がすような声が鋭く耳に届いた。
「お父さん! 泥棒だよ!」
馬車道の反対側から、ベージュのドレスの裾をつまんで亜麻色の髪の少女が走ってくる。
あっという間に馬車道を横断した少女は、肩から若い男性に体当たりしていた。
少年が呆然として見ていると、少女の後から駆け付けた大男が、倒れた若い男性の顔面に拳を突き入れた。
気絶した若い男性の手から、少女が手鞄を取り上げる――ひったくりか。珍しい。
少女が老婦人に微笑みながら手鞄を手渡す。
「危ないところでしたわね。お怪我はありませんか?」
「え、ええ……取り返してくれてありがとう」
老婦人は手鞄を受け取ると、戸惑いながらも微笑んでお礼を告げていた。
大男の後から、銀髪の少年が少女に駆け寄っていった。
「シトラス! 危ないじゃないか! お前が怪我をしたらどうするつもりだ!」
少女はきょとんとした顔で小首をかしげていた。
さらりと流れる長い髪の毛が、少年には印象的だった。
「ですが、別に危ないことではありませんわよ?」
銀髪の少年が深いため息をついて少女に告げる。
「シトラス、お前はもう公爵令嬢なんだ。こんな危ないことは兵士に任せても問題がない。
この程度の窃盗犯なんて、すぐにつかまる。
だから町の住人でこんな悪さをする奴はいないんだ。
それを知らないとは大方、外から来たよそ者なんだろう」
銀髪の少年が冷たい侮蔑の眼差しを倒れている若い男性に向けた。
見ているこちらの背筋が凍りそうな、冷たい眼差しだ。
野次馬が集まり始め、騒ぎを聞きつけた町の衛兵が少年に駆け寄っていった。
「――アンリ様?! これはどういうことですか?!」
銀髪の少年が無表情に答える。
「窃盗犯だ。連行しろ」
「はっ! かしこまりました!
――しかし、こちらは見ない顔の護衛ですね。
そちらのご令嬢が連れられている兵士でしょうか」
兵士が大男をまじまじと見つめていた。
銀髪の少年が無表情で告げる。
「この子はシトラス、私の妹だ。
この護衛は新しい我が家の兵士だ。
父上は忙しくしているが、近いうちに布告が出されるだろう」
大男が豪快な笑い声をあげた。
「ギーグ・ゲウス・ガストーニュだ! 公爵家に仕える同僚として、これからもよろしくな!」
兵士の一人が、驚いたように声を上げる。
「ギーグ?! あのギーグ殿か! 無敗の格闘家が、公爵家に仕官したというのか?!」
大男が楽しそうにうなずいた。
「そういうことになる。
つい三日前から世話になっているから、町の兵士たちが知らんのも無理はない。
そのうち共に仕事をすることもあるだろう」
戸惑う兵士たちを残し、少女と銀髪の少年、大男が馬車に向かい、乗り込んでいった。
一部始終を見守っていた少年は、馬車の窓からわずかに見える少女の姿を必死に探した。
馬車が遠くに姿を消すまで、少年は少女の姿を追い続けた。
「シトラス……エルメーテ公爵家の、令嬢か」
少年の紫紺色の髪の毛を、風が優しく撫でていった。
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アンリ兄様は馬車に戻っても不機嫌そうだった。
「あんなことをして、肝を冷やしたぞ。
相手が刃物を持っていたら、どうするつもりだったんだ」
刃物? 刃物がどうしたの?
私はきょとんとしながら小首をかしげる。
「あの程度の相手が振るう刃物なんて、私には当たりませんわ。
お忘れですか? 私はお父さんの本気の拳を避けられるんですよ?」
アンリ兄様が小さくため息をついた。
「だとしても、シトラスはもう公爵令嬢なんだ。
声を上げたら、それ以上は周囲の兵士に任せて欲しい。
自分から窃盗犯に体当たりするなんて、令嬢のとる行動じゃないぞ」
「ですが、すぐに転ばせてしまえば、それだけで終わりますわ。
あの手の輩は、隙のある人間から物を取ったら、すぐに身を隠してしまうもの。
失敗したと分かった時点で、すぐに逃げてしまいますの。
刃物を持っては向かってくることなんて、ほとんどありませんでしたわ」
アンリ兄様が額を押さえてため息をついた。
「……そうか、十年間の実績があるということか。
だがそうだとしても、エルメーテ公爵家の令嬢として相応しい行動とは思えない。
これからは自重してくれ」
私はゆっくりと首を横に振った。
「相手を取り逃がしてしまえば、物を取られた人が悲しみます。
もしかしたら、お金には代えられない大切な物を持ち歩いているかもしれない。
万が一でも盗まれるなど、あってはならないんです。
誰かが悲しむかもしれないと分かっていて、黙ってみていることなどできません」
お父さんが大きな声で笑いだした。
「ははは! アンリ公爵令息よ、心配はいらん!
こんな公爵令嬢がいてもいいではないか!
私は娘がまっすぐ育ってくれて、嬉しく思っているぞ!」
アンリ兄様はそれ以上何も言えないようで、ふてくされたように窓の外を見ていた。
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そのあとは他の手芸店や洋服店を回り、わずかな人々に挨拶をして一日が終わった。
アンリ兄様はやっぱり、無表情で不愛想に私を紹介して回っていた。
……あれ? 感情を表に出せるようになったんじゃなかったの?
私が馬車の中で小首をかしげていると、アンリ兄様が窓の外を見ながら小さく告げる。
「……シトラスは、十年間そうやって生きてきたのか?」
何の話だろう?
……あー、泥棒のことかな?
でも、どういう意味?
私はアンリ兄様を見つめながら小首をかしげた。
「ええ、そうですけれど……それがどうかしまして?」
「話では、公爵令嬢や聖女とは名ばかりの、使いっ走りとして戦地をめぐらされていたんだろう?
ろくな食事も与えられず、満足な待遇も受けず、貧しい平民並みの扱いを受けていたように聞こえた。
それなのに、そうやって見かけた罪人を捕まえていたのか?」
「捕まえられたことは、あまりありませんわよ?
逃げる相手を捕まえるほどの力は、私にはありませんでしたから。
町の兵士たちも、小悪党を捕まえるような殊勝な方は、少なかったのです」
それでも、他人に危害を加えようとする人の邪魔はできた。
兵士が来れば、それで逃げてしまう。
私はそれまで、時間を稼ぐだけで良かったのだ。
お兄様が私に目を向けて告げる。
「……そうやって、お前に救われた人間も多かったのだろうな」
「そうでしょうか? そうだとしたら、少しは聖女として働けたのだと思えますわね。
最後は聖女のお役目に失敗してしまいましたが、『できる限りのことをやれたのだ』と思えますわ」
「今日のことは噂に乗るだろう。
おそらく『おてんばな公爵令嬢がやってきた』とな。
公爵家の姫として、少し問題が出るかもしれない」
お姫様かー。私の柄じゃないんだよなー。だって元は村娘だよ?
でも、王家の血を引く家の令嬢だから、そう呼ばれちゃうのは仕方ないのかな。
それに――。
「悪い噂も、『前回の人生』でさんざん味わいましたわ。
その程度の噂であれば、痛くもかゆくもありません」
アンリ兄様が深いため息をついてから私を見た。
「どうやら、シトラスに自重を求めるのが間違っているようだ。
だが公爵家の姫として、父上が恥をかくことがないよう、なるだけ慎んでくれると助かる。
お前自身にも、悪い噂はよくない結果を招くだろう」
良くない結果か……あの日のように、また処刑台に上がる結果になるのかな。
私は心が重たくなって、肩を落としてうつむいた。
「やはり、こんな性格が災いして私は処刑されてしまったのでしょうか。
このままでは、また私は処刑台送りにされてしまうのでしょうか。
――だとしても、私は悪党を見逃すなんてことができるとは思えません。
悲しむ人を見過ごして生きるなんて、私にはできないのです」
お父さんが楽しげな声で告げる。
「そんな心配はいらん。
今日の出来事も、『少し元気な娘が公爵家にやってきた』という程度で収まるだろう。
シトラスが処刑台送りにされたのは、悪人どもに疎まれたからだ。
そういう意味では、お前の性格が影響しているともいえる。
だが今度は、お前の周りには私たちがいる。
二度とお前を処刑台になど、上げさせるものか!」
お父さんを見上げると、頼もしい微笑みを浮かべていた。
「……うん、頼りにしているね、お父さん!」
アンリ兄様が、何度目かのため息とともに告げる。
「――ふぅ。シトラスを守るのは、大変みたいだな。
だが父上たちだけじゃない。私だって付いている。
必ずお前を守り切って見せるとも」
私はアンリ兄様の顔を見て微笑んだ。
「頼りにしてますわね、お兄様!」
アンリ兄様は困ったように微笑みながら、静かにうなずいた。




