第20話 公爵家のお膝元
「――そして、三日前にこの家に引き取られました。
以上が私の身に起こったことですわ」
お母様とアンリ兄様は、ただ呆然と私を見つめていた。
全てを信じろって方が難しいのは、自分でもわかってる。
立場が逆なら、私だって信じられなかったと思うし。
私は微笑みを浮かべながら告げる。
「信じて欲しいとは言いません。
ですが、宰相派閥の貴族にはくれぐれもご注意ください。
特にエリゼオ公爵やフェルモ伯爵は、宰相側でも厄介な相手です。
私がこの家に引き取られたので、お父様が戦地に送られる危険はかなり減ったと思います。
ですが、暗殺行為は常に横行しておりました。
外出するときは、それを前提に動いてください」
お母様が戸惑いつつも、しっかりとした目で私を見つめた。
「……いいえ、あなたの言葉ですもの。私は信じます。
そう、あなたは処刑されたときの記憶が残っているのね。
だからあれほど陛下たちに拒絶反応を示した……納得できる理由よ。
でもね――」
お母様の腕が、優しく私の頭を包み込んできた。
「決して一人で戦おうとはしないで頂戴。
もっと周りの大人を頼ってもいいのよ?
あなたを引き取ったことで、ヴァレンティーノの発言力はあなたの記憶よりもずっと強いものになってる。
そう簡単に宰相に屈することにはならないわ。
それに、途中で暗殺されてしまったグレゴリオ最高司祭も、このことを知っているなら事前に暗殺を阻止できるはず。
焦る必要もないの。周りにいる私たちが、必ずあなたの負担を軽減してあげる。
だから今は、その傷ついた心を癒すことに全力を傾けて欲しいの」
ヴァレンティーノ……ああ、お父様のファーストネームか。
『稀代の聖女』の養父なら、宰相と互角の戦いができるようなことを、お父様も言ってたな。
膝に置いた私の手に、アンリ兄様の手が置かれた。
「話してくれてありがとう。
そして、母上の言うとおりだ。シトラスが焦っても、すぐに何かをできるわけじゃない。
苦しいかもしれないが、今はまだ耐える時だ。
時期が来れば、父上が必ず動く。それまで、大人しく静養してほしい」
静養か……でも、何をしても気が休まらないんだよね。
そんな私は、どうやって静養したらいいんだろう。
私が曖昧に微笑んでいると、お母様が不意に告げてくる。
「そうだ、シトラスはまだこの領地のことをよく知らないでしょう?
午後からアンリと一緒に、アウレリオの町に行ってきなさい。
それで少し気晴らしをするといいわ」
町を見るのか。
この領地は平和そうな空気を感じるけど、私が十年間見てきた町というものは、悲惨な光景ばかりが広がっていた。
『ここはそうじゃない』と、頭では理解してる。
でも『またあの光景を目にするんじゃないか』と思うと、足がすくむ思いだった。
お母様が柔らかい微笑みで告げる。
「そんなに怖がらないで。
あなたが救うべき人たちの、本来の姿をあの町で思い出して欲しいの」
本来の姿……町の人たちの『本来の姿』って、どんなものだろう。
確かに、私はそれを知らなかった。
私はおずおずとうなずいた。
「わかりました。ではそうします。
――お兄様、よろしくお願いします」
アンリ兄様が嬉しそうにうなずいた。
「ああ、案内なら任せて欲しい」
アンリ兄様は私の手を一度強く握った後、お母様の部屋から出ていった。
町かー。気晴らしになるといいな。
****
昼食後、私たちは四頭立ての馬車に乗り込み、公爵邸近くにあるアウレリオの町に向かった。
車外には騎兵たちの列。そして車内は私とアンリ兄様、そして――。
「ははは! シトラスと町に行くのは初めてだな!」
そう、お父さんである。
お母様が『一緒に連れて行きなさい』と、強く勧めてくれたからだ。
なので護衛としてだけど、お父さんも同伴している。
アンリ兄様は……なんだか不機嫌そうに口を曲げていた。
「お兄様、どうしたのですか? 午前中はあんなに楽しみにしてらしたのに」
「何でもない……護衛が必要なのも、理解している」
何でもないなら、なんでふてくされてるのさ……。
男の子の心理は、理解するのが難しそうだなぁ。
私が小首をかしげていると、お父さんが楽しそうにアンリ兄様の肩を叩いた。
「ははは! そう簡単にシトラスと二人きりになれると思うなよ?!
だが安心もしておけ! 護衛の仕事はお前たちを守ることだ!
馬車を降りれば、私は後ろで大人しくしているからな!」
「ねぇお父さん、どうしてお兄様と二人きりになってはいけないの?
私たちは兄妹なんだよ? 貴族でも、兄妹なら男女が二人きりでも問題にされないはずだよ」
護衛なら、馬車の外を並走する騎兵たちのように、馬に乗ってもよかったはずだ。
まぁ私はお父さんが一緒に乗ってくれて嬉しかったんだけど。
お父さんが楽しそうな笑みを私に向けた。
「ん~? その鈍いところは母さん譲りか?
今のアンリ公爵令息とお前を、二人きりになどさせられるものか。
間違いがあってからでは遅いからな!」
間違いって……七歳の私がなにをどう『間違われる』っていうの……。
「お父さん、心配し過ぎだよ。
それじゃあまるで『お兄様が私を襲いかねない』って言ってるみたいだよ?
私たちは兄妹で、子供で、なにより会って三日目だよ?
そんなことがあるわけないじゃない」
しかも相手は『冷血貴公子』のアンリ公爵令息だし。まったくイメージできない。
私はアンリ兄様に微笑みながら告げる。
「ね! そうだよね、お兄様!」
アンリ兄様は、どこか気まずそうに曖昧な微笑みを返してきた。
「あ、ああ……そうだな。ギーグの考えすぎだ」
私はお父さんに向かって得意げに胸を張った。
「ほら! お兄様もこう言ってるし!
第一、私に『その手』の心配はいらないよ。
十七歳で死ぬまで、一度も男性からアプローチされたことがなかったんだから」
自分で言っておいて、少しむなしい。
改めて自分のドレスを見下ろして、小さくため息をついた。
ドレスは綺麗だけど、こういうのは中身の問題だもんなぁ。
私は自嘲の笑みを浮かべながらつぶやく。
「世界を無事に救えたとしても、公爵令嬢として嫁ぎ先を探さないと、か。
そっちも大変そうだなぁ。相手なんて、どうやって見つけたらいいんだろう」
お父さんの大きな声が車内に轟く。
「心配するな! お前は母さんに似て美人だからな!
嫁ぎ先など、嫌になるほど見つかるだろう!」
お父さん……それは『親の欲目』ってやつだよ……。
実績として、『誰も言い寄ってこなかった事実』を私は知ってるんだし。
でも――。
「ありがとう、お父さん!」
私は満面の笑みでお父さんに答えた。
……なんで横で見ていたアンリ兄様が赤くなってるんだ?
私、見ていて恥ずかしくなるようなことしちゃった?
****
馬車がアウレリオの町に到着し、速度を緩めた。
ゆっくりと走る馬車の中から、町を歩く人々の様子を眺めていく。
「思った通り、平和な領地ですわね。
町の人の笑顔が明るい。
……そう、これが『普通の町の姿』なんですわね」
私の知っている町の住人は、もっと陰鬱で殺伐とした、無気力な人たちだった。
そんな人たちを少しでも救わなければと、毎日頑張っていたのが一か月前――『前回の人生』を送った私だ。
だけどこの領地には、そんな人はいないように見えた。
隣人を思いやり、自分たち以外にも愛を分け与えることを知る人たちが、目の前にいる。
私が目指した平和な人々の暮らしが、ここにはあった。
馬車が大通りの店の前で止まり、お父さんが先に降りていった。
次にアンリ兄様が降りて、私に手を差し伸べてくれた。
「足元に気を付けて」
「はい、お兄様」
アンリ兄様の手を取って、ゆっくりと馬車から降りる。
頭上にある店の看板を見上げると、どうやら手芸店のようだ。
店の様子を外から眺めていると、アンリ兄様が告げる。
「ここは母上がひいきにしてる店なんだ。
刺繍を始めたなら、自分用の刺繍道具をそろえてもいいだろう。
中で見繕ってもらうといい」
私はアンリ兄様にうなずき、エスコートしてもらいながら店の中に入った。
****
ドアを開けるとドアベルが来客を知らせた。
カウンターの中から、赤い髪の女性がこちらに振り向いて告げる。
「いらっしゃいませ――あら、アンリ様じゃありませんか」
店内にいたのは、背の高い三十歳くらいの女性だった。
アンリ兄様が無表情で告げる。
「久しいな、モニカ。この子は今日、手芸を始めたばかりなんだ。
初心者用の刺繍道具を見繕ってくれ」
女性――モニカさんがカウンターから出てきて、私の顔をまじまじと見つめた。
「初めて見るご令嬢ですわね。もしかしてアンリ様の婚約者かしら」
アンリ兄様が、どこか嬉しそうに答える。
「そうではない。先日、公爵家に引き取られた子で、私の妹となる」
私はアンリ兄様から手を放し、すっと腰を落としてカーテシーで挨拶を告げる。
「エルメーテ公爵が息女、シトラス・ファム・エストレル・ミレウス・エルメーテです。
お見知りおきください」
モニカさんは驚いて目を丸くしていた。
「なんなの、その長い聖名は……それに公爵家の養女だなんて、どういうご事情なのかしら」
私はニコリと微笑んで答える。
「聖教会から、聖女として認定を受けています。
もう少しすれば、王都から正式に布告が出るでしょう。
お母様がひいきとする店なら、私も利用することになると思います。
よろしくお願いしますね」
モニカさんは呆然としていたけど、慌てて私にカーテシーを返してきた。
「ダルサス男爵が妻、モニカ・レルム・ダルサスですわ。
この手芸店の店長をしておりますの。
こちらこそ、よろしくお見知りおきくださいませ、シトラス様」
なんだか緊張してるみたいだけど、明るい微笑みでモニカさんは私に接客を開始した。
子供用だけど本格的に刺繍道具一式を見繕い、袋に詰めて私に手渡してくる。
「ありがとう、大切に使いますわね」
私たちはモニカさんに見送られながら、店を後にした。
****
店の前で馬車に乗ろうとしたところで、嫌な気配を感じた。
すぐそばからだ――視線を走らせた先で、一人の若い男性が目に留まった。
彼が見ているのは、先を歩く老婦人。
その若い男性が走り出した瞬間、私も手荷物を放り出して駆け出した。
「お父さん! 泥棒だよ!」
馬車道を横断した先で、老婦人から手荷物をひったくった瞬間の男性に、私は肩から体当たりした。




