第17話 苛む夢
「ではお父様、お母様、そしてお兄様。おやすみなさい」
夕食が終わり、シトラスが部屋に戻っていった。
エルメーテ公爵やティベリオの目から見ても、シトラスが無理をして笑っているのは明らかだった。
シトラスが部屋に入る音を確認してから、アンリが切り出す。
「父上、シトラスに何があったというのですか。
陛下や殿下を前にあれほど取り乱すなど、ただ事ではありません。
彼女は農村の村娘ではなかったのですか?」
ティベリオも、アンリと同じ言葉を目で訴えていた。
妻と息子、二人の視線を受けたエルメーテ公爵が、大きなため息をついた。
「シトラスは特別な聖女だ。今はまだ、それしか言えない。
あの子は心に深い傷を負っている。その傷が癒えるまで、どうかあの子を支えてやって欲しい。
今はとにかく、陛下や殿下をシトラスのそばに近づけないようにしてくれ」
シトラスの秘密は、迂闊に漏らすことができない。
たとえ妻や息子が相手でも、時機を見る必要があると、エルメーテ公爵は判断していた。
今はまだ、その時ではないのだ。
ティベリオがおずおずと尋ねる。
「ですが今回のように、陛下たちが無理難題を言ってきたらどうするの?」
「聖教会の名を出してでも近寄らせはしない。
グレゴリオ最高司祭にも、今回の話は伝えておく。
聖教会から王家へ、正式に厳重な抗議が届くはずだ。
あの陛下とて、聖教会の信徒全員を敵に回せば、身の破滅ということぐらいは理解できるだろう」
この国の民や貴族は、ほぼ全員が聖教会の信徒だ。
この上ないほど神聖な聖名を与えられた稀代の聖女を傷つけたとなれば、王家も無事では済まない。
現国王を退位させ、子供だろうと次の王を立てることすらあり得る。
今日の不祥事は、それほど大きな出来事だった。
そのことは国王の帰り際、エルメーテ公爵がきつく言い含めていた。
アンリが鋭い眼差しでエルメーテ公爵に尋ねる。
「父上、あの暗君がそれを理解できるでしょうか」
――我が子ながら、手厳しいな。
エルメーテ公爵が苦笑を浮かべた。
「理解できなければ忠告通り、退位していただくだけだ。
次の王は聖神様の名のもとに、シトラスが決めることになるだろう。
だが今は、そんな負担をあの子に背負わせたくない。理解していることを祈るだけだな」
シトラスが聖神の名のもとに次の王を決める――それは彼女が自分の夫を決めることを意味した。
元々、初代国王と聖女によって興されたのがこの国だ。
王の血筋ではなく、聖女の血筋こそが最も尊ばれる。
本来、王家より聖女の力の方が強いのだ。
だからこそ歴代の聖女は王家に望まれ、嫁いでいった。
だが今回、シトラスは現王家を拒絶している。
これが問題を複雑にしていた。
おそらく現王家は、やっきになってシトラスを妃にしようと画策してくるだろう。
シトラスを思うなら、その全てをシャットアウトする必要がある。
王家とは別の家に聖女が嫁ぐことも、認められていないわけではない。
だが下手にそうした動きを見せれば、『エルメーテ公爵家が王位を簒奪しようとしている』と宰相に付け込まれかねなかった。
アンリに嫁ぐにせよ、別の貴族に嫁ぐにせよ、その相手は正当な王位継承権を持つことになるからだ。
むしろ『稀代の聖女の夫こそ正当な王である』と、聖教会が認めかねない。
それを阻止するため、現王家がシトラスをあきらめることはないだろう。
シトラスには、彼女が望む相手に嫁いでもらいたい――それがエルメーテ公爵の願いだ。
それと同時に国家を立て直し、魔神復活も阻止しなければならない。
シトラスの婚姻で国家が荒れるようなことになれば本末転倒だ。
彼女は国家を安定させるために聖神が遣わした聖女なのだから。
エルメーテ公爵がワインを呷り、グラスをテーブルに置いた。
「頭が痛い問題だが、シトラスのためだ。なんとかしてみせるさ」
****
その夜、シトラスは悪夢にうなされて錯乱し、絶叫しながら起きることを繰り返した。
その都度、エルメーテ公爵やアンリがシトラスをなだめ、なんとか落ち着かせて眠らせていた。
明け方近くになり、四度目の絶叫が公爵邸に響き渡った。
泣きじゃくるシトラスを、太くたくましい腕が包み込んでいた。
「……? おとう……さん?」
父親のいつくしむ目を見つめたシトラスが、涙目でつぶやいていた。
「どうしたシトラス。怖い夢を見たのか?」
「……夢ならよかったのに。全てが悪い夢なら、どれほどよかったか」
繰り返しうなされたシトラスはすっかり疲れ果て、声にも力が無くなっていた。
シトラスが小さな涙声でつぶやく。
「もう私、聖女なんて嫌だよ。あんな思い、二度としたくない……」
「今回は大丈夫だ。なんせ、お前のそばには私や母さんが付いている。
お前をつらい目になんて、遭わせるものか」
「……ほんとうに?」
「私が今まで、お前に嘘を言ったことがあるか?
朝まで私がそばにいよう。安心して眠るがいい。
悪い夢は、私が全てこの拳で叩き潰してやる」
ギーグがシトラスにこぶしを握って見せた。
それを見て、シトラスがクスリと笑った。
「お父さん、夢をどうやって殴るつもり?
でも、ありがとう。
……ねぇ、このまま腕の中で眠ってもいいかな」
「ああ、構わんぞ。今度こそ、ゆっくりと眠るんだ」
シトラスは返事をするよりも先に、意識を手放して寝息を立てていた。
それを背後で見ていたエルメーテ公爵が、小さくため息をついた。
「やはり実父にはかなわんな。私ではそこまで、シトラスを安心させることなどできん」
「積み重ねた時間の差だ。そのうち同じことができるようになるさ」
安心して眠るシトラスを、二人の男がいつくしむ眼差しで見つめていた。
エルメーテ公爵が身をひるがえした。
「ではシトラスを頼む。私は朝まで仮眠をとる」
「シトラスが迷惑をかけたな。お前も忙しいだろうに」
「なに、シトラスはもう私の娘でもある。娘の夜泣きなど、親なら苦ではあるまい?」
「そうか? 私は苦労したがなぁ」
エルメーテ公爵がギーグと軽い笑いを交わしながら、部屋から去っていった。
ギーグは愛しい娘を胸に抱きながら、感慨にふけっていた。
「こうして胸に抱くのは、何年ぶりかな……すっかり大きくなった」
その優しい言葉とは裏腹に、ギーグの目には怒りの炎が灯っていた。
シトラスがここまで取り乱すほどの仕打ちをした国王たち――彼らも決して許すわけにはいかないと、意を決していた。
敵は宰相だけではない。腑抜けた暗君など、この国には不要なのだ。
この胸の中で眠る、愛する娘の幸せを必ずつかみ取るのだと、固く拳を握っていた。
その後、シトラスは日が昇るまで穏やかに眠り続けていた。
****
朝食の席で、私はお父様に思いっきり頭を下げた。
「昨晩はご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ありませんでした!」
お父様の優しい声が、頭の上から降ってくる。
「大したことじゃない。あの程度、迷惑などとは思わないさ。
それより、少しは眠れたかい?」
顔を上げてお父様の顔を見る――どう見ても寝不足の顔だ。
「私は眠れましたが、お父様こそ眠れなかったのではないですか?」
「この程度は戦場にいればよくあること、慣れたものさ。
それより、昨日は疲れただろう? その分、今日は好きに過ごしなさい。
私はしばらく王都に行くが、何かあったらすぐに知らせるんだよ?」
ここから王都へは、馬車で二日ぐらいだったはずだ。
お父様の用事がどのくらいかかるか分からないけれど、何日かは会えないことになる。
私という使い勝手のいい駒を取り逃した宰相が、お父様に何かをする可能性を考えてしまった。
「お父様、くれぐれもお気を付けください」
私が言葉に込めた意味を、お父様は的確に受け取ってくれたようだ。
しっかりとうなずいてお父様が答える。
「大丈夫、油断などしないさ」
お父様は頼りがいがある微笑みで、私に答えてくれた。




