第14話 公爵家の朝
「お嬢様、朝でございます。ご起床ください」
レイチェルの声がする……目を開けないと。
でも、公爵家のベッドは寝心地がよすぎる!
このフカフカに包まれていると、『あと五分くらいなら』という誘惑に勝てなかった。
それでも必死に布団から起き上がろうと頑張っていると、レイチェルが私の腕を引っ張り上げる。
「お嬢様は朝が弱いのですね」
「ごめんなさい……でもこんな素敵なベッドじゃ、吸引力が強すぎて逃げられませんわ」
寝ぼけている私の言葉で、周囲からクスクスと笑いがこぼれてくるのが聞こえた。
そのままお湯で顔を洗い、髪を整えてもらう。
何かにつけて周りが手伝ってくれるので、動けない朝にはとってもらくちんだ。
ようやく目が覚めてきた私が法衣を整えて立ち上がると、レイチェルが微笑んで待っていた。
「ではダイニングへ参りましょう」
「はい!」
レイチェルと一緒に部屋を出たところで、アンリ兄様と鉢合わせた。
私は微笑んでお兄様に挨拶を告げる。
「おはようございます、お兄様!」
アンリ兄様は戸惑いながら言葉を返してくる。
「あ、ああ。おはようシトラス。その……いや、なんでもない」
アンリ兄様はそのまま身をひるがえして階段を降りて行ってしまった。
なんだ? 何が言いたかったんだ?
私が小首をかしげていると、レイチェルがクスリと笑みをこぼした。
レイチェルの顔を見上げて彼女に尋ねる。
「ねぇレイチェル、お兄様は何が言いたかったのかしら」
「アンリ様なりに努力をしておられるのだと思います。
お嬢様は優しく見守って差し上げてください」
努力? なんの?
気にはなるけど、見守れというなら見守ろう。
私たちはアンリ兄様を追いかけるように、ゆっくりと階段を降りて行った。
****
ダイニングではお父様たちが待っていた。
「おはようございます、お父様、お母様」
お父様たちが微笑んで答えてくれる。
「ああ、おはようシトラス」
「おはようシトラス。今日もかわいいわね」
椅子に座り、聖神様への祈りを捧げてから朝食に手を付ける。
パンをちぎって口に運んでいると、お父様がワインを片手に告げてくる。
「食事をしながら聞いて欲しい。
私は今日、ロレコ子爵の件で外出してくるよ。
その間、家とシトラスのことは任せたよ」
私たちは黙ってうなずいた。
「それと、仕立て直したドレスが今日、届くはずだ。
ティベリオはレイチェルとともにシトラスのドレスを見てやってくれ」
ああそうか、今日からこの法衣ともお別れか。
着るとしても、『聖女認定の儀』みたいな式典ぐらいだろう。
少し名残惜しいけど、お父様の意向だから仕方ない。
アンリ兄様が声を上げる。
「父上! 私はシトラスのドレスを見せてはいただけないのですか?!」
なぜ見たがる……私のドレス姿だぞ? 見て楽しいものじゃないだろうに。
お父様が笑いながらアンリ兄様に答える。
「焦らずとも、整え終わったら普段着になるんだ。いつでも見ることはできる。
だが着替えを覗こうと考えているなら、あとで仕置きが必要だな」
「覗きなど考えていません!」
あら、アンリ兄様の顔が赤い。『冷血貴公子』の新鮮な姿だなー。
「ならば大人しく服が整うのを待つがいい。
それにお前は勉強が待っているだろう?
きちんと勉学に励んでおけ」
「……わかりました」
アンリ兄様がすごすごと引き下がった。
うーん、やっぱり昨日の午後から、なんだか表情が豊かになったような?
午前中の『不愛想な男の子』ってイメージが薄くなってる。
本当に何があったんだろう?
お父様が再び告げる。
「ああそれと、アンリの格闘術の師範だが、新しくギーグが担当することになった。
あいつは手練れの格闘家だ。気を引き締めて教えを受けるといい」
お父さんはそんなことも引き受けたのか。それなら、いっそ――。
私は元気に手を挙げてお父様に告げる。
「お父様、その格闘術の稽古ですが、私も参加してはいけませんか?」
お父様たち三人が目を丸くしていた。
……まぁそうだよね。普通は驚くと思う。うん。
筋骨隆々のお父さんに稽古をつけてもらう七歳の女の子なんて、想像できないよね。
「私は実家で毎日、お父さんから格闘術の手ほどきを受けていました。
せっかく今まで鍛えてもらっていたので、続けられるなら続けたいと思います」
お父様は目を丸くしたまま答える。
「シトラスが、ギーグの格闘術を受け継いでると……そういったのか?」
私は苦笑いをしながらうなずいた。
「四歳の頃から三年間、毎日稽古を付けてもらっていました。
これでも防御技術だけなら、それなりのものだとほめてもらっています。
護身術だと思えば、無駄にはならないと思いますが……許可していただけませんか?」
お父様が少し考えこんでから私の目を見つめた。
「その腕前を確認してから答えたい。
朝食の後、稽古の様子を見せてくれないか」
「はい、わかりました!」
****
朝食後、私たちは中庭の開けた場所にいた。
お父さんも呼び出され、お父様から事情が伝えられた。
「なるほど! シトラスの腕前を見たいと!
ならばいつも通りの稽古をしてみせよう!
――さぁ、いつも通りかかってこいシトラス!」
私はお父さんにうなずいて、法衣の裾を膝よりちょっと上で結んだ。
貴族令嬢としてははしたないと思う。でも結ばないと転んじゃうし。
「いっくよーお父さん!」
「来い!」
駆け寄っていく私を、お父さんはいつもの笑みで見つめている。
そのまま私が頭上に飛び上がり、いつものように打ち下ろしの飛び蹴りを繰り出した。
お父さんは笑顔で私の蹴り足をつかみ、思いっきり私を投げ飛ばしてくる。
私は芝の上で受け身を取って、ゴロゴロと転がってから素早く起き上がった。
――その瞬間には、目の前にお父さんの拳があった。
その拳を紙一重で避けつつ、私はお父さんの懐に潜り込み、顎に向かって飛び上がった。
手のひらをまっすぐ突き出し、顎の先端に当てに行く。
「甘い甘い!」
私の法衣が背中から鷲掴みにされ、また芝の上に放りだされて体が転がっていく。
そんな攻防を十分ほど繰り返すと、お父さんが「よし! では休憩だ!」と叫んだ。
私も動きを止め、息を整える。
お父様たちに振り返ると、呆然とこちらを眺めているようだった。
「……ギーグ、今のは本気で拳を打ち込んでなかったか?」
お父さんが笑顔で答える。
「シトラスならば、これくらい避けられるからな!
ならば当然、本気で打ち込むさ!」
お父様が私の目を見つめて尋ねてくる。
「……シトラス、お前はギーグの拳が怖くないのか?」
「うーん、最初は怖かったですけど、もう慣れました!
でもやっぱり私の攻撃はお父さんに通用しないんですよね。
一度も当てられたことがありません」
「……お前たち、怪我は怖くないのか?」
お父さんが楽しそうに笑った。
「ははは! 本当に当たると分かったら、そこで手を止めるさ!
その程度ができないようでは、愛娘に稽古など付けられん!」
お父様は眉間にしわを寄せて悩んでいるみたいだった。
「むぅ……お前たちが楽しそうだから、怪我をさせないという条件を飲めるなら、続けても構わん。
だが一度でも怪我をしたら、もうそれ以上はやめて欲しい。仮にも公爵令嬢だからな」
――許可が下りた!
私は思わずお父さんとハイタッチを交わしていた。
アンリ兄様を見ると、まだ呆然としてるみたいだった。
「お兄様? どうなさったのですか?」
「あ……いや、昨日のイメージとまるで違うから、驚いているだけだ。
だがそれだけ体力があるのに、昨日は簡単に力尽きていたんだな」
私は裾を直しながら答える。
「聖女の力は、それだけ消耗が激しいんです。なにせ聖神様の奇跡ですから!
でもこれで、お兄様と一緒に稽古を付けてもらえますね!」
私がにっこり微笑むと、アンリ兄様は戸惑うように視線を外した……なぜ?
視線を外したままのアンリ兄様が、小さな声で告げる。
「そう、だな。そう考えれば、これで良かったんだろう」
お父さんが笑いながらアンリ兄様に告げる。
「ははは! アンリよ! 公爵令息だからといって、手を抜いてもらえると思うなよ?
男であるお前ならば、私は容赦なく稽古を付けるぞ!」
私はあきれながらお父さんに告げる。
「お父さん……お兄様だって大切な体なんだから、大怪我させないでしょ?」
お父様がため息をついた。
「シトラスの言うとおりだ。大切な跡取りなんだから、ほどほどにしておいてくれ。
――では私は出かける準備をする。
シトラスはドレスの件を先に片づけるんだ。いいね?」
「はい、わかりましたお父様! いってらっしゃいませ!」




