第13話 温かな夕食
ドアがノックされ、目を向けるとアンリ兄様が立っていた。
「起きているか? そろそろ夕食の時間だ」
「はい、いま支度をします」
私はレイチェルに起こしてもらい、椅子に座って髪の毛を整えてもらった。
服は今着ている聖女の法衣しかないから、このままだ。
椅子から立ち上がろうとすると、目の前にアンリ兄様の手が差し出されていた。
その顔に目を向けると、どこか照れ臭そうにアンリ兄様が告げる。
「またふらついて転ぶと大変だ。私の手につかまれ」
至れり尽くせり継続中?
私は小首をかしげながら「はい」と答え、その手を取った。
アンリ兄様にエスコートされながら階段を降りていき、一階の大きなダイニングルームへ向かう。
そこにはお父様と、すっかり元気になったお母様が待っていた。
「大丈夫かい? シトラス。
体が苦しいなら、無理に食事を一緒にしなくて構わないんだよ?」
優しいお父様の言葉に、私は微笑みで答える。
「いえ、もうすっかり体力は回復しましたから、大丈夫です!
それよりも、お腹が減ってしまいました。夕食が楽しみです!」
タイミングよくお腹の虫が鳴り、私は真っ赤になりながらうつむいた。
いくらなんでも、これは恥ずかしい……。
エルメーテ公爵一家の楽しそうな笑い声に包まれながら、私はゆっくりと席に腰を下ろした。
****
公爵家の夕食は、とんでもなく豪華だった。
前回の人生では見たこともない品々が並んでいく。
それでも私はなんとか、身に着けた淑女の作法を駆使して料理を口に運んでいく。
「――美味しい?!」
鮮烈で味わい深い料理に、思わず言葉が口をついて出た。
その言葉にお母様とアンリ兄様は、微笑ましそうな眼差しを寄越してきた。
でもお父様だけは、どこか思うところがありそうな表情だ。
……それはそうだろう。一度は『十年間も公爵令嬢』を経験しているんだし。
その私が、料理一つで叫んでしまった。
お父様くらい敏い人なら、私がエリゼオ公爵家でどんな扱いだったか、勘づいてしまうだろう。
今思えば、食事の時間も場所も、私だけ別々だったしなぁ。
それだけぞんざいに扱われてたんだろう。
会食も記憶にないくらいだし……まぁ社交界に近寄らないようにしていた私も悪いんだけど。
ふと見ると、お父様の眼差しも微笑ましそうなものに変わっていた。
久しぶりにお母様と食卓を囲めたお父様やアンリ兄様は、とても楽しそうに会話を弾ませ、食事を食べ進めていった。
私は『これが私が守れた幸福なんだ』という実感を得ながら、幸福のおすそ分けをしてもらっていた。
****
食後の紅茶を味わいながら、私はお母様に告げる。
「すっかりお元気になられたようで、本当によかったです」
フォークも進んでるようだし、食事も問題ないみたいだ。
病弱な体質までは奇跡でも変えられない。それでもすっかり健康体だ。
私が横になっている間に身なりも整えたようで、昼間とは別人のような公爵夫人ぶりだ。
お父様がワインを片手に私に微笑んだ。
「全てシトラスのおかげだ。
今日だけでも、いくら感謝しても足りないくらいの恩を君に受けた。
アンリではないが、私もこの身に変えてでも君を守ると誓おう」
私はきょとんとしながらお父様を見つめた。
「『アンリ兄様ではないが』って、お兄様もそんなことをおっしゃったんですか?」
今度はアンリ兄様に視線を移すと一瞬だけ視線が交差し、彼は恥ずかしそうに視線をそらしながらお父様に告げる。
「父上! それをこの場で言うのは『無し』でしょう?!」
「ははは! すまない、だが我ら一家がシトラスに感謝していると、どうしても伝えたくてね。
シトラスに対してだけは、アンリも表情が豊かになるようだ。それもとても良い傾向だと思う。
アンリは感情表現が苦手だが、シトラスと共にいれば、それも克服できるかもしれん」
『感情表現が苦手』? アンリ兄様が? そうなの?
お母様がワインを一口飲んだ後、楽しそうに私に告げる。
「こうしてまたお酒を美味しく飲める日がくるだなんて、思いもしなかったわ。
全てシトラスのおかげよ。本当にありがとう」
私はニコリと微笑んで答える。
「どういたしまして!
また何か具合が悪くなったら、いつでもおっしゃってください!
私がきちんと癒して差し上げますから!」
――私がこの家にいる限り、エルメーテ公爵家で死者なんて出すものか!
この幸福な家庭を、私は守るんだ!
私が天井に向かって小さくガッツポーズを取ると、周囲から明るい笑いがこぼれた。
お父様たちだけでなく、控えている従者たちまでが笑みをこぼしているようだった。
「――あ」
思わず赤くなってうつむき、膝に手を置いて縮こまった。
あちゃ~、なんかついやっちゃうんだよなぁ、この癖!
お父さんたちを助けられてから、少し幼児退行したような気がする。
ヅケーラ村を救えたことが、私のトラウマの一部を救ってくれたのかなぁ。
お父様が楽しげな声で告げる。
「そんなに照れないでくれ。可愛らしすぎて思わず笑ってしまった。許してほしい」
「いえ! 貴族令嬢らしくなかったと反省しています!」
私は恐縮しながら、ちびりちびりと紅茶を口に運んだ。
****
食後は部屋に戻り、レイチェルたち侍女にお風呂に入れられてしまった。
必死に「一人で入れます!」と伝えても、微笑みながら服をはぎ取られ、体を洗い流されていく。
気が付いた時には髪の毛まで丁寧に洗われ尽くして、湯舟の中でぼんやりしていた。
薔薇の花弁が浮かぶ浴槽は花の香りに満ちていて、なんだか気分がいい。
「お嬢様、お湯加減はいかがですか」
「――はい! ちょうどいいです!」
「入浴後はメンテナンスタイムになります。
まだ七歳とはいえ、入念にお手入れさせていただきますので、お覚悟ください」
手入れ、とは。
私は「お手柔らかにお願いします」とだけ答え、湯舟に肩まで浸かって体を温めた。
****
入浴が終わると、レイチェルたちが私の体にひたすら薄めたオイルらしきものを塗りこんでいく。
「なんなんですかこれは……」
「香油ですよ。お嬢様の肌を守るためのお手入れです。
髪の毛にも塗り込めますので、動かないでくださいね」
うげ、そこまでするの?
でも優しい上品な香りだから、別に嫌でもない。
私は侍女たちに揉みほぐされるようにされながら、香りを塗りたくられていった。
ようやく聖女の法衣を着込めるようになると、レイチェルが私に告げる。
「今日はお倒れになっていますから、早めのご就寝をお願いいたします」
「――あ、はい。わかりました」
布団に押し込められ、部屋の明かりが消されていく。
レイチェルたちが部屋から辞去し、ドアが閉め切られた。
窓から差し込む月明かりだけが部屋を照らす中、私はごろりと寝返りを打って身を縮める。
――一人で眠るのは、これが初めてだな。耐えられるだろうか。
眠れば悪夢がやってくる。どんなに幸せな気分でも、悪夢は許してくれない。
毎日ではないのが救いだけど、二、三日に一回は悪夢にうなされた。
今日はもう一回見てるから、大丈夫だと思いたい。
一人が寂しい。お父さんの温もりが恋しかった。
ゆっくりと目を閉じ、必死に心を落ち着ける――大丈夫、私は聖女なんだから。
悪夢程度に負けてるようじゃ、世界なんて救えない。
エルメーテ公爵家を救えたように、目に入る人々を救っていれば、それが救済につながるはずなんだ。
目を固くつぶり、深呼吸をして意識を闇の底に沈めた。
――そして、私はまたあの夢を見る。




