第12話 誓いと願い
お母様の寝室に、血相を変えたお父様が駆け込んできた。
「ティベリオ! 無事か!」
「ええ、私は大丈夫。だけど……」
ベッドから起き上がっていたお母様が私を見下ろした。
私はすっかり力を使い切って、お母様のベッドで横たわっていた。
≪無垢なる妖精≫で顕現した妖精も、姿を消している。
「私は……大丈夫です。力を、使いすぎただけですから」
私は何とか言葉を絞り出した。でももう、これ以上はしゃべるのも苦しい。
ベッドサイドで私の手を握っていたアンリ兄様が、私の代わりに告げる。
「先ほどまで、シトラスが聖女の奇跡で母上たちを治癒してくれました。
薬には家畜殺しの毒薬が混入しているそうです。
ロレコ子爵は敵で間違いありません」
お父様は眉間にしわを寄せてうなずいた。
「奴が毒を盛ってきてるとはな……その調査は後で行おう。
それより、皆が無事でよかった」
お父様がお母様を抱きしめていた。
お母様も、嬉しそうにお父様を抱き返している。
私はその笑顔で満足しているうちに、意識が遠くなっていった。
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「――シトラス!」
力を失ったシトラスの手を握っていたアンリが、立ち上がって叫んでいた。
しかし寝息を立てているのに気が付いたアンリは、深い安堵のため息とともに腰を下ろした。
そのまま額をシトラスの手に預ける。
「ありがとうシトラス……本当にありがとう」
心から絞り出すような、感謝のつぶやきだった。
母と弟たちを失う寸前だったと知らされ、十歳の少年の心は千々に乱れ、混迷を極めていた。
だがシトラスは的確に最善を尽くし、三人の大切な家族の命を救ってくれたのだ。
シトラスの手を握りしめたまま、アンリはまじまじとシトラスの顔を見つめていた。
その様子を見ていたエルメーテ公爵が、楽しそうに告げる。
「そこまで女性に見とれるアンリなど、初めて見る。
どうした? それほど気に入ったのか?」
アンリが珍しく真っ赤に顔を染め、首を盛大に横に振った。
「み、見とれてなどいません! 突然なにをおっしゃるのですか父上!」
ティベリオがおかしそうに微笑んだ。
「そんな真っ赤な顔をして否定してもバレバレよ?
――そう、あなたの心にも春が来たのかしら。
でも相手は義理の妹よ? アプローチするのが大変ね」
観念したアンリは小さく息をつき、改めてシトラスの顔を見た。
よく見る気取った貴族令嬢たちとは違う、愛嬌があって整った顔立ちだ。
思わずその無防備な唇を奪いたくなる衝動に、少年は必死に抗っていた。
エルメーテ公爵が微笑みながら告げる。
「アンリ、寝ている淑女を襲う真似など、公爵令息ならばするなよ?」
「――そんなことは分かっております!
ですが、なぜ義妹なのでしょうか。
これが普通の令嬢であれば、苦労することもなかったというのに」
ティベリオが楽しそうに告げる。
「あら、他の家の令嬢だとしても、口下手なあなたでは苦労するんじゃないかしら?
むしろ一緒の家に住める幸運を喜びなさい。
幸い、義理の兄妹なら婚姻することは可能よ。
でもその子は特別な聖女なのでしょう? きっと社交界で激しい争奪戦になるわね」
アンリの片手が、寝息を立てるシトラスの頬を優しく撫でた。
「私が守り切って見せます。
毒虫のような連中などに指一本たりとも触らせはしません。
シトラスが私を選んでくれなくとも、私はシトラスを守ります」
エルメーテ公爵が目を細めて微笑んだ。
「お前がそこまでいうとはな。令嬢には興味がないと思っていたのだが」
「シトラスに会うまで、令嬢とはつまらない存在だと思っていました。
ですが今日一日で、認識が全て覆るほどの衝撃を受けたのです」
アンリにとって、これほど可愛らしく、無邪気に笑い、柔らかい匂いのする存在は初めての経験だった。
ともに馬に乗せた時、抱きしめたくなる衝動を必死に我慢していたぐらいだ。
社交の場で出会う令嬢たちとシトラスでは、本質から全てが違って見えた。
この無垢な存在を守るためなら、命も惜しくはないと思えたのだ。
我が子に訪れた春を、エルメーテ公爵夫妻は温かな眼差しで見守っていた。
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――ああ、まただ。またこの夢か。
民衆の憎悪がこもった怒声。
断頭台に拘束されていく手足。
貴賓席で侮蔑の視線を投げかけてくる、国王とラファエロ王子。
やがてロープが切られ、私の首に向かってゆっくりと刃が下りてくる。
それと同時に聞こえてくる民衆たちの声。
『お助けください、聖女様!』
『あなただけが頼りなのです!』
戦場で聞いた兵士たちのあざけりの声も聞こえてくる。
『聖女なんて言っても、すぐに力尽きて役立たずだ』
『ほら起きろ! 次の怪我人が待ってるんだぞ!』
私だけが十年間頑張って、ボロボロになって、結局こうして処刑されてしまう。
『シトラス、一つお願いがあるんだ』
この声は、アレッシオ。私を陥れた人。優しい人だと思っていたのに。
本当に優しかった人たちの声も聞こえる。
『あなたの幸福を、忘れないでください』
――グレゴリオ最高司祭。
『微力ですが、私も力をお貸しします』
――ヴェネリオ子爵。
『……少し、外を歩いてみませんか』
――ダヴィデ殿下。
みんな、みんな死んでしまった。
『ねぇシトラス、またあの場所に行ってみない?』
――マリア。あの子は無事に逃げ延びただろうか。
ああ、もう刃が目の前まで来てる。
聖女なんて、私は――
その刃が首に触れる――そして私の意識は暗転した。
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目が覚めると、夕暮れに染まる自分の部屋のベッドに居た。
ベッドサイドに目を向けると、アンリ兄様がこちらを見ていた。
「目が覚めたか? 体の具合はどうだ? うなされていたようだが、苦しくはないか?」
……なんだか、急に言葉が増えたな? どうしたんだろう?
私、どうしたんだっけ……ああそうだ、お母様たちを治療して、力尽きたんだ。
「大丈夫です、アンリ兄様。それより、お水を一杯いただけますか?」
「ああ、わかった」
アンリ兄様は、私が起き上がるのに手を添えてくれたあと、コップに水を注いで手渡してくれた。
……至れり尽くせり? 本当に何があった?
馬に乗る前まで、無愛想で不器用な男の子だったような?
戸惑いながらコップの水を飲み干して、私はようやく一息ついた。
「ふぅ。さすがにあれだけの奇跡を使うと、今の体力では苦しいものがありますね」
アンリ兄様が眉をひそめて尋ねる。
「そんなに消耗することをしたのか?」
「何年もかけて体に蓄積していた毒物を、全て消し去りましたから。
ただ傷を癒すより、ずっと消耗したみたいです。
お母様は本当に危ないところでしたわ。あのままだったら、一年以内に命がなかったでしょう」
『前回の人生』でエルメーテ公爵やアンリ公爵令息が私――というかシュミット宰相派閥の人間に殺意を抱いていたのは、この毒殺の真相を知ったからなのかな。
いつ知ったかは分からないけど、大切な家族を殺されたとすれば、殺意くらい抱いて当然だ。
こんな時期に亡くなっていたとすれば、私がエルメーテ公爵家の次男や三男を知らなくても納得できた。
私はふと思い出してアンリ兄様に尋ねる。
「お父様はこれから、どう動くのでしょうか。
やはりロレコ子爵を捕縛するのですか?」
「今は処方された薬を、別の信頼できる医師に検査させている最中だ。
証拠が固まり次第、奴の身柄を捕縛し裁判にかけるらしい」
毒殺の証拠がある以上、ロレコ子爵の殺意は覆らない。
王族や高位貴族への暗殺行為は死罪が与えられる――私のようにね?
「では、今すぐ事態が動くわけではありませんわね。
夕食の席にお母様は出てこられそうですか?」
アンリ兄様が嬉しそうにうなずいた。
「ああ、シトラスのおかげで母上は久しぶりにベッドから起き上がれている。
夕食をともに取るくらいは問題がないと、父上が判断された」
「そうですか。それならよかっ――」
軽いめまいを覚え、私はぐらりと倒れかけた。
その体をアンリ兄様が素早く受け止めてくれていた。
「……申し訳ありません。まだ体力が回復しきっていないのですわね。
でも、夕食まで横になっていれば、大丈夫だと思いますわ」
アンリ兄様の胸の中で、その顔を見上げる。
そこには眉をひそめて私を心配そうに見守る瞳があった。
「アンリ兄様? 何があったのですか?
なんだか、急に表情が豊かになったように思います」
アンリ兄様がハッとして目をそらした。
「何でもない。だがシトラスはもう少し横になっているといい。時間になったら起こしに来る」
私はゆっくりと横たえられ、布団を首までかぶせられてしまった。
アンリ兄様は一度だけ私の手を強く握って「今日はありがとう」と小さくつぶやき、名残惜しそうに部屋から出ていった。
私はアンリ兄様を見送った後、握られた自分の手をまじまじと見つめていた。
冷血貴公子に『ありがとう』って言われちゃった。
『あの』アンリ公爵令息から、敵意以外の眼差しで見つめられる日が来るとはねぇ。
なんだかしみじみしてしまう。
――あ、そうか。私は今回、『エルメーテ公爵家』という幸福な家庭を守ることができたんだ。
『前回の人生』で悲しい運命をたどった一家を、今回は救えた。
加護を与えてくれた聖神様に感謝の祈りを捧げながら、私は夕食の時間を待った。




